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46話 老騎士、死に狂い

 兄の遺体は後方の城に移された。


 そこで防腐処理を受けてリオンクールへと運ばれるのだ。


 遺体を守るのはロベールの従士だったエンゾだ。

 彼はロベールの従士を指揮し、棺を荷車に乗せ、後方に下がっていく。


 戦場で自らの主を守れなかった彼らの表情は暗い。




………………




 防腐処理(エンバーミング)とは何か?


 余談ではあるが少し解説をしたい。

 少々長くなるため、興味が無い方は読み飛ばして欲しい。



 高貴な人が亡くなると、遺体をすぐに埋葬をしない。

 防腐処理を行い、しばらく保存されるのである。


 先ず遺体は良く清められた後に鼻から水銀を入れ、口耳鼻などの穴に芳香剤を詰め込む。


 遺体を破損させることは罪であるが、長距離の移動などの理由から長期間の保存が必要な場合は聖職者の立ち会いのもとで腹を裂いて内臓を抜き出す。


 遺体を煮沸することも有ったようだ。


 そして腹部に芳香剤を詰め込んだ後に縫い合わせ、何らかのパウダー(詳細不明)で水分を抜く。


 布で固く巻き、時には蝋などで密封することもあったそうだ。


 最後にデスマスクだ。

 亡くなった貴人から型を取って作られ、彩飾された仮面を顔に被せるのだ。


 遺体は鉛の棺に納め、教会の祭壇の下などに埋葬された。

 これは死後も懺悔の心を示すためにと、聖職者に踏みつけられる位置に埋葬されるのだ。

 もちろん、これは高貴な人のみで、庶民は教会の墓地に葬られる。


 内臓の処理は雑なモノであったそうだが、心臓だけは特別扱いされ、個別に保存された。

 これは心臓が魂のシンボルとされていたからだ。

 心臓は防腐処理を受け、壺に納められた。



 アモロス王国で広まった聖天教会の教えでは、死者は世界の最後の日に神の審判を受け、正しき者には永遠の命を、邪な者には罰を与えると言われている。


 アモロス地方では、その時に備えて遺体を損ねない土葬が一般的だ。

 目に見えて遺体を失う火葬は忌み嫌われ、刑罰の1つとしても行われている。



 現代の日本でもエンバーミングは行われているが、もちろん中世式の防腐処理ではない。




………………




 俺は兄の棺を呆然と見送った。


 思えば俺は田中であったころより近親者を亡くした記憶はあまり無い。

 祖父母くらいであろうか……祖父母はいわゆる「老人」であり、死別することに疑問は無かった。


 しかし、兄のロベールはまだ21才だ……去年息子が産まれたばかりである。


 俺はこの手痛い経験から学ばねばならない……そう、上に立つものは部下にビジョンを見せる必要があるのだ。


 俺は常にロベールとの争いを避け、曖昧な態度をとり続けた……これが間違いだった。

 曖昧な態度で、ハッキリさせないことが優しさでは無い。


 俺が初めからロベールと張り合うか、もっと分かりやすい形で屈服すれば避けれたかもしれない悲劇だった。


 ……叔父上は見事だ……


 叔父のロドリグは兄であるルドルフに逆らわず、さしたる能力も野心も示さずに生きてきた……俺には出来なかった生き方だ。

 優れた手本が近くにいるのに、真似ることができなかった。


 ……俺は、大馬鹿者だ……


 昨夜、あれほど泣いたのに……悲しくて、情けなくて涙が溢れてきた。


 ……人の涙とは尽きぬモノらしい……


 俺はどうでも良いことに感心した。




………………




 その後に、自分の部隊に帰ると、アンドレが迎えてくれた。


「バリアン様、お休みになってください……昨夜は、その……大変でしたから」

「ああ、そうするよ」


 アンドレの気遣いは今の俺に心地よい。

 しかし、今は聞きたいことがある。


「アンドレ、俺の留守中に何か特別な任務を行ったか?」

「いえ、薪は継続して集めてますが……」


 アンドレは少し戸惑いながらも答えるが、俺が聞きたいのはそこでは無い。


「俺の留守中に誰か訪ねて来なかったか?」


 アンドレは唇を噛み、黙っている。


 兄殺しの主犯は目星がついている。

 しかし、実行犯は別にいるはずだ。

 恐らくは、ロベールが死ねば得をする者。

 俺が立身すれば共に引き上げられるであろう者たち……俺の親衛隊である同胞団が最有力だ。


「どうだ? 教えてくれるか?」

「……すみません……」


 アンドレは答えに窮した。


 これは「アンドレが世話になった人物」だからだろう。言えないのだ。


 俺はアンドレがロベールを殺したなんて思っていない。

 アンドレは俺の意を汲んでくれるタイプの部下だ。

 妹の夫である俺が愛人を作っても煩くは言わない。


 悪く言えばイエスマンタイプの家来なのだ。

 そんな彼が俺の意に反してロベールを殺害するはずが無い。


 恐らくは同胞団でも上昇志向の強い者たちが容疑者と結託し、ロベールを暗殺した。


 他にも協力者はいただろう……例えばロベールの側で動きを把握している者……


 陰謀は俺の知らぬ所で張り巡らされていた。

 考えてみれば戦場では不意の事故は起こりやすい……暗殺には好条件が揃っている。


 俺はたかだか数十人の部下ですら把握していなかった。

 人間の集団なのだ。

 様々な思惑が入り乱れ、派閥や争いがあるのが当たり前なのに、それを忘れていた。

 仲良しクラブと勘違いしていたのだ。


 ……難しいな……人間の集団は……


 全ては俺の推理であり、証拠は何も無い。


 たまらなく、ベルが抱きたくなった。

 こんな気分の時は煩く事情を聞かない女がいい。


 スミナは可愛いが、最近は女房気取りで煩いところもある……まあ、女房なんだけども。



「アンドレ、気にするな。忘れろとは言わんが……終わったことだ」


 俺はアンドレに告げると、兜を目深に被ってゴロリと転がった。

 犯人捜しは俺の仕事じゃないと、ふてくされたのだ。



 今は戦争中だ。俺が推測で騒ぎ立てても、ロクな結果を招かないだろう。




………………




 翌日



 ベルジェ城から軍勢が出てきた。


 恐らくは領内が焼かれたことで、籠城した騎士や兵が「俺たちの家族を見捨てるのか」と突き上げたのだろう。


 籠城の難しさだ。

 ストレスを溜めた兵士たちは何をするか分からない。

 下手をすれば反乱すら起こり得るのだ……たまにはガス抜きを兼ねて攻勢に出るのも1つの手ではある。


 しかし、敵勢は少なく、およそ400人ほどだ。


 ルドルフの率いる兵は2200人。

 残りの300人は後方の拠点とした城を守っている。

 万が一負ければ逃げ込む城になるので、守りに兵を割くのは常道だ。


 まともにぶつかれば負けるはずの無い戦いが始まる。

 思えば余裕のある戦場は初めてかもしれない。


 俺の側にアルベールが馬に乗り寄せてきた。


 俺は無言で、騎乗している(ノワール)の首を撫でた。

 アルベールの顔を見ると、何か取り返しのつかないことを言いそうで怖かった。


「……バリアンよ、許せとは言わぬ」


 俺はアルベールを無視した。

 子供じみているが、顔を見たくない。


 前方ではルドルフが言葉合戦をしているようだが……何も耳に入らない。


「バリアンよ、お前がリオンクールを大切に思うなら……お前が継ぐべきなのだ。今のリオンクールは貧しく、弱い。舵取りを間違えれば滅びるほどに」


 俺の態度は気にも留めず、アルベールは独り言のように言葉を続けた。


「ロベールの器量はリオンクールを統べるには十分だった……だが、足りぬ」


 どうやらアルベールは俺に何かを伝えようとしている。

 いつのまにか、俺はアルベールの言葉に耳を傾けていた。


「リオンクールを拡げろ、強くなれ。それができるのは、ロベールでは無くお前だ……強くなれバリアン! リオンクールの民に地の果てを見せてくれっ!!」


 空に向かって両手を突きだし、アルベールが吼えた。

 空気を震わせ、腹まで響く……凄まじい気の込められた言葉だ。



 それからアルベールは穏やかに馬を進め「ヤニックの元へ向かうとしよう」と呟いた。



「爺ちゃん! 死ぬ気か!?」


 ジャンが何かを感じとり、アルベールに声をかけた。


「ジャンよ、自慢の孫だ。あの世でお前たちが殺した相手を迎えるのが楽しみでならん」


 アルベールは、彼らしい不気味な台詞を残し、敵陣に向かい駆け出した。


 ……バカな!? 討ち死にする気かアルベール!!


「アルベールに続けっ! 遅れをとるな!!」


 俺は叫んだ。

 いつの間にか馬を走らせている。


 その動きは波のように軍に伝わり、総攻撃が始まった。


 言葉合戦の最中の奇襲である。

 ルドルフも戸惑いを隠しきれない様子だ。


「続けっ! 続けっ!」


 俺は必死で馬を走らせたが、アルベールが速い。

 ぐんぐんと距離を離される。


 アルベールはそのままスピードを落とすこと無く敵の歩兵の隊列に突入し、輪を描くように馬を走らせた……乗り崩しと呼ばれるテクニックだ。

 敵の隊列は乱れに乱れた。


 アルベールは槍を振り回し、人馬一体となり滅茶苦茶に暴れていたが……そのうち姿を消した。


 俺も敵陣に突入し、駆け抜ける。

 騎乗している場合は乱戦に付き合ってはダメだ。

 馬の重量で敵をはね飛ばすように駆け抜けるのだ。


 落馬してからも狂ったように暴れ続けるアルベールが敵兵に飲み込まれたのが見えた。


 ……アルベール! くそっ!


 だが、足は止められない。

 俺は必死で敵の薄い場所を狙い、そのまま駆け抜けた。


 ドレルムの騎馬隊も突入したようだ。

 彼の騎馬隊は数は少ないが精兵揃いである。


 たちまちに敵陣は崩れ、城へ逃げ散るように退却した。


 リオンクール軍は追撃をしたが、ベルジェ軍の殿(しんがり)が頑強に抵抗し、戦果はあまり無かったようだ。


 ベルジェ軍の殿を勤めたのは騎士ギャレオ。


 その戦ぶりをドレルムが賞賛し、敬意を表して追撃を止めたらしい。


 なんとも騎士道精神に溢れたロマンティックな話だが、俺ならそのまま城に攻め入り決着をつけた。

 逃げる敵に紛れ込めば敵は城門を閉じられず、容易く城を落とせたはずだ。


 俺はアルベールの死を活かしきれなかった味方に腹が立った。


 アルベールの教えは騎士道精神などよりも、たとえ卑怯と罵られても勝利を目指す泥臭いモノだった。



『勝つためには乞食になれ、犬にもなれ、騎士は勝つのが本分だ』



 その教えは俺の隅々にまで染み渡り、生き続けている。



 後に発見されたアルベールの遺体はズタズタに傷つき、最期の奮戦ぶりが偲ばれた……彼らしい死だったのかも知れない。



 ……アルベールは、兄上の死に責任を取って討ち死にしたのか……?



 俺には分からない。


 だが、俺は兄の死と、師であるアルベールの死から学ばねばならない。


『強くなる』


 俺は新たな目標を得た。

 漠然とリオンクールの人々を豊かにしたいと思っていた俺に、1つの方向性が示されたのだ。


『リオンクールを拡げろ、強くなれ』



 俺は師の教えを噛み締めた。


 ジャンが、アルベールの遺体から遺髪を切り取っていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] あれ、あっさり許しちゃうんだw
[良い点] 士は己を知るもののために死す
[一言] いやぁ...死に方まで凄いな...
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