4話 地球ですらない
この地の名はオキデンス大陸。
アモロス王国は北と西を海に、東と南を山脈に囲まれた大陸北西部を治める王国だ。
この大陸北西部はアモロス王国が約50年前に統一し、それ以来「アモロス地方」と呼ばれるようになった。
『まさか、これは』
俺が教会でリンネル師に読み書きや学問を習い初めて数週間がたった。
今日はアモロス王国について質問したのだが……リンネル師が広げた地図は俺の知る世界地図とは似ても似つかぬものであった。
……これは、ひょっとしたらタイムスリップでは無く別の世界? いや、地図が雑なだけかも……
俺の目から見た地図は子供が描いたような雑さがあり、これが地球上のものなのかは判断しづらい。
「どうされましたか?」
「いえ、少し驚きまして……アモロス王国の外には外国があるのですか?」
リンネル師は俺が黙り込んだことで少し心配したようだ。
優しく俺に語りかけてくる師に俺は質問を重ねる。
「ありますとも……例えば……」
師が語るには、アモロス王国はその地形から外国との繋がりは希薄だが、海や山脈を隔てた先にも国はあり、僅かではあるが交易も行われているらしい。
「なるほど、アモロス王国は地形に守られているんですね」
俺が呟くと、師は「そうですね」と短く答えた。
「アモロス王国は王様がいるのですよね?」
これは当たり前だ「王国」に「王」がいない筈はない。
だが、王国と言っても形ばかりの王がいる立憲君主制もあれば、絶対的な王権を持つ絶対君主制もある。
バリアンの家は貴族である……そのあたりの情報は是非とも欲しい。
「ええ、確か今の王様が11代目になるはずですよ。アモロス王国は200年前に成立した国です」
師の説明ではアモロス王国は封建国家だが王権はあまり強くはなく、各地方を治める貴族の上に緩やかに王が君臨する形みたいだ。
王は絶対的なモノではなく、アモロス地方最大の領主と言った風情のようだ。
領主の反乱も多いらしい。
「なるほど、王様といえど、他の領主の土地には命令が下せないのですね」
「そうです。そんなことをしては大変なことになりますよ……しかし、領主は王様の命令は聞かねばなりませんので、間接的には命令をできるとも言えますが」
俺は「ふうん」と頷いた。
「各領主とて反乱には悩まされているはずですよ。アモロス地方には異民族も沢山いましたが、それを征服して統一したのです。バリアン様のリオンクール家もそうですよ」
リオンクール家は元々は王に仕える騎士家であったが、独力で異民族が支配していた東方山脈にあるリオンクール盆地を征服し、リオンクール伯爵家として70年前に成立した貴族家らしい。
リオンクール盆地は支配者であるアモロス人よりも異民族の方が多く、反乱なども相次いだ難治の国であったが、民族間の同化が進み、現当主であるルドルフの代になりようやく落ち着きを見せるようになったそうだ。
「リオンクール盆地に住むリオンクールさんですか……なんだか紛らわしいですね」
「はは、バリアン様は面白いことを言われますね。リオンクールを治めたからリオンクールを名乗ったのですよ」
なるほど、そんなものらしい。
……これが教会で習ったアモロス地方のあらましだ。
『ひょっとしたら、ここは地球じゃないのかもしれない』
別に地球じゃなくたって俺の状況が変わるわけではないが……何と言うかショックだった。
1年間が360日とか、1週間が7日とか……暦が近いのですっかりタイムスリップと思い込んでいたのだが……まあ、タイムスリップも異世界も何も分からないことには変わりはない。
俺がこの状況に馴染むことが先決である。
「バリアン様は政治にご興味がお有りのようですね」
「はい、政治と言うか、世の中のことに興味があります。何も思い出せないのは不安です」
リンネル師は「ふむ」と頷いた。
「バリアン様、焦ることはありませんよ。貴方と話していると忘れがちですが、貴方は7才なのですから」
リンネル師はこの言葉でこの場を締め、今日の授業はお仕舞いとなった。
俺は師と挨拶をし、教会から出た。
夕方になってはいたが、まだまだ夏の日差しは明るい。
庭の端で男が立ち上がったのが見えた。
彼の名前はオノレ・ジロー。20才前後の若い男だ。
俺と同じ黒い髪に黒い瞳……余談だがリオンクール盆地には黒髪が多いらしい。
少し背が低いが、がっちりした体格に四角い顎が厳つい印象である。
「若様、お迎えにあがりました」
「ありがとう、ジロー」
彼は俺のボディーガードだ。
伯爵家の子息である俺に付けられた家来である。
守役ってやつだ。
王都は人が多く、不潔で治安が悪い、子供が独り歩きするのは不安な雰囲気がある。
ジローの護衛はありがたい。
しかも、ジローとは次郎に発音が近く、何だか親しみがある。
俺たちは雑談をしながらリオンクール家の屋敷に向かう。
「ジローも字を習えば良いのに」
「いえ、私は遠慮します……毎日教会に通うなんてゾッとしますよ」
俺はジローに気安く声を掛けるが、これもここ数週間の成果である。
始めは敬語で話し掛けて怒られたりしたものだ。
ジローは決して愚鈍では無いのだが、文字を習おうとはせず、俺がリンネル師に会うときは外で待っていることが多い。
ちなみに、アモロス地方の言葉は表音文字であり、話すことができるのならば難しくはない。
一定の法則さえ覚えてしまえば良いのだ。
屋敷に帰るといつぞやの童歌が聞こえてきた。
屋敷の使用人の子……10才くらいの茶色い髪の女の子だ。
何か作業をしていたようだが、俺の顔を見るやサッと逃げてしまう。
俺はその様子をみて小さくため息をついた。
「ロナですかい?」
ジローが薄ら笑いを浮かべながらこちらを見ている。
「ロナはね……難しいでしょうなあ」
「何かあるのか?」
俺が話に乗るとジローは「待ってました」とばかりに嫌らしい笑みを浮かべた。
どうも、ジローは噂話が好きだ。
「ロナの額には傷跡があるでしょう? あれはバリアン様が石をぶつけて付けたんでさ、弟のロロも大分とやられたはずですよ」
その言葉を聞いた俺は「はあっ」と大きくため息をついた。
「酷いな……女の子の顔に傷をつけたのか……無理もない」
俺は、俺が入る前のバリアンの話を聞くたびに陰鬱な気分になる。
ちなみに親父が木刀で殴ってたのも、素行の悪いバリアンへの折檻であったらしい。
「ジロー、俺は彼女に謝りたい。」
俺の言葉を聞いたジローは「うーん」と考え込む。
「難しいでしょうねえ……ロナは奴隷の子だ、若様が頭を下げては……」
ジローは頭を掻きながら呟いた。
そう、この国では奴隷制があるのだ。
ロナの母はリオンクール家が所有する奴隷だ。当然、子供であるロナとロロも奴隷である。
屋敷のメイドさんかと思っていた人達が奴隷であると知ったときは驚いた。
奴隷と言っても、日本人が想像するような「食べさせても貰えず、鞭を打たれて強制的に働く」と言ったイメージではなく、使用人のような雰囲気ではあるが、それでも身分差というのは大きいらしい。
「じゃあさ、ジローが伝えといてくれよ、バリアンが謝ってたって、悪いことをしたって……女の子の顔に傷をつけて許されるはずが無いけどさ……」
俺の言葉を聞いたジローは「ふ」と小さく笑った。
「惚れましたね」
「いや、俺はまだ7才だぞ?」
事実、今の俺には性欲が無い。
女性に興味が無いかと言われれば話は別なのだが、体がまだ反応しないのだ。
ジローは「わかってますよ」と軽くウインクして去っていった……何と言うか……酷くウザったい。
俺はジローを見送った後に屋敷に戻る。
そろそろ夕飯の時間だ。
………………
しばらく後、俺は両親と兄と共に食卓に着いた。
食卓の真ん中にはワイルドに鶏肉がドンと乗っている……皿にすら乗っていない。
それを親父が切り分けて俺たちの前に盛り付ける……やはり皿などは使わない。
肉を切り分けるのは家長の務めであり、名誉らしい。
家長以外の者は食事中に刃物を持てないことになっている。
ナイフが使えないならば肉をどうやって食べるのか? ……答えは簡単である。
手掴みだ。
母であるリュシエンヌもワイルドに鶏肉を手掴みにし、上から「あーん」と噛ぶりつくのだ。
……いつ見ても、豪快だな……
俺が逞しい食事風景に圧倒されるのもいつものことだ。
「バリアン」
父であるルドルフが俺に話しかけてきた。
「はい、父上。」
「バリアン、その……具合はどうだ?」
ルドルフは躊躇いがちに俺に体調を尋ねる……恐らくは俺の記憶喪失に対して引け目があるのだろう。
リュシエンヌがキッとルドルフを睨んだ。
彼女からすれば、腹を痛めた我が子を殺しかけた夫なのだ。思うところがあるに違いない。
「はい、もう大丈夫です。記憶は戻りませんが、ジローやリンネル師が色々と教えてくれますし、不便もありません」
「そうか、うむ」
ルドルフは微妙な顔つきをして食事に戻った。
彼は恐ろしい顔つきをしているが、最近は慣れてきた。
よく考えれば彼は32才……俺の方が年上なのだ。
「リンネル師も誉めていましたよ、バリアンは知性があるって……もう読み書きも計算もできるそうよ」
「それは凄い! 俺も負けてはいられません」
リュシエンヌと兄のロベールが嬉しそうに会話をしているが、微妙にルドルフがハブられている気がするのだが……まあ、気のせいと言うことにしよう。
リュシエンヌとロベールはそっくりな顔つきをしている。
俺はどちらかと言えば髪の色もありルドルフに似てる気がする。
手掴みで肉を食べ終わると、木製のテーブルでゴシゴシと手に着いた脂を拭う。
ナプキンなど気の利いたものは無い。
その後はパンとスープが出たので、固いパンをスープに浸しながら食べた。
ロバの肉が入ったスープは、薄味のくせに強烈なクセがあった。
……はあ、カツオだしのウドンでもすすりてえなあ……ふうふう言いながらよ。
俺は内心で料理の味にケチをつけるも、ガツガツと食事をする。
俺の食いっぷりを見た両親が微笑ましげな様子で眺めていた。
……バリアンは幸せな子供だったんだな……
そう、俺が感じるのはバリアンは問題のあるガキだったかもしれないが、両親はバリアンのことを間違いなく愛していた。
その幸せな家庭から子供を取り上げた俺は、複雑な気持ちで飯を食っていた。