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31話 母の記憶

 ……ここは、どこだ?


 俺は見知らぬ広間で目を覚ました。

 体を起こすと周りには負傷者で(あふ)れ返っている。


 ……そうだ。バシュラールとの戦争で……陣頭に立って……あれ?


 そこから先の記憶が無い。

 捕虜にでもなったのかと不安になる。


「バリアン様! 気が付かれましたか!?」


 声を掛けられ、振り返るとロロがいた。


「ああ、ロロ……ここは?」

「ここは要塞都市ポルトゥの広間ですよ。あれから丸1日経ちました」


 要塞都市ポルトゥには兵舎を兼ねた砦、広場と市街地にブロック分けされており、グルリと外壁で囲む形だ。

 ここは砦の広間らしい。


「俺は……先頭に立って……勝ったんだよな?」

「はいっ、見事な戦ぶりでした」


 ロロがニッコリと微笑んだ。右眉の傷が痛々しい。


「すでに軍は守備隊を残して解散しています。皆を呼んできましょう」

「いや、怪我人がいるからな、俺が行くよ」


 俺はロロと連れ立って兵舎に向かう。

 そこにはジャンとアンドレ、それにタンカレーがいた。


「おっ、バリアン様、起きたのかよ」

「急に倒れたから心配しましたよ」


 ジャンはあっけらかんと、アンドレは心配げに近づいてくる。


「ああ、急に倒れたのか……」

「おう、皆で担いでよ。重かったぜ」


 ジャンが神輿(みこし)を担ぐようなジスチャーをした。

 何だか面白い運ばれ方をしたらしいが、俺の図体と特製の鎖帷子だからな……4人がかりで運んだようだ。


「ありがとう、助かったよ。タンカレーも……命を助けて貰ったな 」


 遠慮がちに後ろにいたタンカレーに声をかけると、彼は「俺こそ、バリアン様のお陰で……うう」と泣き出してしまった。


 タンカレーは感激屋のようだ。

 俺はジローを思い出し「ふ」と薄く笑った。


「でもよ、俺たちは殆ど怪我して無いんだ。不思議だよな」

「ええ、後ろにいた兵の方が被害が酷かったんです」


 ジャンとロロの話によれば、真っ先に突入した俺たちよりも、後続の兵の方が被害が大きかったらしい。

 敵も滅茶苦茶に暴れる俺たちを避けたのかも知れない。


 今回のバシュラール軍は必勝の確信があったはずだ。


 勝ち戦の兵士は士気が高い。

 戦後に略奪などの「ご褒美」があるからだ。


 しかし、それは勝ち戦で強敵と戦って死ぬのは馬鹿らしいという心理にも繋がる。

 大半の兵は適当にお茶を濁して褒美にありつきたいのだ。


 狂ったように暴れる俺などは疫病神以外の何者でもなかっただろう。

 だから、生き残ったのだ。


 ……勝機ってのは、どこに転がってるのか分からんもんだなあ……


 俺はぼんやりと戦場を思い出していた。


「そう言えばさ、ヤニックさんがやられたんだ」

「討ち死にか?」


 ジャンの言葉に俺は眉をしかめた。「やられた」とは曖昧な表現だ。

 浅手(あさで)か戦死かも分からない。


「腹に槍を食らったんだよ、鎖帷子を突き破ってさ。馬に縛り付けられて帰ったけど、あの様子じゃ駄目かもな」


 ジャンは淡々と話すが、正直ショックだ。

 人の死に慣れたとは言え、知り合いが死ぬのは辛い。


「そうか、無事だと良いが……そうだ、あの広間の負傷者たちの手当をしよう」


 俺はヤニックの話を聞き、先程の負傷者を集めた広間を思い出した。


 不潔な干し草が敷き詰められた空間に血の臭いが漂い、いかにも不衛生だ。


 あれじゃ、治るものも治らんよな。


 俺は広間を確認して、革紐や木材、ナイフと針と糸などを用意してもらった。

 本当は包帯やサラシが欲しいが、布は高価で使えない。


 革紐などはポルトゥの物資から「バリアンが治療に使う」と言って集めさせた。


 ……本当は煮沸消毒くらいしたいけどな……


 細菌の概念がある俺は消毒をしない道具で治療するのは辛いが、顕微鏡の無い時代に細菌を説いても仕方ない。

 せめて真水で道具を洗いながら治療をした。


 ポルトゥに残っていたのは移動ができない者ばかり……重症だ。


 俺は何人かを見てやったが、明らかに手の施し様の無い者も多い。


 俺は希望者には「慈悲の一撃」も加えることになった……止めを刺したのだ。


 仲間を殺す慈悲の一撃は、皆が嫌がる仕事だ。

 こんな仕事は、伯爵家の一族である俺がやらねばならないと思う。


 俺が止めを刺す前に、怪我人たちは俺に感謝をした……正直、複雑だ。


 今、目の前にいる男は幸運にも止めは必要ないらしい。

 見れば(すね)を折られたようだ。


「痛むぞ……タンカレー、ロロ、押さえてやってくれ」


 俺は男の折れた脚を引っ張り真っ直ぐにした。

 男は飛び上がろうとしたが、両肩を押さえられて身動きを封じられる。


 タンカレーとロロは腕力が強いので、患者を押さえつける役をしている。

 ジャンとアンドレは広間の干し草を掃き出して貰っている。

 あんな不潔なモノは無い方がマシなのだ。


 俺が引っ張る度に男は絶叫する……なんだか痛めつけている気分になり申し訳なく思う。


 ……上手くいってるのかどうか分からないが、少なくとも先ほどよりは真っ直ぐだ。


 俺は満足し、添え木を当てて革紐で縛ってやった。


「バリアン様、ありがとうございます」

「いや、気にするな」


 何度も同じようなやり取りを続けているが、兵士たちは俺のいい加減な治療にも深く感謝をしてくれる。


 この時代の人々は医者に治療を受けることは稀だ。

 それだけで「ありがたい」と涙を流す者もいるほどだ。


 ちなみに、彼らの中では俺は医者に見えるらしい。


 ……まあ、この地の適当な「自称」医者よりは俺の方がましかもな。


 次の患者の傷を見る。

 脇腹に矢が刺さっている。


 ……微妙だな……治るか?


 俺はナイフで衣服を切り裂き、傷口を水で洗う。


「抜くぞ、押さえつけろ」


 矢を無理やり引っ張ると、矢尻にかえしが付いていた場合に傷口を広げてしまう。

 俺は傷口に指を突っ込んで丁寧にほじり出した。


 患者はバタバタと苦しむが、舌を噛まないように口を革紐で縛っているために「ふごー!ふごー!」と涙を流すだけだ。


「良し、出血が少ないぞ! 気をしっかりと持て」


 俺は乱暴に傷口を麻糸で縫合した。

 革を縫うゴツい針だが、無いよりマシだ。


「半月ぐらいで糸を抜け。痛いけどな」


 俺がニヤリと笑うと患者は「ふごふご」と返事をした。革紐をほどくのを忘れていた。



 俺たちは休み休み丸1日かけて治療を終えた。

 助かる者も助からない者もいるだろう。


 ちなみに俺が止めを刺した兵士たちは戦死として記録された。



 余談だが、広間の掃除はジャンがサボるのでアンドレ1人でやっていた。


 ジャンはポルトゥの砦で働く職人の娘さんと楽しいことをしていたらしい。

 合意の上らしいので煩いことは言いたくないが、仕事をサボるのは良くない。

 俺が叱りつけたら「明日からはあの娘が怪我人の世話してくれることになったぜ」としれっと答えていた。


 確かに怪我人を看護する者は必要なので、サボりの件はウヤムヤにされてしまった。


 ちなみにジャンはかなり顔が整ってきた。

 娘さんの方も満更では無さそうなのがイラつく。


 奴隷であるロロとは違い、ジャンは俺の親戚筋だし、幼なじみだ。

 弓や馬術の腕は俺より優れているし、ある意味で対等な相手でもある。


 ……俺にコイツを使えるのか……?


 大切な友人なのは間違いはないが、たびたびにサボられては他の者にケジメもつかない。

 この分では先が心配である。




………………




 そう言えば、俺が負傷兵を治療していると聞き付けて、叔父のロドリグが様子を見に来た。


 どうやら倒れた俺をかなり心配していたようで「起きたなら報告しろ」と俺たちは全員でお小言を言われてしまった。


「早く帰って義姉上を安心させてやれ」


 叔父はそう言い残し、去っていった。

 彼は念のために100人ほどを率いて要塞都市ポルトゥの守備に就いているのだ。


 軍隊とは簡単に編成できるものではない。

 先ず以て攻撃を受けることはあるまいが、念のためと言うやつだ。


 足りなかった兵糧も、バシュラール軍から奪った食料で少数ならば軍を維持できるようになったらしい。


 結局、この後2週間ほどで遠征軍が引き返してきたので守備隊は交戦せずに解散したようだ。


 しかし、叔父さんはその後も要塞に残り、遠征軍の帰還までこの地を守り抜いた。


 叔父のロドリグは働き者で、目立たず、軽んじられることも無い。

 父のルドルフにとって、これほど頼れる補佐役がいるだろうか?


 この叔父には本当に頭が下がる。



 俺は戦後の雑務一切をロドリグに押し付け帰宅した。




………………




 翌日となり、皆でダラダラと領都に向かう。

 疲れもあり、何となくダラけてしまうのだ。


「タンカレーの家ってさ、なにやってるんだ?」

「親父は農夫でした。でも早くに亡くなって母ちゃんは叔父さんに嫁ぎました。農地も叔父さんが継ぎました。俺は……色々。叔父さんの畑で手伝ったり、パン屋で粉引きしたり……貧乏です」


 人口の少ないリオンクールでは兄の死後に兄嫁を娶るのは珍しくない。

 婚家との縁も途絶えぬとして奨励すらされている。


 タンカレーは平民だが、いわゆる水呑百姓、農地を持たない農夫のようだ。

 だが良くあることと言えば良くあることだ。


 土地を継げなかった平民農家の三男四男などは奴隷同然で養われている者が多い。

 当然、彼らは平民だが水呑み百姓である。

 彼らは春になると一旗揚げようと都市に向かい、いつか餓死や凍死をする。


 この時代の都市とは人口調節の場でもあるのだ。

 いずれはタンカレーもそうなった可能性は大きい。


 ちなみに平民の子は平民だが、土地や市民権の無い平民の子は自由民である。

 もっとも、土地の無い平民が子供を養えるかは別の話だ。



「そうか、お袋さんに挨拶した方がいいか? 大事な働き手を家来にしちゃったんだからさ」


 俺の言葉にタンカレーが「ええっ! 家来に!?」と驚いている。

 あれ? まだ家来じゃなかったっけ?


「違ったか?」

「いえ、その……よろしいので?」


 俺の質問にタンカレーは質問で返す。

 不安げな情けない表情だ。


「ああ、命の恩人だものな……給料は少し待ってくれ、金を稼ぐ当てはあるんだ」


 奴隷であるロロはまだしも、アンドレやジャンも給料無しでは可哀想だ。

 今までは何となくリオンクールの屋敷で養って貰っていたが、俺も初陣を果たし一人前の男である……稼いで部下や、いずれは家族を養わねばならないだろう。


 幸い、砂糖のストックは貯まってきている……これを売るつもりだ。


「ありがとうございます! 頑張ります!」

「ああ、ロロやアンドレの言うことを良く聞くんだぞ」


 広間の掃除の件もあり、俺が嫌みを言うとジャンが不満そうに下唇を突き出した。


 俺たちは大笑いをしながら道を歩く。

 それは年相応の若者たちに見えるに違いない。




………………




 家に帰ると、リュシエンヌが礼拝堂でさめざめと泣いていた。

 兄嫁のフロリーアが寄り添っている。


 俺は驚かせぬように、わざと足音を立てて近づいた。


「母上、戻りました」

「……ああ、まさか……」


 リュシエンヌは大きく目を開き、俺を抱き締めた。


「神様……神様……ありがとうございます」


 リュシエンヌは涙を流し、喜んでいる。

 どうやら俺の帰りが遅かったために心配したらしい。


「バリアン、あなたが戦死したと聞いて……戦場で倒れたと」


 どうやら帰りが遅かったので彼女なりに情報を仕入れたのだろう。

 そこで「陣頭で戦った」「戦場で倒れた」などと断片的なイメージが伝わったに違いない。


 これは良くあることで、兵士が家に帰ると自分の葬式をしていたと言う笑い話もあるのだ。


「すいません、母上から頂いた兜も、盾も、剣も失いました」

「そんなことは良いのです。あなたが生きていた、それが大事なの」


 リュシエンヌの言葉に、俺はつい涙が溢れた。

 フロリーアも貰い泣きをしている。


『あなたが生きていてくれて良かった』


 田中だった頃、バイク事故を起こした俺に、母親がかけてくれた言葉と同じだったからだ。


 ……母親ってやつは……これだから……


 俺もリュシエンヌを抱き締めた。

 背はとっくに追い越した。

 でも、母親はいつまでも息子を心配してくれる。

 それが嬉しく……悲しかった。



 ……母ちゃん、親不孝でごめん……



 俺は母よりも早く死んだ。

 それが、今はとてつもなく悲しかった。

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[良い点] 最近読んだもののなかで一番面白いです
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