23話 兄の結婚
12才の春、父のルドルフと兄のロベールが帰還した。
初陣のロベールも戦旅を無難に過ごし、王からお褒めの言葉を頂戴したらしい。
そして、何とロベールの結婚も決まったそうだ。
相手はピエロ・ド・ドレルムの次女だとか。
ドレルム家は王に仕える騎士であり、リオンクール伯爵家とは家格は釣り合わない。
しかし、ルドルフとドレルムは若い頃からの戦友であり「互いの子供を妻合わせる」と約束していた。
つまり、かなり早い段階で婚約はあったようだ。
そして、今回の戦勝に合わせて結婚となったらしい。
結婚式は新婦となるドレルムの娘が到着次第、行われる。
「これから忙しくなるぞ」
夕食時にルドルフは嬉しそうにロベールの結婚を語る。
この婚約はリュシエンヌも知っていたのだろう、ニコニコとしながら「おめでとうロベール」と微笑んでいる。
思い出せば、ドレルムの城に泊まった時にロベールはドレルムの子供たちと親しげな様子だった。
恐らくは婚約者もいたのだろう。
「おめでとうございます、兄上」
「ありがとうバリアン……そう言えば、お前も随分と噂になってるようじゃないか?」
ロベールはニヤニヤと俺をからかう。
「そうだった、バリアン、お前はコカースの娘と好き合っているそうだが」
ルドルフがこちらをジロリと見た。
やはり慣れたとは言え迫力がある。
「あなた、叱らないでやって下さいな。スミナさんは素直で可愛らしい方よ」
リュシエンヌが俺を援護してくれる……これは頼もしい。
俺はすでにスミナをリュシエンヌに紹介していた。
もちろん、恋人としてだ。
「押し倒してモノにしたとは関心せんな……16才までは結婚は許さんぞ」
ルドルフはニヤリと笑う。
「お許しいただけるので……?」
俺が恐る恐る確認すると「ちゃんと紹介しろ」とルドルフは笑う。
ルドルフからしても、俺が下手な貴族や騎士の娘と結婚するより、力の無い裕福な平民とくっついた方が都合が良い面もあるのだろう。
ロベールの妻の実家となるドレルム家も、さほどに強い力は無い。
俺があまり強い家と婚姻関係を持てば揉め事の種になりかねない。
また、あんまり貧乏な平民の娘を貰っても問題がある。
コカース家は「まあまあ許せるかな」と言った程度にはルドルフのお眼鏡に叶ったようだ。
「ありがとうございます、父上。早速、明日にでも紹介します」
「うれしそうにしやがって!」
ロベールが俺を小突いて食卓は一層明るい雰囲気になった。
「良かったわね、ロベール、バリアン」
リュシエンヌも幸せそうだ。息子の幸せを願わぬ母はいないであろう。
……いい家族だな。
俺は心の底から、この両親の子で良かったと思う。
最近、俺はどこからどこまでが田中正としての記憶か、バリアンとしての記憶かが曖昧になりつつある。
人の記憶はいい加減なモノで、田中の人生の記憶が薄れつつあるのだ。
妻や子供たちの記憶……とても大切な思い出。
忘れていくのはとても悲しいが、それが「生きる」と言うことなのかも知れない。
………………
夏の終わりの頃、兄の妻となる人がドレルム夫妻と共に到着した。
彼女の名前はフロリーア、兄と同年の16才だ。
フサフサとした金色の髪を背中まで垂らし、青いパッチリとした大きな目がフランス人形みたいだ。
ポワポワした雰囲気があり、実に「可愛い人」と言う印象である。
……まあ、スミナには劣るがな。
俺は内心で恋人を誇りながらフロリーアに挨拶をする。
「まあ、あなたがバリアンさんね! ロベール様から聞いています。大変優秀なお方だって」
「恐縮です、義姉上……こちらが私の恋人のスミナです」
たまたま遊びに来ていたスミナも紹介する。
スミナはカチコチに緊張しながら「はじめまして」と挨拶をしていた。
「まあ! 可愛らしい恋人なのね、素敵だわ! 私は妹が欲しかったの、嬉しいわ」
「あ、私も、姉妹はいなくて、その……」
フロリーアはカチコチのスミナの手をとって「お友だちになりましょう」と微笑んだ。
どうやら問題なさそうである。
俺は「ほっ」と胸を撫で下ろした。
スミナとフロリーアの仲が悪いと、俺とロベールの仲まで拗れかねない。
フロリーアが屋敷に入ると、スミナが拗ねたような顔でこちらを睨む。
「酷いっ、聞いてなかったわっ」
「仕方ないだろ? 俺も知らなかった。言えるはずがないよ」
スミナはブスッと唇を尖らせて不満を表現している。
彼女は心の準備無しにフロリーアと挨拶をしたのが不満らしかった。
さすがに付き合って数ヶ月。スミナも俺に対して砕けた口調になってきている。
「……でも、私緊張して上手く話せなかった。礼儀知らずって思われたかも……」
スミナはシュンと項垂れた。
こう言っちゃ何だが、スミナは普通の女の子である。
俺から見たら「そんなことくらいで」と思うのだが、本人には大問題なのだろう。
悩み事とは「何を」悩んでいるかでは無く「どれだけ」悩んでいるかが重要なのである。
13才の少女の悩みは深いらしい。
「そうだ! 兄上の結婚式のお祝いで競技会もあるだろうから、スミナも客席で見てくれよ!」
俺は雰囲気を変えるためにわざと明るく声を出した。
客席とは貴賓席である。
俺の家族はそこに集まるのだ。
「えっ!? だって……伯爵様とか奥様とかいるし、その……」
スミナはもじもじと体を捩る。
「良いじゃないか、あ……でも義姉上に悪いな……スミナの方が可愛くて目立つし良くないかな?」
俺はスミナをからかうと「知らないわっ」と彼女はプイっと横を向いた。
俺たちがイチャつきながら広場に向かうとスミナの兄のアンドレがアルベールに拷問されているのが見えてきた。
アンドレは如才の無い男で「いつの間にか」俺の学友のようになっていた。
しかし、俺たちが腕を上げたために扱きがいが無くなったと嘆いていたアルベールに目をつけられたのが運の尽きだ。
彼はアルベールの良いオモチャになっていた。
今もボロ雑巾のようになりながら鞭で「指導」されている。
「ぐははっ、憎めっ! 憎むのだっ!!」
アルベールの楽しげな声が広場に響いていた。
………………
この時代の結婚式とは婚約式とセットであるが、今回は幼い頃からの婚約者同士だとして婚約式は省略された。
結婚式は礼拝堂や教会にて行われる。
これは聖天の教えは秘密を憎むことから来ているらしい。
俺は夫婦にも秘密は必要だと思うが、そんな理屈は通用しない。
秘密や陰謀は憎むべき悪徳なのである。
派手な衣装で着飾った新郎新婦は両親(いない場合は代理)に導かれて教会の入り口まで進む。
この時代は結婚のドレスは白ではなく、赤が好まれたようだ。頭に金の冠も乗せている。
そして、司婚者である聖職者の前で誓いの言葉を述べ、新郎は慣習に倣って新婦の指に指輪をはめた。
この指輪には儀礼以上に大きな意味がある。
この時代の権利や所有物の譲渡は、身に付けている物(指輪や短剣)を相手に渡すことで成立とした。
指輪の交換は権利の共有を意味したのだ。
そして立会人たちは結婚の誓いをよく記憶に留めておくために、互いに強烈な一撃を食らわせた(これは立会人の義務でもある)。
ルドルフとドレルムも互いに強烈な拳骨を食らわせ大笑いした。
少しドレルムが涙を流したが、打撃の威力か、娘の嫁入りの為かは分からない。
そして、皆で礼拝堂に入り、結婚のための特別なミサを受けた。
結婚前に子供がいた場合は少しミサの内容が変わるらしい……気を付けよう。
ミサの後は墓参りをし、先祖にも結婚を祝福してもらう。
これは非常に古くからの風習に関係しているようだが、起源や由来はわからない。
ここからは町中で大騒ぎである。
町の大通りをパレードした新郎新婦に「プレンテ! プレンテ!」と皆で麦粒を投げて祝福をする。
これは子孫繁栄、子沢山のおまじないらしい。
領主の長男の結婚祝いだ。
領主の屋敷では、連日連夜のお祭り騒ぎ、なんと5日間も続いた。
競技会も開催され、俺もレスリングで大活躍した。
俺の体は既に成人と変わらない。
多少逃げ回られても強引にねじ伏せ、連勝を重ねる。
観客席を見ればスミナも皆に混じって大喜びしている。どうやらそれなりに溶け込んでいるらしい。
スミナは俺の腹違いの妹のカティアと並んで手を振ってくれる……正直、メチャクチャ嬉しい。
次の対戦相手が現れた。これで7人めだ。
この相手は見覚えがある。
確か、前回も対戦したロベールの学友だ……たしか……
「負けるなよーっ! エンゾーッ!!」
ロベールの声援が聞こえた。
そう、彼の名はエンゾだ。思い出した。
しかし、弟を応援しないとは酷い兄である。
「バリアン様と再戦できるとは運が良かった……2年間の成果をお見せします」
エンゾは油断無く構え、審判の合図と共に俺たちは組み合った。
彼は俺と身長体格はあまり変わらないが、思わぬ力があり、彼の努力を感じさせた。
組み合っても俺の技を巧みに外し、耐える。
俺がロベールに伝えた技を相当研究したのだろう。
そしてどれだけ俺が誘い込んでも、決して寝技には付き合わない……始めから寝技は捨ててかかっている。
嫌らしい相手だ。
取っ組み合いが続けば疲労の大きい俺に不利である。
「はあ、はあ、やるな、エンゾ」
「まだまだっ!」
エンゾは俺に内股を仕掛けてきた……なかなか上手い。
小内刈りからの連続技だ。
……だけどな、その連繋は「定番」なんだよ!
エンゾの動きを見切った俺は自分の足を引き、エンゾの足を躱わした。
内股は自らの体勢を崩しながら投げる技なので強力だが躱わされては脆い。
いわゆる「内股すかし」と言われる技術だ。
エンゾは勢いよく転び、俺に抑え込まれて勝負は決まった。
「「ウオオォォォ」」
ド派手な投げ技に観客が歓声を上げた。
俺はエンゾに手を貸して立ち上がらせる。
「見事だ。危なかった」
「……いえ」
エンゾは悔しげに歯噛みをして退場した。
彼は相当に努力を重ねたのだろう。
だが、俺とて遊んでいた訳ではない。
しかも恋人が見ているのである。
無様な負け方はしたくない。
「この勝利も、次の勝利もスミナ! スミナ・コカースに捧げよう!!」
俺が観客を煽ると「ウオオォォォ」と歓声が響いた。
俺は強さと派手なアピールで人気の注目選手らしい。
リオンクール人は人前では意外とシャイであり、俺のように観客を煽る選手はあまりいない。
俺がキメ顔でスミナを見ると、彼女は俺の身内に冷やかされて真っ赤になっていた。
せっかくのキメ顔はドレルムしか見ていなかった……しかも爆笑してやがる。畜生。
………………
その後、連勝を8まで伸ばした俺は、9戦目にスタミナ切れを起こして抑え込まれた。
思いの外、エンゾとの試合で体力気力を消耗してしまったようだ。
意外なところからライバルが出現したものである。
俺は10連勝はできると踏んでいたので肩を落として観客席に向かう。
「こらあ! 坊主、凄いじゃないかッ!!」
俺はスミナに慰めて貰おうと思って観客席に来たのに、むさ苦しいドレルムが抱きついてきた。
「バリアン 俺はお前のファンになっちまったぜ!! あの腕を折る技は自分で考えたのか!?」
ドレルムは大興奮である。
「考えたというか……勝手にできたというか……生まれつき?」
まさか、前の人生で身に付けましたとは言えない俺は適当に答えるが「そりゃスゲえ!」とドレルムの鼻息が荒くなる。
「おい、鷹よ! お前の息子は天才だ!! 俺の従士にしてくれ!」
ドレルムはルドルフにギャアギャアと絡んでいる。
騒がしいオッサンである。
俺はドレルムは無視してスミナの横に座った。
「ああ、とても疲れたよ」
俺はスミナに甘えるようにもたれかかる。
スミナは小さく「きゃ」と悲鳴を上げたが、膝枕のような形で俺の頭が納まった。
「バリアン! 人前ではしたない……」
リュシエンヌの叱り声が聞こえた。
「これは傑作だ! お前の下の息子は大物か馬鹿かどっちだ!? がっはっは」
ドレルムが喜んでいる……うるせえオヤジだ……
「バリアン様、とてもカッコ良かったよ」
……スミナかな……最後はしょっぱい試合でゴメンな……
ぐおーっ、ぐおーっ
体力を使い果たした俺はスミナの膝枕で眠りに落ちた。
しばらくして目を覚ましたら皆に散々からかわれたが仕方が無い。
スミナも照れていたが喜んでいたと思う。
後に結果だけを見ると、俺の8人抜きは同率首位であり、見事に表彰された。
褒美には立派な兜が用意されていたが、これは1つしか無かったので主催者の身内である俺は空気を読んで辞退した。
ルドルフは何も言わなかったが、ドレルムが「立派な態度だ」と誉めてくれた。
チョット嬉しい。
こういう場合は普通は片方には金銭で褒美とするらしい。
俺もいずれは褒美を出す側になるだろう……今後の参考にしよう。
他ではジャンが弓術で好成績ながら惜しくも表彰はされず、ロベールは馬術で接待の臭いがする優勝を飾った。
ジャンは悔しがっていたが、11才でかなりのレベルだと思う。
弓術では俺やロロよりも確実に上手い……将来性と言う意味ではジャンは素晴らしい逸材だと思う。
そして、困った事が1つ。
「こらあ! バリアンっ! 今日もレスリングしようぜっ!!」
兄嫁の父であるドレルムが俺を気に入り、帰るまで毎日俺にレスリングを挑んできたのだ。
まるで「おーい磯野、野球しようぜ」的なノリで来るから困る。
毎日毎日散々に痛め付けるはずなのだが、喜んで挑んでくる。
多分、このオヤジは変態だ。
「ぐあー! 痛えっ!? バリアンよ、俺の従士になれ!」
「単身赴任は恋人が泣くからダメだ!!」
今も腕ひしぎを掛けられながら俺を熱心にスカウトしてくる。
さすがに一介の騎士の従士では先は知れている。それなら兄の部下の方が良い。
「お父様とバリアンくんが仲良くなって嬉しいわ」
「ああ、そうだね」
ロベールとフロリーアがこっちを見ながらイチャついてやがる畜生。
見せ物じゃねえぞ。
「死ねえー!!」
「ぐああー」
俺はドレルムに散々に八つ当たりをした。
ちなみに俺の12才のレスリング優勝はダントツでの最年少記録であり、俺は「レスリングの申し子」として人々に記憶された。
だが、エンゾのように俺の技を研究する者が現れては俺のアドバンテージはいずれ無くなる……俺の強みは他の者が知らない知識だ。俺の才能ではない。
その知識を学ばれては……俺は未来に一抹の不安を感じた。
アルベールのイメージはデス〇イーン島のお面の人





