22話 忍び足
俺がスミナ・コカース嬢を押し倒してから数日後。
俺の醜態は屋敷中に広まった。
そりゃそうである。娯楽の少ない時代、噂話は人々の大事な楽しみなのだ。
領主の次男が女の子を押し倒し、さらにフラれたなど最高のネタである。
当然、母であるリュシエンヌの耳にも入り、今現在進行形で大目玉の真っ最中である。
「バリアン、ここに跪きなさい」
「はい、母上……」
俺はリュシエンヌの足下に跪き、お叱りを受ける。
「コカースの娘に無礼を働いたのは本当なのですか!?」
「……真実です」
リュシエンヌは俺の言葉を聞いて「ああ」とよろめいた……オーバーなリアクションだなあと俺は眺める。
「何故ですか!? お前は父の不在に何てことを!」
俺はこんな状態の女に理屈を言っても無駄だと経験で知っている。逆らっては駄目だ。
リュシエンヌは先程から似たようなことを何度も言い立て、俺を責める。
「黙ってないでッ! 何とか言いなさいッ!!」
リュシエンヌがヒステリー気味に声を上げた。
……今だ。
俺は俯いていた顔を上げ、リュシエンヌを見上げる……俺の目には涙が貯まり、ウルウルとしている。嘘泣きだけど。
「……母上、わからないのです、私も……」
「おお……バリアン」
リュシエンヌはこれだけで俺に同情したのか雰囲気が変わった。
リュシエンヌは情の深い女性だ。息子が憐れっぽく許しを乞えばイチコロだ。
「私は……その、スミナ・コカース嬢を……見つめるうちに堪らない気持ちになり、強引に唇を奪ってしまったのです」
「ああ、バリアン……それはいけないことよ」
リュシエンヌは俺に女性の尊さと扱いを説明している。
ハッキリ言ってチョロい。
「バリアン、誓って口づけだけなのね?」
「はい、私は彼女に謝りたい……今まで冷たくしていたのも、その……彼女を見ると苦しくなり、素直になれないのです」
リュシエンヌは「いいのよ」と俺の顔を抱き締める。
「バリアン、あなたとスミナ・コカースのことは父上に相談しましょう」
……調子に乗ってやりすぎた……なんか話がおかしな方向に行き始めたぞ。
「バリアン、あなたが謝りたいと言うのならば、コカースの家で家長に罰を乞いなさい」
「……はい、そういたします」
俺は頭を下げる……これは、俺がスミナを嫁にもらうフラグってヤツじゃないか?
よくわからんが、リュシエンヌも俺の恋を応援しようと盛り上がっているようだ。
ルドルフに迷惑を掛けたくないと女を近づけなかった努力とは何だったのだろうか……たぶん、これは「初体験」を済ませたせいだと思う。
人の脳は苦痛には耐えられるが、快楽には耐えられない。
童貞だったころは「知らない」ことは耐えられた。
しかし、この体はロロやジャンと女の味を「知って」しまった。
こうなると我慢できなくなるのだ。
俺は最近、バリアンの体に思考が強く引っ張られている気がする。
頑強な体、強い戦意、食欲旺盛、精力絶倫……生物として田中正だったころの体とは比べ物にならないハイスペックな肉体だ。
このモンスターマシンを俺が制御しきれていない……特に性欲面で。
本来ならばスミナを「体よく追い出せた」と喜んでも良いのだが……何となく、縁のできた女の子が惜しいのである。
……まあいいか。俺もニャンニャンしたいからな。スミナは可愛いしな。どうにでもなれだ。
いつの間にか、俺は思考を放棄した。
理性が性欲に敗北したのだ。
………………
「だから、狩りに行きたい」
俺はロロとジャンに向かって狩りに行くことを宣言した。
「コカースさんに謝りに行くのに狩りですか?」
「そうだ。デカイ猪を仕留めて俺の強さをアピールする。スミナは俺に惚れ、股を開く」
俺が作戦を披露するとロロがため息をつき、ジャンがゲラゲラと笑った。
「そもそも、ロロがミレットとの情事を見せつけるからこうなったんだ! 責任とれ!」
「いや、おかしいですよっ!!」
俺とロロがじゃれあっていると、ジャンが「でもさー」と何か言いいかけた。
「どこで狩りをするんだ? 密猟か?」
「いや、ウチの荘園でやる。林務官に話は通ってるはずだ、猟師を訪ねよう」
ちなみに林務官とは森を守る小役人である。
俺たちは猟師の元に向かった。
まだ畜産が発達する前の時代、狩猟とは娯楽である以上に毛皮や食肉を手に入れる重要な手段だった。
大抵の領主は猟師を雇っており、猟師は領主の狩を助ける役割も担う。
大規模な狩猟となれば大勢の勢子が動員されるが、今回は急ぎである。
大袈裟なことは必要ない。
俺たちも猟師から猟犬を借り、半日かけてウサギを2羽と山鳥を捕まえて引き上げた。
少し物足りなかった俺は、猟師に金を払って、彼が昨日仕留めたという山猫とウサギを買い取った。
「ダセー! 金で獲物買ってるよ!?」
「うるせえ、出所なんて分かりゃしねえよ。」
ジャンと俺のやりとりを見た猟師が苦笑いをする。
このようなことは、領主が獲物を満足に得られぬ時に良くあることでもある。
「よし、十分だ……ありがとう、助かったよ」
俺たちは猟師に礼を述べ、コカースの家がある村落に向かった。
………………
コカースが住む村落は領都からほど近く、馬ですぐに到着した。
考えてみれば当たり前である。近くなければスミナが領都に来れるはずがない。
村に入るときに少し騒ぎが起きたが、俺が名乗るとすぐに治まりコカースの家に案内された。
物珍しいのか大勢がゾロゾロと着いてくる。
コカースの家は村の名主を勤める平民である。
俺がぞろぞろと農民を引き連れて向かうと、頭の禿げた1人の紳士が慌てて向かってくるのが見えた。
農夫の1人が「コカースさんですだ」と教えてくれた。
俺はすかさず馬から下り、
跪いて許しを乞う姿勢をとる。
「これは、どうしたことだ!何の騒ぎだ!?」
コカースは農夫たちを問い詰め、事情を聞いているようだ。
そして俺の前で立ち止まる。
「失礼ですが、バリアン・ド・リオンクール様ですか?」
「左様です。今日は罰を乞うために参りました」
コカースの表情は見えないが、満更でも無いはずである。
元々、彼は娘のスミナを俺の元に通わせていたのだ。
「いや、若君様……このままでは触りがございます。先ずは我が家へ」
「いえ、コカース殿と……スミナ嬢の許しを頂くまでは動けません」
俺がハッキリと告げると周囲が「オオッ」とどよめいた。
領主の息子が名主に跪き、屈服しているのである。
驚かないはずが無い。
「これは、困りましたな……おいっ、すまんが娘を呼んできてくれ」
コカースが農夫を屋敷まで走らせた。
「若君様、事情は窺っております……娘も驚いたのでしょう、何しろまだ12才でして……」
コカースはペラペラとよく喋る。
こいつは娘を俺に捩じ込んで何かを企んでいたはずだ……余計な言質はとられたく無い。
俺は黙り込んでスミナを待った。
傍目には神妙な態度に見えたことだろう。
まもなく少し年上の若者に連れられてスミナが現れた。
周囲がシンと静まり返る。
「バリアン様、本日はどのようなご用ですか?」
スミナの固い声が聞こえた。
彼女からしてみれば強姦魔が家を訪ねてきたようなものだ。緊張しているのだろう。
「……コカース殿と、貴女に許しを乞いに参りました。この愚か者をお打ち下さい」
俺が俯いたまま答えると周囲がざわつく。
この観客たちは俺の味方だ。
領主の息子がここまでしているのに許さなければコカースが非常識だと言われるであろう。
「なぜ? なぜ今まで冷たくあしらったのに……あのような真似をなさったのですか?」
「……私は、貴女の顔を見ると、なぜだか分かりませんが……素直に心の内を晒せぬのです。愚かな態度を悔いております」
観客が「オオッ」と喜んだ。
男なら大なり小なり好きな子に素直になれなかった経験はある。
彼らは俺の気持ちを勝手に察し「許してやれよ」と言った雰囲気を醸す。
チラリと様子を見ると、スミナの横の若者も頭を掻いて照れている。
彼にも青春の記憶があるのだろう。
「でも、でも、あのようなことはいけないことですっ!」
スミナが顔を真っ赤にして俺を責めた。
俺はさらに頭を深く下げた。
「スミナ、若君様がここまでされているのだ」
「そうだぞ、ここまでされて許さぬのは傲慢だ」
コカースと若者が俺を取りなしてくれた。
俺は、この若者はスミナの兄だと察した。
黒い髪の優しげな風貌だ。
スミナは少し躊躇いがあったようだが、父の言葉に頷いた。
「……わかりました。バリアン様、お顔を上げてください」
スミナが俺の手を取り、身を起こしてくれた。
やばい、可愛い。
俺は体から衝き上がる衝動を理性を総動員して鎮圧する。
この娘は12才だぞ、40過ぎのオッサンが手を出したら駄目だ……あれ?俺は11才だし良くね……いや駄目だ。
俺が沸き上がる性欲を必死で抑え込んでいると、それを改悛の苦悶と見たのか、スミナが悲しそうな顔をした。
「私も良く無かったのです。その、誘惑を……」
スミナが真っ赤になった。
「さあさあ、一件落着です! おいっ、宴の準備だ!」
コカースが指示を出すと農民たちは歓声を上げた。
………………
コカースの本名はヨルゴ・コカース。
日焼けした40才ほどの禿げた男だ。
元はコカース家は騎士であったが、何代か前に破産し、土地を手離したために平民となったらしい。
先代の頃には財政も立ち直り、手離した名誉を取り戻したくなった。
コカースは騎士に返り咲くために何度も戦場に出たが武運に恵まれず出世は出来なかった。
そこで彼は作戦を変え、娘を領主一族に嫁がせることを思い付いた。
幸いに彼は領主の次男に年の近い、美しい娘がいた。
そして今に至る……とまあ、こんな感じらしい。
これはペラペラと喋るコカースの話から俺が推察した内容だが、的外れではないと思う。
俺は狩猟の成果をコカースに献上し、宴会は大いに盛り上がった。
「若君様はレスリングの達者だとか! 俺に挑戦させてくれ!!」
余興としてスミナの2人の兄が俺にレスリングで挑んだが、大した相手ではなかった。
強いて言えば弟のほうが強いかなと思うくらいだ。
次々と村の力自慢が俺に挑むが、俺の身長もかなり伸びており、さほどに体格も劣らぬ相手に負けるはずもない。
「すげえ、ブノワが投げ飛ばされた!」
「おらなんて腕をこう……引き千切られるかと思っただ!!」
「若君様は鬼神グェンダルの生まれ変わりに違いねえ!」
村人たちは投げ飛ばせば勝手に尊敬してくれる。
強さがモノを言う時代なのだ。
鬼神グェンダルとは、俺のひいひい爺さんの兄貴で初代リオンクール伯爵だ。
リアル無双キャラだったらしく、斧で敵を馬ごと殺してたらしい。
大いに力を示した俺はチラリとスミナを探したが席を外していた……無念。
その後もロロがレスリングに参加してスミナの次兄といい勝負をしたり、ジャンが弓の腕前を披露したりと大いに盛り上がる。
そして俺たちは村で一晩泊めて貰うことになった。
俺はコカースの家に、ロロとジャンもそれぞれ余裕のある家庭に招かれたようだ。
コカースの家は他の農家よりもやや大きい。
幅12~13メートル、奥行き6~8メートルくらいの長方形だ。
屋根は藁葺きで、壁は土壁である。
床は土間で枯草を敷き詰めており、真ん中に囲炉裏がある。この囲炉裏がキッチンも兼ねているようだ。
いくつかの寝室スペースと囲炉裏のある広間しか部屋は無い。
面白いのはドアで、金属の蝶番では無く、革紐で固定している。
そして犬を飼っているが放し飼いのようだ。
勝手にドアを押して家に入ってくるので、ちょっとギョッとしてしまう。
俺は農家に招かれるのは初めてで、キョロキョロとしてしまう。
家具は少なく、チェストが収納のようだ。
コカースの家はそれなりに豊かなようで、離れ屋、家畜小屋、倉庫と何棟か所有しているらしい。
「若君様はこちらにお泊まり下さい」
コカースの妻が寝室に案内してくれた。
恐らくは息子たちの部屋だろう。
ベッドが2つある。
「ありがとう……その、息子さんたちは?」
「離れに泊まっております」
コカースの妻は何でもないように答えた……恐らくは来客があればこの部屋に泊めるのだろう。
スミナも離れのようでドッキドキのハプニングとかは起きそうもない。
早めに寝よう。
「ありがとう、お世話になります」
俺が告げるとコカースの妻はニッコリと微笑んだ。
皆が寝静まった頃、俺はひっそりと抜け出し、庭に出た。
スミナへの夜這いではない。
さすがにこの状況で夜這いするほど馬鹿ではない。
目当ては犬だ。
スミナの家の犬は警戒して吠えたが、俺は「シーッ」と宥め、隠し持っていた肉を犬に与えた。
犬は肉にかぶり付き、俺はまた寝室に戻る。
………………
翌日、俺たちはコカースに礼を述べ出発の支度をした。
「スミナ……また来てもいいだろうか?」
「はい、私もまた領都にお邪魔します」
スミナはニッコリと微笑んだ。
どうやら許してくれたらしい。
「若君様、俺も領都に行って良いですか?」
俺とスミナがしばらく見つめあっていると、コカースの次男が割り込んできた。不粋なヤツだ。
「俺は若君様の家来になりたいんだ。年下なのにあんなに強いなんて信じられないよ」
こいつはアンドレ。確か16才の黒目黒髪のリオンクール人だ。
スミナに似た面差しを持つ涼しげな優男で、髪を短くして爽やかな印象ではある。
しかし、強さはイマイチ。
そこら辺の農夫よりは大分とマシだが、11才のロロとレスリングが互角と言う微妙さだ。
「アンドレさん、私はまだ部屋住みの次男坊だ。父が帰ってきたら相談してみるよ……もちろん、遊びに来てくれるのは構わない」
俺が告げるとアンドレは「やった!」と喜んだ……正直微妙だが、スミナの兄だからな。サービスだぞ。
俺たちはコカースにも別れを告げ、馬に跨がり走り出した。
この後、村では山羊を潰してお祝いの大宴会をしたらしい。
領主の次男と強力なパイプが出来たのだから無理もないが……何と言うか逞しい話である。
俺も時に堂々と、時には闇に紛れてスミナの家を訪れ、犬に餌を与え続けた。
そして、俺の顔を見ただけで尾を振るようになった頃……俺はスミナに夜這いをかけ、想いを遂げることになる。
何度も訪れたが、犬を味方にしたお陰で1度も見つかることは無かった。
ここまで来れば執念だが、夜這いで磨いた忍び足の技術はかなり高いレベルで身に付けた。
ここまでやってるうちに、初めはヤりたいだけだった俺も、いつの間にかスミナが好きになったようだ。
我ながら現金なものである。





