天に舞う
人気投票2位のロロです。
この話は実質的な最終回のつもりで書きました。
偉躯王の死より35年の月日が経った。
激動の中にあったリオンクール王国も、エマ剛毅王の治世によりその支配地をリオンクール盆地とアモロス北東部のみに減じつつ安定をみた。
そして、今はベニュロ朝へと王朝が交代し、エマ剛毅王の息子バリアン2世の治世である。
アモロス全土では断続的に争いの続く乱世ではあるが、リオンクールは平和の中にあった。
リオンクール領よりやや西、シシク山中にある小さな僧院に1人の老人の姿があった。
彼の名はロロ。敬意を持って『王の従士長』と人は呼ぶが姓はない。
「本日はご無理を聞いていただき、誠にありがとうございました」
ロロは僧院の長である老司祭に跪く。その礼はへりくだらず、尊大でもなく、実に見事なものだと司祭は静かに感心した。
シシク山は聖天教の聖地である。高位貴族との関わりも深いが、この老人の振る舞いはそれらに勝るとも劣るものではない。
「しかし、山頂への巡礼は荒行です。本当にお一人で向かわれるのですか?」
司祭は少し躊躇いながら周囲に確認する。
ロロは甥や孫だという数名の供を連れていたが、彼らは僧院に残し、単独で登頂に挑むらしい。
これは供の者も異論はないらしく、皆が頷いている。
「ええ、幸いに足も達者ですし、剣も握れます。まだまだ獣や鷹には後れをとりませんよ」
穏やかに笑みを見せるロロの姿は頑健そのものだ。
多少瞳に白い濁りはあるが、とても70歳に間近い老人には見えない。
「大丈夫ですよ、我らの中でお爺様に敵うものはいないのですから」
供の中でも年若い少年が誇らしげに胸を張り、ロロが「未熟を誇るものがいるか」と苦笑した。
彼らにとってロロは英雄なのだろう。そのほほえましい光景には司祭も思わず声を出して笑った。
「未熟者でしてな、お恥ずかしい」
「いやいや、失礼をしました」
司祭が頭を下げると若者も慌てて頭を下げ、皆が笑う。一族の仲が良いのだろう。
「お1人で登られるのは承知しました。部屋を用意いたしましょう。今日はお休みいただき――」
ロロは司祭のこの申し出を「いえ」と短く断り「今すぐに挑みます」と申し出た。
これには司祭も驚いたがロロの決意は固いようだ。その意志を見て取った司祭も、これ以上は何も言わなかった。
一同は僧院を抜け、山頂の祠へと繋がる参道にてロロを見送る。
その後ろ姿は威厳に満ち、老人のものではない。
これは大変な人物だと司祭は感嘆する。
そして『あれで、偉大な王に仕える添え星に過ぎぬのか』と、かつてこの地を支配した英雄の影を偲び、気が遠くなるような思いがした。
――――――
ロロは1人で参道を歩む。
参道は始めこそ人が歩めるように整備されていたが、すぐに道はなくなり、道標だけを頼りに山頂を目指す。
季節は初夏だが風に肌を切るような冷たさがあり、山頂が近くなると雪が残っていた。
ロロが聖地シシク山への巡礼を決めたのは慰霊のためだ。
かつて親しくしていた友と、昨年亡くなった姉を弔うために足を運んだのだ。
一歩一歩、もう掠れてしまった遠い思い出を確かめるようにロロは歩む。
大切な思い出ではあるが、ところどころハッキリしないのは年のせいであろうか。
友と姉が、愛を交わす関係だったのか――それはロロにはわからない。
だが、特別ななにかがそこにはあった気がしてならない。
登り始めるのが遅かったために日が落ち、ロロは朝を待って歩み始める。
その姿は敬虔な巡礼者そのものだ。
そして、急に視界は開け、朝日の中を山頂の祠にたどり着く。
そっけのない、石造りの小さな祠だ。だが、そこから見える壮観にロロは息をのんだ。
眼下に雲を敷き、遥か遠くにはリオンクール盆地が見渡すことができた。まさしく神の世界である。
しばし、圧倒されていたロロは我に返り、自らの目的を思い出した。
懐から小さな袋を取り出し、中を改める。
そこには経年のためにいささか艶を失った黒髪と、老婆の痩せた白髪が入っていた。
かつて、友が登ってみたいといっていた、この山頂に共に埋めてやろうと思ったのだ。
しかし、袋を開けた途端に風が吹き、半ばまで髪をさらってしまった。
「しまった」
思わずロロは声を上げた。
2人の髪は朝日の中で混ざりあい、眼下の世界へと散っていく。
その光景に幼き頃の思い出を幻視し、ロロは目を細めた。
……いや、これで良かったのだ。
ロロは頷くと、袋を大きく広げ、髪を風に乗せた。
黒い髪と白い髪は、踊るように空を舞う。
遥かには、リオンクールの大地が見えた。
リオンクール戦記2
2月9日発売です。
発売日まで毎日更新します。