16話 美談
退屈な冬が過ぎ、春が来た。
執事アルベールの無茶な訓練も冬の間はさほどでも無く、武芸の稽古をさせたり病人を殺したりする程度であった。
なにせ冬場は病人には事欠かないので何人も殺した。
アルベールの言う通り「慣れ」てくる度に効率的に殺せるようになるのが恐ろしい。
最近では山羊や犬を屠殺するのと変わらないくらいの感覚だ……嫌なことには変わり無いが、作業っぽくなったというか、なんというか。
人とは環境に慣れるように出来ているらしい。
俺の学友に選ばれているジャンなどは、まだ8才……小学2年生くらいの年頃であるが、すっかりと人殺しに慣れてしまい、少し心配である。
「バリアン様、何を読んでるんすか?」
そのジャンが興味深げに俺に話しかけてきた。
どうやら、ロナからの手紙を読んでいた俺は笑っていたらしく、ジャンの興味を引いたようだ。
「これは手紙さ、ロロのお姉さんからだよ。読み書きや計算ができるから、大事な仕事を任されているそうだ」
ジャンは「ふうん」と言いながらロロの方を見る。
「ロロは字を読めるのか?」
「そうですね、でも紙は貴重ですから手紙は書けません」
ロロは寂しげに笑った。
羊皮紙は高価なものだ。
ロナからの手紙も、俺からの手紙を削って再利用したモノである。
羊皮紙は厚みがあるためにナイフなどで表面を小削ぎ取れば再利用は可能なのだ。
「ロロの姉ちゃんはバリアン様の妾なんすか?」
「いや、違うよ。友達さ」
俺はジャンの質問に答えながら、ロナの事を思い出した。
ロナも、もう12才くらいだろう……もう数年もすれば、そんな話も出てくるかもしれない。
アモロス王国では、女性の結婚適齢期は10代の後半である。
俺の微妙な心情を察したのか、ロロは「身分が違いすぎますよ」とジャンに説明をしていた。
ロロは中身オッサンの俺といるせいか、妙に大人びており、これも少し心配である。
俺たちが雑談をしていると、大きな影がぬっと現れた。アルベールだ。
「字は読めるようにしておけ、計算もな」
アルベールがジャンに話し掛けるが、相変わらず顔が怖い。
「字が読めずでは、軍令を代読させねばならず、機密が漏れやすくなる。算術も褒美や兵糧の勘定で必要なことだ」
アルベールは孫であるジャンに常識的な意見を口にした。
意外である。
「よし、バリアンが女に未練があるなら他所から拐ってみるか? いや、まだキサマらは子供は作れんな」
アルベールは信じられないことをブツブツと口にしている。
やはりこの執事に常識は無かった。
この男と過ごしていると道徳観念が麻痺してきて恐ろしくなる。
「よし、ならば盗みに行くぞ支度しろ」
アルベールは俺たちを促し、訓練に出る。
この男に言わせると盗みは訓練らしい。
………………
俺たちは領都から少し離れ、城塞都市ポルトゥの外へ出た。
馬で移動したために1日もかかっていないが、アルベールはポルトゥで1泊し、早朝のことである。
ここはもはや伯爵領では無く、隣のバシュラール子爵領である。
バシュラール子爵家は城塞都市ポルトゥの外を塞ぐように位置しており、隣同士の常としてリオンクール家との仲が非常に悪い。
バシュラール子爵はリオンクール伯爵に武力では敵わないが、度々にリオンクールに入る物資をせき止めて嫌がらせをしており、リオンクール領としては目の上のたんこぶのような存在である。
アルベールはバシュラール子爵領へ侵入し、小高い場所に移動した。
そして、とある農村に目を着けたようだ。
「あの森を見ろ」
アルベールの示す先には場所に小振りの森がある。
村から少し離れた場所だ。
ちなみに森は所有者が決まっており、勝手に狩りや採取をすれば密猟である。
森の所有者が貴族であれば森番とか林務官とか呼ばれる管理人が置かれ、密猟を厳しく取り締まっている。
捕まれば大抵は罰金刑に処され、運が悪いと森の管理人に射殺されたり猟犬に噛み殺されたりする。
「あの森に豚が放牧されているようだ。盗め」
アルベールの指示は滅茶苦茶だ。
他領で盗みを働き、捕まれば死刑、良くて半殺しである。
これは余談だが、森林資源が豊富だった時代は豚は森で育てる生き物だった。
森で放置して置けば勝手に悪食な豚はドングリなど人が食べない木の実を食べて大きくなり、勝手に繁殖する。
木の実が無くなる冬場になれば大半の豚が屠殺され、冬越えの貴重な食料となった。
山羊や羊は木の芽や樹皮を食らい、樹木を痛めるために、森ではなく牧草地で飼育するのだ。
さて、バリアンに話を戻そう。
俺は盗みと聞いて「うっ」と息が詰まった。
「騎士は殺しと盗みが本分よ。他所で殺し、奪う。それを身内に分ける……それが出来るのが良い騎士だ」
アルベールは際どい事を言う。
彼にとって騎士道や大義名分などは意味を成さないらしい。
「しかし、牧童がいるぞ?犬もいるな……」
俺が質問すると、ジャンが「それをどうするかが訓練なんだろ?」と笑う。
この8才児の末が恐ろしい。
「そうだ、敵地では兵糧は現地調達が基本よ、見るところ牧童は男が1人、女のガキが1人、犬が2匹だ」
「……それを追い払って豚を盗むのか……はあ」
アルベールの言葉に俺がため息をつくと、ロロが「ダメです」と語気を強めた。
「逃がして通報されてはこちらが危うい、殺さなくてはいけません」
ロロの言葉を聞いたアルベールがニタリと笑う。
……これは、完全に犯罪だな……捕まれば何の言い訳もできん……
俺はズンと気が重くなっていくのを感じた。
「そうだ! まず俺が犬を射るから……」
「いや、投石紐で男を狙いましょう、角笛を吹かれると村に知られる……」
俺の気も知らず、ジャンとロロは嬉々として襲撃を計画している。
俺も覚悟を決めた。
「まて、バラバラになるのは不味い」
俺の発言に2人が注目した……事がここに至れば、2人に道徳を説いたところでどうにもならない。
せめて成功させて、俺たちが無事に帰れることに集中しようと俺は意識を切り替えたのだ。
「牧童も剣や弓を持っているだろう、連絡用の角笛もあるだろうし、全員で当たり確実に殺そう……猟犬の相手も1人で2匹は不味い、安全を優先させるんだ」
こうなればヤケクソだと俺も作戦会議に混ざる。
さすがに子供2人よりはマシな作戦を思い付くだろうと信じたい。
「死んだり大怪我をしては意味がない。盗むチャンスはまたあるが、死んでは次が無くなる……いざとなれば森に火を付けてでも逃げるぞ」
俺がハッキリと言い切ると、ジャンは少し不満そうに口を尖らせた。
彼は「逃げる」というのが引っ掛かってるのかもしれない。
「危ないなら逃げるのが当たり前だ。死ぬのが最悪、次が捕まることだ……慎重に作戦を練るぞ」
俺の言葉を聞いたアルベールは「ぐっふっふ」と不気味に笑っていた。
………………
俺たちは大声を上げて牧童の元に走り寄る。
昼間から忍び寄るのは難しい。
ならばわざと知らせ、油断させるのだ……幸いなことに俺たちは子供の姿なのだ。利用しない手は無い。
馬はアルベールに任せ、徒歩である。
「助けて! 狼だ!」
「おーい! そこの人ッ!」
「助けてくれっ!!」
俺たちは必死で牧童に走り寄る。
牧童は警戒しているが、俺たちを子供と見たのか犬を口笛で呼び寄せたのみだ。
「そこの人っ! 狼だ! 狼だ!」
俺が声を上げながら近寄ると、牧童は「どこにいるんだ?」と問い返してきた。
……この程度か。
この男は俺たちが武装していても気にならないらしい。
俺とロロは剣と盾を持っているし、ジャンは弓も持っているのに。
俺は内心でほくそ笑んだ。
「あっちだ、あっちだ!」
俺が示した方角を牧童が眺め……「ぐえぇ」と奇妙な声を上げた。
見ればロロが短剣で牧童の左胸を下から突き上げている。
これを見てジャンも弓で少女を射た。
矢が刺さり、倒れた少女に2矢目が突き立った。
ジャンは弓が巧い。
「犬が来るぞ、気を付けろ!!」
俺が激を飛ばすや否や、猟犬が飛びかかってきた。
俺は盾で防いたが、猟犬の勢いに負け、乗し掛かられた。
しかし、ロロがすかさず俺の盾に噛じりついている犬を短剣で突き刺す。
もう1匹は形勢不利と見たのか逃げ去っていった。
……まずい! 村からの援軍が来るぞ!?
それを見た俺は手早く2人に指示を飛ばす。
「ジャン! 死体を隠せ! 俺とロロが豚を捕まえる!!」
言うや否や俺とロロは森に突入し、適当な豚に縄を掛けて引っ張り出した。
「ジャン! 火をつけれるか!?」
俺が確認すると、ジャンは牧童の焚き火を確認しに向かった。
なんと動ける8才児だろうか。
「よし、ロロ! 離脱するぞ!! 周囲にまだ隠れた敵がいるかもしれん! 気を付けろ!」
俺はロロに指示を出した後に必死で豚と共に脱出した。
後は各人で離脱するのみである。
………………
「見てよ! これ!」
集合場所に戻ったジャンが嬉しげに角笛を吹く。
牧童の死体から奪ったであろう角笛は「ぱえ~ん」と間の抜けた音を出した。
ジャンは抜け目なく牧童や少女の死体から使えそうな靴や衣服を剥ぎ取ってきたようだ。
「やりましたね! 豚が2頭!」
ロロも興奮を抑えられない様子で鼻息を荒くした。
戦利品は豚が2頭に、牧童の粗末な弓と剣、角笛。
あとは牧童と少女の死体から剥いだ衣服や靴……工業化される前の時代、衣服は高級品である。
金品の類いは持っていなかったようだ。
……そう言えば、こっちに来てから金を使ったこと無いぞ?あまり貨幣経済が発達してないのかな?
俺はぼんやりと戦利品を眺めていた。
「良くやった、なかなかの手際だ」
アルベールが馬を引きながらやってきた。
物陰に馬を隠していたらしい。
「森に火を付けたのは良い判断だ。我々を追撃をするよりも森を守るはずだ」
アルベールは「ぐっふっふ」と楽し気に笑った。
ロロやジャンも誇らし気だ。
これではただの犯罪集団である。
村からすれば堪ったものでは無い。
『他所で奪い、身内に配るのが良い騎士』
アルベールはこう言った。
確かに一方から見た英雄は、他方から見れば殺人鬼であることも珍しくは無いだろう。
確かドラキュラのモデルになった公爵も地元じゃ英雄だったはずだ。
「今日はポルトゥで豚を食うぞ」
アルベールはゲラゲラと笑いながら馬を進める。
他領から盗んだ豚を振る舞ったことは、俺の『美談』として語られた。
アルベールの『良い騎士像』は、ある意味で正しかったのである。





