145話 偉躯王、死に狂い
川を渡り、進軍中に異変が起きた。
目に見えて、体調が悪化したのだ。
「……ぐ、く……ロロ、壁を作れ」
俺が指示すると、ロロが護衛の同胞団を指揮して人のバリケードを作る。俺を隠すためだ。
もう何度目かになるので、彼らの動きも慣れたものだ。
その中で俺は黒の鞍に齧り付くように丸まって痛みに耐える。
「バリアン様、お気を確かに」
ロロが声を掛けてくれるが、全く応える事ができない。
誰もいなければ転げ回って泣き叫びたいほどだ。
耐え難い痛みに根を上げて「痛い」と口にすると止まらなくなった。
俺は「痛い痛い」と涙を流しながら訴えるが、ロロもどうすることもできない。
彼は無言で黒の手綱を引くだけだ。
「ぐ、痛い、痛い……助けてくれ、痛いんだ、いっそ殺してくれ」
俺の泣き言のトーンが高くなると、ロロは「声が漏れます」と俺に革紐を噛ませた。
「やはり動いたのが悪かったのでしょうか……ご辛抱下さい、輿を用意しましょうか?」
ロロが気を使ってくれるが、戦場に輿で行くなど士気に関わる。
しばらく脂汗を流しながら革紐を食いしばると、痛みは徐々に和らいだ。
「……ふーっ、はあ、はあ……すまん、大丈夫だ、助かった」
俺は荒い呼吸を整えながら輿を断った。
もう夏だと言うのに全然暑さを感じない。
感じるのは胸と背中の疼痛だけだ。
痛みは和らぎこそしたが、常に俺を苛んでいる。
「バリアン様、戦ではお下がり下さい。その様子では……」
「……うん、分かってる、もう大丈夫だ……」
俺は呼吸を整えて、背筋をグッと伸ばした。
それに合わせて壁となっていた護衛が離れて、景色が広がる。
顔にさわやかな緑の風を感じた。
「ロロ、カナール平原は豊かだな……正に沃野って感じだ」
俺はポツリと呟き、先に見えるアモロス軍を眺めた。
「……はい、およそ1万と少し……11000~12000ってとこですね」
ロロは俺の言葉とは全く違う答えを返した。
一見すると噛み合っていないように感じるが、俺とロロの間ではこれで会話が成立しているのだ。
「ふん、何が20万だか。聞いてるこっちが恥ずかしいくらいだ」
「はは、リオンクールは30万にしますか?」
俺とロロは軽口をたたく。
先ほどまでの痛みは大分と薄らいだ。
「はは、逆だろ。リオンクールは90人さ。そっちのほうがインパクトがある。俺たちは勝つんだからな」
俺は大法螺をふきながら笑う。
戦の前に弱気は禁物だ。
……そうだ、戦が始まる前に痛みが治まってラッキーじゃないか……ついてるぜ……
無理矢理、自分を奮い立たせて馬を進める。
ざわっと音を立てて草が波打つ。
また、夏の平原に爽やかな風が吹いた。
………………
両軍はカナール平原で対峙した。
リオンクール軍は横並びになり、陣列を整える。
予備兵力などは無い、単純な横並びの陣形だ。
アモロス軍も似たようなもので大差はない。
がっぷり四つの力比べの形である。
兵力はリオンクール軍が9200人に対し、アモロス軍は11000人程度だ。
この規模の戦いは俺も経験したことが無い。
両軍は騎士や1部の兵以外は粗末な軍装であり、兵士たちはマトモな鎧などは着ていない。
木製の粗末な盾に重ね着したシャツ程度の防具。
中には皮の帽子に動物の骨や石を縛り付けた不思議な兜や、体に動物の毛皮を巻き付けたようなオリジナリティ溢れた装備の兵もいる。
見慣れたアモロスの軍隊だ。
しかし、その中でもリオンクール本隊は異彩を放っている。
陣笠やシンプルな革鎧は安価でそれなりに普及し、貸与したクロスボウを構える兵士も多い。
優れた装備は兵に勇気を与え、戦意も旺盛だ。
しきりに雄叫びを上げながら盾を叩いている。
この様子ならば兵力の多寡は覆せるだろう。
リオンクール軍は剽悍で戦慣れした者ばかりだ。
俺は嫡男ロベールを連れ、軍の端から端まで馬を走らせる。
本来なら会戦の前に演説をしたいところだが、今の俺の声は掠れているために姿を見せるだけにとどめた。
各諸公軍で鼓舞なり演説なりは行われるはずだ。
しかし、姿を見せるだけでもそれなりに効果はあり、俺の姿を見るや兵は歓声を上げ地を踏み鳴らした。
ロベールは「これは凄い!」などと無邪気に喜んでいる。その様子は年相応の少年の姿だ。
「本来なら士気を高めるために演説をしたい所だが、ここまで数が多くては今の俺では声が届かん」
俺の言葉を聞いてロベールは表情を曇らせた。
息子たちには俺の病気のことは伝えてある。
息子たちの反応は実に対照的だった。
ロベールはショックを隠しきれずに顔をしかめ、シモンは「親父が死ぬわけ無い」みたいなことを言って真面目に取り合わなかった。
どちらが良い反応なのかは分からないが、若い2人は病気と言うものをあまり理解していないのかもしれない。
俺だって、自分が元気だった頃は病気なんてどこか遠くの世界のことだと思っていたのだ。
彼らとて、いきなり「親父が死病だ」と言われても受け入れるのに時間が掛かるのだろう。
「ロベール、良いか……互いの布陣が終われば言葉合戦だ。言葉合戦のコツは相手の話をマトモに聞かないことだ。こちらの言いたいことだけをぶちまけて味方の士気を上げる」
「でも、それじゃあ……」
ロベールは何かを言いたげにしているが、俺の言葉が傅役のエンゾの教えと食い違っているので戸惑っているのだろう。
彼は言葉合戦とは『相手の非を鳴らして、自らの正当性を示す論戦』として教わったはずだ。
「はは、難しい話をしても兵士には分からないさ。とにかく『うおーっ』と気分を盛り上げてやれば良いんだ。方法は相手を馬鹿にしても良いし、兵を笑わせて緊張を解しても良い」
俺たちは中央のリオンクール本陣に向けて馬を進める。
そこにはロロたち護衛が待機しており、彼らは俺をサッと人目から隠した。
俺はよほど、酷い顔色をしているようだ。
………………
少しの間があり、アモロス軍から身なりのよい騎士が現れた。
ピカピカに磨き上げられた鎧は着用者の高貴を誇るかのように陽光を煌めかせ、目にも鮮やかな青いマントをはためかせている。
年の頃は俺よりも少し上くらいだろうか。正に働き盛りと言った風情でエネルギーに満ち溢れている。
恐らくは王太子だ。
応じて俺が出ようとするが、意外にもロロに押し止められた。
「バリアン様、今はお休み下さい。ここはロベール様にお任せしましょう」
「バカな、大将が出なければ侮られる」
俺はロロを押し退けるように馬を進める。
「しかし、そのご様子では!」
「……くどいぞ」
ロロは尚も必死で止めようとしたが、強引に前に出た。
……そこまで酷い面をしてるのか俺は……?
痛みは常にある。
額を拭うと異様なほど汗ばんでいた。
馬を進めると、多くの視線が集まるのを感じる。
両軍合わせて2万人以上の注目を集めているのだ。
その注目の中で王太子シャルル・ド・アモロスが大きな動作で左右に手を開き、こちらの非を鳴らし始めた。
芝居がかった動作ではあるが、これは伊達や酔狂ではなく雄弁術と言う技術だ。
公共の場で注目を集め、周囲に自分の意見を印象的にハッキリと伝える技術は古来より伝わってきた。
見る限りでは王太子の雄弁術は立派なものだ。
しきりに握り拳を振り上げたり、兵士らに指をさし示してアピールを繰り返している。これも群衆の気を引き付けるテクニックだ。
しばらく間を置いてから俺の番だ。
大きく息を吸い込み、声を発する……つもりだった。
何かが、体の中で弾けたような、切れたような、不思議な音がした。
実際の音では無いのかもしれない。
だが、俺はその音を知覚した。
「ご……ぼ、げはっ!!」
口から出たのは声ではなく、大量の血液であった。
貧血か、目の前が暗くなるのを感じる。
『死にたくない』
俺の本能が命じる。
『死にたくない』
ハッキリとした意思を持ち、肉体が俺に命じる。
『病なんかで死にたくない』
暗い淵に沈みかけた俺の意識が覚醒した。
怒りにも似た、強い感情が俺を支配する。
『死にたくない、もう病気なんかで死んでたまるか』
……そうだ、病でなんか死にたくない……俺は……
「ごっ! がはっ! かっ!! おおあああぁぁっ!!」
喉の血液を押し退け、口から獣の声が出た。
いつもより掠れた、張りの無い声だ。
「おおおおぉぉっ!! 俺はっ!! 戦士だあぁぁっ!!」
俺はそのまま黒に拍車をかけ、王太子に突進した。
彼を狙ったわけではない。ただ、近くにいたからだ。
不意を衝かれた王太子はしばし呆然としていたが、状況に気がついたらしく慌てて逃げ出した。
「馬鹿な! 一騎駆けだっ!!」
「よけろ! 馬が来るぞ!」
「逃げるなっ!! 壁になれ!」
「殿下を守れっ!」
敵陣はまさかの事態に混乱し、矢の1本も飛んで来ない。
整えた陣列も王太子が割り込んだために滅茶苦茶に崩れるのが見えた。
……そこだっ!! 貰ったぞ……!!
そのまま俺は王太子を追うようにして敵陣に突っ込んだ。
同時に鬨の声が轟き、リオンクール軍は波を打つように総攻撃を開始した。
「ガオオオオオオォォォッ!! 死ねえ!! 死ねえぇっ!!」
口から血反吐を撒き散らしながら俺はメイスを振るい、黒を走らせる。
蛇行するように、乱れた敵陣を更に掻き回すように俺たちは駆けた。
面白いように敵陣は崩れていく。
ほど近くに従士に囲まれた身分ありげな若武者を見つけ、狙いを定めた。
彼は余程の身分らしく敵の従士隊が必死の抵抗を見せる。
敵の従士隊は正に捨て身で槍衾を作り、肉の壁となって黒を阻んだ。
黒は倒され、俺は宙に投げ出された。
愛馬の苦しげな嘶きが聞こえる。
……すまん、黒よ……共に死んでくれ……
俺は受け身をとり、そのまま曲刀を抜いて暴れ続けた。
群がる敵を無造作に押しのけ、切りつけ、殴り付ける。
槍で払われ、突かれ、殴られても意にも介さずに突き進んだ。
従士に守られていた若武者は機を見て俺に槍を突き出してきたが、躱わしもせずに鎧で受け、そのまま組打ちし首を力任せにへし折った。
この様子を見ていた敵が怯んだ。
もう痛みも感じない、後先のことも無い。
ただ、闘志だけが俺を衝き動かしている。
もう兜も、メイスも、黒も無い。眼帯や曲刀までもどこかにいってしまった。
俺は若武者が使っていた槍を拾い、駆ける。
当たるを幸いに敵を屠るだけだ。
……シモン、ロベール、俺を見ろ、親父の死に様を目に焼き付けろ……俺は……
「オオォォッ!!」
再度、雄叫びを上げ雑兵を槍で殴り倒した。
ほど無くすると、味方が敵陣の深いところまで姿を現し始めた。
どうやら勝ったようだ。
俺はそのまま、その場にへたり込み踞った。
血と汗と埃にまみれた体はべっとりとした疲労感に包まれ、身じろぎすらできない。
「いたぞ! こっちだ!!」
「まだ息がある! 王は無事だ!」
「陛下っ! お気を確かに!!」
誰かが俺を揺すり、息を確かめた。
そんなにボロボロなのだろうか……意識はあるのだが、もう応える気力がない。
そのまま、俺は担がれるように運ばれた。
遠くから勝鬨が聞こえる。
どうやら、勝ったようだ。
どこか遠くで、幼馴染や息子たちの声を聞いた気がした。