139話 雄峰シシク山
軍は要塞都市ポルトゥを発ち、バシュラール城へ向かう。
リオンクール軍の移動は早く、他の軍の倍近い速度で移動する。
これは従来の荷車を廃し、リヤカーとリュックサックで物資を運搬するためだ。
両側の車輪が連動している従来の荷車では方向転換する時には片側を力ずくで押して曲がるしかない。
その度に移動の足が鈍るのだが、リヤカーは違う。
左右の車輪が別々に動き、方向転換が容易で取り回しの良いリヤカーは兵の負担を減らし、移動速度も向上した。
そして、リュックサック。
兵が自らの食料を運ぶために輸送の負担が減り、リヤカーの数を減らしている。
リヤカーは基本的に人力だが、リヤカーの数が減って引き手が増えれば負担が減る。
これで自然と全体の足は速くなった。
輸送量は減ったが、食料は基本的には現地調達だ。
これで構わないと言うのが俺の結論である。
現地調達、腹が減れば有るところから奪う。当たり前の理屈だ。
イナゴの群れのように敵地を移動して食い物や物資を消費する……敵も弱り一石二鳥の作戦だ。
移動速度が飛躍的に上がり、軍隊の後ろにくっついてくる隊商や聖職者らは大変そうだが……そこまでは面倒みきれない。
頑張れよと心のなかで応援するのみである。
軍はバシュラール城で補給を受け、すぐさま西の要塞へ向かう。
かつてポンセロが籠り奮戦した西の要塞ではジョゼ・ド・ベニュロが俺たちを迎えてくれた。
彼はここを拠点として兵站などの後方指揮を担当しているのだ。
いつの間にかジョゼは後方専門になってしまったが、本人もその重要性は理解しており、特に不満は無いらしい。
「ジョゼ、兵たちに食事を。あと状況を教えてくれ」
俺は愛馬を厩番に預けながらジョゼに声を掛けた。
彼はすぐさま左右の部下に兵たちの食事の支度を指示すると、少しばかり間を置き「お待たせしました」と俺に頭を下げる。
俺が「全然待ってないぞ」と顔の前で手を振ると、ジョゼは「恐縮です」と如才なく答えた。
伊達男である彼の戦装束は見事なもので、磨き抜かれたピカピカの鎖帷子の上から染めの見事な赤い戦袍を身に付けた姿は実に印象的である。
威嚇効果ばかりを狙った俺の軍装と並ぶと悪の皇帝と正義の勇者みたいな感じだ。
身ぶりもスマートで、リオンクールの荒武者たちとは見た目、立ち振る舞いからして違う。
「現在、カスタ子爵はボザ城を攻略し、ボザ騎士領の平定に乗り出しています。その攻略は順調で、既に完了している可能性すらあります」
ジョゼの報告はなかなかエキサイティングだ。
16才の若武者が軍を取り纏め、敵軍を何度も打ち破り、敵の本城を陥落させたらしい。
わずか一月半程度の出来事だ。
シモンの軍才は並々ならぬものがある。
「はあ……嬉しいっちゃ嬉しいがな、複雑だよ。これでアモロスとの衝突は決定的さ」
「はは、むしろ好機かもしれませんよ。アモロス王国は北にカステラ公爵、南にヴァーブルとフーリエの連合軍と争っています。ここにリオンクールが横槍を入れた形ですから」
俺が冗談めかして嘆くと、ジョゼはスマートに合わせてきた。状況の分析も的確である。
彼はあくまでも冷静に情勢を見ているらしい。
確かに、辛いのはアモロス王国の方だろう。
あちらからすれば、左右に敵を抱える苦しい時期にリオンクールから不意打ちを食らった形だ。
「そうなんだよな。あちらからすれば不意打ちを仕掛けたのはウチだ……そう考えればさっさと戦を止めたいのは向こうも同じか。早く戦争を終わらせたいならやりようはあるな」
「そうですね、その場合は独力でボザ領を切り取ったカスタ子爵に配慮が必要かと」
俺はジョゼの言葉に眉をしかめた。
確かに、シモンは自らの才覚で援軍を募りボザ領を制圧した(まあ、俺の息子と言う立場を利用したのは確かだが)。
リオンクールでは略奪は取った者勝ち、それは金も、女も……土地もそうだろう。
ここで俺が「良くやった、敵に返してやれ」と取り上げては色々と問題がある。
ボザ領の扱いはシモンに任せるしかあるまい。
そうなると、少なくともボザ領の割譲を相手に飲ませる程度には勝つ必要があり……と、ここまで考えてふと、気がついた。
……わざとか! 切り取るだけ切り取ったら親父に尻を拭かせる腹積もりか……!
猛烈に、腹が立ってきた。
バカ息子は敵の親玉が出てくる前に分捕り放題を目論んで、親玉のアモロス王国の相手を俺にさせるつもりらしい。
アモロス王国が両面に敵を抱えたこのタイミングなのも狙いだろう。
「おい、この絵図を描いたのは誰だ? シモンにしては悪知恵が利き過ぎてるぞ」
俺がジロリと睨むとジョゼは顔を伏せて俺の視線を外した。
何か隠しているのかもしれない。
俺が「賢しいぞ、さっさと言え」と凄むと、ジョゼは顔を伏せたまま「確信はありません、これ以上は讒言(他人をおとしいれるための告げ口)になります。お許しを」とハッキリと口にした。
その口調は確りとしており「これ以上は言いません」と強い意志が感じられる……俺を前にしてなかなかの度胸だ。
俺は「ふん、律儀なことだな」と嫌味を口にして状況を整理する。
……国境の紛争自体は偶然でも、事を大きくしたのはシモンだ……そのシモンに真っ先に手を貸したのは……
「ゲか」
俺がポツリと呟くと、ジョゼは否定もせずに黙っていた。肯定だろう。
「あんの糞ガキ! これを許したら何度もやりかねんぞ!!」
俺が青筋を立てて怒ると、ロロが「人の耳があります。お平らに」と諌めてきた。
確かにこの場には護衛もいればジョゼの家来もいる。
憶測で騒ぐのは良くない。
「今はポンセロ卿が合流していますから、これ以上の無茶はしないはずです」
ジョゼが複雑な表情を見せた。
彼の長男はロベールの学友だ。今回もロベールの従士として出陣している。
先々の見えるジョゼはシモンの振る舞いは苦々しく思っているはずだ。
……そのジョゼが黙って我慢してるのに俺がキレたら駄目か……
ゲ男爵は若造だが、諸公である。
憶測で騒ぎ立てることは良くない。
「だがな、黙ってたら許してもらえたと勘違いしてまたやるぞ。ガキってのはそうしたもんだ。親としちゃ、悪ガキ共にお灸をすえてやらにゃ……」
俺はそこで胸に違和感を感じた。
痛いのだ。
軽く身を丸めて痛む箇所を押さえる。
胸の奥が痛い。
「バリアン様、如何なされましたか?」
ロロが心配して覗き込んでくるが言葉が出ない。
喋ろうとしたら苦悶の声が出てしまいそうだ。
……まずいぞ、これは……
ロロやジョゼも騒ぎ立てるような真似はしない。
何事も無かったかのように周りの目から俺を隠すように立っているだけだ。
脂汗が滲み出るが、じっと堪えていると何とか痛みは治まった。
じわじわとした違和感は感じるが、痛みはもう無い。
「大事無い」
俺は何とかそれだけを口にして顔を上げると、ジョゼが「こちらに」と小部屋に案内してくれた。
正直、助かる。
今は少しでも座って休みたい気分だった。
………………
翌日、軍はボザ領へ向かう。
目標はシモンのカスタ領の西、ボザ城だ。
左手にはまだ沢山の雪を抱えたシシク山が真っ白に輝いている。
「美しいな、あの山に登ってみたい」
シシク山は平地に聳え立つ雄峰だ。
……あの山から眺める景色はどんな風に見えるのかな……
普段、山登りなんか興味も無いくせに、今日の俺にはシシク山が妙に美しく感じ、強く心惹かれた。
ロロが何かを言いたげにしているが、何か迷っているようだ。
俺の体調を聞きたいのだろう。
「……大丈夫だ。何ともないよ」
俺は自分に言い聞かせるように呟いた。
そう、あの痛みはウソのように消えた。
今は何ともない。
そう『今』は。
俺はロロにシシク山を示し「美しいと思わないか?」と尋ねた。
考えてみれば、俺はアモロスの地で何も見ていない。
あの美しいシシク山も目に映る「風景」としか思っていなかった。
何もかもが惜しい。
もっと、色々なことが出来た筈なのに、見れたはずなのに。
「登ってみたい。あの山からリオンクールを見てみたい」
俺は再度呟く。
ロロは、終始無言であった。
少し短いですが、キリが良い所で。