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137話 小さな事件

ちょっと短めです。

 34才、雪解けの季節。



 バシュラール領の片隅で、小さな事件が起きた。


 旧カナール地方東部、ボザ騎士領の片隅で1人の若い牧童が住んでいた。


 ある日、いつものように若い牧童が牧草地に行くと、隣村の老いた羊飼いが既に放牧していた。

 放牧に適した牧草地は貴重であり、当然若い牧童は羊飼いに抗議をした。


「ここは俺の牧草地だ。境界を示す小川はずっとあっちにあるじゃないか。早く出ていけ」


 しかし、老いた羊飼いも黙っていない。


「何を言うか、この丘は遥か昔から我が家の牧草地だ。お前こそ出ていけ」


 実は、この主張はどちらも間違ってはいない。

 彼らの牧草地を隔てる小川が、何かのはずみで流れを変え、丘を迂回してしまったのだ。


 自然の川が流れを変えることは稀にあることである。

 しかし、彼らにそれは分からない。


 彼らは互いの主張を曲げず、とうとう杖での殴りあいとなり……結果、若い牧童が勝ち、老いた羊飼いは腕を折られ、ほうほうの体で逃げ帰った。


 取るに足りない、事件とも呼べない揉め事である。



 だが、牧草地を持つ羊飼いは(れっき)とした平民だ。

 このままで収まる筈がなかった。


 アモロスの地では、殴られて黙っているのは奴隷だけである。

 当然、報復が行われる……『目には目を、歯には歯を』などと甘っちょろい報復などはない。

 よそ者にナメられては食い物にされるだけなのだ。

 自然と報復は過激となる。


 腕を折られた羊飼いの息子たちは怒り狂い、翌日に牧童を待ち伏せして叩きのめし、両腕を斧で切り落とした。


 この厳しい時代、両腕を無くしては生きられない。

 牧童の住む村は働き手の若者を殺されたも同様である。


 すぐに村人たちは武装し、羊飼いの家を襲撃した。

 家人は皆殺し、家財や羊は全て「賠償金」として略奪されたようだ。


 この時代の農夫は戦に出る機会も多く、荒事に慣れている者ばかりである。殺人や押し込み強盗など何度も経験し、そこに躊躇いなどは無い。

 手早く殺し、さっと引き上げる……羊飼いの村の者が異変に気づいたときには全てが終わっていた。

 

 こうなると、羊飼いの村も黙ってはいられない。

 隣村の無法を領主に訴え、報復を願い出た。


 村落や領民が税を払うのは、いざというときに領主に守ってもらうためである。

 こうした時の村の発言力や影響力は小さくない。

 領主はすぐさま報復を約束し、兵を集めた。


 この領主はカスタ子爵……そう、シモンだ。


 シモンが兵を集めだしたことに対抗し、ボザ騎士家でも兵を集め、両軍は睨み合った。

 事ここに至れば、小なりと言えど戦争である。


 シモンのカスタ子爵家は子爵と名乗っているが、実際の領地は地生えの領主とさして変わらない。

 互いの兵力は拮抗し、シモンは200人、騎士ボザは250人程度を率いての睨み合いは武力衝突に発展した。

 小競り合いではない、本格的な激突である。


 大抵の場合、こうして兵を出し合ったことに互いの領民は満足し溜飲を下げ、ここからは領主間の交渉となるものである。武力衝突は稀だ。


 たかだか領民の喧嘩程度のいざこざで殺しあっていてはキリがない……互いの申し合わせで形ばかりの勝敗がつき、なあなあで済ませるモノなのだ。

 今回も、ボザ領の村が皆殺しにされた羊飼いの家に賠償をし、新たな境界線を定めれば決着となるはずだった。


 しかし、シモンの激しい気性と闘志はそれを許さなかった。


 つまり、戦好きのシモンが騎士ボザに突っかかり、形ばかり兵を揃えただけのボザは散々に打ち破られ、ボザ領は散々に略奪された。

 こうなれば騎士ボザも泣き寝入りはできない。周囲の旧カナール地方の領主たちに援兵を請い、兵を募ってシモンに対抗した。


 坂を転がるように事態は急転する。


 この降って湧いたような椿事ちんじに周辺領主は驚いた。

 シモンと友誼(ゆうぎ)のあるゲ男爵を始めバシュラールの領主たちも援軍を送り、双方の軍は瞬く間に膨れ上がっていく。

 何しろシモンは王の長子なのだ。敗死するようなことがあれば、どのようなとばっちりが飛んでくるか分からない。


 羊飼いの牧草地の争いがあれよあれよと周囲を巻き込み、思わぬ大戦を引き起こしたのだ。

 この戦でシモンは勇躍し、大将として敵と対峙することとなった。



 この大事件の報せが俺の元に届くのは、もう少し先の事である。




………………




 一方、その頃。



 俺は家族とうどんを作っていた。


「こら。イーマ、食べ物で遊んじゃ駄目だ」

「あそんでないもん」


 俺が軽く注意すると、イーマは膨れて口答えした。

 赤い髪のイーマはミニチュア版のキアラみたいで凄く可愛らしい。


 まだ5才のイーマは小麦粉を()ねるのが楽しいらしく、顔を真っ白にして遊んでいる。

 お姉さんのリナはキアラと一緒に真面目にやっているようだ。


「おかあさん、じょうずね」

「本当! キアラちゃん上手」


 イーマとリナがキアラの姿を見て歓声を上げる。

 何故かキアラは実子イーマ以外の俺の子供達から「キアラちゃん」と呼ばれているが、これは謎だ。


 キアラが「えへ、そうかな?」と鼻を(こす)ると小麦粉が顔につき、子供達はまたキャーキャーと大笑いした。


 実に(かしま)しい。



 これは遊んでいるわけでは無い。

 最近、食事の度に()せる俺は「何か(のど)ごしの良いものを」と考え、うどんを作ることにしたのだ。


 うどん作りは既に何度か成功しており、もう慣れた。

 こうして子守りをしながらでも余裕のよっちゃんである。



 実はうどんを作るのはさして難しくない。


 小麦粉と水と塩を適量ずつ混ぜて、良く捏ねる。

 ここは陶芸やら瓦作りが趣味の俺の腕の見せ所だ。

 それなりの固さになるまで練り、生地が纏まったら寝かす。


 そして、打ち粉を使いながら伸ばし、細長く切る。

 切った麺はたっぷりの湯で茹でほぐし完成だ。


 茹で上がった後の麺を水で洗うイメージもあるが、煮沸していないリオンクールの水はあまり飲料水として適していないのでパスした。


 味噌も醤油も鰹節も無いので魚醤で作ったスープに入れて食す。


 小麦粉のせいなのかイマイチ麺に腰がないが、うどんはうどんである。

 もうニッポンのうどんの味は忘れてしまったが、これはこれだ。それなりに旨い。


 アモロスでは箸はもちろんフォークも無いので『先割れスプーン』を使って食べる。


 これは俺が木製のスプーンの先に切れ込みを入れて作ったのだ。

 太いうどんを食べるのでかなり間隔の空いた形をしているが、さすがに麺は手掴みで食べづらいので意外と好評である。


 生地を作れれば応用は簡単で、我が家ではうどんの切れ端をワンタンにしたりして楽しんでいる。

 他の地域に麺があるのかは知らないが、少なくともリオンクールでは無いらしく皆が珍しがって喜んでいる。


 俺はこの手の家族サービスはあまりしてこなかった……まあ、今までは状況が状況であり、戦で長いこと家を空けることも多く、家族サービスどころでは無かったからだ。


 体調が悪くなり、今までの人生を振り返ることが増えた気がする。そして、色々と不安になるのだ。


 その1つが『俺が死んだ後、リナやイーマは俺のことを覚えていてくれるだろうか?』だった。

 思えば、上の子たちは旅行に連れて行ったりもしたが、この子達と共に過ごした時間はあまり無い。


 そうした不安が、俺のこうした『らしくない』行動に繋がっているのだろうか。



 スミナも加わり、完成したうどんを皆で食べる。

 時間は正午を過ぎた辺り、今までのリオンクールでは考えられない食事の時間だ。


 最近のリオンクールでは、食事の時間が変わり「昼食」の習慣が生まれつつある。

 今までの「遅めの朝食」「夕食」の2食から、「軽い朝食」「一仕事ひとしごと終えた後の昼食」「夕食」の3食に変化を始めたのだ。

 遅めの朝食だった習慣の名残か、朝食は簡単にライ麦パンとチーズを少しだけと言った程度で、昼食をしっかりと食べることが多い。


 節制を九徳として説いている聖天教会は『日に1食は聖者の食事、日に2食は人の食事、それ以上は豚の食事』と戒めているそうだが……富裕層では少しづつ3食になりつつあるらしい。


 地味な事かもしれないが、確かにこれは俺がリオンクールに残した爪痕だ……とても誇らしい。


「ウドンは本当に美味しいわ。このスープにパンが良く合うのね」


 スミナが、ワンタン入りうどんにパンを浸して旨そうに食べている。

 見事な炭水化物祭りだ。


 まあ、ワンタン入れたのは俺だけどな。



 こうした、のんびりとした時間は長くは続かない。

 食事を終えたころ、西の変事を伝える急使の到着を召使いが伝えてくれた。



 平和な時間は終わり、新たな動乱が始まろうとしていた。


もう誰も憶えていないでしょうが、バリアンは4話でうどんを食べたがってました。好物なんです。

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