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136話 3冊の本

 年が明けた。

 俺は33才になる。



 世上は(まさ)に麻の如く乱れ、各勢力がしのぎを削る戦国乱世の様相を呈しているが、リオンクールは穏やかなものだ。


 これは、俺がいるからだ。


 自分で言うのも何だが、俺の軍事的な実績は他を圧している。

 他に敵がいるのに、わざわざ俺に突っ掛かってくるバカはいないのだ。


 何しろ俺は数万の敵軍を7人の将星と共に僅か8騎で撃破したことになっているらしい……良く分からないが、武勇譚とはそうしたものだ。


 (みなもと)の何やらと言う荒武者は弓矢で軍船を撃沈したと言うし、スパルタの王は300人で何百万だかの敵を苦しめた話が有ったはずだ……まあ、そんな感じだろう。実話かどうかは別の話だ。



 先年に続きリオンクールは平穏無事ではあったが、俺のプライベートはそれなりの忙しさがあった。

 良いことと悪いことが続いたのだ……結婚式と、葬式である。



 まず、慶事から……この年の春、長女のエマが嫁いだ。


 お相手はもちろん、ベニュロ子爵の嫡孫アルベールくんだ。

 アルベールくん15才、エマが13才、貴族の結婚としては適齢期だろう。


 この結婚に際し、ベニュロ子爵家の力の入れようは凄まじく、何と新居としてアルベールくんにエーメ城を改修して与えたほどだ。

 もともとエーメ城も城壁外に住居が建つほどに賑わっており(81話参照)改修の必要はあったとは言え、凄い話だ。


「なに、乙女を迎える時には(かまど)を新しくせよとは昔から良く言ったことだ」


 久しぶりに顔を見た老子爵は、嬉しくて堪らないと言った風情で、歯の抜けた口を大きく開いてフガフガ笑った。

 妖怪みたいな子爵も孫の結婚を心から喜んでおり、見ていてこちらも嬉しくなったほどだ。


 ……乙女なあ……


 俺は複雑な思いでエマを見つめた。


 俺と良く似たところのあるエマは、13才にして既に……その、何と言うか……色々と『摘まみ食い』をしており、俺やスミナの頭を悩ませていたが……まあ、これは言わなくても良いことだろう。我が家の風紀を取り締まっていたリュシエンヌが寝込んだ影響が思わぬところで出た形だ。


 エマは背も高く、体もアスリートのようにムキムキで、親の目から見てもミス筋肉美って感じの美人である。


 ここだけの話だが、エマは気性が荒く、腕力もメチャクチャ強くて身体能力も素晴らしく高い……シモンと喧嘩して張り手一撃でノックアウトしたこともある。

 正妻のスミナの子でもあり、男だったら確実に俺の跡継ぎだったであろうフィジカルモンスターなのだ。


 その凄まじさは、親から見ても『生えてるんじゃないか?』と疑うほどで、女子ボクシングの大会でもあれば世界を狙える逸材なのは間違いない。


 華奢な美男のアルベールくんは肉食女子のエマ好みらしく、今ごろは毎日レスリングの稽古に励んでいることだろう。


 アルベールくんが腎虚(じんきょ)にならないか心配だ……今度、精の付くものを贈ってあげたい。



 次いで弔事、葬式があった。



 この年、我が家にとって大きな人が亡くなる。


 俺の母、リュシエンヌだ。


 昨年、腰を打って以来、寝たきりに近い状態になっていた母はそのまま少しづつ弱っていき、7月にしては肌寒い気温の雨の日……息を引き取った。


 死因は分からないが、外傷は無い。心筋梗塞や脳出血であろうか?

 召使いが様子を見に行った時には既に息をしていなかったそうだ。


 お抱え医師であるラノの見立てによると長い苦しみの痕跡は無かったらしい……その事実は少しだけ俺の心を軽くした。



 聖天教会の慣習では、先の見えた病人は枕元に聖職者や近しい親族を呼び、末期のミサを受ける。

 これは『告解(こくかい)』の意味があり、神の代理としての聖職者と偽り事で(あざむ)いてきた親族に許しを請い、死後の魂の救済を求めるものだ。


 信心深かったリュシエンヌは告解できなかったことがさぞかし心残りだったろう……俺は堪らない気持ちになった。


 俺はせめてもの慰めにと聖職者を呼び、リュシエンヌの枕元で簡易的なミサを執り行って貰った。


 この時、祈りを捧げてくれたのはカロンである。

 我が家とも縁の深い彼は知らせを聞き駆け付けてくれたのだ。


 俺はその心づかいに深く感謝した。


 ミサの後は遺体を清めて棺に収めるのだが、これは基本的に身内以外が行うものだとされる。

 しかし、何故かキアラが「私がやる」と譲らず、キアラが全て行った……ひょっとしたらパーソロン族の風習か何かなのかも知れない。



 リュシエンヌの遺体は、領都に建設予定の東方聖天教会の大聖堂に葬られることとなった。


 遺体は防腐処理(エンバーミング)を受けて領都の教会の地下に仮埋葬されることとなる。

 大聖堂が完成次第、改葬されることになるだろう。


 恐らく、その本葬はリオンクールの国葬となり、盛大なものになるはずだ。


 こうした儀式の数々は馴染みの無い者からすれば奇異に映るかもしれないが、宗教なんてそんなものだ。

 他宗の者から見れば理解しがたいことの連続……俺も初めは戸惑ったものだ。



 俺を無条件で愛し続けてくれた母の死……悲しいはずだが、妙に冷静な自分がいる。


 現実感の無い儀式の連続……俺にとって、母の死とは何処か遠くの……フワフワとした虚構の様な、映画か何かのスクリーンの中の出来事に思えた。


 キアラが、子供たちが、大声を上げて泣いていた。


 涙の出ない、俺の分まで泣いてくれているのだろうか。




………………




 リュシエンヌの急死は俺にとって衝撃であった。


 人は必ず死ぬ。


 生者必滅(しょうじゃひつめつ)会者定離(えしゃじょうり)は世の習いとは平家物語だったか……俺が明日も生きる保証など、どこにも有りはしない。



 俺は、本を書くことにした。



 内容は俺の経験や知識を対話形式で纏めたものだ。

 アモロスの学術書は何故か対話形式が多い……なるべくスタンダードに近い形の方が読まれやすいはずだ。


 俺もいつまでも生きているかは分からない。

 いつになるかは分からないが、俺の死後もこの知識や経験が活かされるように……誰かが俺の意志を継いでくれと願いを込めるように一字一字を書いていく。


 始めは適当に思い付く事から書いていたが、それらは次第に形となり、最終的に3冊の本になった。



 先ずは軍事や武術に関してのこと、これは俺の師アルベールから俺が教えを受ける形である。

 戦の心構えから始まり、俺の経験を交えた実践的な戦術、兵站の重要性、武術のテクニック、武器の使い方……記すことはいくらでもある。


 この本のタイトルは『老騎士の教え』だ。

 俺が書いた本の中では最大のボリュームがある。



 続いて、政略や人心掌握に関しての本だ。

 タイトルは『賢母の言葉』……そう、これはリュシエンヌとの対話形式である。


 この本はリュシエンヌ追悼の意味もあり、エピソードが多目だ。

 エンゾを傅役に抜擢した時(69話参照)のような実話もあれば、他から借用した逸話の登場人物をリュシエンヌにしただけの捏造もある。

 ちなみにアモロスには著作権が無いので問題は無い。


 信心深かったリュシエンヌを偲ぶうちに宗教の有用性にも筆が進み、宗教書の側面もある不思議な感じとなった。


 本の中でもリュシエンヌは常に俺を導き、愛してくれる。

 執筆中、涙が止まらなくなったのは一度や二度ではない。葬儀の時には流れなかったのに不思議なことだ。



 3冊目は民政に関すること。

 農業や農具の細かな解説から始まり、公衆衛生の大切さや、道を繋げて交易を始めることの利を説いた。


 これはタンカレーに出演して貰った。


 民政の担当タンカレーが俺と意見を交えながら論戦をする形式だ。

 政策のメリットとデメリットを書きたかったのでこうした形を採用した。


 内容の殆どが捏造だが、死人に口無し……許してほしい。

 タイトルは『リオンクール政治問答』だ。味も素っ気も無いが、本自体が少ないアモロスでは分かりやすいタイトルにするのが無難だ。

 俺も『リバイアサン』みたいな格好いいタイトルを付けたかったけどね。こればかりは仕方ない。


 最後は東方山脈にも道を拓く計画を記しておく……この大事業は俺の生きてる間では間に合わないだろう。

 俺の死後も計画が残るように、すこしでも進むように、文化の交流や経済圏を拡げる利を記した。


 顔も知らない未来の読者に対して、俺に出来ることはここまでだ。



 こうして、33才の年は暮れる。


 俺の体調は徐々に悪くなり、食事を喉に詰まらせて()せることが増えた。

 無自覚に食事量も減ったのか、最近少し痩せたと言われたが……これは母を亡くした心労から来ていると思われているようだ。


 いまは、それでいい。

 俺が病気だと広まれば、色々と力付くで押さえつけてきた事が思わぬ動きを見せるかも知れない。


 俺の病は致命的なものかも知れないし、自然に回復するようなものかもしれない。

 信用できる検査が無いのだ……体調不良を楽観視はできない。


 ……せめて5年……いや、3年後だ……ロベールに3年間で引き継ぐ……


 まだ幼さの残るロベールを初陣に出し、今の仕事を引き継いで貰わねばならない。



 死への恐怖はある、自分のやって来たことが無駄になると言う恐怖だ。


 ……明日、エンゾに相談しよう……病を隠して上手く説明できるだろうか……


 書き終えた3冊の推敲をするうちに年が変わろうとしていた。




 『3人の賢人』


 バリアンが記した書物は原本は失われたものの、東方教会や家臣たちに模写をされ、リオンクールの各地で伝わった。


 その中で出演した3人、バリアン1世を教え、諭し、導いたアルベール、リュシエンヌ、タンカレーの名声は不朽のものとなり、その事績は虚実入り交じりつつ広く伝わり『3人の賢者』と称えられることになる。


 3冊の中でも特に『老騎士の教え』はアモロスでも稀な、リオンクールで初めての実用的な戦術書として広く親しまれた。そして、アルベールは『全ての騎士の父』とも呼ばれ、教育者の亀鑑と謳われることとなる。

 その姿は実像とはかけ離れたものであり、バリアンやアルベール本人が知ったのならば大笑いをしたことだろう。

 

 また、アルベールとリュシエンヌのイメージに引き摺られる形でタンカレーも老人のイメージで伝わったのはご愛敬だ。

 お話の中での彼は世を忍ぶ隠者であり、バリアンに請われてベイスンを建設した老賢者なのである。

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