134話 いつ何時、誰の挑戦でも
32才の秋、ちょっとした事故が起きた。
俺の母であるリュシエンヌが転んだのだ。
大した話ではない。
しかし、老人の転倒とは思わぬ怪我に繋がることがある。
腰を強かに打ち付けたリュシエンヌは満足に立ち上がれなくなり、寝たきりに近い状態となってしまった。
人間は動けなくなると弱る。
年相応に元気だったリュシエンヌはガタガタと調子を崩していき、ベッドで寝転ぶだけの刺激の無い毎日は彼女の思考を鈍らせ、同じような話題ばかりを繰り返すようになった。
さすがにお下の世話はまだ必要ないようだが、歩くのが辛いらしく、トイレではなく室内に肥壺を置いて人の介助を受けながら用を足している有り様である。
彼女は57才、アモロスでは立派な老人なのだ。
……母上、老けたな……
俺はベッドで寝る母の介護をしていた。
リュシエンヌは男の俺から世話をされることを恥ずかしがるが、俺がしたいからしているのだ。
思えば親孝行らしい親孝行などしたこともない。
俺はできるだけ時間をとるように心がけ、共にいる時間を増やした。
「母上、今日は天気が良くて暖かいですよ。少し庭を見ませんか?」
「そうね、でも……抱かれて移動するのは恥ずかしいわ」
アモロスでは寝るときは裸になるのが一般的だが、彼女は病人なので体を冷やさぬように服を着ている……このまま連れ出しても良いが、秋の風は少し肌寒いかもしれない。
俺はリュシエンヌの上着を手に取り、ベッドの上に座らせた彼女の肩にそっと掛けた。
ケープのような肩掛けだ。
「良いじゃないですか、私は母上が大好きなんです。私と散歩をしてください」
「……もう、いつまでも親に甘えて」
リュシエンヌは口では俺を嗜めるが、実に嬉しそうにはにかんだ。
俺はリュシエンヌの許しを待たずに抱え上げる。
いわゆる「お姫様抱っこ」の体勢だ。
「バリアンは本当に大きいわ。私のお腹から産まれたなんて信じられない」
リュシエンヌは嬉しそうに俺にしがみついてくる。
老いた母は痩せ衰え、俺はその軽さに驚いた。
庭ではエンゾがロベールとその学友たちに剣の稽古をつけていた。
ロベールは11才……だが、12才で初陣を果たした庶兄のシモンと比べると体つきが華奢で、剣の技量も未熟だ。
こと武技に関して2人は比べ物にならない。
……まだまだ、か……これではとても戦には出せん……
俺はロベールの初陣はまだ先になりそうだと感じた。
このままでは5年はかかるだろう。
「バリアン、ロベールは頑張ってるわ。焦ってはだめよ、月は待てば出てくるの」
共にロベールの稽古を見つめていたリュシエンヌが、俺の心中を察したように語りかけてきた。
彼女もロベールとシモンに差があるのは察しているのだ。
リュシエンヌが口にした『月は待てば出てくる』とはアモロスの慣用句だ。
今が上手くいかなくても時期が来れば必ずなるようになる、焦らずに待てという意味である。
リュシエンヌはロベールの成長を焦らずに待てと言ってくれたのだ。
彼女の言うことは正しい。
5年かかるのならば、5年待てば良いのだ。
「そうですね、焦っては駄目だ。『若い果実は酸っぱい』ですからね」
「そうね、バリアンは本当に賢いわ」
俺が負けじと慣用句を口にすると、リュシエンヌは嬉しそうに、ころころと笑った。
母親とは、いつまでも息子を子供扱いするものであるが、今はそれが堪らなく嬉しい。
……少し外を見て元気になったようだな……
俺はその後もリュシエンヌを抱えたまま散歩を続け、とりとめの無い話を続けた。
その中で『東天七将星』の話をしたら、リュシエンヌは「七では駄目、二十将星にしなさい」と俺を嗜めた。
「あなたは決して星の名を出しては駄目。あなたは『二十人の頼れる家来がいる』とだけ語りなさい。家来たち全員に『我こそ二十将星』と思わせる事の方が大事……たった7人の勇者より、皆が力を出せるように計らうのが、何よりも大切なことなのよ」
リュシエンヌの言葉は至言だ。
彼女は正しく賢母である。
俺は改めて母を尊敬し、そして衰えた姿に胸を痛めた。
常に俺を正しく導き育ててくれた母が老い、歩くことすら不自由している。
諸行は無常、時の流れは残酷だ。
しばらく歩いた後に部屋へ連れて帰ると、キアラがリュシエンヌの肥壺を交換していた。
パーソロン族では『老人の世話は皆でするもの』らしく、キアラはよくリュシエンヌの世話を焼きたがる。
また、リュシエンヌもそれを喜んで受け入れるのだ……母は決して正妻の手を借りようとはしないのだが、この辺りは色々あるのだろう。
「母上、コーシーが明日また来るって言ってたよ」
「まあ、ありがとう。キアラ様はお利口だこと」
キアラの言葉は少し少年っぽいが、これは俺の息子のレイモンと言葉を覚えたためだ。
そのためか、キアラには実年齢よりも幼い印象があり(見た目も理由の1つではある)、リュシエンヌは露骨に幼児扱いしている節がある。
母のキアラに対する扱いは孫のレイモンと大体同じだ。
キアラもたまにお菓子を貰って喜んでいる。
そして、母の愛人ロランド・コーシーは60才になったが、こちらは実に矍鑠としている。
しかし、彼は俺がリュシエンヌの側にいると遠慮して近づいてこない……まあ、ここも色々あるわけだ。
我が家は複雑な家庭環境なのである。
………………
そして、この秋には嬉しい知らせももたらされた。
ベイスンに程近く、粘土の採取地に移住していた陶工たちから初焼の陶器が献上されたのだ。
モノとしては何の変哲もない素焼きの壺であるが、リオンクールの新たな産業であり、俺を喜ばせた。
この陶工たちは4戸が移住し、リオンクールからも数戸の移住者を募って新たな村を拓いた。
僅か11戸の寒村ではあるが、来年までの食料の支援と3年の税の免除を約束している。
「良くやってくれたな。褒美をやろう、何か望みはあるか?」
俺が壺を献上してくれた陶工の頭に尋ねると、彼は「薪を採るための森を分けて欲しい」と申し出た。
この陶工の頭はまだ20代の後半、精悍な印象の職人だ。
移住する前、彼はコクトー男爵の兵士として動員されていたが、無事に保護され女房と共に移住した(121話参照)のだ。
製陶の技術に自信があるのか、俺の前でも堂々としており小気味良い男である。
ちなみに、彼の女房に俺が『お世話』になったのは秘密である。
「なるほど、それは必要だろうな……周辺の土地を与えよう。土地の木を採り尽くす前に植樹するようにな」
製陶に薪は必要だが、使うだけでは不味い。
今は緑で満ち溢れているリオンクールの大地だが、今後、人口が増え続ければ森林資源が枯渇するかもしれない。
リオンクールの主要産業は製鉄だ……次々と森を破壊していくのが予想される。
それまでに『植樹の必要性』を教育し、根付かせていきたい。
今現在では森は豊富であり、彼らが森林伐採に危機感を抱かないのは無理のない事ではある。
鉱山都市フェールでも植樹を奨励しているが、あまり理解されていないのが現実だ。
話が逸れた、元に戻そう。
土地を与えると、陶工の頭は「ありがてえ」と喜んだ。
礼儀はなってないが、こんなものだろう。
「あとな、俺にも陶器を作らせてくれ」
俺が陶芸体験を申し出ると、頭は「構わねえですよ」と露骨に嫌な顔をした。
職人と言うものは、素人に職場を荒らされるのは嫌がる者が多い。
彼も俺が興味本位で仕事の邪魔をすると思ったのだろう。
「早とちりするな。俺は瓦を焼くのが趣味でな、最近はこんなものを試作した……まあ、見てくれ」
俺が試作した陶片を渡すと、頭は興味深そうにしげしげと眺めた。
これは何の変哲もない陶片であるが、俺が試作した『釉薬』がかかっている。
アモロスの陶器には釉薬が無く、水甕なども水が漏れないように磨き上げられているが無釉だ。
その事に気づいた俺は曖昧な記憶で釉薬を試作し、何度か瓦焼の窯で実験を行ったのだ……とは言っても、俺に専門的な知識は無い。「藁灰釉」とか「長石釉」と言う単語は知ってるから「藁灰」や「長石」を使うんだろうとか、その程度の知識だ。
問題は長石がどんなモノかは知らないこと……つまり長石釉に関しては全く分からないのが現実だ。
適当に白っぽい石を砕いた粉や灰や松ヤニなどを、水でシャバシャバになるまで薄めた粘土に混ぜ合わせ、これを素焼きした瓦に塗布して焼いたのである。
大半が瓦を汚しただけだが、何の具合か上手くガラス質となった部分があり、それのみを持ち帰り、陶工の頭に見せたのだ。
「……これは? つや出しとは違うようだが……」
「これは『ユーヤク』と言う」
アモロスの言葉には『釉薬』に相当する言葉が無い。
俺は『ユーヤク』と言う音で伝えることにした。
「遥か東にはこのように薬を塗って陶器を美しく、頑丈に焼くらしいんだ……これは俺が適当に作ったから灰色でツブツブだし、何かバッチイだろ? 本当はもっと綺麗なんだよ」
陶工の頭は「ウーヤック?」と呟き、角度を変えたり光に透かしたりと観察している。
「ウーヤックは何でできてるんだ?」
「わからん。釉薬のレシピは秘伝らしくてな……俺も子供の頃に王都の本で曖昧な情報を得ただけなんだ。俺の試作で良ければ教えるぞ」
俺は「白い石の粉をドバッと、藁の灰はドッサリ、雑木の灰もドッサリ、松ヤニはちょびっと、粘土は少な目、水は多め」と指折り材料を数えてアバウトな説明をする。秤が無いので分量は適当なのだ。
もちろん、王都の本などの部分は真っ赤な嘘だ。
俺の忘れかけた「タナカの知識」を総動員して、さらに「こんな感じ?」みたいなアバウトさで作ったのだ。
もちろん、全てが失敗だ。
釉薬作りとはそんなに甘いものではない。
これは「何故かは分からないが、この部分だけガラス質になった」と言う奇跡の部分を陶片として切り取っただけである。
しかも、質感がガラス質になっただけで、風合いは実に汚い。
釉薬とは呼べない代物だ。
しかし、頭は俺の説明を聞き「錬金術か!」と声を張り上げた。
心底驚いたらしく、目を真ん丸にしている。
「ああ、なるほど……確かに錬金術かも知れないな」
俺は「錬金術」という言葉に、妙に納得してしまった。
秘密のレシピで素焼きの器を変化させる……これは確かに錬金術だ。
「でもな、俺も作り方は分からないし、このレシピも実験段階で適当なんだ。だから俺にも陶器を作らして欲しい」
陶工の親方は、俺の言葉に「なるほどな」と深く頷いた。
「王様は陶器作りの職人じゃねえ。だけど俺も錬金術は分からねえ」
「その通り、これ以上は1人の力では無理だ。そちらでも色々と試してくれ」
俺の言葉に納得してくれたのか、陶工の頭は「わかったぜ」と言いながら陶片をサッと持ち帰ってしまった。
別に構わないが、何とも逞しいヤツだ。
兎も角、リオンクールの特産品として独自の陶器が誕生すればそれで良い。
こうして、リオンクールの製陶が本格的にスタートすることになったのだ。
そして、俺の趣味も瓦を焼くことから陶芸にシフトし、度々に陶工の村を訪ねて行くことになるが……たまに頭の女房から秘密の陶芸体験を受けたことは内緒である。
いつ何時、誰の挑戦でも受ける……それが俺なのだ。
『万能の天才』
実は、バリアンも陶工の頭も知らないだけで、釉薬が施された施釉陶は既に外国からアモロスに持ち込まれていた。
しかし、このリオンクール焼きはそれとは全く違うルーツを持ち、独自の陶芸として発展を遂げていく。
リオンクール焼きの特徴は何と言っても多彩な釉薬である。
元々は『強度を高めるため』に試行錯誤を繰り返したと言われているが、その過程で様々な釉薬が生まれ、器の造形や模様を見せるのではなく『釉薬の美しさ』を見せる独特の文化として昇華した。
もちろんリオンクール焼きが完成するには長い年月がかかり、世の中に知られていくのもバリアンの死からかなりの時間が経過した後の事だ。
しかし、『リオンクール焼きの創始者』としてバリアン1世は語り継がれていく。
『偉大な発明家であり、錬金術に精通していた』
バリアン1世は『製糖』や『釉薬』の発見を通し『錬金術士』としても後の世で語られる存在になったのだ。
後世のバリアン評では、様々な分野に才能を発揮した『万能の天才』とも言われ、数々の『奇行』もまた天才ゆえのものだと概ね好意的に語られることになったようだ。





