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133話 肱川渓谷

 初夏、(クード)川中流、渓谷付近にて



「倒れるぞぉ!」


 メキメキと音を立てて針葉樹が倒れていく。


 ここは肱川渓谷の手前、山との境界付近……ここでは多くの作業員が働き、活気に満ちている。


 肱川を拡大工事するための拠点として、居住地を作るために急ピッチで森を開拓しているのだ。


「作業の進行具合はどうだ?」


 この工事の視察に来ていた俺は現場監督のドーミエに声を掛けた。


「居住地の建設は順調です。渓谷の調査も同時に進めていますが、大きな難所は2ヶ所のみです」


 俺の質問を受けたドーミエがお手製の地図を広げて説明を始めた。


 この大工事の責任者はドーミエだ。

 彼はこの抜擢に大張り切りで、常に現場で指揮を取る熱の入れようである。


「そうか! さすがだ、仕事が早いな。この印の部分が難所か? 幾つかあるようだが……」

「はい、特に問題が有りそうなのは2ヶ所、渓谷が狭まっていたり大岩が塞いでいて流れが細く急になっているのです。他の印は川底が浅かったり流木が溜まっていたりと少し手を入れる必要がある場所です」


 ドーミエは俺の質問に(よど)みなく答える。

 渓谷の調査にはパーソロン族を始め、エルワーニェたちの協力もあり順調だ。

 居住地が完成次第、工事に取りかかれるだろう。


「良し、あとはドレーヌ伯爵とアルボー子爵から移住希望の船大工と漁師が数人派遣されてくる手筈になっている。彼らの意見を参考にして工事を進めてくれ」


 ドーミエは「承知しました」と応えて、くるくると地図を巻いていく。


 ドレーヌ伯爵とアルボー子爵にも工事の支援として、領内の船大工や漁師の三男四男などに移住希望を募ってもらっている。

 内陸部への移住と聞いて難色を示す者が多いようだが、ぽつぽつと志願者も集まっているようだ。

 居住地が完成次第、彼らを迎え入れる事になるだろう。


 彼らは工事期間中は作業員として働き、航路完成後も居住地に残り水上輸送や造船・メンテナンスで活躍してもらう予定だ。

 この居住地はリオンクール初の造船所が設立されるだろう。


 ちなみに、この居住地は工事完成後もそのまま村落とし、ドーミエに与える約束になっている。

 言わば目の前にニンジンをぶら下げた形だが、効果は覿面(てきめん)

 元々、上昇志向の強かったドーミエは、領地を得て騎士になるチャンスに目をギラつかせている。

 自腹で奴隷を用意し、工事に参加させている熱の入れようなのだ。


「この工事は国家の大事業だ。焦りは禁物だぞ、ドロンと協力し進めてくれ」


 俺はやや入れ込み過ぎのドーミエを(なだ)めた。

 張り切るのは良いが、あまり急がれて事故が増えても困る。


 ちなみに、ドロンとはダルモン伯爵領からの亡命貴族だ。

 くたびれた中間管理職みたいな印象の中年男で、目の下のくまが目立つ。

 計算が得意らしく、今回の工事の資材や人足の管理を任せた。


 折角、亡命したのだから客としてのんびりすれば良いものの、彼は仕事が無いと落ち着かないのだとか……見事な社畜精神……もとい、勤労意欲だ。


 新入りに国家プロジェクトを任せて良いのかとも思うが、読み書きや計算ができ人を指揮した経験があるとなると大半が騎士階級か高位聖職者だ。

 プロジェクトリーダーが成り上がりのドーミエで、尚且(なおか)つ揉めそうにないヤツ……となると、意外と人選が難しい。


 アンドレやジョゼあたりを起用してドーミエをサブリーダーにまわす手もあるが、ドーミエの身分を引き上げるために抜擢したと言う事情もある。

 ダルモン領平定でもドーミエは活躍した……そろそろ騎士にしてやりたい。


 ちなみにドーミエの文官としての適正は並み以下だ。

 資材管理などは向いていない。


 少し悩んでいたのだが……そこに仕事をしたがっている社畜が現れたのは天の配剤だろう。



 国家事業と聞いたドーミエは感動の面持ちで「はっ、お任せください」と答えた。

 この男はこんな感じのノリが好きなのだ。


「うん、後は現場を視察をしておこう。ドーミエも現場の指揮に戻ってくれ。普段の様子が見たいんだ」

「はっ、何かありましたらいつでもお呼びください」


 ドーミエは鯱張(しゃちほこば)って頭を下げ、現場に帰っていった。

 残ったのは俺とロロ、護衛の同胞団員のみだ。


「じゃあ、現場を見て回るか。ロロたちも危険な作業や杜撰(ずさん)な資材管理を見つけたら教えてくれ。工事現場の基本は安全第一だ、怪我人ゼロを目指すぞ」


 俺の指示を受けた同胞団員たちは「はいっ」と声を揃えて応えた……頼もしい反応だ。


 誰しも好んで怪我はしないが、工事現場に怪我は付き物である。

 だが、付き物だと放置するのではなく、それを少しでも減らす努力は怠ってはならない。

 奴隷や貧民とは言え、鞭で打って危険作業で使い潰すような贅沢はリオンクールではできないのだ。

 ポンポンと補充出来るほどの人口が無いのである。


 本当は安全帽ヘルメット、作業着、手袋も支給してやりたいが、さすがにそれは予算の関係で無理だった。



 俺たちは時間を掛けて工事現場を視察し、縄の掛け方の甘い木材を指摘し、危険な高所作業には命綱を着用するように注意して回った。

 こんなの王様の仕事でも無い気がするが、これは俺が『いかに力を入れているか』を示すデモンストレーションでもある。


 この河川拡大工事が完成すれば上流のリオンクールと下流のダルモン伯爵領で物の流れが活発になり、金が回り雇用も生まれる……当たり前の話だが、これが理解できない、と言うか理解しようとしないヤツらが大半を占めているのがアモロスという国だ。


 彼らが理解しようとしない理由は『昨日までやってなかったから』である。

 アモロスに蔓延する頑迷な前例主義は『昨日までやってたことを明日もやる』ことを是とし、変化を嫌う。


 リオンクールの民は俺の影響を受けて少しずつ変化を受け入れ始めたが、まだ『新しい政策』に反発する者は多い。

 だからこそ、王である俺がいかに力を入れているかをアピールし、反発を押さえつけるのだ。


『俺のやることに文句あんのか?』


 コレである。

 結局は実力で黙らせる他は無い。

 幾多の戦場での勝利が、ここで活きてくるのだ……リオンクールでは俺の戦歴に対抗できるヤツはいない。


「コラ! 下に人がいるのに屋根で作業するな!」

「丸太を固定する時は複数人で行え! 下敷きになるぞ!」

「斧を放置するな!」


 俺は口煩(くちうるさ)く危険な行動を注意して回る。

 繰り返し注意して、作業員の頭に「危険予知」を叩き込むためだ。


 作業員に怪我人が出れば現場の士気は落ち、効率が低下する。

 一見遠回りでも、これが近道なのだ。



 俺はすでに完成している作業員の宿舎のドアに墨で「足元注意」「整理整頓」「安全作業」など適当に標語を書いていく。


 まあ、作業員の9割以上は文盲なんだけど……雰囲気作りってヤツだ。


 少しでも事故や怪我人を減らしたい気持ちに偽りはない。




………………




 作業現場を視察した俺たちは、(クード)川渓谷の入口まで移動する。

 渓谷は作業現場から程近く、すぐに到着した。


「おー、近くで見ると立派なもんだ」


 両側を高い崖とする渓谷は自然の雄大さを感じさせる見事な景観だった。

 深い森の中に(そび)え立つ岩肌と肱川の流れは例えようもなく荘厳だ。


 さすがに今回は中までは入らないが、現場の雰囲気を見に来たのだ。


「この岸壁を切り崩すのは大変だろうな」

「ええ、石切職人も集めているはずですが、領外からも募らないと……」


 俺たちは自然の美しさ、そして人を拒む厳しさに息を飲んだ。


 この雄大な渓谷で流れを()き止める大岩や岸壁を人力で切り崩し、人海戦術で岩や流木を取り除くのだ……ロロが(ひる)むのも無理はない。


「……何と言うか、この景色を作り上げた神の存在を身近に感じるな。厳しくも美しい」


 俺がポツリと漏らすと、皆が頷いていた。

 科学文明が発達していない時代である……皆が信心深い。


「航路が完成すれば、この居住地は中継点として栄えるだろうな……っと、あれは何やってるんだ?」


 俺は川の浅瀬で不思議なモノを見た。

 そこには膝くらいまで水に浸かり、静かにたたずむ男性……顔にはペイントが塗られており、エルワーニェだと見て取れる。

 彼は先がVの字に別れた(もり)のような棒を構え、ジッとしていた。


 しばらく見つめていると、石像のように固まっていた男は石火の速さで銛を振るい、大きな魚を捕らえた……どうやら川魚を狙っていたようだ。


 つい、俺の口から「お見事」と言葉が漏れた。

 見たこと無い漁法だ。


 ざぶざぶと流れを掻き分けて男は岸に上がる。


 興味を引かれた俺は男に近づき「凄いじゃないか、大物だ」と声をかけた。


 初老のエルワーニェだ。

 いかにも「山親父(やまおやじ)」と言った風情である。


 俺が声を掛けると、エルワーニェの男は少し警戒の色を見せた……こちらが多数で魚を横取りするとでも勘違いしたのかも知れない。

 言葉は通じていないようだ。


 俺は警戒を解くように笑顔を見せ、身振り手振りで先ほどの漁を褒め称える。

 すると、男は「ニッ」と笑って銛を差し出した……どうやら貸してくれるらしい。


 俺はこの手のコミュニケーションは得意だ。

 何せ妻の1人とは身振り手振りで子供を作ってたくらいである。


 俺は(もり)をしげしげと眺めた。

 銛は全て1つの木材から作られているようだ。

 先端は木を尖らせただけだが、ちゃんと返しがついている。


 ……ふむ、モノとしては大したこと無いな……先が二股に別れた長い枝か幹を削っただけか……


 俺は銛を受けとると服を脱ぎ捨て、肱川に入る。


「うおっ! 冷たいな。それに流れが急だ」


 雪解け水を水源とする流れは見た目より速く、冷たい。


 ……これでは冬場は勿論、夏も長時間の作業は無理だな……


 世の中には体験しなければ分からないことは多い。

 こうして肱川の流れを感じなくては、現実を知らない俺の無茶な命令で死者が出たかもしれない。


 俺はこの出会いに感謝をし、先ほど男が立っていた辺りで銛を構える。


 ……おっ、わりといるな……


 意外と魚影は多い。

 すぐにでも捕まえる事ができそうだ。


 リオンクールでは川魚を食べない訳ではないが、あまり流通していない。

 俺も魚捕りは初体験である。


 ……よし、アイツだ……


 俺は水音をさせないように下流から近づき、銛を構える。

 すると、魚は何かを感じとり、サッと逃げた。


「この、逃げるなっ!」


 慌てて銛を振るうが、俺の一撃はバチャリと水面を叩くのみだ。

 こちらをバカにするように魚は5メートルほど先で停止した。


「このっ! コイツ!」


 何度も狙うが結果は全て同じだ。

 川岸ではエルワーニェの親父とロロたちが大爆笑している。


「笑うなっ! お前らやってみろよ! 難しいんだぞ!」


 イラついた俺が怒鳴ると、それが面白かったのかさらに笑い声が上がる。

 俺はムッとして岸に上がり「やってみろよ」とロロに銛を手渡した。


「ふふ、この親父さんの教えと今のバリアン様の動きで分かりましたよ」


 何やらロロは身振り手振りで教えを受けたらしい。

 ちょっとズルいと思う。


 ロロは服を脱ぎ、川へざぶざぶと入っていく。

 そして膝くらいまで川に浸かるとピタリと動きを止めた。


「ん? 親父さん、あれがコツなのか?」


 俺が尋ねるとエルワーニェの男はニヤリと黄色い歯を見せた。


 動きを止めたロロのたたずまいは枯れ木のようだ。

 傷だらけの(たくま)しい肉体は呼吸すら忘れたように気配を絶ち、風景に溶け込んでいる。


 銛が、動いた。


 ロロが振るった銛の先にはナマズのようなヒゲのある魚が突き刺さっている。


「水面に映る影ですよ。魚は動く影から逃げていたんです」


 岸に上がったロロは得意気に笑い「お礼です」とナマズをエルワーニェの男に差し出した。

 山親父はニヤリと笑い、自らが取った魚をロロに手渡した。物々交換のようだ。

 何やらコミュニケーションが成立したらしい。


「成る程な。魚は鳥から逃げるために動く影を嫌うんだろうな」

「あ、それですよ多分。エルワーニェたちは経験で知ってたんですね」


 俺とロロはエルワーニェの知恵に感心した。

 やはり、山の事は彼らに任せた方が良い。


 ……やはり、渓谷の工事に彼らは欠かせないな……


 俺はエルワーニェの雇い入れを増やす事を決めた。


 はたから見れば俺たちは川で遊んでいただけのように思えるかもしれないが、多くの発見があった……やはり、現地を見なければ分からないことは多い。



 俺たちは笑顔で山親父と別れ、居住地に戻る。


 すぐにドロンを捕まえて新たな指示を出したい。

 鉄は熱いうちに打つ……と言うか、時間が経つと俺が忘れてしまう。


 有り難いことにドロンはすぐに見つかった。倉庫でなにやら計算していたようだ。


「ここにいたか。ドロン、幾つか指示を出したい」

「はぁ、少々お待ちください」


 ドロンは算盤ソロバンによく似た『アバカス』と呼ばれる計算機を丁寧に仕舞い始めた。


 アモロスにも計算機はある。

 一般に普及しているとは言い難いが、学者、役人、商人など、日常的に計算が必要な者は使うことがあるようだ。


 俺はドロンを急かしたりはせず、頭の中で先程の出来事を反芻はんすうしていた。

 電話が無いアモロスでは伝え忘れがあると、いちいち早馬を出す必要があるのだ。そんな無駄はしたくない。


 石切職人の雇い入れを増やすこと、エルワーニェの雇い入れを増やすこと、流れが速いので必ず命綱を用意すること、それと作業員を何組かに分け交代で働かせること……俺はこれらを理由を交えながら説明し、最後に「水温は低く、寒い時期に川の工事は難しいだろう」と伝えた。

 ドロンは俺が自ら水に入ったと聞いて驚いていたが、納得したようだ。


「エルワーニェは作業員ではなくガイドとして使え。渓谷内では彼らの知恵が活きるはずだ」


 俺の指示を聞いたドロンは「ふむふむ」と頷きながら木板に墨で何かを書き込んでいる。メモ書きのようなものだろうか。


「分かりました。少しずつでも、河川の作業を開始するようにドーミエ卿に伝えましょう。居住地は冬場にでも増設できますから」


 ドロンは実に腰が低く、成り上がりの勲爵であるドーミエにも敬意をもって接しているようだ。

 騎士だったと言われるより、商家の番頭だったと言われた方が納得ができそうな物腰の柔らかさだ。


 ……うーん、思わぬ拾い物だったか? リオンクールにはいないタイプだな……


 武勇ばかりが持て囃されるリオンクールでは、内政官も戦に出れば荒武者タイプが多い。


 俺はドーミエとドロンのコンビなら上手く行きそうな気がした。

 理由なんて無い……ただの勘だ。


「ドロンにはもっと大きな仕事を任せたいな、期待しているぞ」

「はあ、ありがとうございます」


 俺が激励すると、このショボくれたオッサンは何とも覇気の無い返事をした。



 こうして、肱川の拡張工事が始まった。

 これが完成すれば、リオンクールの経済圏はさらに拡がるだろう。


 リオンクールから砂糖や鉄を輸出し、ダルモン領から小麦を仕入れる。


 それはとても楽しい想像だ。

 俺は夢が近づいてくるのを感じていた。


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