14話 童貞喪失
城塞都市ポルトゥには一晩だけ滞在し、領都リオンクールに向かう。
この『リオンクール』という言葉は大変に紛らわしく『リオンクール伯爵家』『先住民であるリオンクール人』『リオンクール盆地』『領都リオンクール』など、資料などを読むと混乱してしまう程に頻出する言葉だ。
なので領都リオンクールは単純に「領都」と呼ばれる事が多いようだ。
ちなみにアモロス王国に「王都」は唯一無二であるので「王都」以外に呼ばれることは殆ど無い。
この領都はポルトゥから馬車で1日強ほどの距離だが、領主の帰還を知らしめるために夜間に入ることは無いらしい。
近くの村で1泊し、翌朝に帰還することとなった。
自宅を目の前にして外泊するとは、いかにも馬鹿馬鹿しいが、領主たる者が夜間に帰還すると「敗戦」「逃亡」などを連想させて良くないらしい。
そんなモノか、と俺はぼんやりと聞いていた。
帰還に際しては尻が痛いロベールも根性で馬上の人となり、俺は馬車にもどる。
これも領民に対してのアピールがあるらしいが……「そこまで気にしてるかねえ」と苦笑いしてしまう。
リオンクール伯爵領には大きな城市は3つ。
領都であるリオンクール。
西の守り、城塞都市ポルトゥ。
そして東の山麓にある鉱山都市フェール。
領都は領主の座所ではあるが、伯爵領はポルトゥに守られており、領都に要塞としての強力な防衛機能は存在しない。
あくまでも守りの要はポルトゥなのだ。
しかし、リオンクール盆地の中程に位置し、領都は政事統治の中心である。
俺たちは入城し、ガヤガヤと市民に見送られながら屋敷へと向かう。
リオンクールの屋敷は広く、石を漆喰で固めた立派な壁と、素焼きの瓦を備えた平屋であった。
見れば石造りの塔までそなえている。
「みな、ご苦労だった! しばらくは体を休めるがよい!」
ルドルフが解散を宣言して従士たちは散っていく。
奴隷たちはまだ片付けをするようだ。
「若様、俺はここでお別れで」
わざわざジローが俺に挨拶に来てくれた。
彼は結婚し、家督を継ぐために俺の守役を離れることになっていた。
平民は土地を持つ郷士階級であり、一族や奴隷を裁量しなくてはならない。
これからのジローは忙しくなるのだろう。
僅か数ヶ月の付き合いではあったが、このアモロスの地に迷い込み、右も左も分からなかった俺を助けてくれた恩人だ。
「ありがとうジロー」
俺も万感を込めてジローに礼を述べると、俺の後ろからルドルフが「オノレ、世話になったな」と声を掛けた。
ちなみにオノレとはジローの名である。オノレ・ジローが彼のフルネームだ。
「バリアンはアルベールに任せようと思う」
「はあ、アルベールの旦那ですか……その、若様が……」
ジローの戸惑いにルドルフは「だいじょうぶだ」と不敵に笑う。
明らかに嫌な予感しかしない。
「父上、アルベールとは……?」
「アルベールは我等の一族の者で執事だ。留守を任せていた」
ルドルフの言葉に俺は少し驚いた。
考えてみればリオンクール家は伯爵家である。執事がいても不思議ではない。
執事? 執事か……
執事のイメージと言えば、燕尾服みたいな格好で知的なナイスミドル……そう思っていた時期が俺にもありました。
………………
「久しいなルドルフ、こいつがバリアンだな」
「アルベール、頼むぞ」
白髪の男とルドルフは短い挨拶だけ済ませ、俺とアルベールと思わしき人物だけが残された。
ルドルフはリュシエンヌとロベールを連れて挨拶回りに行くそうだ。
「キサマがバリアンか? ふん、リオンクール人のような面構えだな」
俺は目の前の人物を見てすぐに察した『これアカンやつだ』と。
このアルベール、50才前後の初老の人物だが、面構えが凄い。
顔面の左側には口の側から耳まで火傷の跡がケロイドとなって残り、左の耳は無い。
顔の右半面にはズタズタに傷痕があり、それらが引きつりを残している。
右目の眼球も潰れているようだ。
……どこが執事アルベールなんだ? 殺し屋だろ? 詐偽じゃねえか。
俺はセバ〇チャンとかギャリ○ン時田とかの『執事のイメージ』が粉々に砕け散っていくのを感じた。
しかし、『執事』とは貴族家の実務を監督し執行する職を言う。リオンクールのような尚武の家では執事が武人であるのが当たり前ではあるのだ。
これは余談だが、現実の執事は燕尾服などはほぼ着ない。
燕尾服を身に付けた者を侍らしていては自らがVIPだと宣伝しているようなものだ。
本物の金持ちは誘拐などを警戒して目立つことは避ける傾向があり、執事も普通のスーツを着用したりしている。
話を戻そう。
「バリアンです。あなたがアルベールですか?」
「そうだ、儂はアルベール・ド・グロート。騎士だ。ルドルフの依頼でお前を鍛えてやる」
アルベールは「覚悟しておけ」と奇妙な笑い声を上げた。
「今からやるぞ」
「はい……」
返事をするや否や、顔面に強い衝撃を受け、目の前に火花が散った。
俺はぶん殴られたのだ。
地に倒れながら、その事実に気づくのに数秒かかった。
「今からだと言っただろうグズめ」
これが、俺とアルベールの出合いであった。
………………
アルベールの特訓は過酷を極めた。
連日に渡り、馬術、格闘術、弓術などを繰り返し、まだ肌寒いと言うのに野宿も何度か経験した。
彼は俺の甘ったれた現代的な価値観を全て破壊しつくしたと言っても良い。
ジローは剣や盾を教えてくれたが、アルベールは「そんな上品な技は必要ない」として、様々な武器でひたすらに組手をさせ、たまに犬や山羊などを殺させた。
何でも「殺しの練習」なのだそうだ。
戦場とはキレイ事では無いのは理解できるが、8才の俺には犬は手強く、何度も危ない目に合った。
ロロがいなければ大怪我をしたかもしれない。
時には半日も槍を担いで、行軍の訓練をしたりもした。
アルベールの教育を受けたのは、俺、アルベールの孫のジャン、そしてロロの3人だ。
ジャンは本名をジャン・ド・グロートといい、俺とロロの1つ年下の金髪に青い瞳の少年だ。
彼は俺の「学友」として付けられた訳だが、実に運が悪いと思う。
ロベールに付けられた「学友」たちは教育役のデコスにエリート教育を施されていると言うのに……
そして意外なことにアルベールはロロの教育を嫌がらなかった……むしろ、強い戦奴隷はいくらでも欲しいと喜んでいたくらいだ。
そして、俺にとって記念すべき日がやってきた。
「おいっ、小僧どもコイツらを殺せ」
ある日、アルベールは縛られた男女を4人も並べた。
全員が痩せてみすぼらしい。
「いや、彼らは何者なんだ?」
俺が当然の疑問を口にすると、アルベールは俺を殴り付けた。
目の前に火花が散り、鼻血が吹き出す。
「つべこべ言うなッ!」
アルベールは俺を威嚇するが、ここで引くわけにはいかない。
殺人なぞ真っ平だ。
「いや、ダメだ。場合によっては法に触れる。そんなことをロロやジャンにはさせられない」
俺は鼻血を流しながらも「彼らは何者だ?」と問い直した。
「チッ、病んだ奴隷と罪人だ。ルドルフも承知だ」
俺の言葉を聞いたアルベールは面倒臭そうに吐き捨てた。
「殺しを覚えろ。まず奴隷の口減らしだ、1人づつ順番に剣で刺し殺せ。次は罪人を3人がかりで棒で殴り殺せ」
俺はアルベールの言葉を聞いて愕然とした。
縛られた4人は小さく悲鳴を上げ、命乞いをする。
ゴクリ、と喉が鳴った。
罪人はまだしも、罪もない奴隷が病んだからと殺すのか、それが許されるのかと自問自答する。
……良いわけないだろ……
俺は女の奴隷と目があった。30才くらいの黒髪の痩せた女だ。
女は必死で命乞いをする。
殺せるはずがない。
そう意識したらガタガタと体が震えた。
アルベールは「どうした? 選んでいるのか」と楽しげな声を上げた。
俺はいっそアルベールを刺してやろうかと悩むが、そんなことが可能だとも思えない。
「バリアン様、私から……」
見かねたロロが俺を庇う。
……情けない、俺は何を考えていたんだ、武功を稼ぐとは人を殺すことだ……キレイ事のはずがあるか!
俺は短剣を握り、目の前の女を突き刺した。
ジローに習ったのだ「剣は刺せ」と。
「ぎゃああぁ!? 止めてッ!! 殺さないで!」
突然の出来事に女が泣きわめく。
「まだだ! 死んでないぞ!」
アルベールが俺を叱咤した。
「ウオオッ!」
俺は叫びながら何度も刺した。
女が動かなくなる頃には10度以上刺したかもしれない。
無惨にも病んだ女は失血死に近い死に方をした。
「ぐっふっふ、悪くない、次は狙う場所を考えろ」
アルベールがポンと俺の肩を叩いた。
ロロが病んだ男を刺すのを、俺はぼんやりと眺めていた。
殺した、人を。
罪もない奴隷を殺した。
俺は42年の人生で初めて人を殺した。
それが童貞喪失であった。
常人はトレーニング無しで強くなったりはしません。
田中もアルベールに鍛えられます。