131話 見果てぬ夢 下
アンバランスな分割で申し訳ありません
2日後
俺はダルモン城を出立する。
既に前日、北東部の諸公は帰途についており、今は2000人ほどの軍勢を率いるのみだ。
「世話になった」
「いえ、こちらこそ。これだけの軍が居候したのですから」
俺はダルモン伯爵と別れの挨拶を交わす。
「これからはどうするのだ? 外征を続け、領土を拡大するのか?」
「まさか。これ以上拡げても持て余すだけですよ……それよりも」
俺はダルモン城の脇を流れる肱川を指で示し、流れに逆らうように上流の渓谷まで動かした。
「肱川を整備しましょう。渓谷の難所を工事し、リオンクールからダルモンまで船での輸送が出来るように」
俺の言葉に伯爵は驚き、目を丸くした。
「渓谷に船を通すのか! 岩を運び、崖を穿ち、川底を浚い……大工事になるぞ」
「ええ、でも不可能では無いでしょう? 当然、調査も必要です。気の遠くなるような長い工期も……でも肱川は流れも穏やかだし、水量も豊富だ。大船は必要ありません、小舟ならば決して不可能では無い」
俺は「ニッ」と笑い、伯爵を見つめた。
イメージとしては、かつてドレーヌ伯爵領の港で見た喫水の浅い手漕ぎボートのような船が行き来できる航路を作りたい。
「私はね、リオンクールを『地の果て』ではなく『入り口』にしたいのです。いずれは東方山脈を貫き、東とも繋げたい。北の花嫁街道もさらに拡げる必要がある、まだまだ成すことは山盛りだ……外征などしている暇はありませんよ」
これらは俺の代では終わらぬ大事業になるだろう。
しかし、完成すれば文字通り『地の果て』だったリオンクールは交通の要衝となり、内陸交易の中心地となり得るはずだ。
物が動けば人も動く。
今は空き地ばかりのリオンクールも人が集まれば開拓が進み、新たな集落が誕生するに違いない。
『人々の暮らしを豊かにする』
幼い頃に誓った夢だ……そう、これは俺の夢の計画なのだ。
そして、それが成せる環境がやっと整ったのだ。
俺の計画を聞いたダルモン伯爵は「これは敵わんな」と嘆息した。
「リオンクール王が生きている間、俺は決して叛かぬ。下流からも肱川を拡張しよう、これが成れば我が領の益も計り知れぬからな」
「それは助かる! ……しかし、俺が『生きてる』間だけですか?」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
伯爵は油断のならない男である。しかし、徹底して『自らの利』を追う姿勢は分かりやすく、ある意味で付き合いやすい相手なのかも知れない。
翌年には妹が嫁ぐことも決まり、これからは親戚としての付き合いも始まるだろう。
ダルモン伯爵は30才、妹は10才……なんとも危ない感じがする結婚ではあるが、貴族間ではまれにある話ではある。
伯爵は「俺との関係」を重視しており、妹もそれほど悪い待遇にはならないはずだ。
父ルドルフが大量生産した庶子の1人とは言え、妹も幸せになって欲しい。
そして、クレマン派の軍使だった男……名をジャン・ド・ドロン、彼がリオンクールに亡命した。
転職ではなく妻子をつれた亡命である。
何だかいきなり姿をくらましそうな名前だが実際にドロンしたわけだ。
ドロンは下級の騎士階級ではあったが、これから始まるクレマン派への粛清を予見して領地を捨てた。
実際に中途半端に偉いさんだったドロンは責任を取らされる可能性が高く、自らの身の安全や、残された妻子のことを考えれば理解できる話である。
中小騎士家にとって内乱とは、集う旗を間違えれば即滅亡の危機だ。
リオンクールに伝があり、いち早く逃げ出すことに成功したドロンは幸運なほうである。
オージェとビゼーと言う領内の有力者を排除したダルモン伯爵は、これより集権化のために大鉈を振るうだろう……逃げ遅れたネズミが悲惨な目に遭うのは想像に難くない。
彼はシャルロと共に「客分」としてリオンクールに滞在するが、望めば仕官させてやっても良いと思う。
ちなみに、もう1人の客分であるシャルロは壊れてしまった。
卑怯な振る舞いに怒る市民が罵声を上げ、腐った野菜を投げつける中、彼はクレマンとビゼーの首を打ったのだが……手元が定まらずに斧は何度も肩や後頭部を叩き、大層悲惨なことになったそうだ。
人体を切断するのは難しい。
クレマンなどは、やっと首が落ちたときには後頭部は原型を留めていなかったそうだ。
それがまた、市民の目には幼さの残る弟を嬲り殺しにしたように見えたらしく、シャルロは多数の憎悪に晒され続け、精神が参ってしまったようだ。
もともと気の弱い質でもあったらしい。
シャルロの髪は一晩で斑に禿げ、血が出るまで爪を噛んだり、彼にしか見えない蝿を追い払ったりしている。
まあ、彼は元から人質としての価値しかない。
自殺しないように監視をつけて、家族と共に適当な屋敷に放り込んでおけば良いだろう。
気が触れようが問題にはならない。
こうして、俺はダルモン領を去る。
リオンクールに帰還した俺だが、のんびりとはしていられない。
野にはアヒレアの赤い花が咲いていた。
季節はすでに秋、いつの間にか家来たちが挨拶に来る季節になったのだ。