129話 父の後ろ姿
翌日
俺たちは戦場に向かい軍を進める。
平地なので既に敵が視認できるが、敵軍も移動中のようだ。
「ロロ、ジャン……初めて戦場に行ったときの事、覚えてるか?」
俺は敵軍を眺めて幼馴染2人に語りかけた。
「あ? 初陣の話か?」
ジャンが聞き返してきた。
こいつは一軍の将なのだが、部隊を放っぽりだしてよく遊びに来る。
別に何も問題になってないようだから、特別に咎めたりする必要もないが……なんと言うか、色々と心配になる。
「違うよ、戦見物さ。アルベールと行ったやつだよ、覚えてないか?」
「あー、ありましたね」
俺の言葉にロロが相槌をうつ。
「ああ、確かにあれが初めての戦場なのか。裸で戦ってるのがいたな」
「そうそう、それだよ」
2人が覚えていたことに満足し、俺は話を続けた。
「あの時のアレを試したいんだよ……」
「ああ! ありましたね……」
俺たちは昔話で盛り上がりながら軍を進め、ある程度の位置で陣を整える。
クロスボウやバリスタを装備しているリオンクール軍は射撃力が高いので横に広がり、左右をアルベールくんのベニュロ軍とジャンのバシュロ軍が支える形だ。
騎兵は纏めて少し離れた位置に配した。
何と言うか……歪な鉄アレイ? 何とも言えない謎の陣形だが、下手にベニュロ、バシュロの両軍と混ぜるより固めて配置した方が良いだろう。
目を細めれば鶴翼のバリエーションに見えなくもない……気がする。
敵は典型的な魚鱗や錐形と呼ばれる三角陣に兵を配置した密集陣形だ。
中央前面に騎兵を配置して突破を狙っているらしい。
「成る程、油断できない相手です」
ポンセロが敵の布陣を見て呟いた。
確かに、数に勝る相手に密集陣で突破を図るのは定石だ。
オーソドックスだが、定石は効果的だから定石なのだ。
敵の将は愚将ではない。
「良し、全軍の動きはポンセロに任せよう。リオンクール軍はアンドレが指揮してくれ」
ポンセロとアンドレは「はっ」と声を合わせて応えた。
「アルベールくんとジャンにはそれぞれの軍を率いてもらうとして……」
ふと、目を向けるとアルベールくんが思い詰めた顔をしている。
彼にとっては名誉挽回の大一番だ……気合いが入るのは良いが、少し入れ込み過ぎだろう。
「アルベールくん、敵兵を見てみろ……どいつが強いか分かるか?」
いきなり俺はアルベールくんに問いかける。
彼は突然の問いに少し戸惑い「えっ」と固まったが、これは別に返答を期待した質問ではない。
リラックスして貰うための雑談である。
「弱い敵は腰が引けて顎が上がっている……顔が白っぽく見えるのさ。強敵は逆、前のめりになり顎を引いているために顔色が暗く見える」
俺の言葉を聞いたアルベールくんは感心したように何度も頷いている。
「弱い敵を狙って敵陣を崩せ。強い敵と戦うのは名誉だが、戦では弱いやつから狙うんだ……分かるか?」
アルベールくんは「弱い敵から」と俺の言葉を反芻していた。
心なしか肩の力が抜けたように見える。
……これで良い。変に強敵に突っ込まれて何か有ったら大変だからな……
彼はベニュロ子爵家の御曹司で俺の娘の婚約者なのだ。
ダルモン伯爵の手伝い戦で死んで良い存在ではない。
「騎兵はシモンとドーミエに任した。ポンセロの合図を見逃すなよ」
シモンが「おう、ドーミエと一緒なら心強い」と歯を見せた。
今までのシモンなら「任せとけ」と胸を叩きそうな場面だが、今日は年長のドーミエを立てている。
俺は少しだけ驚いたが、これも息子の成長だろうか。
「後は現場の判断に任せるぞ、配置につけ」
そう、結局はコレになる。
通信機が無い世界では現場の判断しかないのだ。
皆の奮闘に期待しよう。
勝負は水物、あとは戦場の流れで勝敗が決まる。
「さっきの話、本当ですか?」
皆が去った後、ロロが訝しげな表情で尋ねてきた。
思い当たる節が無かったので、俺が「何がだ?」と問いを返すと「ほら、敵兵の顔の話ですよ」とロロは答えた。
「ああ、それか……まあ、本当かと問われれば『分からない』としか答えようがないが……」
俺の言葉を聞いたロロは『心底呆れた』と言わんばかりの顔を露骨にする。
「待てよ、話は終わってないぞ。これは証明はできないが俺の勘所ってやつだよ……俺を見て戦意を失わないヤツは稀だからな。そうやって敵を探してるのさ。正しいかどうかは分からないけどな」
「なるほど、納得しました。顔の色で敵の強さを量るのは初めて聞きましたが……あながち間違いでも無い気がしますね」
思い当たることでもあるのか、ロロは左上の辺りに視線を移して何やら考え込んでいる。
人は何かを思い出そうとすると、視線は左上の辺りに向かうことが多い。
「今からでも確認できるさ。戦はもうすぐだ」
「確かに、面白い話を聞きました。ふふ……始まるのが楽しみですよ」
この幼馴染は戦が始まるのが心底楽しいと口にする。
ロロは理知的な性格だが、俺と同じ師から教えを受けた筋金入りの闘士だ。
戦を前にして獣の血が騒ぐのだろう。
「ああ、楽しみだなあ」
「ええ、楽しみですよ」
俺たちは顔を合わせてニタリと笑う。
今頃、ジャンも笑っているのだろうか。
敵軍が近づいてきた。
夢の一時の始まりである。
………………
互いの声が届く距離で軍が対峙した。
先程から敵の大将らしき騎士が大声を張り上げてこちらを睨み付けている。
声の主は騎士オージェだ。
言葉合戦は大将の仕事である……どうやらクレマンは不参加らしい。
……ふん、自らの未来を決める一戦で剣を握らないとはな……伯爵の言う通りの盆暗らしい……
俺はクレマンを心底蔑んだ。
リオンクールでは平民ならば農夫も戦に出る。戦わない者は一人前の男ではないのだ。
故に、ベイスンを開拓した農家の四男五男は戦に出ることを喜びとする。
家長として戦に出ることは誇りであり、穂先の欠けた槍や棍棒を手に戦に加わるのだ。
それが、どうだ。
伯爵家に産まれた騎士が、男が、部下を戦わせて戦に出ないとは。
猛烈に、腹が立ってきた。
少し先ではオージェがダルモン伯爵の非を鳴らし、自らの正当性を喚き立てているが何も耳に入らない。
俺は槍を引っ掴んで馬を進めた。
「三下に用はない、引っ込んでやがれ!! クレマンはどうしたっ!? 城で震えているのか玉無し野郎!!」
俺の声は大きい。
戦場で鍛えた破鐘声は十分敵陣に届いたらしく、前面に居並ぶ騎兵が身じろぎした。
「いいか、クレマンは自分で戦わず、部下を戦場で死なせる玉無し野郎だっ!! 来やがれ玉無しの子分ども!! ケツを蹴飛ばしてやるぜ!!」
俺の下品な言葉でリオンクール軍から「どっ」と嗤い声が上がる。
士気が上がったのだ。
言葉合戦で敵をやり込めれば、敵の士気は下がり味方を奮い立たせる。
戦闘を前にして笑い声が上がるとは敵を恐れていない証拠だ。
皆が勝利を確信している。
「オカンとやってろ玉無し盆暗野郎!!」
この一言が切っ掛けとなったのかは分からないが、敵軍が動いた。
俺は自陣に帰り「やっちまえ!」と兵を励まし、煽って回る。
部隊指揮はアンドレの下で行われており、俺は督戦くらいしかできることは無い。
いつもみたいに突っ込まないのかって?
味方がクロスボウやら弓やらをバンバン射ってる前に飛び出すバカがいるか。
敵の騎兵が突っ込んでくる。
「射てえ! どんどん射かけろ!」
モーリスが兵を励ます声が聞こえる。
姿が見えないがロジェも何処かで頑張っている事だろう。
部隊長の指揮で引っ切り無しに矢が飛んでいく。
次々に敵の騎兵は倒れるが、何人かは味方を盾にするように矢を避け、リオンクールの陣に突っ込んできた。
敵ながら見事な突撃である。
忽ちに怒声や悲鳴が沸き起こり、衝突音や金属音が鳴り響く。
凄まじい喧騒だ。
「凄いな! これは!」
「ええ! 中々のものです!」
残念ながら敵の突入は俺とロロから少し離れた場所だ。
戦闘に参加することはできなかったが、喧騒が凄まじく声が掻き消されそうだ。
そして続く獣たちの咆哮。
少し間を置いてから敵の歩兵が突撃してきたようだ。
歩兵同士の乱戦が始まり、剣戟の音が喧騒に加わる。
正に修羅場の体だ。
「俺がバリアンだ!! 俺の首を狙うヤツはいるかっ!!」
俺も乱戦に加わり、槍を振るう。
乱戦での騎乗は不利であるが、わりと隙間はあるもので馬が進めない程ではない。
足を止めないように、囲まれないように、黒を走らせる。
馬の足を止めずに走らせさえすれば歩兵は馬から逃げ回り、道は勝手に開いていく。
「そらそらっ!! バリアンだぞっ!! 道を開けろ!!」
暴れまわる俺の右側はしっかりとロロがカバーしてくれている。右目の無い俺を庇う動きだ。
ロロは馬上で長剣を振るい、敵を寄せ付けない。
俺を狙った槍を切り払い、飛んで来た手斧を叩き落とす。
敵兵を倒すのではなく、俺を守る動きだ。
適当に敵を蹴散らしていると少し離れた位置でも戦闘が始まったようだ。ジャンの部隊が戦闘に参加したらしい。
確認はできないが、アルベールくんの部隊も同様だろう。
……まだか? そろそろだろ……
俺はチラチラと周囲を窺いながら槍を振るう。
いつもより冷静なのはアレを待っているからだ。
「バリアン様っ!! 来ました!! 左っ!!」
それは俺の記憶とは逆の方向から現れた。
リオンクールの騎兵隊、同胞団だ。
「来たか!」
俺は思わず声を出した。
金床、父ルドルフの得意戦術。
俺の初めての戦場体験で目にして以来、俺の記憶に強く残っていた父の姿……それが馬を駆る息子と重なった。
今までの俺は父のように強力な騎兵隊を持っていなかったために試したことが無かったが、今は違う。
規模は小さくとも今や同胞団は常備軍だ。
騎兵隊としての練度も高い。
彼らは次々と敵を蹴散らし、陣を崩し、我が物顔で戦場を駆け抜ける。
シモンとドーミエの指揮のもと、同胞団は敵陣を引き裂き勝負は決した。
後方が崩壊すれば前線を維持することはできない。
敵は大混乱に陥り「進め」「退け」と違う部隊長がバラバラの指示を下していた。
本隊が金床となり敵を支え、騎兵が鎚となり攻撃する。
金床戦術が見事に決まったのだ。
敵陣は完全に崩壊し、敵兵は算を乱して退却する……いや、退却ではなく壊走か。
リオンクール軍を突破した僅かな数の騎兵もそのまま離脱したようだ。
完勝である。
「追撃だ!」
「一人も逃がすなよ!!」
「追い首を稼げ!!」
部隊長が声を張り上げて追撃戦が幕を開けた。
ここからはボーナスステージである。
リオンクールの兵は剽悍だ。
奪うために駆け、殺し、身ぐるみを剥ぎ取る。
貧しい土地を這うように耕す農夫にとって、略奪は夢の一時なのだ。
獣の群れと化したリオンクールの兵士は悦びの声をあげて次々と敵に襲いかかる。
最早、敵兵は自らの運を頼りに走るしかない。
夢を見ていた。
強く、大きかった父や兄と肩を並べ、戦場を駆ける夢。
息子が叶えてくれた過去の夢。
戦場では誰しも夢を見る。
それがいい夢か、悪夢かは人それぞれだ。
今日、大きかった父の背中に、やっと追い付けた気がした。





