12話 馬車の旅
甘く見ていた。
馬車の旅と言うものを。
恐らく馬車の旅と聞いて浮かべるイメージは「優雅」「ハイソ」「快適」大体がこのようなモノであろう。
しかし、甘い。
古い時代の馬車の乗り心地は最悪である。
先ず、道が悪い。
街道も舗装などはされていないし、王都の表通り以外では石畳ですら見かけない。
ろくに管理もされてないであろう街道は凹凸が当たり前のようにあり、窪地にはまれば馬車は動かなくなり、奴隷たちが必死で押して脱出させる。
逆に大きめの石などに車輪をとられて馬車が転倒することすらあった。
また馬車の構造が粗雑である。
馬車にはサスペンションもゴムタイヤも無く、乗客にはダイレクトに振動が伝わる。
後に知ったことだが、馬車の乗り心地は冗談混じりに「地獄の責め苦」と呼ばれているらしい。
それほどの揺れなのだ。
母のリュシエンヌは顔を真っ青にしてぐったりと力無く横たわっている。
また、両側の車輪が車軸に連動しているために、急な角度で曲がることができない。
ある程度は御者の腕前で曲がるようだが、大きく曲がるときには人力で片側を押し、無理矢理に曲がるのだ。
「よし、小休止だ!」
馬車の外で父であるルドルフが隊列に指示を出し、街道からやや外れて一行は足を止めた。
地獄の責めも一休みである。
「母上、大丈夫ですか? 水を用意しましょうか?」
俺が声をかけると、リュシエンヌは「……ええ」と力無く返事をした。
顔を上げるのも辛いらしく、臥せたままだ。
俺が馬車を下りると、兄のロベールがヘタリ込んでいた。
やはり何時間も乗馬を続けるのは辛いのだろう。
だがロベールは馬車に乗ろうとはしない。
……馬車と馬なら馬の方が楽なのかな?
俺は首を傾げた。
ちなみに彼らの乗る馬はサラブレッドではなく、道産子みたいにドッシリとした体格である。
毛深く、馬体が非常に大きい。
ルドルフが乗っている馬が最も大きく、体高は180センチを超えているかもしれない。
その巨体はいかにも馬力がありそうだ。
「大丈夫かバリアン?」
ルドルフが声を掛けてきたので「母の具合が悪い、心配だ」と伝えた。
ルドルフは水筒を持って馬車に向かう。
ルドルフに疲れは全く見えない。
……さすがは歴戦の勇士だな……
俺はルドルフの後ろ姿を惚れ惚れとしながら眺めていた。
慌ただしく奴隷たちが馬車の荷台から下り始め、何やら作業を始めた。
足付きの鍋を並べて煮炊きをするらしい。
……食事か、それにしても面白い形の鍋だな。
俺はアモロス王国に来てからカルチャーショックを受けてばかりだ。
足付きの鍋は寸胴のように深く、とても面白い形をしている。
俺は馬車犬を撫でたり、奴隷たちの作業を眺めたりして時間を潰していたが、食事が出来てもルドルフとリュシエンヌは姿を現さない。
俺は「ちょっと様子を見てみるよ」と従士たちに声を掛け、ロベールと一緒に様子を見に行った。
すると、俺は違和感を感じた。
「兄上、心配要らないみたいだから止めとこう」
「なぜだ? 母上の具合が悪いのだろう?」
ロベールは尚も歩を進めようとしたが、俺が袖を引いて止める。
「何だ?」
「いやね……まあ……じゃあ、そっと近づいて馬車に耳を付けてみてよ」
ロベールは怪訝そうな顔をして忍び足で近づいていく。
そして顔を赤らめていた。
……アモロスの人は性に大らかだからなあ……
俺は軋む車体をぼんやりと眺めていた。
…………‥
食事の後、しばらく休憩し出発となる。
馬車の中は両親の体臭が漂っており、なんとなく居心地が悪い。
リュシエンヌは気分が回復したらしくガタガタと揺れる車内でも座っていた。
淫らな行いも治療として成立しているのなら、それはそれで大したものだとは思う。
よい気分転換になったようだ。
何もすることが無い俺は、改めてリュシエンヌを観察した。
リュシエンヌはふくよかな印象の美人である。
俺はリュシエンヌの息子だが、意識はリュシエンヌより年上のオッサンだ。
つい、リュシエンヌの情事を想像しニヤけてしまう。
「なあに? バリアン? 嬉しそうにして」
「あ、いえ……母上が元気になったから……」
俺は何となく気まずくなり、言葉を濁したが、リュシエンヌの胸元や股間に目が行き顔が緩む。
「変な子ねえ」
リュシエンヌが優しげに微笑んだ。
馬車は速度を上げ、ガタリと大きく揺れた。
………………
さて、今日の目的地はドレルム騎士領のドレルム城という所らしい。
何でも城主はルドルフと肩を並べて何度も戦った戦友なのだとか。
城に泊まれるとは少しワクワクしてしまう。
俺は揺れる車窓から外を眺めた。
平原の中に点々と森があり、本当に人が住んでいる様子が無い。
この時の俺は「自然が豊かなんだな」くらいにしか思ってなかったが、アモロス王国では土地の広さに比して人口が圧倒的に足りていないのだ。
食料不足に冬の寒さ、度々に起こる戦争で、この地の人口は少ない。
人とはそれだけで貴重な存在なのである。
一行は何度か休憩を挟みつつ、夕方前にはドレルム城に到着した。
……これが、城だと?
俺は目の前の建物を見て愕然とした。
その城は土を盛っただけの城壁の上に、粗末な柵を備えただけの外壁を持ち、外壁の内側には広場と、見張り塔や数棟の木造の建物がある。
建物は小高くなった所に母屋と見張り塔があり、一段低い広場の側に家来や奴隷の長屋がある。
広場には馬屋と数棟の作業スペースと倉庫も備えている様だ。
作業スペースには粗末な鍛冶場や機織り機が見える。
実は田中が想像していたような石造りの城壁は、ヨーロッパにおいては十字軍の時代の後に広まった形式であり、それ以前は土塁と木製の柵がメインの『モット・アンド・ベイリー』と言われる築城形式がメインであった。
もちろん石造りの城塞も存在するが数は少なく、余程の重要施設か、石材が豊富な地域か……もしくはその両方くらいのものである。
空堀に懸かった橋を一行が渡りきり、中央の広場で待機する。
「おお! 鷹じゃないか! よく来てくれた、嬉しいよ!」
「やあ、不死身のピエロ。世話になるよ」
城主であろう男がルドルフを歓迎し、互いに力強く抱擁した。
鷹とはルドルフの異名だ。
彼の名はピエロ・ド・ドレルム。
ドレルム城主であり、歴戦の勇士だ。
癖毛が目立つ金髪の30半ばほどの逞しい男……モジャモジャとした髭が熊のようだ。
「息子も大きくなったようだな!」
ドレルムとロベールが挨拶をしているが、ドレルムの大声だけがやたらと響く。
次男である俺はこんな時に挨拶をする必要は薄く、楽と言えば楽でいい。
ドレルムは家来に馬の世話を指示し、俺たちを城に招いた。
木製の屋敷の広間には、中央に囲炉裏があり、左右にベンチが配されている。
床には一面に干し草が敷かれており、隅の方に犬が転がっている。
「伯爵様、わざわざお立ち寄り下さり光栄ですわ」
「ありがとう、一晩厄介になる」
ドレルムの夫人であろう女性とルドルフが挨拶し、ベンチに腰をかける。
座る順番は決まっているようで、俺は母の隣にチョコンと座った。
ドレルムとルドルフの従士たちが席につき宴会となる。
いかに広間とはいえ、これだけの人数が入れば手狭である。
ドレルムがワインを飲んで「不味いな」と笑った。
冬を越して古くなったワインは妙な粘り気があり、異臭がするらしい。
だが従士たちはお構い無しにガブ飲みし、早くも盛り上がっている。
彼らは肉と酒が大好きだ。
米や魚が食いたくなる俺はどうしようもなく日本人なのだろう……味噌汁が飲みたい。
やはりドレルムの従士も原始人スタイルの騒ぎ方で、奇声を上げながらスープを手掴みで食べている。
……うーん、退屈だな……
酒も飲めず、会話にも混ざれない俺は退屈し、なんとなく床に敷かれた干し草をほじってみた。
するとウンコが出てきたので埋め直した。
……見なかったことにしよう……
俺はこの世界に馴染んだつもりだったが、まだまだ甘かったらしい。
せめて人糞で無いのを祈るのみだ。
ロベールはドレルムの子供たちと盛り上がっているが、全員が10代の半ばのようだ。
8才の俺が入っていくのを躊躇う雰囲気である。
やれやれ、もう寝るか……せめてこの下にはウンコが有りませんように。
俺は騒がしい部屋の隅で丸まって寝ることにした。
ルドルフとリュシエンヌには客間があるが、他の者は広間で雑魚寝である。
俺の感じている疲れ以上に馬車の旅は8才の体には堪えたようで、直ぐに意識を手放した。
「まあ、バリアンたらもうグッスリ……疲れていたのね」
「うむ、寝顔は可愛いものだ」
いつの間にか、寝室に運ばれた俺は両親に挟まれて川の字になって眠る。
旅は長い。
リオンクールは東の果てなのだ。





