101話 新たな局面
南方の軍勢を蹴散らしたリオンクール軍は勝鬨を上げながらバシュラール城に入場した。
コクトー・ゲの連合軍に痛撃を与えたのは間違いないが、彼らが次にどうでるかは不明だ。
引き上げるにしてもバシュラール南方の要塞まで退くのか、それとも軍を解散して自領に引き返すのか……バシュラール本隊や反乱軍と合流する可能性も高い。
敵勢力の動向を確認するために数組の伍を偵察チームとして派遣することにし、主力軍はバシュラール城に待機することとなった。
偵察チームの責任者はドーミエだ。
叩き上げの彼は泥臭い任務を厭わない。
便利屋と言ったら失礼だが、この戦役を通して軍に無くてはならない存在感を放ち始めている。
「ドーミエ、頼むぞ。無理をするなよ」
俺の言葉にドーミエは「お任せください」と短く応え、早速出発した。
偵察は地味ではあるが重要な任務であり、同胞団の最精鋭が多く投入されることになった。
彼らはバシュラール主力軍、反乱軍、南の連合軍とそれぞれの偵察対象に向かい散っていく。
成果を持ち帰った兵には褒美を奮発せねばなるまい。
そして次は負傷兵だ。
バシュラール城に留まっていた負傷兵と、主力軍の負傷兵を纏め、ここで一旦リオンクールに引き上げさせることにした。
先程の戦で負傷したロロとモーリスが負傷兵を取りまとめとなる。
矢を受け落馬したロロは、命に別状は無いものの肩の傷は浅くなく、落馬の衝撃であばら骨も数本骨折していた。
また、モーリスも戦闘中に負傷し、左手の人差し指と中指を欠損したようだ。
基本的に指は剥き出しであり、欠損する者は多い。
「ここで脱落とは残念です」
「この程度の浅手など……不甲斐ない……」
ロロとモーリスは悔しさを隠そうともしないが、無理をして欲しくはない。
2人とも重症なのだ。
「負傷兵を頼むぞ、春が来れば援軍を頼むかもしれん」
俺はロロとモーリスを慰めるために気休めを口にし、負傷兵を率いさせた。
支度が整えば出発だ。
しっかりと冬の間に傷を癒して欲しい。
次は現状の確認だ。
戦争中は仕事が多い。
「ジョゼと現状の確認をしたい。皆も集めてくれ」
「はい、お待ちください」
俺の指示を受けたピエールくんが走り出す。
彼も先日の戦で腕に矢を受けていたが、すでに癒えたと言い張り軍中に残った。
……そう言う健気な所が可愛いんだよな……
俺はうんうんと頷き、ピエールくんを見送った。
すでにピエールくんも20代の半ばだ。
今までのような少年の中性的な色香は失われたが、若武者の凛々しさが加わり実に良い。
俺の口から「むふ」と変な声が出た。
念のために言っておくが、俺にその気は無い……筈だ。
誰だって惚れた女にそっくりな男がいたら変な気持ちになるだろ?
なるよな……?
………………
約1時間後
バシュラール城の広間では、リオンクール軍の幹部が情報交換のために集まっていた。
軍議と言えば大袈裟だが、所謂『ワイガヤ』や『ブレインストーミング 』と言われるモノに近い。
皆で自由に意見交換し、俺が色々と決定すると言う……ちょっと不思議な会議である。
参加者は俺とシモン。
それにアンドレ、ポンセロ、ジロー、デコス、ピエールくん、ロジェ、ジョゼだ。
ロロ、モーリス、ドーミエが減ってこれなのだから人数も増えたものだと思う。
「先ずはジョゼ、現状を教えてくれ」
俺がジョゼを促すと、彼は「はっ」と短く応えて1歩進み出た。
ちなみに会議は俺のみが城主の席に座っており、あとの皆は立ったままだ。
「現状ですが、南の要塞は陥落しました。足止めに向かったベリ卿は戦死が確認されています……これによりバシュラール領の南部と西部は完全に制圧されました」
……そうか、ニコラが戦死か……
俺は目を瞑り、数秒間だけ黙祷を捧げた。
「ニコラ・ド・ベリは忠臣だ。息子のトゥーサンが捕虜になっていると思われるが、返還交渉はこちらで行おう」
俺が告げると、ジョゼは「お任せください」と請け負った。
通常、捕虜の解放交渉は自己責任……各家庭の家長か、それに準ずる者が取り仕切る。
この場合はトゥーサンの返還交渉はベリ家が交渉すべきではあるが、ニコラの戦死やトゥーサンの捕虜になった経緯を加味し、リオンクール伯爵家が交渉を行うことにしたのだ。
これには誰も不満はない。
新参者であるベリ家の献身的な働きは見事の一語に尽きる。
「南が制圧されたとのことですが、ポンセロ卿の家族は避難されたのですか?」
「はい、バシュラール城で匿っております」
ピエールくんがポンセロを気遣い、家族の安否を尋ねたが無事の様だ。
ジョゼはこの手の気遣いが出来る男だ……手抜かりは無い。
しかし、当の本人は無表情でむっつりと黙り込んだままだ。
ポンセロはあまり公私の私の部分は表に出そうとしないが、彼の妻サンドラは俺の愛人を特に請い娶った恋女房だ。(88話参照)
心配していない筈がない。
「ポンセロ、会議が終わったら会いに行ってやれ。避難先で心細い思いをしていることだろう」
俺の言葉を聞いたポンセロは無言で頭を下げた……頑固な彼は私事を話題にされたくないのかも知れない。
この話題はここまでとした。
「問題はバシュラールの主力と反乱軍でさ」
「そうだ。まともに考えれば南部の連合と連携してバシュラール城を攻めるのが定石だった……それをみすみすと手放すとは理解できない」
ジローとデコスのベテランコンビが疑問を口にする。
「……実はその主力軍ですが……西の要塞を占拠してより目立った動きがありません。別動隊を幾つか作り周囲を荒らし回っている程度です」
2人の疑問にジョゼが歯切れ悪く答えた。
実際のところ、良く分からないと言うのが本当だろう。
「荒らし回っている? 食料の確保か?」
「いや、それならば決戦を急ぐのが先だろう。勝てば食い物は手に入る」
ロジェの疑問にデコスが答えた。
全くデコスの言う通りである。
ここで足踏みする理由など無い筈だ。
「動かないのではなく動けない事情があるんじゃないか?」
これは俺の想像ではあるが「動かない」のではなく「動けない」ならば絶好機に沈黙しているのもしっくりくる。
「事情? 例えば?」
「いや、それは分からんが……」
シモンが俺に質問してきたが、判らないモノは判らない。
親父として少し情けなくはあるが、軍議で適当なことは言えない。
「動けない、動かない……援軍を待っている……?」
アンドレが『援軍』と口にし、皆がギョッとした顔になった。
「援軍が冬越えの物資を運び入れるのか?」
「バカな、それにしても決着をつけない理由には成らないぞ」
会議は紛糾するが、全て推論である。
答えの出ない話し合いほど無駄なモノは無い。
そもそも他の諸侯と継戦中の王都がバシュラールのバックアップに動くとは思えない。
「よし、分からん! だからこの話はここまでっ!! 次はドーミエが帰ってからだ! 略奪を行う敵の別動隊とやらは囮の可能性もあるので無視!!」
俺が告げるとロジェが「なんだそりゃ」と顔をしかめた。
「答えの出ない議論は無駄だ。何か他にあるか?」
ロジェが「やれやれ」と肩を竦め、ピエールは「いや、さすがですよ」と褒めてくれた。
この2人は共に俺の親戚筋であり、年も近く仲が良いが、俺に対する態度は対称的だ。
見た目も可愛らしいピエールくんと生意気そうなロジェでは大分と違う。
なかなか面白い取り合わせのコンビである。
俺が別の話題を促したところ、すぐに反応したのはジローだ。
「ああ、それでしたらバリスタとクロスボウが大分とイカれちまってんでさ」
ジローが申し訳なさそうに、頭を掻きながら申し出た。
クロスボウやバリスタは強力な武器だが、機構が複雑な分だけ故障が多い。
特に張力が強いので板バネの部分に負担が大きく、部品の交換が必要になる。
「そうか、クロスボウは機構が複雑だからな……どれくらいだ?」
「バリスタは片方、クロスボウは3割故障ってとこで」
バリスタはまだしも、クロスボウ3割は無視できない数だ。
「アンドレは?」
「……似たような状況ですね。一応は鍛冶屋も帯同してますが……全然、間に合ってません」
アンドレも少し言いづらそうに報告する。
「仕方ないだろ、使って壊れた道具だ。ジョゼ、城の鍛冶もフル回転で頼むぞ」
ジョゼは「は」と短く答え、何かを思い出したかのように「そう言えば」と付け足した。
「先日、アントルモン卿の兵が20人ほど合流しました。なかなかの戦意で、先程の追撃戦にも加わっていました」
「アントルモン……ああ、あの変な髪型か。デコス、約束通りアントルモンを自由にしてやれ」
俺はすっかり存在を忘れていたが、騎士アントルモンの部下たちは約束を果たしたようだ。
移動中の俺たちではなく、城に合流したのは機転が利いている。
彼らが約束を果たしたならば次は俺の番だ。
「よろしいのですか? 部隊と合流させては良からぬ動きをするかもしれませんよ」
「まあ、構わんさ。追撃戦で働いたなら褒美もくれてやれ」
俺の言葉にデコスが「ふ」と渋く笑い、頷いた。
「ポンセロ、ジローやアンドレと共に兵の再編成を頼む。後の者は交代で休め、以上」
俺は閉会を告げ、椅子から立ち上がる。
するとシモンが「父上っ、待ってくれ!」と声を掛けてきた。
「巨人を倒した技を教えてくれ! あんなのエンゾにも習ってないぞ!?」
このシモンの言葉にジョゼが驚きを見せ「バリアン様がアイツを仕留めたのですか!?」と食いついてきた。
ジョゼの反応を見るに、連合軍がバシュラール城を攻めたときも巨人は散々暴れたに違いない。
「そう言や聞いてなかったな」
「若様が何をしても、もう驚きがねえんでさ」
ロジェとジローは意外と冷めた反応を見せ、アンドレは「大将と端武者の一騎討ちですか」と複雑な表情だ。
だが、シモンは他の反応などはお構いなしだ。この辺は若者の特権でもあろう。
「こう、膝を抱えて倒すとこまでは見たんだ。でも、次が分からない」
シモンがロジェの足を抱えて、片足タックルの動作を見せた。
……へえ、良く見てたな。近くにいたのか……
俺は妙な感心をしてシモンの動きをチェックする。
「ダメだな。片足を狙うタックルはもっと体を密着させろ。ぶちかましじゃなく密着させるように抱え込むんだ……そう。それだ」
いつの間にか俺のレスリング講座が始まってしまった。
興味が無いのか、デコスとポンセロは何やら相談しながらさっさと退出したが、他の皆は熱心に聞いている。
シモンがゆっくりとした動作でロジェを転ばし、その左足を掴む。
「関節技は極めることに気が行きがちだが、ポジションのキープが大切だ。暴れても外されないように……ダメだな。足で挟むのは相手の膝より腿を締めろ」
俺は丁寧に教えるが、やはりシモンの固めかたでは甘い。
ロジェが「痛てて」と軽く痛がった。
「こうかな?」
「……ダメだな。ロジェ、暴れてみろ」
俺の言葉にロジェが「よっしゃ」と威勢良く暴れて技を外してしまった。
「まあ、初めはこんなもんだろ。練習することだな……後は踵を捻るよりも、手前に引く意識を持て」
俺が指導を切り上げると、皆が感心して頷いている。
「いや、若様の技は大したもんだ」
「あの巨人をレスリングで倒してしまったのですか」
ジローとジョゼが不思議なモノを見る目でジロジロ見てくる。
なんだかこそばゆい。
「こんな技を父上はどこで覚えたんだ?」
シモンが当然と言えば当然の疑問を口にしたが、俺は首を捻る。
……はて、習った記憶がないな……アルベールじゃないし……
俺は顎に手を当てて数秒ほど考え込むが、どうにも練習した記憶が無い。
「……うーん、生まれつきってことは無い筈だが……」
俺が冗談ではなく真剣に悩みだしたのでシモンは呆れた様子だ。
だが、本当に習った記憶が無い。
「確かにバリアン様は始めからレスリングは強かったですよ。信じられないほどに」
「王都じゃ見てねえ……と言うより俺とはレスリングしてなかったか。大きくなったときはもう達人だったわけで」
アンドレとジローが証言するが、良く分からない。
「何だかな、小さいときから勝手にできたんだよ。そう言うこともあるさ」
いい加減な俺の言葉に、シモンは「まあ、教えてくれたらそれで良いんだけど」と微妙な顔をした。
正直な息子の顔には半信半疑だとしっかり書いてある。
……うーん、初めてのレスリング大会では既に関節技を使ってたしな……本当に分からんな……
俺は首を捻る。
……もう少しで何かが思い出せそうなんだけど……
しかし、暫く考えても思い出せないので、俺は考えることを止めた。
「まあ、良いさ……物忘れをするとは俺も年だな。アンドレも禿げる筈だ」
俺は苦笑してアンドレと向き合う。
「ええ、誰かさんに苦労かけられますから」
「おいおい、自分の奥さんの事をそんな風に言っちゃ駄目だ。ヴェラは素敵な女性さ」
皮肉に気づかないフリをして、俺はアンドレをからかう。
俺とアンドレがじゃれあい、その場はお開きの雰囲気になった。
………………
これより数日間、リオンクール軍は連戦の疲れを癒し、武器のメンテナンスを行った。
北のダルモン伯爵を追い返し、南の連合軍を打ち破った俺たちがバシュラール城にドンと居座ったことで、バシュラール領の形勢は変わる。
動員を渋っていたバシュラール領の北部や東部の兵が集まりだしたのだ。
新たに集まった兵士の意味は大きい。
ニコラに協力した僅かな領兵はあくまで彼個人を慕う例外、今回集まった兵士の意味は数以上の意味がある。
徐々にではあるが、俺たちの軍は兵力の増強に成功した。
新たに陣容を整えたリオンクール軍は士気も高い。
不気味な沈黙を保つバシュラール主力軍にも数で劣るとは言え、質を加味すれば互角以上に戦えるはずだ。
俺は直接対決になろうとも負けるものでは無いと確信した。
ここに戦機は満ち、戦役は新たな局面を迎えようとしていた。