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Cの人格  作者: James N
8/11

 その知らせは木戸真にとって信じ難い、信じたくないものであった。

 木戸が神井記憶精神診療所からコピー押収したデータを本部の分析課に回したのが昨日の夕方。

自分の役割を果たして何の憂いもなくデルタ地区の通常業務を行った。連続精神汚染事件の捜査に加わっているとはいえ、デルタ地区記憶技術監査課監査長という肩書を無視することはできないのだ。

 大方の仕事はAIが済ませていたので簡単にまとめてから帰宅した。午後十一時、木戸は自宅であるデルタ地区内のアパートでシャワーを浴びていた。コールは突然であった。

 右腕に埋め込んだ端末が視界にコールシグナルを、聴覚にコール音を発生させる。相手は例の事件の捜査官であった。木戸はシャワーを止めてからサウンドオンリー設定で応答した。

 通話を終えてバスルームを出るころになって、木戸は自分が激しく動揺していることを認識した。

 神井零と甲斐田淳史副院長が重要参考人として捕まったというのだ。

 翌日、木戸は本部に出頭した。

 重要参考人は現在、記憶取調処置室で記憶抽出を受けている。容疑が掛かってから数分のうちに逮捕令状が発行され、電光石火で拘束された。

 処置後に容疑者と面談ができないかと取次をしたが柏原から許可が下りず、逆に勝手な行動を慎むように釘を刺されてしまった。

 ――飾りだけの役職に何の意味があるというんだ。

 木戸は不貞腐れて、喫煙所で煙を焚いているというわけだった。

 何かの間違いだ。

昨日話した神井零という人物が汚染データをばら撒くような低俗で幼稚な犯罪行為に及ぶとは、あるいは巻き込まれるような迂闊な人間だとは、木戸には到底納得できなかった。

だが、送られてきた調査資料には、彼に掛けられている容疑とその根拠が明確に記されている。個人的な感情で事実を捻じ曲げるほど木戸は愚かではない。

 誰もいないガラス張りの喫煙室で考え事をしていると、通路の奥からパンツスーツの女が現れた。一瞬男に見間違えるほど短く髪を切り揃えている、木戸と同年代の痩せた女だ。

こちらを見て眉を顰め、つかつかと煙と共に隔離されている木戸の元へ歩み寄ってガラス越しに言った。

「誰かと思えば木戸じゃない。とっくに退職したと思ってた」

 彼女がフランク口ぶりなので木戸は戸惑った。VR会議の時に見かけたが直接話した覚えはない。

辛うじて加賀美という名前だけは思い出し、腕の端末から視覚非共有でプロフィールデータを開き糸口を探る。プロフィール写真の彼女は髪の毛が長かった。エリートで階級も木戸より数段上だ。今回の事件では柏原の補佐という立ち位置だったはず。

 ――そういえば警察学校で何度かペアで実習を受けたような。

 木戸は姿勢を正して言った。

「お久しぶりです」

「今私のプロフィール見てたわね。視線でバレバレ。ま、十年以上前のことだし仕方ないか。記憶なんてそんなものよね。あなたにとっての私と私にとってのあなた、違うわよね」

 仕方ないと言いながら、彼女は残念そうに声を低めた。含みのある言い方に木戸は記憶を掘り起こすのに必死になった。しかし彼女はすぐに茶目っ気を出して冗談だと言った。

「昔は髪の毛長かったし。こそこそ調べても思い出せないのはどうかと思うけど」

 ガラスの向こうからの声はくぐもっていたが、嫌味の威力を弱めてくれることはなかった。

 木戸は居心地が悪い思いを我慢して、喫煙室のドアを指して言った。

「中に入らないんですか?」

「もっと砕けて話そうよ、悲しくなる。煙が苦手なの」

言葉遣いを気にしなくて済むのはありがたかった。

「補佐官殿は暇のようで」

「あなたと同じ、取調べの結果待ちよ。神井と話せないか頼んだって聞いたけど、随分肩入れするのね」

「ちょっとな」

 木戸は言葉を濁して煙を燻らせた。

 自分でもよくわからない。彼とは一度しか話をしていないのに親近感がある。気が合ったのだ。

 それだけの理由で構いすぎだろうか。

 だが、彼が無実だと信じたいのだ。

「にしても意外、あれだけ嫌煙家だった木戸が吸うなんて。しかもそれマリファナじゃない。老いぼれたちに見つかれば印象悪くするわよ」

 加賀美は腕を組んでガラスに背を預けた。

「出世の芽が摘まれた私には関係ない。煙草とかいう有害物質を吸ってる頭のおかしい自殺志願者のほうがどうかしてる」

「今更価値観変えられないのよ。教育はある意味洗脳だから。歳をとるほど常識に教育されてさ。大麻取締法なんていう馬鹿げたものを今でも引きずってる。私はどっちも嫌いだけどね」

「おい、聞かれたらどうするんだ」

「出世の芽摘まれてるんでしょ?」

 木戸が草をふかして黙っていると、加賀美はガラスに寄りかかったまま首だけ振り返って言った。

「どう思う、今回の事件」

「私の意見なんて聞いてどうする」

 木戸はあまり言及したくなかったので遠まわしに断ろうと意思表示したが、彼女はしつこく聞いてきた。私的な意見でいいと言うので、言葉を選びながら答える。

「ほとんど他の捜査員と同じ意見だと思うが。神井零はかなり頭がいい。経歴もそうだが、データ回収の時に直接話してそう感じた。その割に今回の犯行は杜撰だと思わないか」

「そうね。柏原さんも同じ意見よ」

事の発端は単純な計算の問題である。

神井記憶診療所にあった記憶装置の使用履歴によれば、三年と四か月前に開業してからの処置の回数はそれぞれ、抽出が百六十九回、挿入が六十六回、消去が百六十九回である。抽出した後に記憶を消すという作業がセットになっているためにその二つは回数が同じとなっている。

記憶データは患者が破棄を決定してから一年間は保管される。挿入されたものは即処分。一年以上前に破棄を決めた患者は四十八人。

 抽出した記憶を挿入の回数で差し引くと百三。既に破棄された四十八人分を引いて五十五。これがあの場所で処置され保管されているチップの枚数。

さらに、挿入処置の中には彼の診療所が開業する前に別の場所で抽出処置を受けた患者のものもあった。それは彼の父である神井翔が息子の開業を援助するために、自身が幹部として勤める大病院から患者を流したからであった。

その際に引き渡されたチップは三十。

つまり保管されているべきチップの数は、八十五枚。

昨日の時点で件の診療所からコピーされた数は、九十八枚。データが十三個多い。

――決定的だ。

 加賀美が口を開く。

「これらの事実から立てられる予想は、犯人が破棄の決定されたデータを残して犯行に利用していた可能性ね。それができたのは神井零と甲斐田淳史副院長だけってわけ」

意図的かどうかは問題ではない。神井零と彼の許可を得た場合の甲斐田だけがチップを保管している部屋に入ることができるのだ。責任の所在は彼にある。追及は免れない。

「連行する時の様子はどうだったんだ」

「甲斐田は否定してるらしいけど、神井は黙秘だって」

 ――彼は無駄だと理解している。

 嫌な気分をどうにか吐き出せないかとマリファナを一気に吸ってジェルダストボックスに落とした。特殊な粘液が消臭と鎮火を同時に行う。

 もう一本取り出して火をつけた。

「一応、父親の神井翔が受け渡しの際に漏洩させた可能性も視野に入れてるけど、重要な個人情報の扱いで管理機関の厳重な監視があったたそうだから、その線は薄いわ」

「汚染データの元になったチップは判明してるのか?」

「それはまだ調査中。記憶装置から自動送信されるのは使用履歴だけで、患者の名前は伏せられてるし、記憶データの詳細な情報は法律上ネットワークを介することはないからどこにもログは残ってない。だからどんな中身なのか見てみないとわかんないのよね。一つ一つ記憶の中身を映写して電子カルテの記述と見比べるっていうかったるい作業、鑑識がやってるわ」

 そうか、と木戸は呟いた。

 どうしても納得できなかった。何かが変だ。

 加賀美にも言った通り、彼ほどの男が法を犯していたとして、警察に気取られるようなへまをするとは思えないのだ。

そもそもチップの数が少ないのではなく多いというのが気にかかる。犯罪に利用したチップをわざわざ保管庫に残しておくものだろうか。

「政府の記憶技術管理機関の定期監査はどうやって乗り切ってたんだ?」

「保管庫の調査は個人情報保護の名目で彼らにも許可されていないわ。今回はいきなり柏原さんが圧力かけて動いたから対応できなかったんじゃないかしら」

「いやしかし、がさ入れが入るって聞いた段階で余分なチップ隠すなりなんなりできるんじゃないのか。何も手を打っていないのは不自然だ。無防備すぎる」

「そうなのよねえ。あっさりし過ぎって言うか、拍子抜けよね」

 加賀美はそう言いながら近くの自販機でボトルの水を買って、またガラスの前に戻ってきた。彼女が椅子のないところに立っているので、木戸は立場を気にして座ることができないでいた。運動不足なのに神井零の拘束を聞いてから急いできたせいで足が痛い。

「今はVRで職員全員に事情聴取が行われてるんだけど、でもトップ二人があの様子じゃ平の職員からも大した情報は得らんないでしょうね。なんにせよ彼らの記憶検証が終わればほとんど解決するでしょうね」

 そんなことより、と彼女は続けた。

「あなた出世を諦めてるようなこと仄めかしておいて、ちゃんと疑問は持ってるのね」

「聞いておいてそれか。資料は一応読んでる、それでおかしいと思ったところを話しただけだ」

 木戸はマリファナを口から離して、これは願望でもあるんだが、と前置きして言った。

「神井や甲斐田も被害者だったら? 誰かにはめられたとか」

「それなら彼らの記憶から真犯人を突き止めるだけね」

 そんな単純なことなのか。本当に事件は解決に向かっているのか。

 その時、加賀美の端末に連絡が入った。少し遅れて木戸にもメッセージが届く。

「またVR会議か、急だな」

「休んでもいいのよ」

「流石に首になる。ここのVR接続室の場所知らないんだが、案内してくれないか」

「いいけど、少し離れて歩いてよ、ちょっと待って、まだ出てこないで」

 喫煙室を出ようとすると加賀美が慌てて止めた。

「臭いついてるでしょ」

「このスーツは防臭加工だ」

「髪の毛とか肌についてるの。人の匂い自体好きじゃないし。VR以外で人に会いたくないのよねえ。ここの臭いも嫌い」

 細かい女だ。潔癖症というやつか。仕方がないので加賀美が立ち去るのを待つ。

 先を行く加賀美を追ってVR接続のための狭苦しい個室に入り、柔らかい低反発ソファーに身体を沈めた。今度の会議は短く終わることを願いながら接続のシグナルを送る。

 白い光、ロビールームからアクセスコードを入力して会議室に入室。アバターが転送されて椅子に座った状態で現出する。座席位置は固定されているので毎回同じ場所である。加賀美はテーブルの反対側に居た。

 木戸に続いて次々と捜査員が接続し、一分足らずで会議が開始される。便利な世の中だ。

「えー、神井零と甲斐田淳史の記憶取調が終了したので報告します」

 佐倉が前髪を横に撫でつけながら間延びした第一声を放つ。

 ――これですべて終わりか。

「結論から申し上げますと、事件に関する情報は何一つ得られませんでした。甲斐田に至っては完全に白です」

 どよめきが起こった。木戸も意味が分からず、右手を挙げてどよめきを抑えている佐倉を睨むように注目した。

「鑑識の報告によりますと、神井の記憶の密度が年齢の平均値に比べ少なく、記憶の欠落があることが分かりました。時系列で並べたところ、約十五年前の記憶領域に最初の欠落が見られ、最新のもので数日前にも小規模な欠落が見られる、とのこと」

 これが意味するのは――

 柏原が突き刺すような声を響かせた。

「記憶装置は自分一人では使えない。よって神井の記憶を消したのは誰なのかという問題が浮上する。共犯者か、利用されたか。被害者という線もある。甲斐田以外の何者かだ」

 違う、おかしい。

汚染事件に関わっていて、それを隠すために記憶を消すのはわかる。だがチップの枚数誤差という証拠が残っている状態で消したとしても捕まってしまうことに変わりはない。現に彼は拘束されている。なら、彼が記憶を消した、消された理由は――

「あるいは、奴が消した記憶の中に、記憶検証をされたときに知られてはまずい、汚染事件以外の罪があるとも考えられる」

 柏原が同じ答えに辿り着いていた。

 ――ダメだ、神井零はほぼ黒だ。

 木戸は激しい不快感に額を抑えた。VR酔いなのか、ショックによるものなのか。

 捜査員の声なき驚きが会議室のデータ空間を震わせているようだった。

「これから班を再編する。井上、杉田班は――」

 柏原が指示を出し役割を振っていく。

「木戸班は被疑者自宅のがさ入れ――どうした、何事だ」

 突如、柏原が通信を始めた。モニタは非共有で彼にしか見えていない。

 全員の注目を集める柏原の目が剥かれる。

「馬鹿な……わかった」

 柏原は眉間に皺を寄せ、怒りの形相でテーブルの中央を睨みながら重々しく言った。

「関東圏全域に広がる大規模な精神汚染が発生した」

 悪夢が、幕を開けた。



この話が一番きつかった。

真実をしっかり設定しておかないと全く書けない内容だったから、ラストシーンとの繋がりを何度も確認しなくちゃいけなくてこんなに時間がかかった。

しかもまだ不安が残ってる。

あとで変えるかもしれません。

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