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Cの人格  作者: James N
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二日で一話は厳しいですね。でも挑戦していきます。

 校門前。時刻は正午。リムジンの中で待っていると、時間ぴったりに三木島静奈が現れた。僕が車を降りると彼女も気づいて近づいてくる。

待ち合わせ場所をここにしたのは、他に僕たちが共通して行ったことのある場所がなかったからだった。

今日、僕の所属するクラスは登校日ではない。他のクラスは週に六日の授業があるが、最上位のクラスは学習装置使用日だけ登校して体を動かす。

登校日以外に学校まで来たのは初めてだった。多くの生徒がこの籠の中で時間を消費している間、僕は学習装置を使っていたのだという実感が湧いた。

瞳がはっきり見えるところまで彼女が近づくと緊張が高まって全身に力が入った。一度拳を強く握って、脱力してから顔を見る。

やっぱり変な感覚がある。今日はこれが何なのか、少しでも理解できるように彼女を観察したい。

静奈の服装は至って普通だった。藍色のジーパンに緑色のジャンパーで顔以外の肌を覆い隠している。少しだけ汚れたローファーは学校指定でこだわりは感じられない。人から借りた服を着ているようにも思える無頓着さである。よく思い返してみれば昨日と同じ格好であった。

「零、会えて嬉しい」

「ありがとう、わざわざ。休日は貴重な勉強時間なのに」

「零と話す以上に勉強になることはない。ああ、嬉しいとはこういう身体感覚なのだな。頸部に制御不能の筋収縮が起こっている」

 つくづく変だなと実感しながら彼女をリムジンに招き入れる。広い車内の座席は両側から向き合っている。僕は正面に座るのが気恥ずかしくて静奈の斜め前に腰を下ろした。

「昨日よりも上等な服を着ているのは何故だ」

「急に帰っちゃたお詫びをしようと思って、母さんに頼んでレストランを予約したんだ。普段は昼にやってない店だから貸切」

 僕は座席に置いてあるスーツケースを手繰り寄せて開けた。

「最低限のドレスコードは守らないと体裁が悪いから、これ貸してあげる」

 僕が持っているジャケットの内の一つ。男物だけど、静奈との体格差はないので着られるはずだ。

「そうか。では借りる」

 静奈は言うや否やジャンパーのファスナーを真っすぐ下ろし、躊躇いなく脱ぎ捨てた。隠されていたボディラインが目の前で露になったことにぎょっとして、僕は頭ごと目を泳がせた。一瞬しか見ていないのに光景は記憶に焼き付いてしまった。目を逸らしていても衣擦れの音が聞こえて、かえって意識してしまう。

「どうだろう」

「いいと思う」

 よく似合っていた。ざっくばらんに肩にかかる髪型も相まって男性的な印象を演出しているが、ジャンパーを着ていた時よりも僕には女性的に見えた。人間的とも言えるだろうか。僕にとって見慣れた服になったからかもしれない。

 レストランに到着して席まで案内される間、静奈は興味深そうに店内を見回していた。高級な中華料理店だ。派手な色は見当たらず、全体的に白と黒、木製の味を出した茶色などで統一されている。母さんのお気に入りだけあって、店内の雰囲気は少し前の格式張った様子で、従業員の振舞いも洗練されている。その違いが分かる程度には僕も教養を受けていた。

案内された場所は個室だった。小さい頃の話だけど、母さんはよく僕を外食に連れ出していた。部屋の雰囲気がその時の景色に似ているから、きっと母さんはいつも同じ部屋を所望していたのだろう。

僕が十歳になって会話実習が始まると一緒の外食はなくなった。今思えば僕の自主性を育てようという魂胆だったのかもしれない。成功したかどうかは不明だ。僕に僕自身の変化は観測できていない。

凝った装飾の背もたれの椅子に座るとき、静奈は椅子やテーブルをペタペタと掌で触った。

「これが、本物のテーブルと、椅子か」

「本物も偽物もないと思うけどな」

 そうかな――と静奈はぼやいた。

「私にとって現実はVRの世界だった。だが、本物はどちらだと言われれば、こちら側だ。VRの感覚はこちらの肉体、脳のニューロンから生じるスパイクを元に再現されているに過ぎないのだから」

僕は語りの内容に違和感を覚えて、耳にしたことを反芻した。何か別の意味を遠まわしに言ったのではないかと推測した。しかし彼女がそんな回りくどいことをしない人間だということも承知していた。

静奈は首の端末を使用して表示させたホログラムのメニューを眺めている。いくつも画像データを表示させて見比べては首を傾げていた。

「オーダーは必要ないよ。シェフに任せたから」

「そうか。では待つとしよう」

 静奈の前に表示されていたタブがすべて消え、僕との間に遮るものがなくなる。

 あのさ――と僕は切り出した。

「現実がVRって、どういう意味?」

「私は自分を認識してから二か月と二日前まで、VRの中だけで生活していた」

 迅速すぎる返答に、僕は久しぶりに思考が追い付かないという体験をした。

「それは、ええと、なんでそんなことに?」

「病だ。治療法が見つかって治ったらしい。それまで生身の肉体を動かしたことはなかった」

 僕は視線をテーブルクロスからグラスへ、そしてナイフやフォークへと半ば意識的に動かした。そうしなければ視界が消えてしまいそうだったからだ。

フル回転する脳が事実を正確に理解するために静奈の暮らしていた世界を想像しようとしたが、とてもではないが思い浮かべることはできなかった。

二十四時間、意識を仮想空間に閉じ込めておくなどと。どのような状態で肉体が保管されていたのか、見当がつかない。

そして僕は、静奈の不可思議な言動、挙動の辻褄を合わせていった。

 フォークから彼女へ。静奈の目を見た。違和感はそこにある。

 VRだけで生きていた彼女にとって、ここは彼女の知る世界とは似て非なるもので、それらに向ける視線が宇宙人に対するものになるのは自明であったのだ。

 演技しているように見えたのも、まだ本物の身体を動かすことに慣れていないからだろう。

僕は納得して静奈の目から視線を逸らした。違和感の理由を明らかにしようと息巻いていたのに、あっさりと知ることができて拍子抜けだった。良かったような、つまらないような、微妙な心境だ。驚かされたのは確かだけど。

扉がノックされたあと、背の高いアジア系の女性が扉をあけ放つ。彼女が入り口から退くと、両脇にタイヤの付いた卵型のワゴンが静かな駆動音と共に入室してきた。ワゴンの胴体がスライドして、中に入っている料理が顕わになる。

静奈はワゴンが丁寧に勤仕するのを遠慮のない視線でじろじろ見ている。機械に遠慮の意味があるのかは不明だけど。

ワゴンから伸びているアームがワゴンとテーブルを行き来するのに合わせて静奈の首が動くのが動物みたいで面白い。美味しそうな香りが立ち込めていた。

テーブルに並べられていく八種類もの前菜を見て、以前食べたことがあるコース料理だと察した。もしかすると母さんはこのコース以外頼まないのかもしれない。当然すべて合成食用成分ゼロパーセントの天然ものだろう。

 静奈は箸をぎこちなく動かしてほうれん草をつつき始めた。まだ指が慣れていないのだろう。

僕はさっきの話題で気になっていることを聞いた。

「あのさ、それって、学校は知ってるの?」

「知っている」

「じゃあ、クラスのみんなは?」

「知らないだろうな。聞かれなかったから答えなかった。法律上学校は生徒の情報を万全に管理しなければならない。よって知っている可能性は極めて低い」

 僕は彼女が毅然としていることに困惑した。

 一方静奈はようやくつかむことに成功したほうれん草を口に入れた。すでにその動作がこなれたものになっていたことに僕は密かに瞠目した。そんな僕の前で彼女は暢気に、これが美味しいという感覚か、などと相変わらずの調子で頷いている。

「この二か月食べてきたどんな料理よりも唾液の分泌量が多い」

「そう、良かったよ、口に合ったみたいで」

「何をしている。食べないのか?」

 促されて、僕はようやく小籠包に手を付けた。家で雇っているシェフもここに負けないような一流だけど、外で食べる行為自体が味を特別なものに変えているようだった。

 でも、料理を楽しんでいるところを邪魔したくはないけど、僕はどうしてもさっきの会話が気になって続きを話したいと思った。

「その、僕には言っていいの?」

 静奈はよく噛んで飲み込んでから言った。

「他人と仲を深める方法に開示、共有という手法がある。前者は個人的なことを打ち明けることで相手に親近感を持たせ、後者は当事者間でしか分からないことを共有することで相手を特別扱いしていることを示す、というものだ。どうだ、私たちはより一層友達になれたのではないだろうか」

 静奈は僕を真っすぐ見てニヤリと笑い、すぐさま別の皿に箸を伸ばした。昨日VRの中で彼女が見せたものと違って不出来で作り物みたいだったけど、それは紛れもなく静奈の笑顔だった。

嬉しいと思う反面、友達、という言葉の意味が僕にはまだ理解できなかった。もし聞けば、彼女は自分の定めている友達の定義を理路整然と答えることだろう。でも口で友達だと言われているだけでは実感できない。何しろ僕には友達はいなかったから、静奈に対する感情が友達に対するものなのかわからないのだ。

――恋という可能性は。

じーちゃんとの会話がにわかに蘇ってきた。そんな感覚は知らないけど、無性に恥ずかしい気がして、僕は取り繕って質問をした。

「僕がもし聞かれなければ、教えてくれなかったの?」

「知りたがってもいないことを話すことで、強すぎる自己主張により不快感を与えてしまうことは避けたい。だから私は私に関するどんなことでも、答える必要性が生じればいつでも話すつもりだ。この場合の必要性とは、友達の質問には必ず答えなければならないということだ」

 静奈は水餃子をスープの中から蓮華で掬った。

「つまり、聞けば何でも答えてくれるってこと?」

「そうだ」

 スリーサイズでも教えてくれるの――と僕はリムジン内で見てしまった彼女の細い体を思い浮かべながら、冗談のつもりで言った。

彼女はもぐもぐと必要以上に顎を動かして水餃子を胃に収めた。

「バスト、七じゅうっ」

 静奈はいきなり喉が詰まったみたいに痙攣して首を抑えた。

「どうしたの? 詰まった?」

「違う、何でもない。バスト七じゅっ」

 ごほ、と彼女は咳き込んだ。大丈夫かと聞くと、彼女は首元を擦ったり頬を指の腹で押したりしながら首を傾げた。水餃子を詰まらせたのかと思ったが違うようだった。

「すまない、その質問に返答することは許可されないようだ」

「冗談だからいいよ、無理して言わなくても」

 許されない、という言い方が引っかかったけど、執拗に女性に対してスリーサイズを聞く人間が世間でどう思われるかを鑑みればこの話題は早く終わらせるべきだと思う。

 幸か不幸か聞き取れてしまった七十という数字は、記憶に焼き付いている彼女の肉付きと合致している。それがまた悶々と思考を支配し始めたとき、会話は静奈によって方向転換された。

「零、君が言い淀んでいた現状への不満とやらをまだ聞いていない」

 それってなんのこと、と聞き返しかけてはたと思い出す。そもそも静奈と私的に会うことになったきっかけは、僕が今の生活に不満を持っているかという彼女の質問であった。今までこんなことはなかったので、昨日のことが僕にとってかなりの衝撃的な出来事だったことを自覚した。

 大層な話じゃないよ、と前置きしてから僕は話した。

「何となく、今の人生が自分のものだと思えない。医者の家に生まれて、医者を目指す。そのこと自体に不満はないよ。学習装置があるなんて恵まれてると思う。でもそこには僕が望んでいるものは一つもない。状況に、環境に流されてるだけ。だからといってやりたいこともない。こんなの、死んでるのと同じだ」

 零は生きている、と静奈は冷静に言ってタケノコの炒め物を齧った。

「生きてるだけの存在に意味はない。三十年前の日本を考えてみなよ。伸びすぎた寿命を持て余して生きてるだけの老人を支えるために若い人たちは必死だったそうだ。団塊の世代だっけ。彼らを殺せないという理由だけで支えなくちゃいけなかった。今還暦を迎えてる人たちには賛辞を贈りたい気分だよ」

「人は平等に生きる価値のある存在ではないのか?」

「そんな政府の交付する道徳教育データみたいなこと言わないでよ」

 とにかく、と僕は続ける。

「生きるために生きるとか、何の目的もなく生きるっていうことに疑問があるんだ」

「医者を目指すことは嫌なのか?」

「好きとか嫌とかじゃないよ。僕は僕の人生を生きてる実感が欲しい、それだけ」

「零は自分の人生を生きているだろう」

「僕の話聞いてた?」

 聞いていた、と静奈が答えると同時に再びノックがして新たな皿が運ばれてきた。

 サーブロボットの腹から出てきた野菜入り北京ダックに視線を向けながら静奈は言った。

「零は――他人に規定された人生を歩んでいるという実感を持ちながら、それに甘んじて生きる――という人生を生きているではないか」

 違う。

僕は空いている左手をテーブルにつけて身を乗り出した。

「僕は、僕はそんなのじゃ――」

「やりたいことがなくて、死んでいるのと変わらないと分かっていながら、それを変えるために行動をしない。疑問を持ちながらも手をこまねいている」

 静奈は北京ダックにかぶりついた。

 僕は、ずっと考えていたことを話すことにした。言いたくなかった。言って、もしそれを彼女が否定できなかったら――

「運命論」

 考えたことはあるか、と僕は聞いた。静奈は口元を北京ダックのタレで汚したまま言った。

「運命論、あるいは宿命論。起こる出来事はすべて定められていて変更することができない。知識として理解はしている」

「僕は別に自分を運命論者だとは思ってない。でも、一回真面目に考えたら、否定することができなくなったんだ」

 聞かせてみろ、と静奈は言った。

「例えば、世の中で凄く成功してる人がいて、その人は努力の末に成功したと自他共に認めてるとする。でもさ、努力できる性格に育ったのって、自分の努力のおかげじゃないでしょ」

「なるほど、理解した。根本が自己の外にある環境によって決定されたことなら、そこから派生した結果もすべて自己によるものではない、ということだな」

「そう。だって、生まれた家の経済状況とか、親の性格とか、最初期の自我が形成される前段階のことは自分で決められない。そこで形成された幼児期の人格によって周囲の人間関係が構築されて、それによって新しい人格が形成されて、それでまた新しいコミュニティに加わってさ。自己と環境が相互に影響し合って成長していく過程で、個人の意志なんて在ってないようなものじゃないか」

 静奈は黙って咀嚼している。

「身体能力に関することだって同じさ。骨格とかは遺伝子で決まるから選べない。トレーニングで体を作るのだって、トレーニングに耐えられるような価値観、性格になった原因が自分の意志の介在しないところにあるんだから」

 僕が水を一口飲む隙に静奈が話し出した。

「その理論に終わりはない。あらゆる選択にその前段階の選択が影響しているとすれば、それは宇宙の始まりまで遡ることになる。今を生きる私たちの人生は、宇宙が始まる前から決定されていたことになるな」

「そういうことだよ」

「だから今の自分の人生も自分に原因はないと」

「そんなこと、言いたくないさ」

「だが言ったも同然だ。零が不満を持ちつつも変化を起こそうと行動する気概を持てないのも、すべて環境によるものであって自分の意志ではないと」

 言っているも同然だ、と静奈は繰り返した。

 だから、言いたくなかった。こんな他人にすべて擦り付けるみたいな論理、人に聞かせるようなものじゃない。誰が聞いたって馬鹿げてると笑われてまともに取り合ってくれさえしないだろう。

なぜなら、考えるようなことではないからだ。こんな風に考えながら生きるくらいなら自分を信じて行動したほうが何倍も前向きだ。

でも、誰が否定できる。僕の悩みを、いったい誰が否定できるって言うんだ。

「零、ならば、私と零が出会えたことも運命であろう」

 静奈の顔を見た。まだタレが口元についている。

「この邂逅は宇宙の始まる前より決定されていた。素晴らしい、素晴らしい考え方ではないか。私は嬉しいぞ」

 そんなこと、思ってもみなかった。

「安心しろ、零。私たちは出会った。その時点で人生は変わっている。だからあとは私という環境に――」

 流されればいい、静奈はそう言って口元を舐めた。




皆さんは運命論、信じますか?

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