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Cの人格  作者: James N
1/11

06/02/2017

2の内容を大幅変更し、1に繰り上げました。

元々あった1は後々挿入するか、完全に変更します。

06/12/2017

さらに書き換えました。

 映写機が止まり部屋が明るくなると、少女は細く息を吸った。丸椅子に座る背中は頼りなく縮こまり、今まさに墓参りを終えたようだった。

『今のが、ほんとのパパとママなの?』

 そうだ、と少女の斜め後ろに座る男が言った。隣の女は唇を引き締めて黙っている。

『どうして嘘ついてたの?』

 お前のためだ、と男は優しく返した。

『どうして私のためなの?』

 問いに答える者はいない。

映写が行われていた白い壁を虚ろに眺め続ける少女の目に涙はない。涙を流すために必要な悲しみの実感というものが欠如しているからだった。

男は十分に言葉を選んで、少女の肩に手を当てた。

『お前が幸せに生きていくために必要な事だった』

『じゃあ、どうしてバラしたの?』

 少女の中で火打ち石が鳴らされた。

『なんで、最後まで、死ぬまで嘘ついてくれなかったの?』

 カチカチ、カチカチ。

『知らなければ、幸せだったのに』

 音がした。

『お前を本当の家族だと思っているから、本当の家族に嘘はついていたくないんだ』

『もういいよ。一人にして』

少女の背が震え、掌は膝を握った。

『未来、私たちは――』

 何か言おうとした女を男が視線で引き止め、首を振った。二人は部屋から出ていった。

 少女は無表情で床を見つめ続けた。今にも罅割れそうな、そんな顔。薄皮一枚の下では言葉にならない激情が渦巻いているのが見て取れた。

みんな自分勝手だ、少女の桜色の唇からぽつりと呟きがこぼれた。

 少女は顔を上げて、空気に語り掛けるように口を開く。

『先生、どうしたらいいですか』

 ホログラフィックモニタの向こうから呼びかけられ、神井零はサウンドオンリーで部屋にアクセスした。少女は誰の顔も見たくないだろうと考えたからだ。

 零は優しすぎず冷たすぎない、かといって事務的にもならないように心がけて応答した。

「私から言えることは何も。ただあるがままを伝えた、それだけです」

『自分で選べってこと?』

「はい」

『ずるいなぁ』

 大人はずるばっかりだ、と少女はぼやいた。だらりと開かれた股の間から椅子の上に掌を押し付け、ふらふらと上半身を揺らしている。

『何となく気づいてました。たまに様子がおかしくなったり、話題逸らそうとしたり。そうやってみんなで私を腫れもの扱いして、可哀そうって思ってたんだ』

「思っていた人もいるでしょう」

(その発言は不適切です)

 零の端末とシンクロしている看護AIが彼の脳内で口うるさく指摘をした。

『私、不幸な人だったんだ。なのに何にも知らずに暢気にしててさ、昨日だって友達とカラオケしてさ、バカみたい』

 それきり黙ってしまった。

 映写室をモニタしたままマイクの接続だけを切って安静室にかける。

「ナターリア、ご両親を入れてください」

『了解しました』

 隣の部屋から白人のナースと、先ほどまでモニタに映っていた男女が戻ってくる。

 零の思考に連動して右耳に埋め込まれた端末からシグナルが伝達され、床から流体硬化式の丸椅子が二席、うねうねとせり上がって固まった。

 二人が椅子に座るのを見届けることなく、ナターリアは零の背後からさっさと事務室に立ち去った。

 席に落ち着いたのを見計らって、零は口を開いた。

「お疲れ様でした。辛かったですね」

 たったそれだけで、女は涙を堪え切れなくなって泣き出してしまった。男がその肩を抱く。女は泣きじゃくりながら言った。

「私が本当の親なら、こんな思いすることもなかったのに。どうして、私の子じゃないの」

 どうにもならない悔しさ、無念さが込められた訴えだった。

 零は彼らよりも少し若いが、子供を持っていてもおかしくない年齢ではある。だがまだいない。だから彼らの気持ちを理解しようとしても、どこかちぐはぐな、想像で補っているのがバレバレの感覚しか得られなかった。

 男は女の背中をさすりながら視線を向けてきた。

「両親の記憶を戻したら、未来は、どうなるんでしょうか」

「自我形成を司る記憶の密度は基準値を満たしていますので、人格が崩壊するということはないでしょう。ですが、実親と里親を分ける意識の壁は分厚くなるかと思われます。端的に言えば、よそよそしくなってしまうかもしれません。今はまだ映像で見ただけなのでニュースを見たときのような感覚でしょうが、記憶が戻れば生々しい喪失感に襲われるはずですから、その影響もあるでしょう」

 そうですか。そう言って男は目を伏せた。

「私が、弱かったんです、あの子に嘘をつき続けることに耐えられなくなったんです」

 自己嫌悪に陥った女を見かね、零はひじ掛けに手を付いて椅子に座りなおした。

「お二人は未来さんを信じている。必ずこの現実に立ち向かえると考えたから私の元に連れてきた。そうですね?」

「当然です。あの子は強い。誰よりも、僕たちが知ってるんです」

「未来さんが記憶を戻すかどうか、まだ決まったわけではありません。お二人がいるから必要ないと考えるか、それともすべてを知りたいと考えるか。どちらを選択したとしても、あなた方がすることに変わりはない。これまで通り、接してあげればよいのです」

 俯いていた女が、ようやく顔を上げてこちらを見た。防水の化粧も滝のような涙には敵わなかったようだ。

 二人は零の励ましに頷いて、ひとまず気を落ち着けることに専念すると言った。

「何か質問はありますか?」

「ありません」

「では、別室でお待ちください。未来さんの準備ができましたらお呼びします」

「はい、ありがとうございます」

 二人が退室したあと、間もなく副院長の甲斐田にコールサインを送る。丁度診察の合間だったようですぐに応答があった。

「はい」

「こちらは患者の回答待ちです。甲斐田さんの方は?」

「大丈夫なんで、ゆっくりしててください」

「分かりました」

 通信を切り、静かになった診察室で背もたれに深く身を預ける。

 ――子供、か。

 人口が激減した昨今の日本で子供は貴重だ。

記憶を扱う医師として働いている間、子供を診察する機会は何度もあった。むしろトラウマは子供の時期のほうが生まれやすい。辛い記憶を取り除く、それが仕事だ。それは子供の壊れやすい心を守る医療行為という大義名分はあるものの、親の世代の実に勝手な押しつけだとも思える。

 視界の隅によけられている映写室のワイプ画面では、相変わらず少女がぼんやりと座っているだけの光景が映っていた。器用に丸椅子の上で体育座りをしている。

 この子は、辛い経験に立ち向かうチャンスを奪われたのだ。もしかしたら自力で乗り越えられたかもしれないのに。

(必要ありません。介入を控え、患者の判断に委ねることを推奨します)

 零の思考を彼が実感するよりも早く読み取ったAIが音もなく制止してくる。

 彼はデスクに肘をついて、口元を揉みながら思案した。

(過剰な接触は児童保護法第三条に違反します)

冷静にAIの忠告を意識しながらも、ゆっくりと息を吸って、彼はもう一度音声を映写室に接続した。スピーカーから漏れたノイズを聞いたのか、少女の丸めた背中がピクリと動いた。

「未来さん、一つだけお話したいことがあります。私のことです」

脳内でアラートを鳴らし続けるAIにうんざりして、零はシンクロをカットした。

「私は、母親と仲が良くなかった。父は優しかったですが、仕事が忙しくて中々会えなかった。逆ですね、忙しいからたまに会うときは優しく振舞っていたのかもしれません」

話を聞いているのか疑わしい。しかし、モニタ端に映る少女の精神波形は、こちらに耳を傾けているのか少し落ち着いてきていた。

「今思い返せばそんな家庭環境で育ったのは精神衛生上良くなかったと思います。でも、私があなたと同じように、今まで接してきた親が生みの親ではなかったと聞かされたら、やはり悲しみ、怒ったでしょう。なぜだかわかりますか?」

 少女はわずかに首を横に振った。後ろでまとめられた髪が揺れなければそうとは分からないほどの反応であった。

「私にとって両親は唯一無二であり、彼らが私にとっての当たり前だったからです。他人と比べて冷たい家庭環境だったとしても、私は幸せでした」

 いいですか、と気を引くように言い聞かせると、少女は首をもたげた。瞳が声の出所を探して空中を漂った。

「幸せとは、誰かに決められるものではなく、自分で感じるものです。自分が不幸だと思えば、不幸な人生が待っています」

『親殺されて、みんなに嘘つかれて、不幸じゃないなんておかしいよ』

 小さな声だったが、自動でボリュームが調整された。

「確かに、普通に考えればそれは不幸なことです。ですがそれは世間の人々が作り出したイメージでしかない。あなたは優しい二人に育てられ、友達もでき、何不自由ない生活を送ってきた。彼らの気持ちが嘘だったと思いますか? その幸せは、たった一つの不幸で塗りつぶされてしまうほど小さなものでしょうか?」

 再びの沈黙に、白衣の下にじっとりと汗が出てきた。やはりやめておくべきだったかと後悔し始めたとき、少女は一つの疑問を投げかけてきた。

『犯人って、捕まったんですか?』

 勝手に答えていいものかと悩んだが、遅かれ早かれ知ることになると考え教えることにした。

「はい。事件はもう解決していると聞いています。裁判の判決は終身刑、これから先、一生檻の中にいるそうです」

『じゃあ、会える?』

「――」

『会えるんだ』

 この子は頭がいい。

『変なの。何にも感じない』

 少女は膝を抱えたまま本当におかしそうに失笑した。とても子供が浮かべるとは思えない物憂げな表情に、零は唾をのんだ。

『でも、ちょっと見てみたい。こんな目に遭ってるのもそいつのせいなんだし。ねえ、先生』

 彼が黙っている隙に少女は続けた。

『何も知らなかった昨日までの私と、記憶を戻した後の私、どっちが本物だと思いますか?』

 すぐに答えることができなかった。

“どちらも本物です。言い換えれば、現在存在している意識が本物です”

シンクロを切られているAIがテキストで答えを表示してくる。零はそのタブを閉じた。きっとこの子は、AIの助言に基づいた当たり障りのない回答も機敏に察知してしまうだろう。

そうですね、などと時間を稼ぎながら考えをまとめようとしているうちに、少女がまた口を開く。

『どっちかを選ぶってことは、選べってことは、どっちかをヒテーするってことですよね。もし記憶を戻したら、今までの私はどこに行くんですか? 戻さなかったら、その記憶はどうなっちゃうんですか?』

“記憶を戻した場合、現在の記憶と融合して新たな人格として再構築されます。よって現在のあなたは新たな人格の中で存在し続けることになります”

“患者が破棄を決めた記憶は一年間保存されたのちに、申請がなければそのまま消去されます”

連続で二つの回答がポップアップした。しかし彼女が聞きたいのはそういうことではないだろう。

『私って何だったんだろう。誰かに勝手に決められちゃってさ』

 少女の目尻が光ったのを見つけて、零は必死に言葉を探し、脳内のナノマシンに処理能力をブーストさせて思考を加速させた。そして、AIに頼っているだけではあり得ない、人間としてのひらめきを感じた。

「パラレルワールドと言ったら、聞いたことある?」

 唐突な単語に少女は首を傾げた。

『聞いたことだけなら』

「こうは考えられませんか? 何も知らないまま生きているあなたと、記憶を消されずに犯人を憎んだまま生きているあなた。記憶を戻さない決断をしたあなたと、戻す決断をしたあなた。全員、別々の世界で同時に生きている。他にももっとたくさんのあなたが存在するとしたら?」

 少女は零の言っていることを想像しようとしているように見えた。零は少女が話についてこられるように間をあけて、ゆっくりと続けた。

「つまり、別の自分なんてものはいくらでもいるのです。無限にいる自分の中で誰が本物かなんて、どうでもいいことだと私は思います。どうです、少しは楽になりませんか」

 それに――

「人生、自分で決めたと思っていることも、実は人の影響を受けているものです。私なんか、親が医者だから医者になった人間ですよ」

 おどけた調子で言うと、少女の精神波形が少しだけ乱れた。

「あまり考えすぎず、大切な事だけを見失わないようにすれば良いのです」

『大切な事って?』

「亡くなってしまった本当の両親、あなたを育ててくれたあの二人、どちらのパパとママも、あなたを愛していることに変わりはないということです」

 少女はぼんやりと宙を見つめ続けた。しかし、その沈黙は今までと違い、穏やかで、見ている方も安心してしまうようなものだった。




 本日の診察を締め切った後、事務室でデータログをいじっていると、ナターリアが顔を覗かせて言った。

「またやってしまったのですか」

「ええ、まあ」

 半笑いを浮かべるが、彼女の表情はピクリとも動かない。

「今年はまだ監査が行われていないこと、忘れていませんね?」

「大丈夫です、音声記録は全部消しました。あとはAIの記録を誤魔化せば……」

 ナターリアは鼻を鳴らして空気に声を張った。

「次の監査で映像、音声及びAI記録の削除履歴から、記憶技術関連法のどれかに抵触する行いが露見する可能性は?」

「あ、ちょっと」

 ポン、と軽い音が、診察室の天井のスピーカーから鳴る。

『具体的な数字を提示することはできません。しかし、毎年調査の厳密化が進んでいるのは明らかです』

 ――消さないといけないログがまた増えてしまった。

 AIの回答に再び鼻を鳴らして、ナターリアは零を冷たい目で見た。

「もし私たち職員が職を失うようなことになったときは、院長が全員分の再就職先を斡旋してください」

「今って、何人でしたっけ?」

「院長を抜いて十一人です」

「ううん、あまり期待しないでください」

 ナターリアは目を細めて人睨み利かせてきたあと、スタスタと事務室に引っ込んだ。

零はため息を吐いて、それから、自分の行いに全く後悔していないことを確認した。

 ――あの子はAIに質問したんじゃない、私に質問したんだ。

 だから、真摯に答えただけだ。それが法に触れるという。

 ――まあ、そもそもあの子に話しかけなければ良かったんだけど。

 現状の記憶技術の扱いやカウンセリングに対する過剰な法整備にはウンザリしている。自分が新人だったころはもっと自由だったのにな、と零は電子カルテを操作しながら雇われの身だった頃を思い出した。

 結局、少女は幼き頃の両親との記憶を受け取らなかった。零はどちらに転んでも良いと考えていたし、育ての親であるあの二人も心構えはしていたはずだ。どちらかの答えを選ぶように会話を誘導したわけではない。ただ心が軽くなるような考え方を提示しただけである。

 ――私は間違っているのか。

 いつの間にか記録改ざんの手は止まっていた。

『院長』

 皺がれ声が聴覚に響いた。ナース長の羽生だ。

「どうしました」

『警察の方から通信です。繋ぎますか?』

 心臓が跳ねた。

――何の用だ。

「繋いでください」

『わかりました』

 通信が切れ、すぐに別の端末からコールされる。

「神井零です」

『仕事中に失礼します。デルタ地区電算領域監査課の木戸真と申します』

 男の声だ。零は木戸と名乗る男の所属を聞いて、嫌な予感を覚えながら聞いた。

「ご用件は?」

『現在我々が捜査中の精神汚染事件について、協力をお願いいたしたく連絡いたしました』

「協力、ですか?」

『つきましては、明日午前十時のVR会議にご出席願えますでしょうか』

 木戸が言い終わると同時に零の視界にタブが開き、同行の令状が表示された。コンマ一秒で内容を処理した零は、それが半強制的で、断る選択肢など用意されていないことを理解した。急な要求を詫びる気配もない。

「わかりました」

『ありがとうございます。では、後ほど』

 通信が終了した。

 零は背もたれに思い切り身体を押し付け、上を向いて唸った。そして、控室にいるはずの甲斐田副院長の端末にコールした。

「甲斐田さん」

『どうした?』

「警察に呼ばれたので、明日の朝は任せます」

『なんだそりゃ』

 それはこっちのセリフだ、と零は肉声でひとりごちた。


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