【小学校】 連載中
こんにちは、
と言うか、はじめまして、でしょうか。
私は「佐藤 あきこ」現在は22歳です。
まだ若造(表現が古い?爆)ですが、今の今まで、
気がついたら波乱万丈だった気がします。
そんな普通で普通じゃない「今まで」を初披露です。
お付き合い・・してくれるかなー??
いいともー!!
【小学校】
小学校1〜4年生くらいまでってどうして覚えてないんだろう?
ただひたすら遊んでいたのかあなあ。
あきこは小学生の時は男の子になりたかった。
だってかわいくなかったから。
小学校5年生くらいになるとにきびは酷くて顔中ブツブツ。
しかもみんなより太っていた。
4年生くらいまではスカートはいてたのに、
いつに間にか可愛い格好とかが出来なくて男物の洋服ばかり着ていた。
髪の毛もばっさり切ってしまっていた。
人の目が怖くて前髪は長いから、
今考えたら本当に酷い格好だった。
勿論、友達が居なかったわけではないけど、同じクラスには居なかった。
だから給食の時間はいつも一人だった。
小学校の頃って給食の時って机を隣り合わせたり、向かい合わせたりして何人かでグループになって食べてたんだけど、いっつも一人だった。
その時は”めんどくさいから丁度いい”なんて思っていたけど、
今思えば、寂しいと言う気持ちを出さないために必死だったと思う。
特に嫌いだったのは遠足とか修学旅行。
本当に行きたくなかった。
遠足や修学旅行ともなるともちろんグループを組む。
大体4〜5人くらいで。
今ほど男女がどうのこうのって無かったからみんな好き勝手にグループを組む。
・・・・後はなんとなく予想がつくと思うけど、もちろんあたしは余る。
”あたしも入れて”なんて言う勇気も無く、気力も無く。
いつも一人余ってた。
そして今頃気づいたかのように先生が「佐藤さんもいれてあげて〜」って。
何を言うか、と思ったね。
もちろん先生だってあたしがはぶられてるのに気づいてた。
でも、見て見ないフリだった。
そんな先生に言われて入れてもらったグループで仲良く出来るわけも無く。
一応声がけはしてみるけど・・・まあ無駄でしたね。
修学旅行なんてクラスで回る時以外はほとんど蚊帳の外だった。
確か5年生か6年生の頃だったかな。
ある日、学級委員に推薦されたことがあった。
新学期が始まるとクラスの「係」を決めるよね。
保健係とか飼育係とか、まあ色々。
で、あたしは無難に保健係をやろうと思っていた。
すると学級委員に突然の推薦。
もちろん嫌だったが、”嫌です”と断る勇気も無かったが、
少し嬉しかったのもあってOKしてしまった。
だって、学級委員なんてクラスの長(表現が古い?w)だし、
特にあたしの存在を覚えてくれていたのが嬉しかった。
よし、頑張るぞ!と意気込んだ。
しかし、
その希望はわずか数秒で脆くも崩れた。
学級委員は係の最初に決めるのだが、学級委員が決まると先生が、
「じゃあ、佐藤さん前に出て残りの係を決めておいてね」
とあたしに係の一覧の紙を渡し先生が教室から出て行った。
えっ?
と思いながらも黒板の前に行き、残りの係を黒板に書き始めた。
がやがやとする教室。
すると、
「はやくしてくださーい」
と誰かが言った。
よく聞こえなかったから、そのまま黒板に書き続けた。
そしてまた、
「遅いよー早く係決めようよー」
との声。
丁度黒板に書き終わったから前を向いた。
ずっとそう言ってたのはあたしを学級委員に推薦した女の子だった。
信じられなかったけど、急いで「じゃあ・・・飼育委員希望の人〜」
とみんなに声をかけた。
クラスは一瞬静まった。
ほっとしたのもつかのま、すぐざわつきは戻った。
もう一度、「・・飼育委員やりたい人」
今度は少し大きな声で呼びかけた。
しかし、ざわつきは治まらない。
するとあたしを推薦した女の子が
「きこえませーん」
その一声を合図とするかのようにみんなが
「聞こえませーん」「何ですか〜?」
と言い始めた。
何を言おうとしても、「きこえませーん」の一点張りだった。
何にも聞いてくれないクラスのみんな。
あたしは黒板の方を向いて必死に涙をこらえた。
すると、あたしを推薦した女の子が黒板の方へ来た。
「佐藤さんできないみたいだから、わたしがやるね〜」と。
その子は、さくさくと係を決めていき、あたしは
そそくさと席に戻るしかなかった。
一体何をしたかったの?
あたしはそればっかり考えた。
その日から、その女の子を中心に新しい「仲間はずれ」が始まった。
今まではひたすら「無視」だった。
その日から「無視」は「嫌味」に変わった。
そのうち、クラスの男子からあだ名がつけられた。
みんなより太っていたから、しかも筋肉質の太り方だったから。
しかもニキビだらけ。
あだ名は「岩石」か「ボツボツ」になった。
授業中はあたしが何かをしようとすると笑われた。
朗読をしても笑われた。
体育も、ドッジボールをすれば集中的に当てられ、サッカーはボールが回ってこない。
体力テストは後ろからなじられ続けた。
「岩石のくせに走るんじゃねーよ」「ニキビがうつるからボツボツのボールは触れないや」
などなど・・・
今考えればおかしな”おふざけ”にしか聞こえない。
でも小学生だったあたしには少し、きつかったの。
毎日きちんと学校に行っていたのが不思議なくらいだ。
まあそれは、その学校での出来事を両親に言えなかったからだけど。
お父さんは厳しかった。
言葉遣いや門限、箸の持ち方まで。
それは今だから、あたしのためにしてくれていた事だと理解できるけど、
小学生の頃はただの怖いお父さんだった。
でもある日あたしはとうとうお母さんに打ち明けた。
ある日突然我慢が出来なくなった。
確かその一週間前は身体測定。
あたしは身体測定が嫌いだった。
身体測定は記入を生徒がやるし、記入した用紙をそれぞれ提出しなければならない。
先生も気を使ってくれればいいのに、提出は教壇の上にまとめるだけ。
先生が来るまでにまとめておきなさい、というものだった。
あたしはばれないように真ん中あたりに提出し、先生が来る前にトイレに行きたくて、
一人教室を出た。
ぎりぎり先生が帰ってくる前に教室に戻れた。
・・・すると何か教室内がおかしい。
あたしが戻ると急にみんながくすくす笑っている。
まあそんなのいつもの事か・・と席についた。
すると、男子の一人が大声で、
「みなさーん!佐藤さんは体重が67キロもあるんだってーーー!」
と大声で言った。
あたしは血の気が引いた。
当時あたしは身長159cmで体重が67キロもあるデブだった。
だからこっそり身体測定の用紙まで出したのに。
わざわざ探し出して暴露していたのだ。
その日からずっと、ことあるごとに「67キロ」「67キロ」といわれ続けた。
みんな、言い続けた。
そのこともあってか、あたしはもう我慢が出来なくなっていた。
はじめて、お母さんに今までの事を覚えている限り話をした。
でも、
この小説を読んだことにより、作者に嫌悪感を感じてしまった方も、共感していただいた方も、何も思わなかった人も。
自分の生き方はどうであったか。
果たして自分は今、本当に「生きたい今」を生きているのか・・・自分を見つめなおすきっかけになってくれたら。
そう思います。




