崩壊と破壊と非生命Ⅷ
その笑みはどこか昔の友人の表情を思い出させる不快な笑みであった。微笑んでいるくせに見ている場所は生命の先にある死だけ。彼の視線の先にはきっと自分は映っていない。視線の先には自分たちを狙っているであろう獣の姿をした生命の終わりの事だけを考えている。殺人者のような自分の快楽だけを満たすような自己満足な表情。出雲は分かってはいたのだけれど少しの間、色々と非現実的な事が起こってしまい思考が治っているようで壊れていたらしい。静かに深呼吸をしつつ、どこかやはり彼はズレている、とい事を再認識する。目の前にいる男は英雄でも無ければ味方でもない。ただの殺人狂である。しかし、だからと言って今この場を逃げ出すということはただの自殺行為でもある。それに、殺される相手が人から獣に変わるだけ。なら、今は彼についていくしかないと本能的に感じたのだろう。静かに西院が口を開くまで静かにし続けた。
「大丈夫。私は、君を絶対に殺さないよ。心は読めないけれど感じる事はできるんだ。君が抱いている感情は正しいことだと思うし当然の事だと思うから。それは抱いていて良い感情だよ。だけど、今は私の言うことを聞いていて欲しい。それが唯一生き残れる選択だから」
冷たい笑みの中にも彼女を心配しているような言葉を吐いてくる。が、それでも人は知能があり嘘をつける生物。出雲の発する言葉を全て信じれる訳がなかった。それすら抱いているだろうと分かっているのか出雲は数回ほど頷くだけであった。再度、西院は身を隠していた教室のドアから顔を覗かせ追跡者がいないか様子を窺っている。ふと、そこで止せば良いのに出雲はある事を口にしてしまう。
「そう言えば、息の根を止めにくって言う割にはまだこの場所から隠れてるんだね?チャンスならすぐに殺しに行けば良いのに」
すると外の様子を見ていた西院が驚く表情をしつつ出雲を見ていた。その表情に出雲も驚いたのか目を見開かせ西院と見つめ合う形となってしまう。良く見れば西院は美男子と言っていいほど男前である。ふと、なにか変な感情が胸の奥で芽生えたような気がしたためすぐに視線を下げる。
「ごめんなさい。そこまで驚くとは思わなくて。気に障ったなら謝る」
「いや。本当に君は適応能力が凄まじいなって思って。普通、女の子が殺しに行けば良いなんて口にしないと思って。いや、普通だからそう言ったことが言えるのかもしれないね」
「普通で悪かったわね。私は普通でいいの。普通がいいのよ」
違いない。そんな事を口にしつつ西院は笑い再度こちらへ視線を向けてくる。不意にその視線に出雲は背筋が伸びてしまう。自然とこれから重要な言葉を向けられると分かってしまう。それも、きっと、予想だけれど無茶苦茶な事を言われるのだろう、と言うこともなんとなくだけれど分かってしまう。真剣な表情の西院に対して出雲はうんざり顔で先ほど抱いた淡い少女の感情はきっと勘違いだったんだ、なんて思いつつ西院の顔へ視線を向ける。西院自身も出雲の諦め顔に自分が言いだそうとしていることがなんとなく分かってくれた、なんて変な期待を抱きつつ口を開く。
「流石、学校内でも秀才と言われている出雲彩乃。私が言いたい事は大体分かってるのかな?」
「どうしてそこまで嬉しそうな表情が出来るのか分からないけど私自身に良くないことを言おうとしている事はなんとなく分かるわ。それも、予想だけれど私たちを追ってきていた獣を倒すために重要な事でもさせようって魂胆でしょう?」
出雲の言葉を聞き終わった瞬間に西院は小さく拍手を送ってくる。人に褒められることは誰だって嫌いじゃあないし嫌な気分にはならないだろう。しかし、今現在送られている拍手ほど不快に思った事はない。きっと西院自身もからかいと言うか面白がって拍手送っているに違いない。
「君の言う通りなんだけど。ちょっとだけでいいから獣の相手をしていてほしんだ」
「は?」
頭の先からつい出てきてしまった声はどこか気が抜けてしまいつい笑ってしまう。一体目の前の男は何を言いだしたのか?自分の聞き間違えなんじゃないかと思うほど訳が分からなかった。獣の相手をして欲しいなんて普通の人間が出来るはずがない。無理難題の事を言われることを覚悟していたのだけれど、ここまでとは想像していなかった。勝手に獣の相手は西院有希がするものだとばかり思っていた。当然と言えば当然の思考である。誰が、知らない世界に足を踏み込んだ瞬間に訳のわからない生物の相手をするなんて思おうか。しかし、目の前の男は口調こそ軽いが嘘、冗談を言っているつもりはさらさらないらしい。流石にここで頷いてしまうと今まで避けていた死がすぐ側まで近付いて来ることは分かりきっているためすぐさま西院が続けようとしていた言葉を制止させる。
「ちょ、ちょっと待って。なに言ってんの?どうして私がそんな事をしなきゃいけないの?西院くんが倒してくれるんじゃあないの?」
「もちろん私が倒すよ。けれど、詠唱に時間がかかっちゃうの」
「詠唱?」
「そう!」
まるで語尾に音符でもつけているんじゃあないだろうかと思わせるほど満面の笑みで自分がしゃがんでいる場所に指を指す。そこには見たことが無い文字がずらずらと浮き出て来ていた。青白い神聖な結界。触れてしまえばきっと神になれるんじゃあないかと思えるぐらい神々しささえ伝わってくる。現代科学では確実に説明できない奇跡を彼女は目の当たりにしている。が、彼女自身が問うた答えが聞けていない事にすぐさま気がつき視線を西院へと戻す。
「だから?これを見ても私がどうして少しの間だけあの獣の相手をしなきゃいけないのか全然分からないんだけど?」
「そうだったね。えっと、さっき私が詠唱なしで放った魔法だと殺傷能力は凄く低いの。本当はパペットぐらいそのぐらいで大体は壊すことができるんだけど私の読み間違いで予想以上にあの獣を作りだした魔法使いは魔法技術が高かった。見た目は真新しいのに歴史は相当古いものを使ってたの。きっと五年以上の器を使って作ってる。何度も同じ場所に魔弾を撃ち込んでいって時間をかければ壊す事はできるけど君を守りつつ同じ場所に何度もぶつけることなんて無理に決まってる。だから魔法陣を使って力を倍増させて一撃で倒そうってこと!それには魔法陣を詠唱して作りださなきゃならない。すぐに魔法陣なんて作りだせればいいけど実際そんな燃費の良い魔法なんてありゃしない。破壊力がある魔法はそれなりに力を溜めて放出するしかないわけ?今まで言ってる事は分かる?」
首をかしげながらもどこか楽しそうに言葉を発する西院はまるで少年が自分の好きなおもちゃのいいところを他人にも分かってもらうために説明しているような無邪気な笑顔だったためその顔に見蕩れてしまっていた。
「え、あ・・・うん。詠唱をする時間は無防備になるから魔法陣が完成するまで時間を稼げってこと?」
「流石だね。すぐに理解できて言葉にできるなんてやっぱり君は才能があるよ。時間にして300秒ほど逃げ切ってもらってもいいかな?」
「5分間か・・・」
時間にして5分と言うの時間は短いようで思いのほか長い。捕まった瞬間に死んでしまう、と思いながら逃走するなんて無謀に近い事は西院自身も分かっていた。こちらの世界の魔法使いでさえ五分間も同種族の相手から逃げ切れるか?と言われたら魔法を使っても五分五分と言うぐらいだろう。しかし、今現在にその無理難題を魔法の使い方も知らない、命を狙われている出雲にその役割を頼もうとしている。口調こそ制限付きの逃亡劇なんて希望を持たせる言葉だけれど実際は死に向かって走ってきてくれ、と言っているようなもの。当然のように西院は恐怖心を芽生えさせないように、気が付かれないように口調をできるだけ柔らかく言ったつもりだった。が、そんな中途半端な優しさは出雲には通用する訳が無かった。今までの反応を見ていれば分かりようもあっただろう。彼女はこの数時間の間に色々な非現実を目の当たりにしてきたはずだ。その中でもずっと彼女は冷静に状況を分析していた。西院の放った時間を数回ほど口にする、と大きく頷き視線を西院の目へと持って行く。
「なるほどね。分かった。5分間ほど逃げ切ったら良いんだね。やってみる」
「本当に大丈夫?」
自分から言い出したのにもかかわらずふと自然と言葉が出てきてしまう。自分自身でもどうしてその言葉が出てきたのか分からず手で口を塞ぐように持って行く。その仕草を見た出雲は今までとは違う日常に見せているであろう笑みを浮かべる。
「西院くんが言いだした事なのに心配するってどうなのよ。大丈夫。相手は初めての場所かもしれないけれど、私たちにとっては有利な場所だもの。これでも毎日通ってる学校だからね!逃げ切って見せるわ。たかだか5分間なんて余裕よ」
そう言いながら握り拳を作り満面の笑みを浮かべる彼女の姿は勇ましくまさに英雄のような可憐さがあった。その姿に見蕩れずにはいられなかった。
「西院くん?それで私はどうすればいいの?」
「あ、えっと・・・私が魔法陣を屋上で作るから貴方は兎に角時間まで逃げ切って校庭まで人形をおびき寄せて欲しい」
さらりと逃亡以外にも目的地まで連れて来いと言う追加任務まで言うところが西院らしい。出雲も一つや二つぐらい追加で注文が来たところでなんら支障はないと思っている。非現実に足を踏み入れた瞬間から彼女の持っている常識は常識でなくなっている。半ば諦めからきているのだろう。
「とりあえず人形は今のところ嗅覚器官を捨てて視覚器官へと移行しているところだと思う。嗅覚器官はちゃんと破壊で来ていると思うから匂いで追われる事は先ず無いから安心して。やばくなったらどこかに隠れて逃げてもいいけどお勧めはしない。そこらじゅうを破壊してしまえば隠れている場所ごと壊されかねないからね。速度も思った以上に素早くはないと思うからギリギリで君の方が勝ってると思う。けれど、相手も奥の手を持っている可能性もあるから気を緩めないようにして。あとは、兎に角逃げ切って時間になれば校庭へ連れて来てくれれば後の処理は私がやるから」
そう言うと西院は手のひらを広げ出雲の足へと伸ばす。青白く光ったそれは出雲の足へと広がり始めたかと思えばすぐに消え去ってしまう。
「よし。これできっと大丈夫かな?」
なぜ疑問形でこちらに言って来たのか分からず頷くしかなかった。静かに西院は立ち上がりもう一度慎重に廊下を見始める。出雲も同様に顔を出し廊下を見渡すがいつも通りの廊下なはずなのに今さら不気味に思えてくる。暗く人がいないだけでここまで景色が変わるのだろうか。恐怖心からか好奇心からか分からないが彼女は生唾を飲む。
「じゃあ、私は屋上に行って詠唱してくるから。あとは君の逃げ足次第だからね!逃げるタイミングは私が詠唱し始めてから。きっとタイミングは分かると思うからそこから逃亡開始だから。じゃあね」
そう言い背中を叩き西院は屋上へと向かい走り出した。先ほどと同じ場所に居るはずなのにまったく違う場所に居るような感覚に囚われそうになってしまう。その度に出雲は頬を叩き自分を鼓舞しつつ深呼吸をしてみる。ひんやりと冷えた空気が体中へと行きわり火照った体を冷やす。これからしようとしている挑戦の事を考えるだけで鼓動が徐々に早くなってきてしまう。しかし、不思議と恐怖心は芽生えては来なかった。それ以上にこの非現実で役割を貰えたことに対しての嬉しさの方が強かった。
「タイミングって一体なによ・・・」
言葉足らずの西院に今さら文句を言ってもしょうがない。足りない言葉の補完は自分でするしかない。きっと何か西院からの合図があるのだろう。近くにあった椅子についていたであろうパイプの破片を手に取り廊下へと踏み出す。一歩、一歩獣がいる場所へと歩きだす。幸いなことに月光が窓から射し込んでいるため視界は悪くはない。相手側からこちらに向かって来ていたとしても分かるほどの明るさはあった。静寂に包まれ鼓動音だけが体中に響いている。息を殺し足音も極力出さないように慎重に歩きスタート地点へと向かう。そこで、彼女は妙な違和感を感じてしまう。
「どうも誰かに見られてる気がするんだよね・・・」
それは西院と一緒に行動していた時から感じていた視線であったが西院がなにも言わないから気のせいだろうと無視をしていた違和感であった。ふと、視線がする方向へと顔を向けてみるけれど案の定、誰もいるわけがない。ただの月光に照らされている廊下しか目に映らない。再度、彼女は雑念を振り払うため左右に顔を振る。
「余計な感情は今いらない」
暗示のように心の中で言葉を反復させ歩き向かうと心音だけしか聞こえなかった彼女の耳にうめき声のような音が耳へと入ってくる。距離にして数10メートル先に先ほど見た獣が蹲っているようだった。呼吸も徐々に乱れ始めてしまう。命がけだと頭で分かっていてもこうして非現実生命体を目の当たりにしてしまうと冷静さを失いかけそうになってしまう。本当ならすぐにこんな場所から逃げ出したい。楽に死ねるならこのまま突っ込んでしまった方がいいんじゃあないかと後ろ向きな思考ばかりふつふつと生まれてきてしまう。が、それでは自分自身を信じてくれている西院の事を裏切ってしまう。他人に信じてもらえることは奇跡のような偶然から出来上がるもの。彼女はただその信頼という言葉だけで今この場所に立ち止まっている。死がすぐ側に居る。それだけでも足がすくみそうになるのだけれどなんとか奥歯を噛みしめ意識を保つよう努力する。じわりと口の中が鉄臭い匂いがしてくる。
「西院くんは一体何をしてるの・・・」
言葉を口にする事さえ恐怖であったがそれ以上になにかで気を紛らわせなければ自害しかねなかったため消えかかるような声を出してしまう。すると、先ほどまでうめき声をあげていた獣の声が少し変化した事に気が付き恐る恐る視線を向けてみると先ほどまで床に視線を向けていた獣は廊下の彼女が隠れている場所の方へ視線をあげジッと見つめていた。自分の早まった行動に苛立ちを覚えつつも西院の出すであろう合図をジッと待っていた。幸い視線が合うことはなくすぐさま顔を隠したお陰か獣は未だ動く気配はなかった。しかし、明らかに警戒度は上がっているようだった。獣の意識がこちら側に向けられているのは手に取るように分かる。
「大丈夫。大丈夫。まだ気が付かれていない。溜めろ、溜めろ」
まるで呪文でも唱えているかのように彼女は静かに言葉を続ける。首元に鎌を向けられている少女。しかし、その少女は未だ命を諦めてはいない。ジッと機会を待っている。いつか来るであろう奇跡を待っていた。しかし、現実と言うものはそう都合よく進まないのが当然。物語のヒロインのように運良く助かるなんてある訳がない。獣は十分命を狩れるだけの休息を取ったと言わんばかりにのそりと立ち上がり雄叫びをあげる。命乞いをするなら今のうち。命乞いをしたところで助ける気もさらさらない。ただ普通に殺すだけではつまらない。少しでも悲鳴が欲しい。単なる無味で味わうなんてもっての外。逃げる姿を追い狩るのが本来の殺害方法。決してそちらから向かって来てくれるな。ざまざまな意思が彼女を襲ってくる。ただ雄叫びをあげているだけなのに何発も銃弾を浴びせさせられているような感覚。破片、破片、破片。雄叫びの震動で辺り一面の硝子が割れ夜風が廊下を包み込む。割れた破片を避けることなく出雲はジッと合図が来るまで耐える。
「溜めろ。溜めろ。溜めろ」
言い聞かせるように、頬、足に破片で傷ついた傷を気にすることなくジッと赤子が親に人生を委ねているように出雲も西院に運命を託していた。現実では起こり得ない事が起こり得るのがこの非現実世界。獣が雄たけびをあげた瞬間と同様に一筋の青白い光が学校を包み込む。これが合図。彼女は振りしぼった勇気を足へと注ぎ廊下へと踏み出す。
「私はこっちだ!」
獣に対しては小さな威勢にしか過ぎない。が、それでも彼女は煮えたぎっている感情のみで獣の目の前へと出てきている。獣は出雲が見えた瞬間にもう動き出していた。先ほど見ていた2足歩行ではなく両足も使い4足歩行でこちらに向かって来ていた。確実に出雲の命を狙いに来ている。2足歩行よりも運動性が良く本来の移動手段が4足歩行なのだろう。出雲は全力で標的とされた事を確かめ走り始める。命の賭けた夜間逃亡劇。時間にしてほんの300秒と言う短い少女の物語。決して西院の行動を悟られてはいけない。餌を見つけた狩人は楽しみを見つけたかのように出雲を追っている。感情もあるはずがない人形。しかし、どこか笑っているようにも見える。目の前に続く長い廊下。後ろからは勢いよく死神が微笑みながら向かってくる。死の瀬戸際に居ると言うのにどうしてか彼女は意外にも冷静に周りが見えていた。獣との逃走劇でただ走って逃げるだけでは必ず追いつかれて殺されてしまうことは分かりきっていた。旧校舎全体は強度が脆く色々な場所にガタがきている所が多々ある。そんな場所を数か所ほど彼女は知っていたため先ずは最初の場所へと向かっていた。そのような事を知らず死神はただ目の前にある命を狩ろうと向かってきている。徐々に目的地でもある場所へと近づいてくる。チャンスは一度だけ。奇妙に立てかけられている一本の木材が目に入ってくる。出雲は一心不乱にその立てかけてあった木材の横を通り過ぎる瞬間に手に持っていたパイプを大きく振り被り衝撃を与える。
「おりゃあ!」
男性的な声を出しぐらぐらと揺れる木材を横目で確かめ走り抜ける、と同時になにか物が崩れ落ちる音が耳に入ってくる。が、それでも彼女は視線を後ろに向けることなく廊下を走り抜ける。
「次!!」
雄叫びのような声色を出し廊下を曲がり階段を駆けあがる。後ろからも崩れかかってきた木材を踏みつけ破壊して迫ってくる足音が聞こえてくる。
「やっぱりあんな物じゃあ足止めにもならないか・・・だったら!」
階段を上りきった瞬間に何枚も縦に立てかけれられていた板に衝撃を与え階段を塞ぐように倒れさせ、近くに並べられていた椅子、机も廊下へとばらまきもう一度西側にある階段へと向かい駆けだした瞬間に彼女の冷静さが仇になってしまう。
「5分逃げ切って校庭におびき寄せるんだったよね・・・でもそれよりも早くても遅くてもダメなの?」
誰に問いかける訳でもなく自問自答してしまう。西院の事だそう言うことはきっと言い忘れているに違いない。この場合だときっと早くても遅くても死に繋がる事は間違いないだろう。先ほどの西院の対応からしてそう言うことだろうと勝手に納得してしまう。
「あの馬鹿!絶対に殺してやる!」
怒りに任せた言葉を吐きつつ足を止めることなく前へと進める。死神もいい加減追いかける事に面倒くささを覚え始めたのか先ほどよりも速度が徐々に上がってきているような気がした、が実はそうではなかった。実際は出雲の方が走る速度が徐々に落ちて来ていたのだった。身体的に5分も全力で走る事さえあまりないのに精神的に命がけと言うところがより一層負荷をかけている事は確かだった。だからと言ってここで諦める出雲ではない。ふつふつとわき上がっている感情に任せ自分に対して発破をかける。
「ここまで来たんなら生にしがみついて生きのびて西院をぶん殴ってやる」
彼女を突き動かすのはただの怒りのみ。不思議な事に出雲は追われつつも終わったことを考えていた。進行形で逃走している最中なのにどうしてここまで自分でも終了した時の事を考えているのか不思議であり可笑しくもあった。これが死の淵で見かけることができる可能性か、なんて自分でも意味が分からないことを思い描いてしまう。普段ならそんな無駄なことを考える事なんて先ず無い。
「まあ、だけどこう言った無駄な事を考える事も面白いのかもね」
そう口にした瞬間、異様な違和感、殺意が背中を擦った気がしたため今までは振り向くことさえ死と直結すると考えていたが出雲の信念さえも曲げてしまうほどの違和感が襲う。振り向いた瞬間、獣が距離置き口から発光体のようなものを溜め吹き出した瞬間であった。その瞬間、時間にして約3秒弱の出来事。思考ではどうしようもない出来事。勝手にあの死神は近距離でしか命を狩ることが出来ない、と思いこんでしまっていた。しかし、死神から送られてくる飛び道具は遥か先から送られてくる。
「くっ」
彼女は一番嫌っている固定観念に縛りつけられていたのだ。ありえないことが起こる世界でそんな縛りは不必要だと最初に切り捨るものだった。後悔しても遅い。後1秒で彼女の体へと衝突するだろう。優しく撫でてくる死。こんにちは絶望。さようなら明日。どうしようもできない状況。全てを受け入れるように彼女は瞳を閉じ、る訳がなかった。
「なめんな!!」
3秒前から出雲は死に対してあらがっていた。奪えるものなら奪ってみろ。それ以上のものを奪い返してやる。死んでも死んでやるものか。必死に生にしがみつき振り向いた瞬間に起きた僅かな遠心力を使い廊下を蹴り飛ばし、持っていた凶器を発光体へと投げつけた瞬間、爆発が起こる。爆風で飛ばされ地面へと思いきり叩きつけられる。呼吸をする事も困難な状況であるが運命にあらがい生を勝ち取る。じわじわと打ちつけた部位が紫色に変色し始める。
「っつ・・・絶対に許さないからなっ!絶対にぶっ飛ばしてやる!西院!」
命を狙われている獣に対してではなく西院に対しての怒りが彼女を突き動かしているのは間違いはない。格下に渾身の一撃を放ち終焉に持ち込もうとしたが、そうならなかった。当然のように獣は怒り狂い先ほど以上の速度で命を狩りに向かってくる。打撲した個所なんて数えるだけ無粋。爆風で無数の硝子が刺さった事さえ出雲は気にせず走り続ける。時間にして未だ200秒も経っていないだろう。しかし出雲の思考は数年分の働きをしているに違いない。時間を気にしつつ走り続けていると西院の思考が直接出雲の脳へと入り込んでくる。
「予定より早く魔法陣が完成したから後30秒後に校庭まで出てこれる?と、言うより絶対に出てきて!失敗したら、私も君も死ぬから!よろしく!」
「なっ!?」
文句を言う前に、言葉を発する前に西院との通信が途切れてしまう。自分勝手も甚だしいのに何故か口元は微笑んでいた。相変わらずこちらの考えなしに物事を進めようとしている。だけど、彼女は口にしてしまう。
「仕方ないか」
あれだけ手傷を負っているのにもかかわらず、仕方がないですませよるところが出雲の特異なところであり強みなのかもしれない。ふつふつとわき上がる血液。笑みと共に落ち始めていた速度が上がり始める。未だ後ろからは死が追ってきている、がそれでもその恐怖には慣れた。今、一番怖いのは西院のころころと変わる思考だ。無造作に散らかっている机、板、椅子等を跳びはね駆ける。飛び越えるたびに痛みが襲ってくるがそれ以上の痛覚を下唇を噛み紛らわせる。死との鬼ごっこもあと少しで終演。出雲は階段を飛び降りる形で落ちる。全体重が両足にかかり激痛が襲い体勢を崩しそうになるものの意地で立て直し速度を落とすことなく校庭へと向かう。
「・・・あれか」
1階の廊下を走りつつ視線を校庭へと向けると青白い魔法陣のようなものがでかでかと浮きゆっくりと反時計回りに回っている。無造作に立てかけられている木材を手に取り謝罪と共に扉をぶち破り教室を横切り外へと出る。埃っぽい旧校舎とはうって変わり新鮮な空気が出雲の周りを覆う。目を瞑り深呼吸でもして呼吸を整えたいところであったがそうもいかない。5メートル付近まで近付いてきていた死神は鋭利な爪を振りかざしてくる。
「っつ・・・負けるかっ!!」
抉られ放たれた石は彼女の背中を襲い散弾銃で撃たれてしまったかのような無数の血痕がじわりと浮き出てくる。汗と共に流れていく鮮血は芸術とさえ思わせるぐらい美しいものだった。痛覚は麻痺し自分の意思で足はもう動いてはいない。気力だけで体を動かしているに違いない。そんな訳が分からない自分の体にまた笑みがこぼれてしまう。
「意識無く走れてるのが奇跡なら今生きていることはどう表現するのよ。偶然とでも言うの?」
誰に問われる事もなく自然と口にしてしまう言葉。彼女の言葉に対してか、そりゃあそうだろうね、なんて笑い声が聞こえてくる。
目的地まで数メートル。出雲の視界には魔法陣が轟々と獲物を今や遅しと待っているようだった。見た目の神々しさとは裏腹に混沌の殺意が刻み込まれているように感じるがそれでも出雲は魔法陣に向かって全力で駆け抜ける。後を追う様に死神も魔法陣の中へと突っ込んでくる。出雲が魔法陣の内から体全体が出た瞬間、壁のような障壁が天空に向かい浮き上がる。出雲は振り向き視線を向けると魔法陣の中をぐるぐると回り魔法陣を作りだしたであろう屋上に居る西院に向かい口を広げ先ほど出雲に向けた魔弾を発射しよう轟々と音をたてはじめる。時間にして約4分の逃走劇はあと少しで終演を迎えようとしていた。
ほんのちょっぴりですが今回は長くなってしまいました。が、どうしても勢いを殺したくなかったので書かせて頂きました。