尊く始まる世界Ⅰ
「なぁ・・・あの噂知っているか?」
彼の耳に入ってきた唐突な陽声。目の前には陽気な表情を浮かべた矯池卓志がようようと机の上に半分座り込み笑みを向けてきていた。学校の中でも上位に食い込むほどの容姿の持ち主であり、入学当初は廊下を歩くたびに女生徒が振り向き歩いていたほど女生徒の視線を一人占めし人気も莫大的にあった。だからと言って矯池はその事に一切気がつくことなく、いや、本人は当然自分自身がどのように他人が評価している事ぐらい気がついていたが気にしていないフリをしていたのだ。余裕を持っている方がモテそうだから。と、言う安易な理由で数ヵ月は我慢していたのだが、そうそう人間と言うものは容姿こそ努力をし変わることができるが根本的に内面を変化させることは簡単ではない。学校生活が慣れていくにつれて容姿とは裏腹に硬派と言うイメージからはかけ離れるほどの軟派な性格である事が浮き彫りになってしまう。が、彼は我慢していたせいか今の自分に満足している。騙すことを止めたお陰か硬派と言われていた時期と比べて悠々と学園生活を満喫しているように見える。異性からの人気は格段に下がってしまったが、同性には裏表のない馬鹿。と、して慕われている。そんな彼がにやにやと今まさに軽口でも吐き出そうとしているのかつい、いつものように肩で息を吐きつつ視線を向ける。と、その冷ややかな視線に気がついたのか余計に表情を明るくさせてくる。
「おぉ。西院の鋭い視線はいつ受けても痺れるね。俺もそんな視線で次々と学校の女生徒に惚れられたいぜ。まあ、実際女子にそんな鋭い視線を向けたら確実に嫌われるだろうけどな」
ただただ、ため息を吐き続けているとお構いなしに肩を繰り返し叩いてくる。西院も軽口を叩いている彼には何を言っても聞き入れてもらえない事ぐらい彼との学校生活で学んでいるため肩を叩かれ続け、本題を話し始めるまで沈黙を守り続けようと心に誓う。西院の刺々しい雰囲気に普通のクラスメイトなら近寄る事はないがそんな事もお構いなしに肩を叩き続けれるのはきっとこのクラスで彼と出雲ぐらいしかいないだろう。
「・・・それで?あの噂ってなに?」
いい加減肩を叩かれ続け体が揺れることが不快になってきてしまったのかつい、数秒前に自分自身で誓った沈黙を破ってしまう。普段の西院なら間違いなく心に決めた事はやり遂げるのだけれど彼に関してはすぐに折れてしまうことが多い。自分でもどうして問い変えけてしまったのか不思議だったのかつい、首を傾げてしまう。矯池もまた何故、西院が首を傾げているのか分からなく叩いていた手を止め同じように疑問を抱いたがすぐに解決できることではない。と、見切ったのか最初の目的でもある話題を口にする。その表情はどこか昨日の非現実の内容でも話し始めるかのように口を開く。
「知ってる?死体がない殺人事件って?最近この辺りで頻繁に起きてるらしいぞ?」
心当たりがないと言えば嘘になる。矯池の言葉にできるだけ、なるべく表情を崩すことなく耳を向ける。矯池もまた不思議なことがあるよな。なんて与太話でもしているような表情である。が、一向に西院の表情が明るく雑談でもしているような軽い表情になる事はない。寧ろ、険しくより一層に眉間にしわが寄ってきてしまわぬようにグッと奥歯を噛みしめる。
「でも不思議だよな?死体がないのに殺人事件ってな?それにやけに具体的な死因も噂で出回ってるんだぜ?」
「死因?」
「おぉ。えっとな?なんだっけな。俺もまた聞きだから詳しくは覚えてないんだけど、お前もこう言った話し好きだろう?だからちょっと小耳にはさんでおいてもいいかと思ってな?んで、死因は確か・・・」
猟奇話し。確かに昔にもこの街では色々と物騒な事件が起きていたらしい。昔、まだ誰とも分け隔てなく話しができていた頃。どこかの手品師がこの辺りで蝋燭で人を殺していた。と、言う噂を聞いたことがあった。噂と言うよりも実際に魔法使いが起こした事件である。しかし、本当に魔法使いが起こした事件なんだ。なんて言えるはずもなくどこまでその事を知っているのか。知り過ぎていた場合は何かしらの魔法をしなければ。その話題に周りの人間はあきれ顔で作り話として聞いていたが西院だけはやけに食いつくものだから矯池も仲間ができたと勘違いし友人として未だにこうして付き合いは続いている。琴浦圭とは違う意味での親友なのかもしれない。本人に自覚はないが、たまにどこから入手してくるのか魔法に関する噂をこうして持ってくるようになった。情報源を聞きだしたかったが、間接的に聞いただけだから。と、いつもはぐらかされてしまう。些細な動きの変化さえ観察しているが相変わらずの表情に掴みどころがない。
「まあ、そんな感じらしい。つってもまたお前は聞くだろうから何度も言わせてもらうけどまた聞きだからな?だから、これも確信的な証拠もないし・・・ってか、死体がないのに殺人事件ってオカシイよな?」
出してくる禍々しい情報とは裏腹に陽気に両手を左右に振りつつ乾いた矯池の笑いが虚しく教室の床へと誰にも気にとめられることなく落ちていく。
「それで、矯池はその話しを誰に話した?」
「ん?そう言えば誰にも話してないな。ってか、そんな事は別にどうでもいいんだっての!」
何を思ったのか両手を思いきり叩く。空気の破裂音が教室中へと響き渡り先ほどの虚しく落ちた笑い声とは違いクラス中の注目を浴びるほどであった。その視線は矯池に向けられるものでありその隣に居た西院にも向けられてしまう。別に悪い事なんてしていないがここまでクラス中の視線を向けられることも滅多にないため西院でさえも困り顔を浮かべてしまう。昼時とあってか教室には女子が多く、また矯池がなにややらかすのかしら?巻き込まれてる西院くんが可哀想。様々な視線を向けられるがその事に関しては慣れっこであった。そして、注目を浴びることをした張本人は含み笑いをすると座っていた机から立ち上がる。一体何をするのかと思えば、唐突に片腕を上げると同時に教室の扉へと歩きだす。そう言えば俺、昼ご飯食べてなかったから食べてくるわ。そう言い放つと教室を後にする。活気づいていた教室はいつの間にか戸惑いだけが残り妙に静まり返ってしまってしまう。そして、何故か戸惑いの視線の矛先は西院へと向けられる。向けられたところでどうしようもなかったため苦笑いを浮かべることしか出来なかった。変な空気になってしまった教室の活気を取り戻せるほど会話など上手くできるわけもなく、自然と追いやられるように教室を後にする。廊下から見える景色は相変わらずどんよりとした色をしている。今にも雪が降ってきそうな気さえする。息を吐いてみると若干ではあるが白い息が出てくる。どこへ行くかも決まっておらずただ、数歩廊下を歩いたところで後ろから声をかけられる。まるで、西院が教室から出てくる。と、言うことを分かっていたように。振り向くと大きな風呂敷を両手で大切そうに抱えている欅が立っていた。一体いつから立っていたのだろうか?暖房もない冷えきった廊下に居たせいか手の先がほんのりと赤く染まり震えているようにも見えた。
「有希さま・・・その、ご飯をお持ちしました・・・」
「だからっ・・・ありがとう」
様をつけることはやめてほしい。そう口にしようとしたが寸前でやめてしまう。やめろと言われてすぐにやめれるほど黒松家と西院家の関係性は崩れる訳がない。が、それでも様をつけ呼ばれる事に胸が痛み上手く笑うことができなかった。欅に近づいて行き重そうに持っていた何層にも包まれた重箱を代わりに持とうとした瞬間に両手で堅く拒まれてしまう。これは私の仕事です。お気持ちは凄く嬉しいのですが仕事を取られてしまうと私の存在価値が無くなってしまいます。すみません。何時になく頑なに離さない。こう言った時は必ずと言っていいほど何か感情を押し殺している時が多い。無理矢理に取るのもなんだと思い小さく肩で息を吐く。
「無理矢理に取ろうとしてごめん。とりあえず廊下だと寒いしご飯も食べれないからどこか教室に行こうか?それとも今思っている事を先に言う?」
出来るだけ威圧がないように普段通りの口調を意識し言葉を向ける。いつもなら西院の言葉で俯いている視線は上がるのだけれど今回はそうもいかず同じように視線は廊下に向かったまま口を開いてくる。
「有希さまは・・・もしかして好きな人でもできたのですか?」
言葉こそ小さな声であったが、何時になく力強い言葉に息を飲み、ただ目の前の欅を見つめることしか出来なかった。好きな人ができた?何気ない一言問われただけで鼓動がトクン。と、大きく跳ねる。別に誰かに対して恋心を抱いている訳ではない好きな人なんて誰もいない。が、一瞬だけ欅の問いに対して出雲の顔が出てきてしまうが、その事実に自分自身もどうして彼女が出てきたのかよく分からず言葉が上手くできないまま黙ってしまう。すると、欅は唐突に笑みを浮かべ視線を廊下から西院へと向けてくる。
「正直、私は有希さまの気持ちが全て分かるなんて言えません。けれど、きっと昔からずっと有希さまの事を見ている私には分かるんです。ですから是非、私にもその方を紹介してはいただけないでしょうか?どのような人が有希さまの心を奪ったのか見たくて。別に変な事は致しません。ただ、見ておきたいのです。有希さまの好きを得た女性を・・・ふふっ」
表情こそ口元は微笑んでいるが瞳はまったく笑ってはいない。笑うどころか目に見えない相手に対して憎悪を向けているようにも見えてしまう。そして何よりも力強く握ってしまっているせいか両手で抱えていた風呂敷により一層しわが増え小さく震えているようにも見えた。限りなく心配性。欅の事だから両親に何か悪い入れ知恵でもされてしまったのだろう。出来るだけ優しく、丁寧に西院は口を開く。
「大丈夫。欅が思っているような人はいないよ。誓ってもいい。だから学校にまで黒松としての仕事を持って来なくてもいいよ」
西院の一言に欅も先ほどの表情が嘘だったかのように晴れ渡りいつも以上に満面の笑みを浮かべ、ぎこちなく開いていた二人の距離を縮めてくるなり、
「本当ですか?有希さまには誰に対してにも好きを渡していないんですね?ただの私の勘違いだったんですよね?嘘じゃあないですよね?私を安心させるためについた嘘では無いですよね?有希さまの事は信じています。けれど、本当に信じてもよろしのですよね?ね?ね?ね?」
「も、もちろんだよ。それよりも折角作ってきてくれたご飯があるんだから食べたいな」
微笑み両手でしっかりと大切そうに抱かれていた風呂敷へ指を差す。と、欅も思いだしたかのように視線を向けつつ頑なに渡そうとしなかった重箱が入った風呂敷を両手で差し出してくる。やれやれ、と肩で息を吐きつつ受け取る。




