蒼月血漿Ⅵ
彼女が耳にした音は叫びと言うよりも咆哮であった。思考を持たない獣のような生々しい衝動が彼の周りに渦巻いているようだった。少年は道路に這いつくばり痛みにもがいているのか両足をばたつかせ腹部に両手を添え暴れ回っている。予想外の暴力に少年もきっと予想していなかったのだろう。間違っている。間違っている。などと自分が負傷している事を認めることができないのか痛みに抗いながらも自分自身に致命傷を与えたであろう人物を睨みつけている。自分の命が削られているのにもかかわらずなぜ、そのような殺意が込められている視線を向けることができるのだろうか。頬は涙で濡れ両膝を地面へと力なく叩きつけたまままるで作りもののような光景にただ、傍観者としてその光景を見ることしか出来なかった。出雲の目の前には少年と同様、いや、寧ろもっと禍々しい雰囲気を漂わせている西院有希が立っていた。ただ、立っているだけなのにどうしてここまで震えてしまうのだろうか?友人の首がもぎ取られてしまい、次は自分が殺されてしまうのではないかと言う恐怖心から来る震えなのかもしれない。しかし、それだけではないと彼女自身は分かっていた。目の前に立っている西院有希の雰囲気にも恐怖を感じてしまっているのだ。首元に鋭利な刃物を突き付けられ一ミリでも動いてしまえば殺されかねない。と、思ってしまうほど禍々しく生命の危険を本能的に感じてしまう。学校の時とは比にならないほど人間性を感じない。目の前で立っているモノは本当に人間だろうか?ただ、人間の皮を被った死神ではないだろうか。グルグルと脳みそが熱で溶けてしまいそうなほど体が熱くなってくる。聞こえてくるのは、悲痛な叫び声、嗚咽、心音。ここまで大声で叫び雄叫びをあげているのにもかかわらず、自分たち以外の人間には周知されていないのか時間が止まったのか。と、思わせるほど静かである。普通ならば夜にここまでの叫び声が聞こえるならば少なからず野次馬たちができるはずである。
「それは大丈夫。私が結界を張っているから。ここは地形こそ同じだけれど、裏側の場所だから殆どの人間に知られる事はないよ」
出雲の心の中を読んだのか西院は淡々とした口調で視線を変えることなく言葉を投げかけてくる。この状況に冷静に分析をしているのか混乱をしているからこそ周りが冷静に見れているのか、西院が言う言葉に出雲はいつもならなっとくなんてすぐにする事はないけれど頷いてしまう。心の中を読まれてしまった事さえ気が付いていない。ただ、この状況があまりにも異彩であり異常であるため出雲の思考回路は未だに追いついてきてはいなかった。ふと、視線を向けると今まで横たわっていた瑞穂の体がまるでその場に無かったかのように全てきれいさっぱり無くなっていた。
「み、瑞穂!あ、あれ?」
「落ち着いて。大丈夫。首をはねられたのは幻影だから」
「幻影?」
西院は振り向き地面へと座っている出雲の視線に合わせるように跪き両手を濡れた頬へと添えてくる。両手で頬を挟まれ自然と西院と視線が合う。と、瞳の色に驚いてしまう。真っ蒼で煌びやかに燃えている。この世とは思えない神々しい色につい言葉を失ってしまい、脳裏に海が広がる。ひんやりとした西院の両手に自分自身が少しずつではあるが冷静になって来ると同時に何故ここに西院が居るのか?と、言う疑問が生まれる。その疑問に触れたのか西院は目を見開きながらも呆れたような、どこか愛おしい友人でも見ているかのように優しく目を細める。
「こんな状況でも私の言葉をすぐさま受け取り納得して、そして、すぐに新たな疑問が出てくるって凄い応用力だね。まあ、ソレを見込んで私の能力を分けた訳なんだけどね」
何を言っているのか分からなく不思議そうに顔を傾けるが西院は出雲が求めている答えを向けることはなかった。とりあえず、友人は致命傷は避けたけれど未だに命の危険はあるからさっさとこの場をかたずけちゃうね。と、まるでちょっとした用事をすませてくるという軽い口調で笑顔を向け立ちあがると未だに立ちあがることができていない少年へと視線を向け、
「情けないな。お前はそこまで弱かったっけ?それより、ただの挨拶だけで死に至るなんてことはやめてくれよ?お前の終着地点は死だけれど、まだ聞きたい事は沢山あるんでね」
懐かしむような蔑ますような口調で西院はただ、その死にかけの少年へと言葉を向ける。それは人間に向かい敬意を持って言葉を向けるのではなく、ただ、道端に転がっている邪魔な生肉として。利用価値があるだけ使い使いもにならなくなったらきっとすぐにでも命を絶つだろう。そんな冷たさを肌で感じる。西院は迷うことなく殺意を未だに向けている少年へと向かい歩き出す。少年もどうにかして立ち上がろうともがいているが内臓、脊髄を粉砕されてしまったため上手く身動きがとれずにもがくしか出来なかった。それでも、少年の瞳には絶望、恐怖と言う色は感じることはなく寧ろ、西院が近づいてくるほど生き生きと殺意が湧いてくるのか生きた瞳へと変わって行く。勝敗は誰が見たところで決しているのにもかかわらず少年だけが未だに諦めている様子はない。西院はその視線にも気が付いているが気にすることなく近づき横たわっている少年の目の前へ着くと見下すように視線を下へと向ける。
「どうしてお前がアレに加担する。お前だって魔法使いの一人であり僕たちと思想は同じだろう。どうして、アレの覚醒を急がせない?僕たちには残された時間が少ないんだ」
その言葉を向けられることが意外だったのか西院は驚いたような表情を作ったかと思えば思わず吹き出し笑いだしてしまう。
「同じ思想?馬鹿馬鹿しい。安楽死と言いつつ自分たちの快楽を求め人間を殺すことにどんな思想があるって言うんだ?それにね?魔法使いの時代なんてなん十世紀も前に終わったんだよ。残された時間なんて所詮、神祖が言っている適当な言葉さ。魔法は廃れなければならない。現代科学が存在する世界ではただの異分子にしか過ぎないんだよ・・・って、別にそんな事は今どうでもいいことだった。私が聞きたいのはどうして関係の無い人間を殺害しようとした?それも、出雲彩乃の精神を錯乱させるために身近で親しい人物を。お前一人の思想で動いたわけじゃあないだろう?そもそも、お前ら聖堂教会は基本的に魔法は私用では使用を禁止されているはずでしょ?聖堂教会は掟には五月蠅いからね・・・と、言うことはつまり誰かからの差し金ってことだよね?誰?死ぬ前に言え」
西院はしゃがみ込み横たわる少年に顔を近づけ問う。が、そんな事で少年が口を割る訳がなかった。情報を与えるぐらいならば自害の選択を。これが掟でもある。情報漏えいは魔法使いにとっては一番危惧されることであり犯してはならない罪。しかし、少年は自害を選択するどころか未だに息を続け少しでも隙があれば西院を殺してしまおうと言う思考がひしひしと伝わってくる。何故自分の時間を使ってまで他人の為に動けるのか西院には分からなかった。少年はただ、殺意が込められた蒼い瞳に臆することなく頬をつり上げる。
「これは誰の差し金でもない。僕が一人で決めたことだよ。所詮、僕ができることと言えば少しでも魔法にかかわった人間を苦しまずに殺してあげることだからね。魔法に触れてしまった人間は人間ではなくなる。僕はそうなる前に殺してあげただけ。安楽死だよ。好き勝手に僕たちは殺しをしている訳じゃあない。魔法に触れたまま生きてしまえば何れこちら側に足を踏み入れのたれ死んでしまう。だったら、苦しむことなく殺してあげるのが一番でしょ。まあ、今回はそれも邪魔されてしまったけど。どちらが本当に正しいのか分かる?魔法は万能力があるものではないことぐらい誰だって分かっている。ただ不幸にするだけの異物。魔法全てを無にするにはソレの覚醒と共に人類を破滅させたら一発で終わるでしょ?ごちゃごちゃと考えることが面倒くさくなってね。確かに教会の掟には反しているけど。掟に反するぐらいだったもっとソレが立ち直れなくなるまで早く精神崩壊させればよかったよ。あははっ。つい、ソレが必死に走る姿が面白くて観察してしまったのがダメだったのかな・・・」
「そう。相変わらずお前って嘘が下手くそだよね。安楽死をしたって言っている時点で聖堂教会の誰かと繋がっているのは分かってるんだ。それとも、嘘を言って少しでも私たちをこの場に居させたい理由でもあったの?」
「ん?ばれちゃった?もう少しで、僕からの定期連絡が無い時が付いた仲間たちが来てお前らを安楽死させにくるよ。ふふふっ」
痛みには慣れたのか吐血をしつつも笑顔を作り西院を見続ける。瞳の色は死んでおらず身動きがとれなくなっている今でも命を狩ろうとする少年の視線に西院は道端に置いてあるボールを蹴飛ばすように勢いよく右足を地面へ踏み込み、ゆらりと後ろへと蹴り上げられた左足のつま先を少年の瞳へと勢いよく蹴りつける。悲鳴、悲鳴、悲鳴。人間がする行動ではない。出雲は目の前で起こっている出来事に直視することができずただ、嘔吐を繰り返しているだけであった。目の前に居る生物は人間ではない。生々しく何か柔らかいものが潰される音。脳裏へと焼き付いてしまう。水たまりで足踏みをしている様にぴちゃぴちゃと液体が跳ねる音が聞こえてくる。数分前の西院は知っている西院であったが目の前に居るモノは一体誰だ?飛沫音が止み静寂が辺りを包む。胃袋の中は空っぽになり嘔吐をしようにも胃酸が少し出てくるだけ。咳き込みながら地面へと視線を向け徐々に視界がぼやけ地面へと倒れ込んでしまう。西院は出雲が倒れ込む瞬間を見ていたのかもう一度視線を出雲へと向け本当に気を失っているか確かめ片目を潰されながらも西院をじっと睨みつけている少年へと視線を戻す。
「なぁ?私を怒らせない方がいいよ?有希だったらきっと彼女を連れて逃げるかもしれないけど私は違う。正直、彼女を泳がせて貴方を釣ろうとしたのは私だし」
やっぱり、魔法を知ってしまうと不幸になる。彼女も安楽死させてあげるべきなのかもしれない。まあ、貴方が気まぐれに与えた呪縛のせいで死ねない体になってしまったわけですけどね。と、愉快そうに笑いだす。あと、酷いことしますよね。と、追い打ちをかけるように少年は片目である場所へ視線を向ける。
「彼女の精神崩壊は邪魔されてしまったけど、視覚妨害で消しているソレはちゃんと殺しましたよ?大丈夫とか言って酷い人ですよね」
西院は幻影と言っていたが本当は瑞穂は出雲が見た通り首を刎ねられ死んでいた。しかし、真実をぶつけてしまえばそれこそ崩壊が起こってしまう可能性があるため嘘をかけ騙すことにしたのだ。忘却を使い出雲の中から彼女の存在を消すつもりだったためさほど気にはしていない。が、妙に少年の笑いが鼻につき問おうとした瞬間、
「本当の悪はどちらなのでしょうかね?暗示程度で人の記憶は操れない」
不敵な笑みを浮かべ少年は霧となり消えてしまう。少年の怪我は全て演技。いつでもこの場から消えることは出来ていたのだ。しかし、その演技さえも西院には分かっていた。寧ろ、この瞬間を待っていたのだ。消えたと言うことは元の場所へ戻ると言うこと。西院は死に体に向かって手を翳した瞬間に瑞穂の周りの時間だけが戻り始める。
「ふっ。演技に騙されているのはどっちだか」
誰に言ったのか分からない言葉を吐くと西院はその場から何かを追う様に颯爽と去っていく。
更新が遅くなりすみません。




