蒼月血漿Ⅰ
早くなる鼓動を確かめるように胸へと手を当ててみる。トク、トク、トク。と、心臓が動きその音はどこか懐かしく感じてしまう。昔、小さな頃に聞いた覚えのある心音。普段から聞いているはずの自分が奏でる心音にどこか儚さを覚えてしまう。急にこの様な感傷に浸っている自分に対して面白かったのか微笑してしまう。夜空を見上げてみると改めて月明かりの偉大さがよく分かる。蒼白い月明かりのお陰か今、歩いている道も微かにだがうっすらと周りの景色は見える。が、月明かりで薄らと見える程度の道なため普段はきっともっと影が多く、数メートル離れている人間も間近に来なければ気が付かないだろう。沸々と西院に向けた怒りがいい感じに溜まり始めている。流石に夜、急に訪問し友人に怒られるなんて滅多に体験できないことだろう。驚く西院の表情を思い浮かべるだけで出雲の表情は柔らかいものへとなっていく。来客に沈黙と言うか二人の間にある間を埋めるためなのか歩きつつ視線は前を向きながら檜が遠慮気味に口を開いてくる。
「お聞きしてもよろしいでしょうか?」
唐突な言葉に驚きつつも出雲は、もちろん、なんて気さくな口調で返答を返す。が、質問をした本人が何故か急に言いにくい言葉でも言おうとしているのか躊躇しているようにも感じ取れた。気を利かしてか、出雲の方から再度口を開く。
「どうしたの?家まで案内してくれているんだから運賃だと思って気兼ねなく聞いてよ」
談笑するように、顔見知りの友人に気さくな会話でもしましょう。なんて明るい声色で声をかける。すると、意を決したかのように檜は口を開く。
「出雲様は西院様にど、どのような用件で会いに来られたのでしょうか?どうしても気になってしまって・・・」
檜の言葉の一部にナニカ引っかかったような気がしたが、特に気にすることでもないだろう。と、流し問いについ、用件を答えようとしたが、本当に彼女に伝えていいのか分からず言葉に詰まってしまう。本当の事を言ってもいいのだろうか?そもそも、檜は西院家の使用人であってただの現実側かもしれないし、非現実側かもしれない。どちらか分からない。が、どちら側の人間かなんて確かめようにもどう言った質問をして確かめたらいいのか分かるはずもない。もしも、前者だった場合彼女を非現実に連れ込んでしまう可能性がある。それだけは決して犯してはならないことだと直感的に思い出かかった言葉を飲み込む。
「実は、ちょっと学校で友達に恋愛相談をされていてね。西院に好きな人が居るのか聞きたくて」
咄嗟に出てきた嘘。出雲にとっては本当にどうでもよい言葉であっただろう。けれど、黒松檜にとってはそのただの嘘がこの世で一番聞きたくない言葉だったなんて知るはずもない。そりゃあそうだ。出雲にとっても檜にとっても二人は初対面であり好き嫌いなんて分かるはずがない。檜もその事は重々承知している。姉の欅と違い檜は殆どの感情を表には出さない、出せない。抑制されていた幼少期の後遺症でもある。それなのに先ほど、出雲に対しての言動は目を見張るものがあり、彼女の事を知っている西院、欅が見たならばきっと驚愕するに違いない。そのぐらい、出雲に対しては自分の言葉を表へと出せていた。と、言っても全てを出せれる訳でもなく出雲の言葉を聞いた彼女はグッと感情を抑制し問いに対して答えてくれた出雲に感謝の言葉を向ける。本当は言葉を聞いた瞬間にすぐにでも西院のところへ行き顔だけでも見て安心したかった。が、今はそうもいかない。来客の道の案内をしている最中。仕事中はただの使用人。使われる人。感情を持ってはならない。使用人は使用人らしく振舞うことが生きる意味でありそれ以外の行動をした時点でただの埃へと戻ってしまう。先ほど抱いた感情も本当は口にしてはならなかった。ただ、外部からの人間だったから言ってしまっただけのこと。しかし、もしも?この事が屋敷のそれも西院に伝わってしまったらどうなってしまう?きっと彼は笑顔で気にもしないだろう。しかし、屋敷の主が許したところで周りはそうもいかない。自分自身がとんでもない言葉を、それも来客に言ってしまうなんてどうかしている。数秒前の自分に怒り以上に恐怖を覚え再度、足を止め出雲の方へ全身を向け見つめる。唐突に振りむいてくるものだから出雲も驚きを隠せないようで瞬きをしつつ言葉を待っているようだった。
「さ、先ほどから失礼な言葉を多々向けてしまい誠に申し訳ございませんでした。どうか、この事は・・・」
言葉を続けようとした瞬間に檜が何を言おうとしているのか分かったのか出雲が人差し指で口を紡いでくるなり笑顔を向けてくる。ふと、出雲の作りだした笑顔が西院の作る笑顔にそっくりであった。いつもこうして自分自身を肯定してくれているような笑み。昔から知っているかのような頬笑みに何故か涙ぐんでしまう。
「それ以上言わなくても分かってるよ。ここで交わした会話は秘密ね?それよりも西院くんの家は外見しか見たことがないんだけどメイドさんもいて・・・すっごく厳しそうだね。なんとなくだけど会話も制限とかされているの?それって厳しくない?」
苦笑いを浮かべる出雲に檜はすかさず言葉を返す。
「西院様は別です。いつも私たち姉妹にはよくして頂いて。西院様のお陰で私たちは学校へも通学させて頂けるんです。もしも、西院様が居なければ私たちは・・・」
その後の言葉を言いだしそうになった瞬間にハッと、道の先へと視線を向ける。出雲も檜の言葉の続きが気になったがあまりにも驚き恐怖している表情に違和感を覚え檜が向けている方へ視線を向けると小さな灯りがゆらゆらとこちらへと向かってきていた。しばらく見つめていると一人の老婆がランプを片手にこちらへとやってくる。ふと、視線を檜の方へと向けると近づいてくる老婆に脅えているのか小刻みに震え俯いたままただ黙っていた。一体何者だろうか?そう思っていると距離にして二、三メートルぐらいまで近付いてくる。と、
「これは、これは。夜分遅くに女性二人で歩いているなんて物騒なことで。夜散歩なんて風情があり最近の若い者には珍しく良い趣味をしています。が、オカシイですね。この時間帯にこの辺りを歩く人間なんてそうそう居ないと覚えていますが?私みたいな物好きぐらいしか出歩いていないとばかり。くっくっく。久々に若いお譲さんたちとお話しが出来て私は嬉しいですよ。そうですか、そうですか。ふぇっふぇっふぇ。月が青白く光る日には魔が動きだすからね。特に、若いオナゴの血肉を探しまわる。私はその血痕を探し回るのが趣味でしてね。この辺りなんか昔はよく新鮮な飛散血があちらこちらに模様のように滴っておりました。今宵はいつも以上に魔と血の香りが漂っております。・・・特にそちらの黒い髪のお譲さん」
薄気味悪い老婆が出雲の方へと迷うことなく人差し指を伸ばし指してくる。自分でも引きつっている表情を作ってしまっている事は重々承知しているが、それ以外どのような顔を作ればいいのか分からなくなってしまっていた。
「貴方は特に不思議な血の香りを漂わせております。精々、魔に魅られないようにお気をつけ下さいね。もしも、魔に襲われることがあるならば私に一言ほど伝えて襲われて下さいね。ふぇっふぇっふぇ。私は若い娘が流す鮮血を眺めるのがとても大好きなものでね。ふぇっふぇっふぇ」
そう言うと老婆は轟々と燃える炎を焚いたランプを左右に揺らしながら二人の間を割くように歩いていく。その間もずっと檜は脅えた様子でずっと地面へと視線を向け震えているだけであった。動声をかけていいのかわららずただ、困り視線を先ほど横を通り過ぎた老婆が歩いていったであろう道へ視線を向けるがその視線の先には誰も居らず月光が照らす道や電柱しか見当たらなかった。一体あの老婆は何者だったのだろうか?間近で見た感じだと雰囲気こそ不気味で近寄りがたく物々しくもあったが魔法的な不気味さは感じることはなくただ、単に不気味で物好きな老婆だろうと思う。しかし、出雲は所詮魔力を感じることに対して素人同然であり感覚で感じているため老婆が本当に人間的な不気味さだけなのかは分かるはずもない。西院が居ればきっと何かしら助言はくれるのだろうけど居ない人間に頼ろうとするほど出雲は弱くはなかった。とりあえず、脅え続けている檜をどうにかしようと、優しく、余計に脅えさせないように、子供に話しかけるよう口を開く。
「大丈夫?薄気味悪いお婆さんは居なくなったよ?」
「・・・」
出雲の言葉を聞くなりゆっくりとであるが地面へと向いていた顔をあげる。何度も、何度も瞬きを繰り返し乱れた鼓動を通常運動へ戻すように深呼吸をし始める。確かに不気味ではあった。言動も狂気じみており早くこの場から通り過ぎて欲しいと思った。が、檜のように呼吸が乱れ動揺するほどだっただろうか?檜に対して疑問が出てくるのは仕方がないことであったがその事を聞いてしまえばきっとまた、思いだし脅えてしまうかもしれない。静かに何度も深呼吸をし落ち着くまで黙り待っていると、もう大丈夫です。御心配をおかけしてすみません。と、言う様に頭を深々と下げてきたためつい、こちらも頭を下げてしまう。
「あの方は近所に住んでいる方でなんです。私は昔からどうもあの方の瞳が怖くて直視できないんです」
「瞳が怖い?でもあのお婆さん目を瞑っていたようにも見えたけど・・・」
確かにそうだった。出雲たちの目の前に現れた老婆は確かに目を瞑っているように見えたのだ。目が細いからではなく、本当に目を瞑っている。意図的に瞳を閉じていたのだ。その言葉に檜は驚きを隠せない様子でほんの少しだけ呼吸が乱れ始めたため出雲はすかさず、謝罪を済ませ西院家へと向かうように促す。檜も謝罪をすると先ほどよりも弱々しい足取りで歩きだす。しばらく歩いているとひと際大きな門が視界へと入り込んでくる。以前に西院をおぶり門まで来たことを思い出しつつ歩いていると、門の前辺りでぼんやりとした明かりがゆらゆらと右往左往している。その光を持っている人物が出雲たちを見つけたのかこちらへと迫ってくる。
「檜。遅かったから心配しましたよ!・・・出雲さん?」
鏡で映したかのように隣に居る檜とまったくと言っていいほど同じ顔が出雲を見るなり邪険な表情を向けてくる。一体何をしに来たんだ?なんて言いたそうな表情につい出雲も怖気づいてしまう。が、その視線に割って入ってくるように檜が欅に謝罪を向ける。
「お姉さん。ごめんなさい。お稲荷さんを売っているお店が軒並み閉まっており買って来れませんでした」
「帰りがこんなに遅くなったってことは随分と遠くまで行ってくれたのね。私こそごめんなさい。・・・それより、どうして私の妹と一緒に出雲さんがここにいらっしゃるのでしょうか?」
明らかに敵意を向けられていることが分かるほど冷たい言葉に苦笑いを浮かべつつ口を開こうとすると、再度檜が代弁してくれるように口を開く。
「出雲様は西院様に用事があるらしくて。それに私も道中、体調を崩した時にお世話になったのでお礼にお茶でも御馳走したいんです・・・ダメですか?」
体調を崩した。と、言う言葉を聞いた瞬間に欅は檜の手を取り門をくぐり歩きだす。なすがされるままと言う感じで檜は欅に連れていかれてしまうが、ふと欅は何かを思いだしたように振り向き出雲へと視線を向けてくる。
「妹がほんの少しだけお世話になったようなのでお礼にお茶でもお出しするのでどうぞお入りください。けれど、有希様はただいまお客様が来られているので玄関の辺りで少しの間お待ちください。妹を横にさせた後にそちらまですぐに私が向かい客室までご案内いたしますので」
そう言うと先ほど以上の速度で檜を屋敷へと連れていく。檜も出雲を見つつ会釈を済ませるともう、見えなくなってしまう。耳を澄ましてみると先ほど歩いてきていた道には感じることが出来なかった木々(いきもの)たちの鳴き声が所々から聞こえてくる。妙に落ち着きつい立ち止まりうっとりと聞き続けてしまいそうになるが、そう言う訳にもいかず歩き西院家へと向かい歩き出す。思った以上に門をくぐってから館に着くまで距離があり遠くから映る西院家はどこかぼんやりとした明かりが点々と点き不気味で近寄りがたい雰囲気を纏っていた。
2015/10/20
※誤字訂正




