鞄を片手に少女は微笑むⅦ
教会の扉を開け空を見上げてみると薄らと夜が顔を出し始めていた。見慣れた景色のはずなのにどうしてだろう?いつも以上に虚無感を強く感じてしまい、先ほどの女性が口にした問いが頭の中で何度も、何度も繰り返し再生されてしまう。安楽死が別に悪いことなんて思ってもいないし良いことだとも思っていない。いや、きっと西院は命を自ら死に向かうことを嫌っている。自分自身の命なのだから本人が決めることだ。と、言う人が居るかもしれない。けれど、それを自分が認めてしまえば自殺だって肯定してしまうことになりかねない。自ら命を投げだすことに関して、人一倍西院は敏感になってしまう。理論整然とした会話を心がけている西院でも命の事になると感情でものを言ってしまう。その背景には西院と一人の少女の物語がある。手入れの行き届いた中庭を歩きつつ視線をほんの少し先へ向けてみると、ビニール袋、鞄を持った女性が門の前で立ち止まりこちらをジッと見つめていた。見覚えのある制服に自然と歩く速度も速くなり立っている女性のところへと急ぎ手を上げ挨拶をしようとした瞬間に女性は西院の胸へと飛び込んでくる。倒れ込みそうになるがなんとか片足を後ろへ持って行き踏ん張る。
「ど、どうしたの?」
咄嗟の事で西院も気が動転していたのか女性の両肩を掴み抱きしめるような形で問うた。胸へと飛び込んできていた少女は何かに脅えているように微かに震えたままジッと胸に顔をうずめているだけ。どうしていいのか分からず困り顔で立っていると女性が顔を上げ西院を見つめてくる。が、その瞳には光が射しておらず真っ暗な瞳に背筋が凍ってしまったかのような冷たさが襲ってくる。つい先ほど見た気がする瞳の色に西院は生唾を飲んでしまう。
「有希さま。ダメですよ・・・偶然、本当に偶然に有希さまの後をつけて寄り道する場所が分かったからこうして待つことが出来ましたけど、本来なら寄り道をする場所を事前に私に伝えて下さらないと。じゃないと私、心配で心配で何をしでかすか分かりません・・・本当に私に隠し事だけはしないでください・・・ね。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします」
壊れた機械のように欅は同じ言葉をぶつぶつと西院の目を見つめながら口を動かしている。あまりにも屈折した愛情。これは愛情と言うよりも憎愛ではないだろうか。好きだからこそ憎く、愛おしくてたまらない。親の仇でもなければ恨みを向けるような事をされた事なんて一度もない。いや、西院は恨みを買うことをしていないと思っているだけであって欅にとっては自分以外の人間と同じ空気を吸い会話をする事だけで嫌なのだ。本当なら今すぐにでも監禁でもして二人だけの愛を育みたかった。が、そんな事をしてしまえば西院に嫌われてしまうことぐらい分かるため五千歩譲歩してこの距離を保っている。悲痛な欅の言葉に表情を出来る限り彼女とは真反対の優しい微笑みを浮かべ、
「心配させてしまってごめん。今後は気をつけるよ。いつも心配をしてくれてありがとう」
そう言うしかなかった。西院自身も欅の気持ちに気が付いていないわけではない。ここまで愛されていれば欅が好意を持っていることぐらい分かっている。しかし、その気持ちに答える事は出来ない事も事実。しかし、明確に自分の言葉を向けてしまえば彼女もまた自分の命を容易く絶ってしまうだろう。西院自身が欅をこの世にとどめている鎖であることを知っている。きっと欅自身も西院の抱いている気持ちに気が付いている。が、西院を自分のものにするためなら自分自身の命を賭ける事なんて造作もない。寧ろ愛しい人の為に命を賭けることこそ自分の命の在り方であるのだと思っている。西院の事を好いて、いつも考えているのに一切西院の事を想っていない。矛盾だらけの憎愛。西院のどこに惚れているのか聞いたところで明確な答えが返ってくることはないだろう。ただ、最初の心のよりどころであっただけのこと。
「今後はどこへ行くのかはしっかりと私に報告して下さい・・・ね?」
「出来る限り気をつけるよ」
欅の瞳には未だに光が射しておらず口元はうっすらと微笑んではいるが瞳は相変わらずの黒いままずっと西院を見つめてくるだけ。体も西院に全てを預けている状態であるため寄り掛かるかたちで体を預けて来ていた。このままこの場所に居るわけにもいかず掴んでいた両肩に力を入れ体を引き離すように欅の体を押し戻す。欅も西院の動作に体を預け名残惜しそうな表情一つ変わらず定まっていない視線を西院から地面へと向け俯き気味に歩きだす。いつもと違い西院の真横に立ち鞄、ビニール袋を両手で持ち左右にゆらゆらと揺らしながら歩いている。
「荷物重いでしょ?持つよ?」
「良いんですか?ありがとうございます。やっぱり有希さまは優しいですね・・・ふふっ」
そう言うとはち切れんばかりに膨らんでいたビニール袋を手渡してくる。中身は見なくてもすぐに分かる。全てお稲荷さんを作るための油揚げ。一体何人前を作ろうとしていたのだろうか?一抹の不安を抱えつつ家へと歩き向かう。日も落ち始めていたため宮桜坂が不気味な雰囲気に包まれ始める。きっと普通の人間が足を踏み入れても何ら変わらない場所でも魔法使いにとっては因縁の場所でもあり未だに濃く魔法使いの感情が残っている。坂と言うこともあってか自然と下る速度が速くなってしまう。欅も西院の歩幅に合わせるように小走りになりながらもついてくる。坂を下りきり自然と振り向き聖堂教会の方へと視線を送ってしまう。と、とても強い殺意を感じる。それは西院に向けられているのではなくきっと隣に居る欅に向けられている。
「有希さま?どうかなさりましたか?」
「あ、いや。なんでもないよ。ごめん。帰ろうか」
「はい」
時間が彼女をいつもの姿を取り戻してくれたのか口調、表情、瞳全てがいつも通りの欅へと戻った気がした。無意識に西院は小さくため息を漏らす。無意識にそうしてしまうところがきっと西院も精神的に欅の事に気を使っていたのだろう。二人は仲良く言葉を口にすることなくただ沈黙のまま街を歩き続けていた。きっとすれ違う人々はこの二人を見たところで男と女の関係であるとは一切思い描かないだろう。良くて兄妹ぐらいにしか見えないだろう。すっかりと夕日が沈み夜が顔を出していた。街の明かりで輝きこそ、そこまで目立たないが月が今宵も禍々しほどに美しく煌めき始める。街は夜だと言うのに、いや、夜だからこそさまざまな命が鬩ぎ合い薄気味悪い雰囲気を醸し出している。こう言った人間の欲望が渦巻いている空間はあまり好きではない。欅も西院と同じ気持ちを抱いたのかほんのり眉間にしわを寄せ不満そうな表情を作ったかと思えば両手で掴んでいた鞄を揺らしながら顔を向けてくる。
「有希さまはどうしてあの場所に寄り道をされていたのですか?学校からも遠いしわざわざ出向くような場所でもない気がして。もしかしたら、本当にもしかしたらですけど私に何か隠し事をしているのでしょうか?私は別に有希さまを疑っているわけではありません。けど、もしかしたら、もしかするじゃありませんか?ほんの小さなどうでもいい嘘でもされていたら私はどうしたらいいのですか?いくら頑丈な物でも小さい亀裂が出来てしまえば何れは壊れ朽ち果ててしまう。私はそれが怖いのです。だからこそ有希さまの全てを知っておかなければならないのです。だからどうか教えてください。どうして教会に足を踏み入れたのですか?もしかして・・・教会に居る女性が目当てで・・・そんなわけないですよね?あははっ。私ったら馬鹿だな。有希さまがそんな馬鹿な男みたいな浅はかな行動をする訳がないですよね。ごめんなさい。それだけは違うって分かってたのに。どうしたんだろう?ごめんなさい。私ばかり喋ってしまって・・・それで一体あの場所にはどのような目的があって足を運ばれたのですか?」
いつも通りに戻っていたのかと思いきや視点が合っているのか合っていないのか分からない表情を向けてくる。こちらを見ているのか定かではないけれど、何故か心の中だけは見透かされてしまいそうな深い色をした瞳。普通の人間ならばきっと彼女の威圧感、違和感に白状してしまうだろう。が、西院は普通の人間ではない。西院はただの、魔法使いであり黒松欅の主人でもある。この様な質問は幾度となく繰り返されてきている。西院は出来る限り微笑みを作ると欅の頭を二回ほど優しく撫でる。
「・・・」
欅の瞳は光を取り戻したかのように輝き頬を真っ赤にしたかと思えば俯いて黙りこんでしまう。
「欅はそこまで心配してくれなくていいんだよ?何度も言うけど心配する事は悪いことじゃあないし、それだけ俺のことが大切だって思ってくれている証拠でしょ?そこまで思ってくれているならもう少し信用しないとね?ずっと心配し続けていたら欅の心が壊れてしまうよ。俺はそっちの方が心配になるよ。いつも言う様に、隠し事はしていないしこれからもするつもりはないよ。だからもう少し自分の事を考えて欲しいんだ。せっかく学校でも可愛いって言われているんだから、やっぱり険しい表情よりもそうやって恥ずかしがって照れてる顔の方が可愛いからさ」
「・・・はい」
照れくさそうに頷き俯いたまま滅多に西院の前を歩くことはない欅が先導するように歩き始める。求めていた言葉を聞けたことで満足したのだろう。奉仕する相手よりも先に歩いてはいけないという自分に課せた制約を無意識に破ってしまうほど西院の言葉が心を満たしたのだろう。何故か西院もほほ笑み欅の後ろ姿を見ながら歩きだす。屈折した憎愛と屈折した感情は決して交わることが無い。交わったとしても薬には確実にならない。なるとすればきっと猛毒であり互いを滅ぼしていくだけだろう。西院はその事実を分かっているのにもかかわらずに何故、近くに居るのは一体何なのだろうか。ふと、自問自答をしてみるが理由は一つしかないことぐらい分かっており考えるだけ無駄なことでもある。
「目の前で人が死ぬのは嫌だもんな」
青白く光る月に向かって言葉を吐き出す。月はそんな迷いを抱く魔法使いを見ながら嘲笑っているかのように二人を照らし続ける。しばらく歩き自宅の中庭まで着き家まであと少しと言うところまで来た時、ふと夜空へと視線が向いてしまう。目に入ってきたのは無数に広がる銀色の世界。自宅の周りには光もなく暗闇に包まれているためより星がはっきりと見える。昨日、出雲と一緒にこんな星を見たな。まあ、こう言う風に感動してお互いに見れなかったけど。と、昨日の事を思い出すとつい口元が緩んでしまう。
「何か面白いものでも見えましたか?」
すかさず西院のほんの少しの表情に気が付いたのか欅も立ち止まり星空を見るのではなく西院を見つつ質問をしてくる。
「別にそうじゃないよ。ただ、星が綺麗で色々な歴史があるなって思って見ていただけだよ。それよりお腹が空いたな。早く、欅が作るお稲荷さんが食べたいな」
「は、はい!じゃあ、私は早速先に帰って支度をしていますね。有希さまも帰ったら手洗い、うがいをして着替えて下さいね。あと、袋も持って頂きありがとうございました」
敷地内に入っているため西院はもう自宅に向かうのだろう。と、安心したのか欅は頭を下げつつ持っていたビニール袋を受け取ると小走りで急ぎ家へと向かっていく。西院もしばらく星を見つつ黄昏てしまう。いつものことながら欅の相手をするのはつかれてしまうな。そんな事を考えつつ目を閉じてみる。と、耳に入ってくるのは夜風に揺られる木々の揺れる音。また静寂がやってくる。魔法使いたちが動きだす世界。非現実が表へとやってくる。そう考えるだけで西院は体中が震え始めてしまう。夜がこれほど怖く冷たいものだったのだろうか。唐突に出てくる死の恐怖に脅えながら自宅へと歩き始める。




