鞄を片手に少女は微笑むⅡ
学校へと近づいていくにつれ同じ目的地に向かっている学生が数多く目に映る。楽しく友人と会話をしている人もいれば一人音楽を聴きつつ自分の世界に没頭している人もいる。人それぞれの登校スタイルがありどれもいつも見る日常なのだけれど西院はこう言った景色はあまり好きではなかった。学校は嫌いと言うよりも苦手でありそれは別に友人が少ないから、嫌がらせをを受けているなんて事で億劫になっているわけではない。寧ろ、友人関係とうは良好であるし恵まれている方だと思っている。しかし、妙な苦手意識を持ってしまっている。今日に限ってはいつも以上に気持ちの悪い、居心地の悪い場所へ向かっているな、なんて思ってしまう。学校は大人からしたら小さな世界でありそこで起こる出来事なんて人生の中で些細なことである。たかだか一、二年早く生まれたからという理由だけで学校では神扱いだってされる事もある。学生にとっては大人から見ると馬鹿馬鹿しいほど小さな世界が全てであり、その小さな世界で轟々と渦巻いている感情に触れることが多くなってしまう。別にそんな事を気にすることなく日々日常を過ごせばいいのだろう。しかし、なんとなく分かってしまう。鋭く尖ってしまった感覚はより一層人の心の中に勝手に入り込み勝手に受信してしまう。その受け取る感情を紛らわすために勉学に励んでいるのも事実であった。余計な事を感じる前に他の事で意識を向け極力無視が出来るように。
「やっぱり選択を間違えたかな」
表情は雪側の柔らかい表情ではなくいつも冷徹な有希の表情へと戻りつつあった。意識して作っているわけではなく、自然と険しい表情になってしまっていた。あまり人間と関わりを持ち情が移ってしまえば死と直結するほど浅はかなものだと思っているからである。魔法使いが普通に生活をしている人間と関わることで百害はあるけれど一利もない。出雲がいい例だ。あれだけ命がけで逃げ切り得たものと言えばなんだ?なにもありゃしない。気さくな笑顔こそ見せていたが本当にその笑みが本物かは分からない。感情は伝わってくるが表情の本質を見極めることができない。器用な彼女ならば道化師にだってなれるだろう。自然と奥歯を噛みしめてしまう。知らないことはいいことだ、なんて言っているけれどそれは魔法使いの勝手な解釈だ。知ってしまえば自然と恐怖、理不尽さが生まれてしまう。圧倒的な力を見せつけられてしまっても知らなければそれは圧倒的だと思うこともない。ただ、出雲には絶望を知ってほしくなかった。これは西院の独りよがりなのは誰だって分かること。それでも、話しをしなければならない事もある。ある事を確かめると同時に出雲に伝えなければならない伝言もあったためこうして学校に向かっていたのだけど今日に限って耳障りな感情がいつも以上に入り込んでくる。と言っても自分が決めたため引き返すことなく歩き続ける。それにしても、良くこれだけの感情が混ざっているのに崩壊することなく生活が出来ているな、なんて感心もしてしまう。
「人間は想いやることのできる人間か・・・だったらどうして優劣をつけたがる?」
感情が数多く混ざり合っている場所に多く発生するであろう人間の負の部分。それは競争力であり、自己を高めるためには必要なことであり、人間が成長するために不可欠な1つの起爆剤だ、なんて言う人間もいるだろう。しかし、そんな事はただの綺麗事だ。そう言う奴に限って裕福な人生を歩み挫折を知らない奴が言うことが多い。いや、裕福な人間と言うよりもプライドが高い人間、自分の存在を認めてほしい人物に認められない人間に多いと言った方がいいのかもしれない。優劣をつけることは別に悪いことでもなければ確かに次の段階に上るために必要とする人間もいるだろう。が、全ての人間がそう思うかと言えばそうではない。ただ、純粋に人を見下すために優劣をつけ格下の人間を眺めつつ自分の価値を再確認する奴だっている。そう言った人間の格を学校内では数値と言う簡単なもので決めるような風潮が有希は大嫌いであった。運動など自分が好んで競う舞台に立ち優劣をきめるのなら勝手にどうぞ。そこまで人間に干渉している暇はない。が、知らぬまま陰で優劣をつけあざ笑い暴力だって行う輩も少なくない。そんな非現実の世界よりも禍々しく闇が多く蔓延しているであろう場所へと自然と視線が向く。進学校とは聞えがいいが中身はただの人間観察小屋。そんな風に思いつつ視線を向けつつ何故か乾いた笑いが自然と出てきてしまう。
「らしくないな。学校ってもっと楽しいところなんだけど・・・やっぱり誰かの感情が流れ込んで来てるのかな。こんな状態で学校に行っても大丈夫かな」
自分に対してなのかため息を吐きつつ歩いている、と出雲が自動販売機付近で何やら挙動不審な行動を取りつつ歩いている学生を見ながら誰かを探しているようだった。探していた人物を見つけたのか颯爽と駆け足で近付いてくる。
「西院くん。遅かったね」
「どうしているの?欅と一緒に行ったんじゃあないの?」
欅の名前を聞いてか出雲は苦笑いを作り妙な雰囲気になる。
「いやぁ・・・欅さんってあんな人だったかな・・・ちょっと西院くんに対する思いの熱量が怖いって言うかさ・・・」
はっきりとしない出雲に問いかけても、あはは、なんてぎこちない笑顔を作りながら笑っているだけであった。西院の歩く速度に合わせてくれているのか出雲もゆったりとした足取りで隣を歩いてくる。
「それより誰かを探してるようだったけど?」
「うん。西院くんを探してたんだよ。と言うより待ってたって言った方が正しいかな?丁度喉も乾いてたし」
朝から喉が渇くほど欅と会話でもしたのだろうか。なんとなく出雲の苦笑いする理由が片鱗であるけれど見えた気がしたため西院も聞こえるか聞こえないかの声で謝罪の言葉を向ける。ポケットから缶珈琲を二つ持ちだしてくる。
「西院くんってブラック飲める人?」
「うん。飲めるけど・・・もしかして買ってくれたの?」
「いや、当たり付きの自販機で当たって時間制限に焦って押したらブラックを押しちゃって。飲めるならあげるけど?」
「あ。そうだよね。じゃあ、頂こうかな」
「そう言えば今体が痛いんでしょ?流石に分かっててその震える手に渡せないわよ。そうだ」
ぎこちなく前へと差し出された手を避けるように出雲はそっと西院の肩にかかっている鞄のポケットへと押しこむ。
「痛いっ」
「これでも痛いんだ・・・まあ、確かに昨日の西院くんは頑張っていたもの」
出雲はそう言うと空へと視線を向ける。懐かしむように昨日の事を思い出しているのだろうか。普通の人間ならば思い返すだけでも嫌な思い出になり得る出来事だったのに出雲の表情からはそんな感情は伝わって来なかった。寧ろ、楽しい思い出を思い出すかのような明るいものだった。青空の背景に入り込んでくる出雲の姿に自然と西院は言葉を発する事もなくただ、見蕩れてしまっていた。視線に気が付いたのか出雲は、なに?なんて聞きたそうな表情を作り首を傾げてくる。何故か西院はすぐに視線を逸らしてしまう。その反応が可笑しかったのかクスリと笑い人差し指を立てこちらに向けながら凛とした姿勢で彼女は口を開いてくる。
「そう言えばさ?聞きたかったんだけど西院くんのように魔法使いってこの学校の中にもいるの?あ、質問をわざと聞き流すのはもうやめてね。流石に色々と疑問を持ってるけど答えやすそうな質問をわざわざ選んでしてるんだから」
「よく分からないんだよ」
「はぁ?またそれ?」
「これは本当の事なんだ。魔法使いって言うのは外見じゃあ分からなくて。現に俺だって普通の人間に見えるでしょ?」
「周りからはそう見えるかもしれないけど私から見れば全然普通の人間には見えなくなってるよね。あれだけ体が負傷してたのに次の日には学校に来てるんだから」
「それを言ったら出雲だってそうだろ」
「まあね。・・・それよりも!」
質問の答えをはっきりと明確に言え、と視線で圧力を送ってくる。
「魔法使い同士にも波長みたいなものがあって・・・そうだ。ラジオってあるでしょ。あんな感じ。意識してチューニングして波長が合えばその辺りに居るなって分かるんだけど、俺そう言うの苦手で」
「苦手で・・・ってそれで済ませちゃっていいの?また襲ってきたりはしないの?」
当然のように出雲は西院の発言に驚いたように目を見開いてくる。が、西院はそこまで近くに魔法使いがいるかどうかなんて正直興味が無かった。魔法使いが世の中にそういてたまるものか。奇跡的に魔法磁場が強いこの場所だから聖堂教会なる建物が存在しているけれど現実では廃れつつある魔法。昔はよくヨーロッパ辺りに多くの魔法使いが居たと言うが今じゃあその辺りにも数えるほどしか居なくなっているらしい。
「昨日の出来事は本当に稀なんだ。基本的に魔法使い同士が殺し合う・・・命を狙いあう事は禁止されているんだよ」
「どうして?」
「秩序が乱れるから。それに今じゃあ魔法なんて使える人間なんて本当に稀なんだよ。昨日も言ったけどヘタな魔法よりも現代科学の方が勝っている。命を取ろうと思えば簡単に近くにある店に行って手に入る。わざわざ人生をかけて魔法を得ようとする人間がいなくなったんだろうね」
「なるほど。でも、もしもその稀にまた出くわすことはないの?それに学校に居る時にそう言った昨日の獣たちが来たら凄い被害が出てくるんじゃあ・・・」
神妙な顔つきに変わる出雲の表情をみるも西院は相変わらず表情は変わる事はない。
「魔法使いはそこまで馬鹿じゃあないよ。表沙汰になるような・・・例えば昼間誰にでも目につくような場所で魔法を使うと言うことは世界に淘汰されてしまうこと分かっているんだ。所詮、魔法使いと言えど肉体的には人間と何ら変わらないからね。ちょっぴり自己再生が早いってことぐらいかな」
「いやいや。それに変な光りの球とか出すでしょ」
「その辺りはおまけ程度だよ。だから、ちょっと脱線してしまったけど俺たちが通っている学校にまず間違いなく魔法使いは居ないよ。安心して」
頬をあげ明るい表情で、安心をして、なんて言っているけれどどうしてもパッとしない西院の表情に出雲は頷きつつも信用できなかった。魔弾がおまけ程度なんて言える代物ではないことぐらい、足を一度しか踏み入れていない出雲でさえ分かる。だからと言って西院が言っている事は嘘ではないだろう。が、価値観、ズレが人間よりも大きいのも確かである。先ず、出雲と西院では命の価値観にズレがある。出雲は至って普通であり生命は大切で尊いものであり、いくら親しい親族、友人でさえ踏み入れてはいけない領域であると考えている。西院は口調こそ魔法使い同士の殺し合い、命の奪い合いなんていけない、と言っているが瞳の奥ではそんな事を思っているようには思えなかった。返答する解答がありそれをただ読んでいるだけのようにも見えてしまう。本心はもっと深く暗い場所にあるようにも思える。
「ダメだな」
考えすぎてすぐに人を疑いメガネをかけて見てしまう。そうじゃあない。実際に西院は嘘をついているのかついていないのかは未だに分からない。もしも嘘だった時にそう言うことは考えれば良い。今はただ西院の言葉を純粋に聞きいれれば良い。出雲の発言に反応したように西院は口を開く。
「ダメってなにが?」
「ん?私の思考が」
「そうかな?別に変だとは思わないけど。自分を過大評価する人はあまり好きじゃあないけど、過小評価する人も勿体ないと思うよ」
「勿体ない?謙虚だと思うけど?」
「そう取る人もいるか。確かにそうかも」
言葉のあと二人は会話をすることなく学校へ視線を向け歩き続ける。進学校と言うこともあって世間体を気にするのか生徒会役員たちが校門の前で身だしなみのチェックをしつつ登校してくる学生に挨拶をしている。そこに欅の姿もありどうも役員の誰かに掴まり無理やり引き連れられたのだろう。表情こそ笑みを作っているが周りから禍々しい雰囲気が漂っている。
「やばっ。私とりあえず先に学校に行くから。また昼休みに旧校舎の屋上で」
同じ速度で歩いていた出雲は生徒会役員のメンバーを見てか欅を見てかそそくさと校門でも端の辺りを通り極力関わり合いにならないように凛とした姿勢を崩しこそこそと学校の敷地内へと入っていく。あの出雲をここまで脅えさせるほどの事を欅は言ったのだろうか。むぅ、と言葉を濁すように欅を見ていると視線を感じたのか表情が明るくなりこちらへ満面の笑みで微笑んでくる。自分自身に向けられている訳でもない他の男子生徒がその笑顔につられ欅に向かって元気よく挨拶をしつつ礼儀正しく頭なんかもさげたりしている。続々と学校の校門を通り過ぎていく生徒に混じり校門を抜け昇降口へと向かう。
「うっぷ・・・」
近づこうにも時間的に生徒が多くその場所へ集結している事もあってか西院の体の中には様々な人間の思考、感情が次々に流れ込んでくる。嗚咽を我慢しつつもう少しだけ人が少なくなった時間にずらし向かう事に決め生徒が少ないであろう旧校舎の方へと歩き向かう。旧校舎に向かうにつれ少しずつではあるが気分も良くなり嗚咽をするほどでもなくなっていた。感覚が短い呼吸になり必死に酸素を吸い吐くの繰り返し。近くに合った古いベンチへと腰かけ呼吸を整える。
「回路が壊れてるとここまで生活に支障が出るものなのか・・・でも、仕方ないことなのかも」
諦めたような声を朝空へと向け目を閉じる。草木が擦れる音が聞こえてくる。ほんの数十メートルしか離れていないのにこの辺りには人工の音はなく自然の音しか耳に入って来ない。廃れてしまい使いにくくなり人が好んで近づかない場所でさえも今の西院にとってはとても安らぐ空間になっていた。不意に手を空へと上げ太陽の光へ照らすように持って行く。と、薄く肌の中に張り巡られている魔法回路が見える。
「どうして俺は魔法使いなんかになったんだ。別に求めてもいないし、願った訳でもないのに」
「それは君の本心かい?。」
「当たり前だ。俺が思っていることなんだからそれが真実に決まっている」
「でも、君は願ったはずだよ。誰よりも強い力を欲しいと。だから、私は君に力を与えた。」
「勝手にお前が与えただけの呪い。これは力じゃない。ただの暴力だ」
「暴力でもいいじゃないか。力よりもより一層増しているじゃないか。」
「五月蠅い。お前は一体何者だ」
そう問うた瞬間、声は聞こえなくなる。幻聴だったのか夢でも見ていのだろうか。違う、確実に誰かの意思が有希の中へ入り込ん出来ていた。苛立ちをぶつけるように地面へ転がっていた石を蹴り飛ばしてしまう。丁度草むらの辺りへ飛んでいき草の揺れる音が聞こえそこから猫が驚いたのか飛び出し逃げて行く。
「あ、ごめんなさ・・・」
猫に対しても謝罪をしようとする自分が薄気味悪くどこかある人物に似ている気がして言葉を止めてしまう。耳に入り込んでくるのは静かな風の音だけ。胸の奥底で湧き上がってきそうになるナニカを必死に抑え込もうと冷静であれ、と言い聞かせ深呼吸を一度大きくする。
「そう言えば。丁度いいし確かめておこうかな」
気を紛らわすように西院は視線を昨日の舞台でもある旧校舎へと向ける。夜の雰囲気とはうって変わり変わり映えのない古い四階木造建ての校舎である。
「取り壊しに決まっている割には未だ立ち入り禁止だけど新校舎と繋がってる廊下は壊してないんだよね。何を考えてるんだか。まあ、それがあったから助かったんだけどね」
昨日の無茶な言葉、行動を思い出し笑いながら立ち上がり旧校舎へと向かおうとした瞬間に当然のように呼び止められてしまう。振り向くとそこには黒装束の姿をした男性の姿であった。その姿が視界へ入った瞬間に一瞬だけ意識が遠のくがすぐに戻り目の前の男を睨みつける。
「貴方がこんな場所に、それも私の目の前に出てくるなんて自殺願望でもありましたっけ?」
棘のある言葉に黒装束の男は微笑みながら口を開いてくる。
「まさか。私はただ、自分の勘を信じてここに着たまでですよ。あ、ちゃんと学校の許可は得ていますよ」
律儀にも許可書を見せ自分は不審者ではないと言いたげな様子であった。が、雪にとっては別にそんな事には興味が無かった。聖堂教会の人物がここに居る事が心底気にいらないのだ。有希自身もつくったことが無いであろう険しく鋭い視線を向けているが、それでも臆することなく黒装束の男は旧校舎へとゆったりとした足取りで近づいていく。
「私はね?秩序を乱そうとする生物は許せないだけなんですよ。それが肉親であっても、愛しい人であってもね?言っている意味分かりますか?」
「どうでしょうね」
「相変わらず棘のある言い方ですね。もう少し肩の力を抜いて話しをすればもう少し生きやすいのでは?」
やれやれ、と言う様子で肩を左右に動かし旧校舎の外壁を一通り見渡し背を向ける。
「私の勘も今回ばかりは外れたようです。この場所に異様な魔力を感じたのですが・・・西院さんはナニカご存知ですか?まぁ、知っていたところで私に教えてくれるほど甘い方ではないですよね?しかし、もしかしたらって事もありますからいつもの質問させてもらっていいですか?」
そう言うと黒装束の男は片手を顎に置き視線を西院の瞳へと持って行き
「貴方一体何者ですか?」
返答が返ってくることなんて期待もしていなければ、本当の事を分かって質問しているようで気にいらなかった。西院の余計に険しくなる表情を見つつ軽く会釈を済ませる。
「流石に意地悪をしすぎちゃいましたかね。私の勘は外れたことですしここは少年、少女たちの勉学を勤しむ場所。私のような大人が来る場所では無かったですね。それでは、西院さん。失礼します」
そう言うともう一度軽く頭を下げ背を向け校門へと歩きだす。あまりにも無防備な背中。鞄の中の筆記用具の中に入っているカッターナイフを取り出し刺すことだってこの状況だったら可能だろう。しかし、そんな浅知恵なんて気が付いている、なんて言いたげに目の前の男は振り向くことなく手をあげ、
「私も貴方と同様に感情が受信できることをお忘れなく。それに、貴方じゃあ私は殺せない。では、勉学に励んでくださいね。あ、あと。貴方の魔法回路が何故か破壊されていたのでサービスで直しておいてあげましたよ」
そう言い残し男は学校を去っていく。言葉の通り西院が感じていた痛みはいつの間にか消え去り他者との過敏なほど感じていた感情も意識をしなければ伝わって来ないほどになっていた。男がした事は西院にしてみれば喜ばしく、頭を下げて感謝してもお釣りがくるぐらいのサービスであったにちがいない。しかし、西院の表情は一向に険しさを増すばかりで感謝なんてしてやるものか、余計なことをするな。なんて文句が一言では収まりきらないほど不快感を露わにしていた。
「はぁ・・・それにしても相変わらず勘だけはいい男だ。もう少し気をつけて行動しないと出雲が危ない。旧校舎の中は放課後にでも調べてみよう。とりあえず時間もそろそろ危なくなってきたし、教室に行かなきゃ」
昇降口へと到着するなり欅がジッと西院の下駄箱を眺めていたため声をかけると満面の笑みで振りかえってくる。
「有希さま。どこに行っていたのですか?私心配しましたよ。もしかしたら体調でもすぐれなくなってしまい早退されたのかと思いとても心配しました」
胸を撫でおろし上靴を揃え置いてくる。お礼を言い普段通りに靴を持ち下駄箱へ入れると不思議な物でも見ているかのように欅は西院の腕を見ていた。
「有希さま。その・・・体はもう良くなったのですか?」
「ん?・・・ああ。そうなんだよ。何故か急に体調も良くなったんだ。だから今日の生徒会は出てもらって構わないからね。心配をかけてごめんね。ありがとう」
「・・・そうですか。嘘ついていません?」
どこか影を潜めた暗い表情になり虚ろな目で西院を見てくる。
「嘘をつく必要なんて無いでしょ。本当に欅は心配性だな。困ったことがあれば頼らせてもらうから。ありがとうね」
肩を軽く叩き教室へと向かう。欅も西院の後ろ姿を追う様に静かについてくる。ざわつく学校になんとなく新鮮さを感じてしまうのはどうしてだろう。そんな事を思いつつクラスの違う欅を送り自分の教室へと向かおうとした瞬間に腕を掴まれる。
「どうしたの?」
「えっと・・・もしも、有希さまが御迷惑でなければお昼をご一緒にいかがですか?私、丁度力作のお稲荷さんを・・・」
チャイムが鳴り始めたため西院も急ぎ言葉を向ける。
「ごめん。昼は出雲と約束してて。また家に帰ったらお稲荷さんつくってよ。ごめんね」
そう言うと掴まれていた欅の腕が力なく離される。
「・・・そんなの許さない」
欅がなにか言葉を言ったような気もしたけれど急ぎ教室へと向かう。なんとか教室につくといい加減なものでデカデカと黒板に大きく一限目は自習のためHRも割愛。と記入されておりクラスメイトの大半は好きな場所で好きな相手と会話をしていた。クラスメイトに挨拶をしつつ自分の席へ座り一息つく。と、お決まりのように琴浦が前の席の椅子に座ってくる。
「よっす。今日も相変わらず元気そうだね?てか、西院にしては教室来るの遅くないか?」
「いや、ちょっと旧校舎が見ておきたくて。もう少しで取り壊されるんだろ。だからなんて言うかお礼を言いたくて。助けてもらったし・・・あ」
西院は自分が口にしてしまった言葉に後悔を覚えようとした瞬間に琴浦がそれよりも先に口を開く。
「口が滑るには随分長いこと喋ってたな。まあ、いいよ。深くは聞かないし聞くつもりもないよ。どうせいつものようにはぐらかすんだろうし」
「ごめん。ありがとう」
西院の言葉に笑い数回ほど頷きつつ鞄から出していたノートを取り見始めつつ何気ない口調で、それこそ、今日の天気は晴れだよなんてお気楽な声色で
「そう言えば、お前って出雲と仲良かったっけ?」
「え?どうして?」
「いや、俺って毎朝ランニングしてるのは知ってるよな?その時にさ、見間違いだったらごめんだけどお前をおぶって歩いている出雲のような人を見た気がするんだよ。でも、全身が真赤で近寄ろうにも怖かったから近づきはしなかったんだけどな。でも、あの髪の長さと体型は出雲とお前にしか見えなかったんだよね」
「絶対に見間違いでしょ。もしも琴浦が言う様に真赤だってことは怪我をしていたってことだろう?多分。だったら、普通人をおぶるなんてできないし、先ず歩くことだってできないでしょ」
平然を装い暗示をかける。と、すぐに視線が定まらなくなった琴浦の耳元で忘却の暗示をかける。言い終わる瞬間に焦点は合い元の琴浦に戻っていた。なにか話ししていたっけ?なんてお気楽な言葉を残し他のクラスメイトの場所へと放浪していく。人は不確かな時間をほんの数秒でも過ごしてしまうと本能的にその場から立ち去ってしまう。琴浦の第六感が西院とこれ以上会話をしてしまえばまた、なにをされるか分からないと無意識に防衛本能が働いたためその場からいなくなったのだろう。素直に本能に従ってくれた琴浦の行動はお互いにいい事であった。しかし、害は殆どなく不利な事を忘れさせるため、と言っても無関係の人間に魔法と言うよりも呪いに近いことをするのは気が引けてしまう。つい、別に悪いこと・・・いや、ほんのちょっぴり悪いことをしてしまった琴浦に心の中で謝罪を告げる。不意に教室の窓から広がる景色を眺めてみる。相変わらずの日常が広がり小鳥は空を優雅に飛び草木は風に揺られくすぐったそうに笑っている。穏やかな時間がゆっくりと進んでいる。昨日の事が嘘のように柔らかく感じる。このままこちらの世界にずっと浸っていたいなんて夢を抱いてみる。が、そんな事を思っても出てくるのは自分自身に向けられた乾いた笑い。窓ガラスに反射する自分の顔はそうは思っていないように見えてしまう。どれが、本当の自分であり本当の真実なのか分からなくなる時がある。分からないと言うよりもなにか深い自分の持っている闇に呑み込まれそうになってしまう。その闇に取り込まれた瞬間に自分はどうなってしまうのだろうか。綺麗な景色を眺めている時にこう言う風に負の感情が沸々と湧き出てくる。雑念を振りきるかのように西院は文字通り自習を始める。1つの事に集中し始めるといいことなのか悪いことなのか雑音、雑念が彼の中から除外されてしまう。聞こえてくるのは心地の良い鉛筆の芯の音だけ。自習と言いながらも声を殺しつつ会話をしているクラスメイトも多々いる。七割方は自分の席ではなく仲の良い友人と共に話しをしながらノートを走らせている。西院もどちらかと言えば七割側の人間なのだけれど今回ばかりは集中しノートに文字を走らせていた。集中力が伝染してか西院の周りの生徒も一言も喋ることなく勉学に励んでいた。
「・・・」
その姿を見た出雲は正しいことをしているのだけれどどこか異様で不自然な光景に見えた。




