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0 序

「うわぁ~。すごい!」

 広い食堂に少女の感激の声が響き渡る。

 それもそのはずで、特別な日に使われるグラスや食器がシャンデリアの灯りにキラキラと輝き、大きなテーブルに並ぶ食べきれない程のご馳走をひと際、美味しそうに魅せていた。

 家族の帰りを待っていた母親は、ソファに座り刺繍をしていたようで少女の声に気づいて作業の手を止めて「お帰りなさい」と微笑む。

 少女は一目散に母親の元へ駆け寄り、甘えてじゃれつく。そのまま母親の膝に座り込みながら尋ねた。

「お母様。どうして今日は、ご馳走なの?誰も誕生日じゃないのに?」

 母親は驚きに眼を瞬かせる。

「あら?すっかり忘れているのね。今日は《女神様》の誕生日よ?」

 少女は、すかっり忘れていた記念日に思わず「あっ…」と声が洩らし、眼に驚きの色が差す。

 けれど母親に気取られない様にすかさず「忘れてないよ。ちょっとうっかりしてただけだもん」と言い張ってみた。

 必死に誤魔化そうとする少女を母親は面白がって、少し意地悪なお願いをしてみる。

「ふふ、そうね。そういうことにしておくわ。でも、お母様は女神様の誕生のお話しが聞きたいな?聞かせてもらえる?」

「もう、忘れてないのに…。信じてないの?」

 口を尖らかせながらも神話を語り始めた娘が、可愛くて母親は眼を細めて耳を傾けた。

 この世界に語り継がれる神話。


―――それは遥か、昔々の話し。

 この世界に気まぐれに舞い降りた女神が、魔法で己の姿を老婆に変え、人として旅を始める。

 人々は女神が老婆の姿となったことに気付かず、旅は大変だろうと老婆に親切を施す。

 優しい人々に女神は感激するが、人々の暮らしに貧しさと絶望を見て、悲しみに胸を痛めるばかり。旅を終えても女神は、優しい人々を置いて天に帰ることが出来ずに世界の頂で悲しみに涙しながら願い祈り続けた。 

 やがてその涙は、女神を徐々に石へと変えてゆく。

 最後に石像となった時、女神の願いを叶えるように世界の姿は一変した。


 太陽は燦々と輝いて、ありとあらゆる花々が存在を誇示するように咲き誇る。大地は豊かに清水を湛え、風が爽やかに吹き渡るごとに、緑は濃く生き生きとなった。

 限りない実りと繁殖が、尽きることなく約束された常春の世界。

 これこそが、女神の起こした奇跡。


 こうして世界の全てのものが、女神の庇護の元で穏やかに生命のサイクルを繋いでゆく――――



「はい。おしまい」

 語り終えた少女が、得意げに振り返ると母親が「よく出来たわね」と頭を撫で続ける。母親に褒められて気を良くした少女は、もっと褒めて欲しくて別の話しをしようと「でも私、女神様よりも巫女様のお話しの方が好きだわ。次は、巫女様のお話し聞きたい?」と聞いてみたが、母親は頭を横に降った。

「もうすぐ、お父様達が帰ってくるわ。また後にしましょ」

 大好きな母親に微笑まれて少女は諦めるが「じゃぁ。お父様が帰ってくるまで、おしゃべりだけ」とせがむ。

 断られたくなくて少女は母親の返事を聞かない内から質問を始める。

「お父様とお母様も小さい頃から《女神教》の信者なの?」

「えぇ、あなたと同じ。産まれた時からよ」

「じゃぁ。お母様は、中央国家に行って女神様の像を見たことある?」

「えぇ。アレクと結婚して、すぐの旅行の時に二人で見たのよ」

「お父様と?じゃぁ。私はルーファスと結婚したら行ってみたいな」

 憧れの眼で母親を見上げながら、少女はうっとりしている。

「…そうね。あなたもいつかは、お嫁さんになるものね」

「うん。お母様みたいなお母様になりたいの」

「私みたいに?・・・ありがとう。アリス・・・アリス」

 母親は、膝に座るアリスを宝物のように後ろから抱きしめて頭を寄せた。伏せた母親の眼に涙が滲んでいる。アリスは、気付かずに大好きな母親とおしゃべりを続けていた。


□□□□□■


(どうして?怖いよ…痛いよ…)

 いくら走っても足音は、執拗に追いかけてくる。

 八歳の小さな心臓は、どくどくと大きな音を鳴らし耳に響かせていた。

 喉の奥から血が染みてきたのか、口の中に鉄のような匂いが広がり、背中は灼けつくように痛い。

 少女は足音に追い立てられるように、街のはずれにある森を抜けて崖にたどり着いた。立ったまま覗き込んだ崖下には、底の見えない闇が続く。

 バタバタと足音が後ろから聞こえ、逃げ場が無くなったと気付いた少女は恐る恐る振り返った。


 雲一つない月明かりの下、追いかけて来た男達の顔をはっきりと見た瞬間―――少女は背中の痛みも忘れ、頭が真っ白になり一つのことしか思い浮かばなかった。

「!!・・・どうして?」

 全速力で走り続けた少女は、かすれた声しか出なかったが相手には充分伝わったようで「ごめんな。ごめんな」と小声で呟いているのが聞こえる。

 男達の先頭には、血のついたナイフを持った父親の姿があり、今にも襲いかかろうと少女の隙を狙っている。

 少女は、その眼に見覚えがあった。

(・・・あれは、獣の眼)

 いつだったか、街の外で遭遇した獣は、獲物である少女を逃すまいと瞬きすることなくギラついた眼で睨み続けてきたのだ。

 ただ一つの事実だけを除けば、あの時と状況は一緒だと少女にはそう感じられた。

 なぜ?どうしてと混乱する気持ちのまま、父親と目をじっと合わせていた少女が、気付いた事実。


 父親のギラついた眼に怯えの色が含まれている。


 それに気付いた時、少女の心は決まった。

 何の悲しみが、どんな諦めが少女の恐怖心を奪っていったのか。

「泣かないで・・・お父様」

 少女は、足を一歩後ろに踏み出す。

 その身に一瞬、浮遊感が過ぎて気が遠くなっていく。



 崖の上で男たちが少女が飛び降りた場所を見下ろしていた。だが、明かりも少なく木々も邪魔でよく見えない。

「背中から、かなり出血していた。それにこの高さから飛び降りたんだ」

「ああ、もう生きてないだろう。例え、生きていたとしてもあの傷では、夜の獣からは逃れられないだろうな」

「終わったのか?…俺は…あの子を?俺がミリーを・・・この手で・・・」

「彼女は自分で飛び降りたんだ。おい、今は駄目だ。こんな所を人に見られたらまずい。とりあえず戻ろう」

 男が二人、うずくまった父親を両方から支えながらできるだけ足早に立ち去ると、森には再び静寂が戻っていった。


 少女は、生きながらに叩きつけられた激痛に小川の中で喘いでいた。

 だが、次第に痛みは薄れていき意識も朦朧としてくる。

(ルゥ…)

 なぜか最後に想い浮かぶのは、幼なじみの顔だった。

 彼に会いたい。

 少女は、最後のお別れも約束の返事も言えなかったことが悲しかった。


 涙が勝手に溢れて頬を濡らせば、急に視界が暗くなる。

 見知らぬ何かに、上から覗き込まれたとぼんやりと思う一方で、死が迎えにきたのだと少女は頭の片隅で覚悟を決めた。

(ああ、本当なんだ)

 白い肌、黒い瞳、赤い唇。

 つま先まで届く長い髪は、夜を切り取ったように黒く、星を散りばめようにきらきらと輝いて、とても綺麗だった。

 それにあの白い翼は、本で読んだ女神様の絵と同じもの。

 神父様の言った通りだった。


『最後は女神様が迎えにきてくれると―――』


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