はしらをえがく
目的のものを見つけ、スケッチブックを取り出す。
丸くなった鉛筆で輪郭を荒くなぞり、周囲の建物と「それ」の風景を切り取っていく。
天にそりたつ、高さ8.3mの柱。そこから、30m先に伸びる電線。
僕は『電柱』を描く。
汎用エネルギー『電気』を遠隔地に伝える機構。
この世界において、人類の生存圏を広げるのになくてはならない生命線。
「何を描いていらっしゃるの?」
半分程度描いたところで、声をかけられた。
いつの間にか脇に立っていたのは、買い物籠を手にした老婦人だった。
「『電柱』を」
描きかけの絵は気恥ずかしかったが、僕は彼女にスケッチブックを見せて答えた。
彼女はわずかに目を見開くと、その絵から、すぐそこに立つ『電柱』に視線を移した。
「これね。うちの人なの」
彼女は服の重さに震える腕を上げ、高さ3mほどのところに掲げられた柱種票を指差す。
そこに記された銘と日付に、僕は彼女の言わんとしたことを理解した。
『電柱』とは、人の死した後の姿である。
生命の尽きた屍は、謎のエネルギー『電気』を伝える機構へと変質する。
今の世界には、これと同等のものを作り出す技術は存在しない。
ただ人の死のみが、『電気』を伝える領域を広げる手段となる。
「ほら、これ、彼が子供のころにね、私を犬から助けてくれたときに噛まれた跡なのよ」
大地に根ざす柱の足元にうっすらとつけられた傷を、老婦人は愛おしそうに撫でた。
かつての伴侶を。
いや、彼女にとってこの『電柱』は今もなお、生涯の相棒であるのだろう。
「辺境の最果てに置いてくれって。人が住める場所を広げる役に立ててくれって。……わがままでええかっこしいでしょ? こんな僻地にお婆さんが追っかけてくるなんて、考えもしなかったんでしょうね」
砂煙の混じる風に目を細めながら、老婦人は砂塵避けのマスクを直した。
マスクは、おそらくこの『電柱』から供給され、充電された『電気』によって彼女の肺を守っている。
マスクだけではない。重さ5kgを超える多機能防護服は『電気』によるモーターアシストがなければ、彼女の筋力だけで動かすことはできないだろう。
僕は鉛筆を走らせると、『電柱』の脇に、人を描いた。
若かりし二人の姿。足に怪我をした少年と、その傷をいたわる少女の姿を。
「どうぞ」
「あなた、『電柱』ばかり描いているの?」
「美しいですから」
「……私ね。この人に繋がる柱になりたいの。かなうかしら」
一枚の素描を受け取り、彼女は微笑んだ。
マスクごしで瞳しか見えないが、その笑顔は、目の前の『電柱』に負けぬほど僕を惹きつけた。
「旅の方。どこまでいくの?」
「『電気』の源へ」
人は死ねば『電柱』になる。
『電柱』は『電気』を伝えるものである。
ならば、その先を新しいものから古いものへ追っていけば、いつか『電気』を生み出す源へと至る。
はじまりはなんなのか。この墓標を辿った果てに何があるのか。
「そう。よい『電気』があなたとありますように」
「ええ、あなたにも」
彼女に別れを告げ、僕はスケッチブックをバックパックにしまいこんだ。
命が生まれ、消え、残されたものが繋がり、重なり、新たな命を生かしていく。
『電気』はつながっていく。無数の命のその果てに。
いつか僕も、誰かに『電気』を伝える柱になるのだろう。
名前など失われ、人格など喪われて、誰もが僕のことなど忘れてしまっても。
温もりを。灯りを。情報を。見知らぬ誰かへと、絶やさず、繋ぎ、遠く遠く結ぶ礎になる。
天にそりたつ、高さ8.3mの柱。そこから、30m先に伸びる電線。
僕は明日も『電柱』を描く。
汎用エネルギー『電気』を遠隔地に伝える機構。
この世界において、人類の生存圏を広げるのになくてはならない生命線。
かつて笑い、泣き、動き回っていたモノだった、人柱を描く。
――人は死んだら電柱になる。
そんな当然の事実を、忘れないために。