7 戦争都市の日常
「おじさん起きて」
パックは、眠るロスに跨ってぽんぽんシーツを叩いた。唸るロスおじさんは、無精ひげで目の下にはクマができていて、すこぶる不調のようだ。だるそうに一回顔をあげてまた伏せる。
「おいちゃん、きついの。ほっといて」
「なーんで。お買いものー。約束でしょー。可愛い姪っ子のお洋服を買ってくれー。明日の下着に困るのは、ゆゆしき事態だよー」
「大丈夫、一週間くらい同じやつで平気だ」
なんということだ。これは、愛らしい年頃の娘に乙女心をどぶに捨てろと言っているようなものである。なんてひどいおじさんだ。
パックはまだ十三歳の可憐な少女であることを忘れてもらってはいけない。ちょっと、ここに来る前にやった悪戯のせいで隣町の青年団に丸刈りされてしまったが、実に乙女であることをここにいっておく。まだ、手のひらで頭を触るとちくちくするが、正真正銘乙女である。
ぱふぱふとパックは枕でおじさんを叩く。だが、起きない。
しかたないので、枕を捨て手で叩く。もちろん、起きない。
一度、ロスおじさんの上から降りてテーブルの上のバケットをつかむ。なんとなく帽子をかぶり、ベッドの前に立つ。両肩を回してバケットを右手に持つ。帽子のつばを左手で持ち上げ、右手のバケットを天上へと掲げる。
バケットをおろすと両手に持ちゆっくり深呼吸をする。そして、大きく片足を上げると、身体を大きくねじりバケットを振った。
見事、バケットはおじさんの顎にクリーンヒットする。少々きつい角度であるが、さすがパックだ、会心の一撃である。
「おい、ガキ……」
ロスおじさんはよたよたと起き上がると、顎を擦ってパックを見た。
「おじさん、おは……」
パックは拳骨でこめかみを押さえこまれ、そのまま空中に吊り上げられるという大層痛いお仕置きをうけたのだった。
昨日は大変だった。定期的に聖戦という名の殺し合いに行くこの街の兵士さんたちが帰ってきた。勝つことも負けることもない戦争につきものなのは消耗であり、全員無傷というわけではなかった。
ビスタは言っていたとおり、眉をしかめながら仕事をしていた。三つ子も同じで、マルスは嫌な顔はしないものの、力仕事にまだ慣れないようだった。体格が同じくらいのパックの半分も力がない、なんというひよっこである。まあ、顔がいいので許す。
おかげでパックはがんばってお仕事をする羽目になった。死体袋をがんばって持ち、礼拝堂へと次々運んだ。けして、ガーハイム先生の服に細工をして、糸一本引くだけで裸になる悪戯をしたためではない。眼鏡ですかした顔の先生の表情が可憐な少女のように真っ赤になったことを笑ったためでもない。じっと睨みつけられ、重い荷物ばかり選んで渡されたためではない。
とりあえず、パックは他の班員の三倍はお仕事をがんばっていた。
この戦争で死ぬ人間は案外少ない、敵が防戦をとっているためである。それでも、全員無傷で帰ることはない。パックの運んだ死体袋の数が物語っている。
戦いから帰ってきた戦士が街ですることと言えば、騒ぐか嘆くかの二択がほとんどである。
北の神話を信じる民の多いこの街では、前者が圧倒的に多い。仲間が死んだことは、英霊になったと祝福し酒を飲む。また、自分が生き残ったことに感謝して酒を飲む。もしくは、敵を屠った数を自慢するために酒を飲む。大体、酒を飲むのが基本だけど、たまに香水臭いおねえさんの部屋に邪魔しに行くのも含まれる。おっさん率が高いこの街では、売れっ子のおねえさんはとても贅沢なので基本はお酒である。
おじさんことロスは、今回お留守番だったが、お仕事帰りの悪いお友だちに見つかってしこたま酒を飲まされたわけである。
と、いうことで、ただいまパックは二日酔い真っ最中のロスとともに、お買い物中である。朝ご飯のバケットはボロボロになったので、屋台で買い食いをする。派手なテントの下で焼肉を挟んだパンが売られていたのでそれをいただく。お野菜の千切りと脂ののったお肉とパンを口に一緒に含むと絶妙な味わいが広がる。お肉は鹿肉だろうか、少し獣臭さが残るが、香辛料が上手く使われているので気にならずいただけた。
整備された石畳を歩きながらパックは思う。おもしろい街だな、と。
世界で一番戦死する可能性の高い、いわば死と隣り合わせの街であるが、とても活気づいている。野郎率が高いけど、街中は結構きれいだ。お店も多いし、公共施設が充実している。お風呂だってある。戦争中だというのに、お野菜もお肉もある。とても不思議だ。
パックは迷子にならないように掴んだおじさんの服を引っ張る。おじさんは大きくて、パックはまだ小さいので身長差は頭二つ分くらいある。
「ねえ、おじさん。この街はなんでこんなに元気なの?」
「そうだねえ。馬鹿どもがたくさんいるから、蓄財せずに散財する。おかげで流通が良くなり経済が回る」
「おじさん、もっと簡単に言おうよ」
ロスおじさんは見た目よりも賢い。たぶんわんこ三つ分の頭脳を持ち合わせているからだ。
「つまり、宵越しの金は持たねえってことだ」
「ふーん。つまり無駄遣いがいいよってこと?」
「違うがまあそういうことだ」
おじさんは説明をするのが面倒になったのか、無理やり話を切り上げた。食べ物はきついらしく、よく冷えた果実水をちびちび飲んでいる。
パックはパンを食べ終えると、包み紙がわりの葉っぱを裏路地のごみ箱に捨てる。ごみ箱には付属品として酔っぱらって道端に嘔吐物をだしたあげく、その場で寝てしまったおじさんがついている。
「ほら、ほっとけ、ほっとけ。こら、落書きしてんじゃねえ」
「あっ、つい」
条件反射で、ポケットからインクとペンを取り出して落書きしていた。パックは淑女のたしなみとして常にインクとペンを持ち運んでいる。パックはロスおじさんに首根っこをつかまれてそのまま移動される。この移動方法は歩かなくて楽だが、首がしまる。長時間されると呼吸できなくなること以外は快適な移動手段である。
おじさんはパックをぶらぶらさせたまま、てくてくと歩く。パックと歩くよりかなり早い足取りで、人の多い大通りの中をさくさく進んでいった。屋台の立ち並ぶ区画を抜け街の中心地に衣料品を取り扱う店が多い。そこへと向かう。
「どしたの?」
ロスおじさんの足取りが途中で止まった。街の中心、大通りの真ん中、大きなオーディン像の建つ広場だ。おじさんは目を細める。視線の先には大きな掲示板があった。
「……昨日はいねえと思ったら。名前のとおり急ぎすぎなんだよ」
名前がさらに書き加えられた掲示板を見てぼそりと言った。
パックも目をこらす。
(あれかな?)
『ラッシュ』
真新しい名前の中で、急いだ名前はそれくらいだろうか。
「名前に踊らされんなよ」
ロスおじさんは、またてくてくと歩きをすすめるのだった。