6 英霊と世界樹の話
”「うわあ、明日は皆帰ってくる予定だよ」
にきび面の少年は頭を抱えながら言った。場所は、軍部の食堂だ。食事をとっているのではない、雑用としてテーブル拭きをやっている。
「そだね、大変だねえ、ビスタ」
パックは、どんよりとした空気を周りに漂わせる少年を見る。
「軽く言うなよ、お前もだろ、パック」
ビスタというのは、パックと同じ班にいる少年だ。略称だが本名は教えてもらっていない。世の中の半分くらいは、本名を使いたがらない人ばかりなので珍しくないことである。玉ねぎスープについて詳細を聞きたがらなかった男の子だ。
最初にパックに声をかけられたため、ガーハイムからパックにいろいろ勉強の内容を教えるようにと頼まれた生徒だ。パックよりも三カ月ほど先輩らしい。
ビスタ曰く、ガーハイムは鬼教官だという。訓練という名の雑用は、肉体的にきついことはもちろんだが、彼の場合、精神的にくるものをいつも拾ってくるという。戦争には死という言葉がつきものだ。ガーハイムはその死に携わる仕事を多く持ってくる。
戦場帰りの兵たちのお出迎えはその中の一つである。
「できれば、皆無事でいるといいけど」
「無理だね、それは」
パックは、椅子の足にナイフで切れ込みを入れながら言った。
「まあ、わかってるんだけどね……って、何やってんの!」
ビスタはパックの行動に気が付くと、パックから椅子とナイフを取り上げる。
「はい、微調整を行っているのでありますよ、軍曹」
ぴしっと敬礼ポーズを作ってビスタに言った。
一定以上負荷がかかると、壊れるように切れ目を作っていた。偉そうなおじさんがこける姿を見れば、皆、笑えて楽しいのではないかと思う。殺伐とした職場だからこそ、笑いも必要だ。そのために、パックは工夫をこらしている。けして、遊びではないのだ。もちろん、こけたおっさんが大人しく道化をやってくれることが前提であるが、そこまで気を回すつもりはない。
ビスタは眉をしかめて、
「備品を壊すのは、やめてくれよ。本物の鬼軍曹にこっちが怒られるから」
ビスタはパックからナイフも取り上げると、雑巾とも布巾ともつかない布きれを投げてよこす。パックはしかたなく、テーブルを拭く。拭いたそばから、その上に座る。
「明日は本隊だから、この間みたいな簡単なものじゃないよ。お偉いさんもたくさんいるから、何かすると懲罰されるよ。お行儀の悪いのも禁止」
ビスタは一般的母親がいうような説教をする。
「それって連帯責任?」
パックがたずねると、
「不吉なこと言わないでよ!」
と、ジェスチャーを加えた活きのいい反応をする。
喜ばしいことに、ビスタという平凡な少年はツッコミ属性というものを持っているようだ。パックとしては、大変、おしゃべりしやすいタイプである。
基本、ここの学兵たちは六、七人一組で班を組む。教官一人に、残りは生徒だ。教官は教官であるが、勉強を教えることはほとんどなく、与えられるのは宿題ばかり。簡単な書き取りと算数の問題を渡され添削される。それだけだ。あとは、ひたすら雑用だといってもいい。
食堂の手伝いや、軍部の掃除、武器や防具の手入れ、ときに街の外の害獣退治といった民間から受けた依頼を傭兵の代わりに代行することもある。もちろん、まだまだひよっこの集まりであるパックの班にはしばらく縁のない仕事だという。
まあ、ここまではビスタたちにとってはずいぶん許容範囲の中のお仕事みたいだ。やりたくなさそうだが、拒絶というものでもない。問題があるとしたら、先日の帰ってきた軍人、傭兵たちのお世話だろうか。
「あー、また、ご飯食べられなくなっちゃうよ」
「成長期なんだからしっかり食べなよ」
パックは、ポケットからりんごを取り出してかじった。ビスタは半眼で、パックを見る。それ、どこからとってきた、と言わんばかりだ。
「食堂のおばさんに怒られるよ」
「食堂のおねえさんは怒らないよ」
ビスタは馬鹿ではないけど、要領が悪いとパックは思う。言葉一つで世の中の態度が変わる場合もあるというのに。慌てると、つい焦ってしまって実力の半分も発揮できないタイプだろう。そんな奴は、戦場では真っ先に死ぬらしいので、ある意味、死に慣れる鬼軍曹の持ってくる仕事はビスタにはぴったりである。いや、ビスタだけでない。
(他の四人もどうだろうな)
同じ班に属する残りの少年たちを思い出す。そのうち、三人は兄弟であり、名前をイソゴ、イソロク、イソナという名だ。名前も似たようなものだが、やや高い程度の背丈も黒髪黒目の顔もそっくりで三つ子みたいだが、三つ子ではないという。それでもって、同い年という変な兄弟で実にややこしい。もう三つ子でいいと思う。
名前は東方の言葉で数字を意味すると聞いた。なんでその名前かといえば、三人は三人で顔を見合わせて首を振るだけだった。とりあえず、くだらない名前なのだとわかった。そのうち聞き出してからかおうとパックは思っている。
もう一人はパックと同じくらいの身長の小柄な男の子だ。ふんわりとした金の髪に粉雪のような肌をしている。見た目は面食いのパックにとって及第点だ、つまりかなりの美少年である。名前はマルスプミラという。意味は、『りんご』だそうだ。ビスタも三つ子も自分の名前の意味を隠したがるが、マルスは堂々としていた。ビスタたちはマルスの名前を羨ましがっていた。『りんご』は知恵や不老の実として扱われる。悪い意味もないことはないが、それでも当たらず触らず、悪くない名前だ。
三つで一組と戦場に似合わない美少年。ビスタを合わせると、なんだか悪い意味で平和な班だと言える。無理やり走らされたり、重傷の兵を見て、胃が縮こまるメンバーだ、鬼教官がこの班につく理由もある意味わからなくもない。
「パックは、なんで平気なのかわかんないな」
ビスタはテーブルを全部拭き終わると、ため息をつきながら言った。
「なにが?」
芯だけになったりんごを弄びながら、パックが首を傾げる。りんごの芯を投げると、大きく放物線を描きながら、ごみ箱にきれいにはまる。
「あれだよ。なんで、平気で死体袋かつげるわけ?」
神妙な顔をして、そんなことを聞いてきた。
「けっこう力持ちなのです」
一晩で、大人が這い上がれないほど深く落とし穴を掘る名人なのだ、当然だ。たまに罠に落ちた猪や鹿を引き上げたりするので、自然と力もつくものである。じじばば村出身であれば、力仕事はいくらでもやらされるのだ。
「いや、腕力もだけど。あれ、死体なんだよ?」
ビスタの言いたいことはわかった。ビスタもまた三つ子と同じく東方の出身で、そちらの人たちには『ドートク』という観念があるらしい。パックにわかる言葉で説明してもらうと、モラルに近いものだという。パックとビスタは共通語を使うことで会話を成り立たせているが、生まれた地域が遠いと会話の中に知らない言葉は多々含まれる。
その『ドートク』というものの中に、遺体を荷物のように運ぶことに抵抗があるという考えがあるみたいだ。つまり、手厚く葬れ、ということか、と聞くと、それとは別に口をもごもごさせていた。ビスタだけでなく三つ子もだ。
すなわち死体とは距離を置きたい、そういう感情だ。
(かっこつけずに最初から怖いっていえばいいのに)
人の死は怖い。臓物がはみ出し、顔がえぐれ、四肢が千切れたそれは彼等には恐怖らしい。
「僕らもそのうちあんなになっちゃうって思わない?」
「ヴァルハラにいる仮初の英霊が、本物になれるって喜ぶべきところじゃないかな?」
領主という肩書を持ったおっさんに貰った羊皮紙でなく、可憐な戦乙女に誘われてこそ英霊の真骨頂であろう。晩餐と殺し合いを繰り返す英霊の館は、家賃ただ食事付労災完備の優良物件だというのに。
そして、魂の抜け殻となった肉体はさほど重要だとは思わない。ただ、名前を返すために神殿に運ぶだけだ。それは本当に大切な作業であることには変わりないが、名前は残れど魂が抜けた肉体はなにも文句は言わない。損傷させるわけでもないなら、多少の持ち運びの雑さは目を瞑ってくれるだろう。
魂が抜け、名を返した肉体は、その役目を終えて風となる。獣の死骸のように腐敗し虫がたかることもない。柔らかな風となり名を世界樹に返すため流れていくのだ。
怖いというなら、神殿で名を返すこともなく、ずっと抜け殻に名前が残ることだろう。地虫に這われ、風にさらされ、雨に溶けてようやく土くれのようになり、他の風が運ぶことによって名は世界樹に帰るのだ。そのあいだ、名は少しずつその力を失っていく。あまりに長い間放置された名は、誰も思い出さず消えていく。名が消えることは、そこに生きた証がなくなるということだ。
「やっぱ、北方は主神がオーディンだから、そういう考えかあ」
ビスタが言った。ビスタのいう「そういう考え」とは、英霊についてまでである。名を返し名が世界樹に帰るというのは、ビスタも世界樹教を信仰しているので理解できるのだろう。複数の宗教を信仰することは世の中の常識である。基本、世界樹教と何かを合わせて信仰する場合が多い。世界樹を信仰としないものがいるとすれば、そのものは名前すらもたない獣ということになる。
「東方は誰?」
パックがたずねる。
「いろいろ。あえていうなら、太陽の女神さまかな」
「ソールみたいなもの?」
パックは太陽の運行を司る女神の名前をだす。パックの知る北の神話では、それほど大きな神さまではなかったはずだ。
「違う。天照。三人いる大きな神さまの一人で、一番上の長女だよ。比較的、穏やかな神さまじゃないかな?」
ビスタが話の続きをしようとしたが、食堂のドアががらんと開いた。汗臭いおっさんたちがかなり早いお昼ご飯を食べにやってきたみたいだ。
ビスタは雑巾をかき集めると「終わるよ」と言わんばかりに、食堂の炊事場をさした。
(今度、暇なときにもっと聞いてみよう)
「こちらどうぞー」
「おう、坊主、気が利くな」
パックはなにげに、やってきたおじさんに、切れ目のついた椅子をひいて座らせると、何事もないように炊事場に向かった。
雑巾を洗い終わる頃、がたんと大きな音が食堂から聞こえた気がしたが、これからガーハイムとお勉強の時間だったので、仕方なくその場をあとにするのであった。