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その輩、悪神につき  作者: 日向夏
悪戯妖精
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5 勉強という名のお手伝い

 朝起きると、お部屋にはご飯のにおいが漂っていた。ロスおじさんが、屋台からお肉とパンを買ってきたみたいだ。飲み物も果実酒ではなく、ミルクだ。匂いを嗅いでみると、飲みなれたものと違う。山羊のミルクとは違う、牛さんのものだとおじさんに言われた。


「腹痛くなりそうならやめとけ」


 おじさんはそう言ってもう一つガラス瓶を置く。中にはきれいなお水が入っているようだ。


 パックはコップに半分だけミルクをつぐと、ぺろりと舐めてみる。


(大丈夫かな?)


 となりのおばちゃんに、初めて食べるものには気をつけろ、と言われた。


 パックはけっこうどころかかなり丈夫にできている。猪に追突されたり、馬に蹴られたり、隣町の町長の息子に逆さづりにされたりしたが、軽傷ですんでいる。毎度、ずたぼろになりながらも、無事帰ってくるのを見て村人には呆れ顔で見られていた。

 それに比べたら、腹を下すくらい大したことない。むしろ、壊したらそれだけ腹に根性がなかっただけだ。


 硬めのパンは上にチーズとお野菜がのっている。口に頬張ると、チーズが糸を引いた。こんがり焦げ目がついているのがいい。


 ロスおじさんは、ナイフでハムの塊を切り落としながら食べている。パックは食べかけのパンをおじさんのほうに伸ばすと、おじさんはパンの上にハムを落としてくれた。


「一応、今日から学校って名目になるのはわかっているか?」

「一応」


 まだ未成熟な青少年を徴兵で集めるひどいお国であるが、それなりに救済策というのを用意している。年齢が一定以上に達しないものは、無償にて二年の教育を受けられるというものである。成人済みなら、最大でも半年の訓練で実戦に向かわねばならない。長いのか短いのかわらかないが、とりあえずないよりもずっといい。


「ただで勉強させてくれるなんて、本当に素晴らしい国だねえ」

「ああそうだねえ」


 パックの言葉に、ロスおじさんも相槌を打つ。


「最低限だけど生活費もホショウしてくれる、なんていい国なんだ」

「ああそうだなあ」


 棒読みの口調で二人は応対する。


「これなら、学生たちはがんばってお国のためにお手伝いしなくちゃならないねえ」

「ああそうだよなあ」


 つまり、まだ使えないガキに十分な給料払うのはもったいない。学生という形で勉強教えてやるから、ただで手伝わせちまえ、なに、最低限の生活は確保できるんだ、ありがたく思え、とのことである。


 こんな場所に連れてこられるような子どもは、なにかしら問題があるものが多い。乱暴者で手がつけられないような輩か、それとも口減らしに半ば売られる形で送り出される輩である。たまにだが、『名前』で連れてこられる不運な輩だっている。


「おいちゃんは、一応、学校まで送るけどそこまでだぞ」

「あいあいさー」


 パックが元気よく敬礼をすると、おじさんは眉間にしわを寄せた。

 ロスおじさんが髭面をにゅっとパックの顔に近づける。


「ぜってー、面倒おこすなよ」


 実に無理難題を押し付けてきた。


 それは息をするな、と同義語である。






 連れてこられた場所は、古い神殿の端っこの建物だった。古びた門は、そこにいるのは信者ではなく、荒くれ者たちに成り代わったことを示している。元は荘厳であっただろう建物は、今は傷だらけだ。地面のあちこちに、壊れた武器や防具、弾薬が落ちている。


「おいちゃんの胃を縮めないでくれ」


 ロスおじさんはそんなことを言って、自分の仕事場に向かって行った。おいちゃんとはずいぶん昔、ずいぶん小さなころに別れたきりだったが、どうにもそんなに遠くにいた感じはしなかった。普通、三つか四つの頃の記憶というものは曖昧であるが、パックはそれを鮮明に覚えているせいかもしれない。


 パックは、書きなぐった張り紙を見る。『新入生、こちら』と公用語で書かれてある。パックは壁に指を滑らせて歩いていく。壁は煉瓦造りで、水盤があった。その水盤は木をモチーフにした飾りが彫り込まれており、ところどころ崩れているのがもったいなかった。


世界にはたくさんの神さまがいるが、ここの神殿で祀られているのは一本の木である。聖地に隣接したこの土地は、世界樹を信仰している。もし、世界で一番偉い神さまがいるとしたら、みんなは世界樹と言うだろう。世界樹の葉っぱには、世界中の言語がきざまれており、すなわちそれがいま生きている人間の数だと言われているからだ。


パックの指先が煉瓦で少し汚れてきたところで、教師らしき男が数人の少年たちとともに立っていた。なんだかパックを見ているような気がして、パックは近づいていく。


「君が新入生のパックくんですか?」


 丁寧な言葉づかいだけど、顔はいかつい。一見、眼鏡の優男だけれど、それには似合わない傷が三本、右目の上に走っていた。大きな猫さんにでも引っかかれたような痕だ。


「はい」


 パックが元気よく返事をすると、眼鏡先生はにっこりと笑い、


「私はガーハイムと言います。今後、あなたの担当になるのでよろしくお願いします」


 と言った。


 パックもにっこりと笑うが、笑っているのはパックとガーハイムのみで、近くにいる生徒らしき少年たちは笑っていない。むしろ、ガーハイムの笑顔になんだかびくびくしているようである。


「それでは、さっそくですけど、荷物を置いて授業に向かいましょうか。荷物はあちらの教室に置いてきてください。三十秒以内に戻ってきてくださいね。置いていきますから」


 そう言って指した先は、おそらく全力疾走で二十秒はかかる位置にある教室であろうか。教室といっても、元は礼拝堂かなにかだろう。色鮮やかなステンドグラスが煤けているのが残念だ。他にそれらしき部屋がないところを見ると、やはり、全力のさらに出力五割増しで走れ、ということだろうか。

なんだろう、この先生、計算ちゃんとできるんだろうか、と思ってしまう。


(最初は、大人しくしておくべきだろうか)


 パックとしては気に食わないが、何事も状況判断は大切だ。パックは跳ねるような動きで、教室へと向かった。






 教室から戻ってくると、ガーハイムたちの姿はすでに小さくなっていた。パックだけでなく、ガーハイムたちも全力疾走で授業を行うという場所に向かっている。実に忙しい先生だ。


 朝の散歩より少し短いくらいの距離を走る羽目になった。






 げほげほと少年たちが咳き込み、中には吐いている子もいる。人数は、五人。年齢は、パックと同じかいくつか年上だろうか。少なくとも、パックよりも図体の小さいものはいない。


(城門に何の用かな?)


 跳ね橋式の門は昨日通った場所と違う。お日様の位置からして、東門にあたるのだろうか。そこには、薄汚れたおっさんの集団が疲れた顔をしていた。お疲れだけでなく、その肉体は酷使され、包帯が巻かれていた。

 戦場帰りであると一目でわかった。


「さあて、お勉強の時間です。みなさんで、兵隊さんたちのお手伝いをしましょう」


 まるで小さい子に話しかけるように、ガーハイムが言った。


 お手伝いと言われても何をするのか、ぴんと来ないものである。すでに、少年たちは何度か手伝わされているようなので、やりたくなくともやることはわかっているようだ。とぼとぼと歩いて、汚れた荷馬車に向かう。


「ねえ、何をするの?」


 パックはその中の一人、中肉中背の茶色の髪の少年に声をかけた。顔に二つ三つ吹き出物ができているが、それ以外はとくに目立った特徴のない少年である。


「玉ねぎスープでも、怪我人に配ればいいの?」


 パックはわからないなりに、やるべきことを考えて言ってみた。


「なんで玉ねぎスープ?」


 少年がまだ甲高い声で返してきた。意味がわからないと、首を傾げている。


「ははは、パックくんは見た目によらず、戦場のことに詳しいですね。戦場の最前線ならともかく、ここは街なのでそんなことはする必要ありませんよ」


 ガーハイムがにっこりと答えた。


「わかりましたー」


 パックが元気よく答えると、


「元気ですね。三十秒ではなく十五秒で十分だったみたいですね」


 と言い、優雅な足取りのまま荷馬車から怪我人を引きずり出していた。細そうに見えるけど、あちらも見た目によらず力持ちのようである。引きずり出されたおじさんは、脚に添え木が当てられていた。


 他の生徒たちも、暗い顔で怪我人を運び出している。血まみれの包帯にぐるぐる巻かれたおじさんたちは、中には手や足がないものもいた。こびりついた血から、ここ最近なくなったものだと判別できる。


 パックは汗とさび臭いおっさんを引きずりだす。一人では力が足りないと思ったのか、さっきのにきび面の少年が手伝ってくれた。


「大変だねえ。これがお勉強?」

「……うん、想像と違った」


 いや、そういうもんだろうな、とパックは思った。世の中、たくさん理不尽があるので、これくらい大したことないだろう。


「傷口が膿んで、なんだか虫さんがたくさんいるよりずっとましだよ」

「……笑いながら言わないで」


 ちょっと顔を引きつらせながら、少年が答えた。


「そんなの想像してたの?」

「うん、だから玉ねぎスープは、その独特の臭みによって内臓がやぶ……」

「言わないで。お願い、頼むから」


 少年はさらに青い顔をしながら、荷馬車の外の担架に怪我人をのせる。


 ガーハイムは、怪我人を全員下ろし終わると、几帳に羽ペンを滑らせる。怪我人の名前を確認しているらしい。パックは、ぴょんぴょん飛び跳ねて、それをのぞき見る。そこに、パックの知るような大きな名前はなかった。

 怪我人らしき名前には、三角の印がついている。何も書かれていないのは、無事な人の名前で、横線二本で打ち消されている。それがなにを意味しているかは、荷馬車に残された毛布の塊を見ればわかる。


 猫のように細めた目でガーハイムがパックを見た。


「パックくんは頭が回るね。よければ、その小賢しき名前を皆のために生かしてもらいたいよ」

「ガンバリマス」


 パックは、にこにこ笑いながら、動くことのない毛布の塊を引っ張った。




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