4 共同生活におけるお約束
ロスおじさんのおうちはどこにでもあるアパートの二階だった。古びた玄関には、ポストが並んでおり、その中のいくつかは郵便物があふれんばかりにはみ出していた。
ぎしぎしと鳴る廊下をすすみ、階段をあがる。その時点でまだ、パックは子猫のようにぶら下げられていた。途中、管理人らしき大昔のおねえさんが声をかけてきた。
「どした? ペットは禁止だよ」
「へいへい。ちゃんと、面倒みるよ。一応、お国のために戦う立派な駒だ」
ロスおじさんは、パックを元おねえさん、現ババアに見せつけるように手を伸ばした。礼儀正しいパックはご挨拶の言葉を言って頭を下げる。
「うはあ。この国もひどいもんだね。こんな乳臭い餓鬼を徴兵するなんてさ」
三十年も戦争が続けば、それなりに国も疲弊する。戦争が始まった当初は、徴兵の年齢は、二十歳以上三十五歳までだったらしい。パックが徴兵されたのも、今年から年齢が十三歳以上に引き下げられたからだ。戦争は人を摩耗させる。それが三十年も続いているのは、相手が特殊だからというほかない。
敵は、聖地を拠点としている。だが、それ以上侵攻の意思はない、そのようにしか見えないのだ。
なので死ぬのは、前線に立つ兵士のみ。軍事費は膨大だが、田畑も街も焼かれることはない。だからこそ、戦争は続いている。
摩耗するのは人間だけでなく、敵も同じだろうと皆思うのだが、そうではないらしい。奴らは、妖精というより魔人、いくら殺してもよみがえってくる。そういうものである。
もし、敵が聖地なるはた迷惑な場所ではなく、どこぞの森にでも引きこもっていてくれたなら、国としても大目に見たのかもしれない。しかし、困ったことに王都よりも重要だとされる聖地を敵が陣取り、世界樹を獣の餌として与えている。国として面子を保つには、常に聖戦を続けなければならない。
ほかにもなんだかいろいろ理由があるそうだけど、それはパックにはわからない。それよりも、早くお部屋についてご飯を食べたかった。
ババアは主張するパックの腹音に気が付いたらしく、「ちょっと待ってな」と、ロスおじさんを留めさせ、部屋から何か紙包みを持ってきた。香しい匂いと青臭い匂い、それから食欲をそそる脂の匂いがした。
「ほれ。ちゃんと食わせてやんな。少し冷えてるが、駅前のパン屋のもんだ。昼にはいつも売り切れるんだよ」
袋の中は、鶏肉を挟んだサンドイッチだった。じゅるじゅるとパックの口からよだれが垂れる。乗合馬車に乗っているときは、いつも干し肉、乾パンに干し魚のスープが基本だった。冷えていても柔らかいパン、お肉はごちそうである。これは、ババアというのは失礼だとパックは思った。なので、元美人のババアと改めることにした。
「ありがとう、もと……。……おばさん」
さすがにパックとて空気は読める。読めるけど、実行しないだけで。せっかくのご飯を取り上げられたくないパックは、嫌味にならない『おばさん』の単語を選んだ。さすがに『おねえさん』だと、逆に目をつけられそうであるからして。
元美人のババア、略して元ババアに手を振りつつ、パックは二階にあるロスおじさんの部屋へと運ばれていった。
お部屋に入るなり、パックはサンドイッチをがっついた。部屋はそこそこの広さはあるけど、まさに殺風景を絵に描いたようなもので、数少ない家具であるベッドに座って食べた。
「喉につめんなよ」
ロスおじさんは、たれ目をさらに下げながら、部屋の隅っこにある壺を見る。安っぽいこのアパートには、お風呂とかトイレどころか水道もついてないらしい。多分、お外にある井戸で水を汲んできてそれを飲料用に使っているようだけど、壺の水は飲み水として使うには少々古かったようだ。仕方なしに、転がっている瓶の中の一つをパックになげて渡す。
「ほれ」
「あんがほ」
パックは口をもぐもぐさせながら、投げられた瓶を受け取る。コルク栓を抜くと、甘い果物とアルコールの匂いがした。うむ、十三で徴兵されるのであれば、十三歳が成人なので飲んでも問題なのだ。パックはごくごくと喉を潤す。
腹を満たし、喉を潤し、次は眠たくなってきたころを見計らって、ロスおじさんは殺風景な部屋の壁に張り紙を張り付けた。
「村長の手紙で大体の想像がつく」
けっこうなことやらかしたな、とロスおじさんは言ってくれる。今までは、一応、子どもの悪戯レベルのことしかしなかった。相手が怪我をするとしても、全治二週間で終わるものにしていたからだ。
だが、今回は、少々おいたがすぎたものであった。
(そりゃそうだけど)
パックはいつもどおり村人に危機管理能力を養ってもらいたいと、そのための罠を作っただけだ。それにたまたま、徴兵される予定だった青年が引っ掛かっただけだ。子どもが作った罠に引っかかるような注意力散漫の青年が徴兵されたところで、すぐに死んでしまうことだろう。そんな役立たず、ヴァルハラに必要ないと門前払いされるじゃないの、とパックはロスおじさんに言った。
おじさんは両手を組んで、唸っている。パックの話にも一理あると思っているが、それを飲み込めないでいるようだ。
「おじさんはひどいなあ。自分は良かれと思ってやったことなんだよ」
目を潤ませておじさんを見るが、おじさんの目は冷めている。さすがだ、パックが三つか四つのときに別れたおじさんであったが、パックが生まれてからの数年間、一番よく面倒を見ていたのが彼である。パックがまだ『パック』と名乗る前のもっとひどい状態から見てきただけあって、その目に狂いはない。
ばん、っと壁に貼り付けた紙を叩いた。
そこには、こう書かれている。
『その壱、むやみやたらに罠を作らない』
見た目によらず達筆だ。見た目はみすぼらしい無精ひげのおいちゃんだが、一応軍部で教育を受けてきただけある。
『その弐、誤解を招く言葉を言わない』
誤解を招くとは失礼である、丁寧に言葉の言い回しをした結果、相手が勘違いすることはよくあることである。その昔、舌足らずなパックが隣町の娘といるロスおじさんに向かって何か言ったことを根に持っているようだ。おじさんはけっこう粘着質だ。
『その参、寝ている人の頭、脚、その他もろもろにカラメルをくっつけない』
これまた失礼だ。これは遠い昔、乙女であった村のおばさんから聞いたとある方法である。あまりにもじゃもじゃなおじさんの足で試しただけだ。それでもって、間違って頭と他に別のところにこぼしてしまっただけだ。運が悪いことに、そんなときにパックのお昼寝時間が来て、はがすことを忘れてしまった。結果、ごちそうを求めた虫さんがやってきたり、根強い毛根と固まったカラメルが善戦しただけにすぎない。
そんなわけでつれづれと書かれた注意事項は、一枚につき十七、それが終わると二枚目、三枚目、と続く。
眠たくなってきたパックはあくびをしながら、こくこく頷いてそのまま眠りかけてしまった。
半分閉じた目から、疲れた顔のロスおじさんが見える。おじさんもこれが無駄だということはわかっているだろう、それでもやらなくてはならないと思う使命感があるのは、常に番犬として扱われていたせいかもしれない。
ロスおじさんは、地獄の番犬であり、パックは悪戯妖精である。その名がより知られたものであればあるほど、その名の性質が受け継がれる。
パックは、おじさんが枕を頭の下に置いてくれて上掛けをかけてくれるのを薄目で見届けると、夢の世界へと旅立った。
いつになっても番犬は子守がうまいなあ、と思った。