15 老人メルク
「約束は守っていただけるんですね」
そう口にしたのはマルスプミラだった。
(いや、そこ、言うの君の台詞じゃないし)
パックはそう思いながらも、他の牢の住人を観察する。老人はパックとなにか話したそうにしていたけど、パックの興味は別のところに移っていた。
牢屋の一つ、不衛生で真っ暗なところにいたおじさんが鉄格子の近くまでやってきた。おひげがもじゃもじゃで息がとても臭いのでこのお家賃不要の物件生活が長いのだろう。もにゅっと鉄格子の間から汚れた指先が伸びてきた。
老人の両隣にいた部下だか護衛だかの二人が前に出るのを、老人は手で制する。
「これ以上大人げない真似はさすがにねえ」
老人はパックを見るが、パックは牢屋の中のおじさんに絶賛首を絞められ中である。気づいたロクに救出されたのはいいが、「なにやってる」と殴られた。老人はなぜか、にこにこと笑顔を向けている。こういうときは助けるべきだろうに、護衛二人を制止した手はそのままだ。ロクに鳩尾を蹴られ、ひっくりかえった罪人は天井を仰ぎながらけけけっと奇妙な笑いを浮かべている。
パックは絞められた首をなでながら、他の牢を見る。十ほどある牢は、半分ほど埋まっている。昨晩閉じ込められたであろう暗殺者をのぞき、皆、入っている期間はそれなりに長そうだ。真っ暗で昼夜がわからない場所にずっと人間を置くと狂ってくるというが、他の牢屋の住人達も先ほど首を絞めてきた罪人と同様、誰もがどこかしらおかしかった。
(ふーん)
元神殿ということもあって、地下牢の作りは簡単だ。神のご慈悲を賜うところであり、罪人を裁くところではない。なので、構造上、多くの罪人は傭兵ギルドにある牢へとぶち込まれると聞く。罪人の多くはギルド崩れの人間が多いので、比較的、問題は薄いのだろう。
軍でも他に罪人を留置する場所はあるのだが、パックが神殿の中央にあるのでは、と思ったのは老人の立場を予想した、勘だった。今回はうまく当たってくれたが、目当ての人物がいなかったら、他の牢を当たる必要があった。そうなるとパックはマルスかロクを囮にして逃げる予定だったので、助かった二人である。
「場所をかえようかね。おいしいお茶でも飲んで話そうか。ケーキもあるよ」
老人は子どもを宥めるように言った。ここで立ち話をするのはふさわしくない、そのための言葉だろう。
でも、パックは不思議と、別の理由で場所をかえたそうにしていたように思えた。
「わかりました」
マルスはまたパックを差し置いて返事した。これだけ、偉そうに手柄を独り占めするようなら、仕方ないので玉子爆弾を使ったのはマルスのせいにしておこうとパックは決意する。
「では」
後ろからついてきなさいといわんばかりに老人が前に進む。その後ろを護衛の一人が続き、もう一人がパックたちの後ろを歩く。
パックはつるんとした地下牢の壁をなぞりながら、てくてくと後をついていく。
(あれ?)
パックは壁を見る。つるんとした壁に髪の毛が一本引っ掛かっていた。パックはそれを引き抜く。つなぎ目も何もない引っ掛かる場所はなにもないはずなのに。
パックが立ち止まると、後ろの護衛のおじさんが「早くいけ」とつついてきた。
パックは何もなかったかのように、髪の毛をくるくる指先に巻き付けると、また歩きはじめた。
案内された部屋は、きらきらしたシャンデリアの下がった貴賓室だった。赤い毛氈と飾られた絵画を見るに、北方風のインテリアだ。ふんわりとしたワンピースを着た給仕のおねえさんがテーブルにお菓子を運んでいる。鳥かごのような形をした段になった入れ物で、上にはケーキ、下にはフルーツが盛られていた。
ロクとマルスは汗まみれの自分の格好が恥ずかしくなったらしく、ぱたぱたと服の埃を払った。
老人はソファに座ると、座れと目の前の長椅子を見てにっこり笑った。
二人は遠慮がちだったので、パックが先に座り、おねえさんに蜂蜜をたっぷりいれたアイスティを受け取った。
「食べていい?」
「好きなだけお食べ」
パックがケーキに手を伸ばそうとしたら、給仕のおねえさんが水の入ったボウルを目の前に差し出した。お行儀にはうるさい人らしく、これで手を洗えということらしい。しかたないので、ボウルに手を突っ込んでぱしゃぱしゃさせてナプキンで拭くと、トングを持ってどれがいいですか、とおねえさんがたずねた。パックはフルーツタルトとチーズケーキとザッハトルテを指さすと、お皿にきれいに盛り付けてくれた。
フォークをつかみ、口の中に入れる。パックには味がよくわからないけど、これは高そうだ。食べ物は高いものほどおいしい、ゆえに食べられるだけ食べなくては。
「お嬢ちゃんはよく食べるね」
「すみません、そいつはお嬢ちゃんじゃ……」
老人の言葉にロクが何か言っているけど、ケーキのほうが大切である。
「ほっひはほってではっへにやっへね(そっちはそっちで勝手にやってね)」
パックは、二人に老人との会話を任せる。
(これ、おみやげにもらえないかな)
クッキーは日持ちしそうなので貰えるだけ貰いたいなと考えながら、皿の上のケーキを全部平らげる。見かねたおねえさんが、パックにこっちにこいと誘導する。一人用の猫脚テーブルがあり、そこにはカットする前のホールケーキがおいてある。
「全部食べていい?」
「フォークをお使いになってください」
気が利くおねえさんである。お話ししているところで、ケーキのカスを飛び散らせたくなかったのだろう。おいしいものをお上品に食べるのは難しいのだ。
さらに、三つほどホールケーキを腹におさめたところで、パックはぷふーと息を吐いた。実に満足だ。
「お話終わった」
足を投げ出したまま、パックは老人たちのほうを向く。
マルスがパックのほうに近づいてきて小声で言った。
「君の意見も聞きたいそうだよ」
どうしたのだろう、なんだか微妙な表情をしている。ロクも同じように眉間にしわをよせている。
パックは「よっこらしょ」と、立ち上がると、てくてくと元の長椅子に座った。
「おじいさん、何の用?」
パックがそういうと、後ろの護衛のおじさんがぴくりと動く。そのたびに老人は手で制す。生真面目なわんこみたいな部下を持つと大変である。もっとゆるめのわんこを使えばいいけど、表向きこういうわんこのほうが便利なのだろう。
「お嬢ちゃんにおいしい提案があってね」
「おいしい話にはのっちゃいけないって田舎のじじいが言っていました」
パックの住んでいた村の老人だ。誰だったかは忘れたけど。
「ケーキは美味しかっただろ」
まるで孫でもあやすような優しい声色である。孫がいたらそんな風に接しているかもしれないが、その眼帯の奥を見たら泣き出してしまうだろう。
「どんな提案なの?」
パックはアイスティーを飲みながら聞いた。二人の顔色を見たら、それがいいものか悪いものか判断しづらい。
「なあに、小姓にならないか、という提案さ」
小姓というと、あれだ。若くて可愛い子がお茶くみをするあれだ。
(よくわかってらっしゃる)
パックの可愛さを考えれば、その手の引き抜きは今までなかったほうがおかしい。しかし、小姓はときに別の意味を示す場合もある。世の中、小っちゃい子に手を出す変態さんはたくさんいるのだ。
パックはいやん、と身をよじるが。
「凹凸のはっきりした異性にしか興味ない人間のところにいってもらうらしいぞ」
即座に否定するようにロクが言った。
「形は学兵のままだよ、ただ、就労形態が変わる。いままでみたいに、血生臭かったり埃っぽい仕事は減るし、お給料も上がるよ」
実に好条件に聞こえる。しかし、それで顔を歪めるのは、ロクだ。
「でも、それは僕たち三人だけなんですよね」
「そうだね、君たちは儂が見る限り、頭が良い子たちだ。だからこんな提案をした」
だけど。
「でも、友だちごっこを容認するほど甘くないよ」
だそうだ。
ロクが気がかりなのは、他の三人だろう。そのうち二人はロクの兄弟だ。顔はよく似ているけど、三人の中には能力差がはっきりしている。体力面はともかく、知能面でイソゴとイソナは劣る。小姓となれば、物書きの一つもできなければだめだろう。それは、ビスタにも言えた。
マルスもその点は気にしているようだ。優等生は皆平等がモットーだろう。他の皆を残していけないよ、といってお手手つないでマラソンをゴールするタイプじゃないだろうか。
だけど、そんな彼にしては珍しく意思はかたまっているみたいだ。
「小姓になれば、上司の酒呑みに付き合うこともあるし、君の望む姫に会う機会はあるだろう」
(そういうことか)
イワナガヒメに会いたければ、この提案を受け入れろということだ。紹介するなんて気前のいいこというわけだ。
なにがやりたいのだろう、この老人は。
他人の意図が読めないことはとても面白い。
それに乗っかるのもわるくない。
パックは「ふふふっ」と思わず声を出して笑った。
「なにがおかしいんだよ」
ロクが不機嫌に言った。目のくまに眉間のしわ、まだ十四歳には見えない老けようだ。もっとスマイルを心掛けないと、駄目だよとパックはロクのほっぺたを引っ張った。
「受けちゃおうよ。お給料増えたらそれでいいじゃない? そのぶん、生活が楽になるんだよ、いいほうに考えようね」
「おまえ、簡単に言うなよ」
パックの手を振りほどくロクに対して、パックは彼の頭をぎゅっと抱え込んだ。耳元でささやく。
「いつまで二人に合わせておく気? 誰かに比べられてるの」
ロクがぴくりと動く。わかりやすい、図星だったようだ。
「まるでその誰かをいまだ気にしているみたいだよ」
パックはロクから離れると、頬杖をついて老人を見た。
「えへへ。それっておじいさんの小姓?」
「いいや、別の軍人だよ。いい子にしてたら、お菓子はたくさん食べられるよ」
「お菓子もいいけど、かっこいいおにいさんがいいなあ」
ガーハイム先生も悪くないけど、新しいイケメンさんに会えるのであれば旅立つのが世の常というもの。パックは、やんわりと老人に肯定の意を伝える。
「考えておくね」
「うん、お願いします。それと……」
パックは目を細める。
「おじいさんのお名前ってなんていうの?」
「おやおや自己紹介をしてなかったね」
老人は懐からカードを一枚取り出す。
そこには名前も何もなく、ただ、帽子をかたどった蜜蝋の印が押されてあった。そのカードはパックたちに見せると、再び懐にしまわれた。
(もらっておくと便利なんだけどな)
そんなに都合のいいものではない。食えないジジイである。
「古い知り合いはメルクと呼ぶよ。メルク爺さんとでも呼んでおくれ」
ロスおじさんの本名がロスでないように、この爺さんの本名もメルクではないのだろう。それに関連する何かである。
だが、パックの頭にその知識はなかった。
「では、君たちの名前も教えてくれるかい?」
にっこりと笑うメルク爺は、おそらく部下によってとっくに調べ上げたことをわざわざ聞くのであった。




