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13 意地悪な問題


 マルスに続き、ロクも窓の外から出ようとしていた。マルスを止めるのは無理だと諦めたようだ。出ていく前に、ちゃんとガラスの割れた位置と、矢が突き刺さった位置を確認して角度を計算しているのが彼らしいが。


「おい、お前はいかねえのか?」

 

 ロクは、パックに言った。パックは焼き菓子の残りを食べながら、部屋の外をのぞいていた。娼館のエントランスでは捕物が終わっていた。琥珀館の護衛は優秀だが、そちらにばかり気をはって、宿の一室でこんなことになっているとは気づかない。客である老人も、もてなすおねいさんもそのことを外に報告しないから仕方がない。普通、真っ先に伝えるものではないかな、とパックは思う。


(うーん)


 パックは最後の一口を飲みこむと、ロクを見る。


「いってらっさーい」


 手をぱたぱた振るパックに対し、ロクは何か言いたそうな顔をしたが無言で外に出た。


 パックは東方式のポットからお茶をコップに注ぐとふうっと息を吐く。


「おまいさんは、何をするのかい?」


 老人がにやにやと髭を擦りながら笑った。


「そうだねえ」


 パックはコップを置くと、部屋の隅にある踏み台を持ってきた。それを部屋の中心に置いて上に乗る。

 手を伸ばすとぎりぎり電球にとどいた。さきほどちかちかしていた電球は、今はちゃんとついている。触れると熱いが、ゆるんで接触不良になったようにはみえない。


(ふーん)


 踏み台の上から見下ろすと、老人は髭を触りつつパックを見ている。おねいさんは老人がひっくり返した食器を片づけている。淡々とした様子で、動揺は見られない。ただ、割れた窓を見ては心配そうな顔をしていた。


 あまり首を突っ込んでほしくない、でも、止めるまでには行かないということか。


 対して老人は眠たそうにあくびをすると、脇に敷かれたおふとんにもぐりこもうとする。


「旦那様、せめて部屋をかえていただけませんか?」

「眠いからいいよ。窓はなんか紙でもはっつけて風が入らないようにしておけばいいだろ。おい嬢ちゃん、一緒に寝るかい?」


 冗談めいて老人が言う。


「うーん、あと二十年若くてナイスミドルだったら、いいんだけどなあ」

「はは、こりゃ振られたなあ」

 

 老人は眼帯をとって枕の横に置く。そこには、あまり口には言いたくない表現で失った左眼があった。


「怖くないかい?」

「世の中、怖いものはもっとたくさんあるのです」

「気丈だねえ、そう言えば名前聞いてなかったなあ、教えてくれるかい?」

「ひ・み・つ」

「そうかい」


 老人はそういうと、おふとんに横になった。言ってみただけで答えが知りたいと思っていないようだ。


「おじょうちゃんはまるで老いた獣みたいに、頭がよさそうだからそんな名前だと思ったんだけどね」


 『みたい』、『思った』と言いながら、その顔はなぜか確信に満ちているような気がした。


(これはどうしたものか)


 試されているのだろうか、それに乗るべきか、乗らぬべきか。


 パックは笑い顔を崩さないまま答える。


「おじいさんに言われたくないなあ、それ」

「悪いねえ、齢をとると心がすれて意地悪になるもんさ。じゃあ、おやすみ」


 そのまま、ゆっくりと寝息にかわる。娼館という場所でありながら、普通に寝起きをしている。かいがいしくおねいさんは布団を老人の肩まで掛ける。

 客相手というより、まるで本当の夫に接するような動きだった。


 おねいさんは枕元の虫よけの香をとって焚き、パックを見る。


「あんたもお帰り。ここにはなにもないからさあ」

「あいさー」

「……あんまり変なことに首を突っ込むんじゃないよ」


 ぼそっと付け加えるようにおねいさんは言った。


 パックは靴を履くと、琥珀館をあとにした。






(そういうことねえ)


 パックはにやにやと笑いながら街燈に照らされた通りを歩く。


 酔っぱらった男を引っ張る下級娼婦の姿が見える。娼館からは馬鹿騒ぎや明るい音楽も聞こえる。

 その中で、まぎれるように走る音もパックの耳に入った。普通の人間には聞こえないような小さな音、訓練された影の音だった。


「性格悪い爺さんだなあ、勝てないゲーム仕掛けるなってんだよ」


 パックは小石を蹴りながら歩く。


 その影は、口先が奇妙に裂けてまるで獣になっていた。






「ただいまー」


 パックはおうちに戻ると元気よく言った。部屋に明かりがついていると思ったら、ロスおじさんが珍しく帰ってきていた。無精ひげのおっさんは、寝ながら本を読んでいた手を止めて、半眼でパックを見た。


「おせーぞ、どこで油売ってた?」


 しかし、パックが答える前に、おじさんは感づいたらしい。鼻をおさえて、あからさまに顔をしかめた。おじさんは名前の通り、わんこみたいに鼻がいいのである。


「餓鬼には早えだろ、そっちの夜遊びは?」


 おじさんはベッドから起き上がると、パックの前に立った。パックの頭に手を置くとすんすんと匂いを嗅ぐ。


「香りソムリエのおじさん、これはどこのお店かな?」

「わかんねえけど、上品な香だな。東方式かあ? あと茶の匂いもする」

「さっすがー」


 パックはおじさんの脇を抜けると、ベッドにダイブした。何日も干していないかたいおふとんだ。琥珀館のお部屋のおふとんはとてもふかふかしていたのに。


(あっちに泊まっちゃえばよかったかなあ)


 などと思いつつ、そのまま目を瞑る。


「おじさーん、明日、夜明け前に起こしてー」

「知るか! んなことより、歯を磨け。虫歯になるだろ」


 ロスおじさんは、パックの襟をつかむとぶらんぶらんとぶら下げながら水桶の前に立たせた。


「朝やるよー」

「だーめーだ。夜が一番、歯が悪くなる」

 

 パックの顎をこじ開け、ブラシを突っ込んだ。勢い余って喉までいってえぐっとなった。このまま磨くつもりだろう。


「……」


 おじさんはパックの口の中を見て、眉間のしわを寄せた。


「……お前はパックのほうだよな」


 おじさんは変なことを言う。パックはパックである。


「パックですがなにか?」

「八重歯、長くねえか? 犬みたいだぞ」


 歯ブラシでなぞるように八重歯を磨く。


 おじさんが何を言いたいのか、わかる。


でも、おじさんは勘違いをしている。パックだろうが、コヨトルだろうが、その本質は変わらない。ただ、気持ちが変わるだけなのだ。

 

 なのにおじさんはわけたがる。パックとコヨトルが別人であるかのようにとらえるのだ。


 だからかもしれない。

 前のパックだった母が死んで、コヨトルだった自分がパックになったこと、それが気に食わなかったのか、おじさんは出ていってしまった。


 徴兵など都合のいい言い訳に過ぎないとパックは思った。逃げようと思えば逃げられたはずなのに。


「犬はおじさんのほうでしょ」

「へいへい、どうせわんこですよ」


 パックは口を開けて、おじさんに歯を磨いてもらう。小さいころいつもやってもらっていたのと同じやりかただ。パックの今も、コヨトルだった昔も歯を磨いてもらうことが好きだ。


 歯を磨き終わると、おじさんはゆすげと、コップに水を汲んで渡す。パックは口をゆすいで形だけのキッチンのシンクにぺっと吐く。

 濡れた口をおじさんは手ぬぐいで拭うと、重ねられた洗濯物の山にのせた。さすがにたまり過ぎたと頭を掻くロスおじさん、そろそろ洗濯屋さんでも頼むだろう。


「おじさん、朝、起こしてね」

「……ろくでもねえことすんじゃねえぞ」


 おじさんはそういうとベッドで横になり、読書の続きをする。


(それは無理な話である)


 パックもベッドに寝そべると、丸くなった。


「おまえの寝床はあっちっていつも言ってるだろ」

「ここがいいんだよー」

 

 おふとんをがっしりつかみ絶対に離れないと意思表示をするとおじさんは無理強いしない。面倒くさそうに背を向けると、面白くもない物語を読み続けるのだ。


 つまらないなあ、と頭でおじさんの背中をぐりぐりすると、大きな手が伸びてきてぽんぽんと背中を叩く。赤子をあやすような仕草もかわらない。


 おふとんはかたいけど、これは悪くないなとパックは思う。


(早く寝ないと)


 眠るのがもったいないような気もするけど仕方ない。


 ちょっと早く起きて調べることがあるのだ。誰に聞けばいいかな、と思いながら、よく考えればちょうどいい人物が目の前にいた。


「ねえ、おじさん。傭兵ギルドって罪人の引き渡しとかあるよね?」

「そりゃあねえ。お仕事の一つですかんね」

「じゃあ、その引き渡しって決まった時間とかある?」

「……寝ろ」

「ねえ、教えてよー」


 ぐりぐりと頭をもう一度、背中に擦り付ける。


 おじさんは本を読むのをやめて、ランプを消してシーツを被った。


「おしえてよー」

「はーいねなさーい、遅刻してもしらねーぞ」

「じゃあ、これだけー」


 パックはおじさんの背中にごんごん頭をぶつけながら言った。


「ギルドって、お昼休みにそんな面倒くさいことするくらいサービスいい?」

「そう見えるか?」


 その答えだけで十分だった。

 パックは、おじさんの背中を攻撃するのをやめて天井を見た。


「わかった、おやすみ」

「……おやすみ」


 おじさんは多分、まずかったかなあ、と思いながら就寝の挨拶をしただろう。それだけ十分な答えだった。



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