11 琥珀館 前編
「ふふふ、これ、可愛くなーい?」
パックはひらりとスカートをはためかせた。ちょっと髪が短いのが寂しいけど、パックの可愛さであれば十分だろう。ちょっぴりお化粧もしてみたり。
おうちにあった一張羅を着てみたのだ。少し小さくなった気がするので、身長が伸びたのかもしれない。
「……こういう場合、パックはけっこう受け狙いで行くと思ってたんだけど、普通の流れでいけるんだね」
マルスプミラが妙なところで感心した。パックの顔をまじまじと見る。一応褒めているつもりだろうが、なんだが癪である。
「これ、まつ毛長くしてるの? 顔の擦り傷も綺麗に隠しているみたいだけど」
「お化粧とは偉大なのです」
正直、マルスプミラの手前、少し頑張ってみたパックである。お化粧品は大家さんのところから拝借した。さすが、あの年代の奥さまはよいお化粧品を使ってらっしゃる、ただ、口紅の色が濃すぎるのは難だけど。
「パックって器用だね、どこでこういう技術覚えてくるかな」
「ふふふ、これはここに来る前、よく遊んでくれたおにいさんと勉強したんだよ。ちょっと、他人にはいえない趣味の人だったからね」
その男の髪を坊主にしてしまったため、パックの髪もこんなに短くなってしまった。前は腰の長さまであったのに。
マルスは「おにいさん?」と頭を傾げていたが、空気を読んでスルーすることにしたらしい。世の中知らないほうがいいこともたくさんある。
「これからどうする気なのさ」
パックは笑いながら女の子にしか見えないマルスを見た。場所は歓楽街の入口、まだ昼間なので人通りは少ないが顔を見られてはならないとちょっと小道に入った場所だ。子馬の散歩と餌は少し早いけどもう終わらせた。パックと違い、マルスは素早く小道の裏でドレスに着替えたため、髪型は少しはねたままだ。パックはリボンで横髪を編みこみにして束ねてやる。
マルスはあの後、パックの誘いにのった。彼には彼のどうしても引けない理由がそうしたのだろう。
(自分に頼むことなんてどうなるのかわかっているのか)
優等生の彼がどんなに頭を抱える状況になるのかわからないし、真っ当な方法なんてパックには思いつかないのだ。だが、イワナガヒメと呼ばれる歓楽街の高級娼婦に会う真っ当な方法なんてないだろう。あるとすれば、金を積む、それくらいだ。
先日、パックがお風呂屋さんであのおねいさんに会ったことは黙っておく。それで期待されても、パックは彼女の勤めている店すら聞かなかった。それに、先日のあの様子だと、毎回風呂屋に来ている様子でもない。一番確実な方法は、何度か風呂屋に通って娼婦たちから彼女の情報を聞き出すことだろうか。もしくは。
「クラリセージには聞いたけど、あんまり知らないってさ。一晩で十人分の高級娼婦の稼ぎをつくるらしいけど」
クラリセージ、以前シスターをやっていた女性である。今は、中堅の娼館で事務や雑用として働いている。
イワナガヒメという娼婦の存在を知ったあと、マルスは彼なりに調査したのだろう。
「そこのおじさんには聞いた?」
クラリセージを雇っている娼館の主のことだ。しゃくれた顎をしたくたびれた男である。名前は知らない。一度だけ、パックたちに妙な仕事を教えてくれたあの人だ。おかげで、村が一個壊滅し、パックはとても血生臭い暇つぶしをする羽目になった。
「聞けると思う」
マルスは首を傾げながら言った。
「だろうね」
マルスプミラには無理だろう。生真面目な彼がひょうひょうと生きる裏町の人間から情報を聞き出すなどできるはずがない。ああいう人間には上手い話でも突き付けなくてはいけないのだが、彼にはそんな情報などない。
しゃくれ男を脅す材料は、実は一つあるのだが、マルスプミラはそれをすべて忘れているだろう。ろくでもない仕事を紹介したこと、それを軍部におしゃべりしたらどうなるだろうと、にひひと笑いたくなる。
マルスプミラはその上で、パックを頼っているのだ。
溺れたマルスはパックをも掴むのである。
「それで、どうするつもりなの?」
「どうすると言われても、客として行ったところで門前払いを受けるでしょ、だから」
パックが次の言葉を告げようとしたときだった。
「だから、マルスを売って娼館に入り込もうって魂胆じゃないよな」
不機嫌な聞きなれた声がした。振り向くと眉間に深々としわをきざんだ少年が壁にもたれて立っていた。いつもなら三点セットだが、今日は単品である。
「ロク、どうしたの!? なんでここにいるの?」
マルスがびっくりした顔で、ロクを見た。
「どうしたじゃねえだろ! イソナたちならともかく、お前がこの馬鹿に唆されてどうすんだよ」
ロクがパックの頭をがしっと掴んで言った。
「ひどいなあ、唆すなんて」
パックはマルスが望んだから、その方法を提示しただけに過ぎない。それを選ぶのは本人次第だ。
「朝から様子が変だと思ったよ。なんだか妙に上の空で、そのうえ、今日は俺の当番なのにパックがわざわざかわっただろ、これがおかしいと思わなくて何なんだよ」
「人の親切を素直に受け止めたまへ」
「おめーの親切ほど、信じられないものはねえ」
きっぱりパックに言い切るロク。その用心深い性格で、パックたちが子馬の餌やりを急いでやったことがわかったのだろう。その後、なにかするためにと。
つまりストーキングしてここまできたということか。粘着質な男は嫌われるのである。
「……わかってるよ」
マルスはスカートをぎゅっと掴む。まつ毛がふせられた姿は、華奢な美少女そのものだ。その姿をロクは居心地悪そうに見ている。
パックも負けじと、可愛いポーズを見せるが、ロクはすわった目でにらむだけだった。
なんというわからない奴だろうか。
「一個聞いていい? ロクって、同性のほうが好きな人?」
返事は拳骨で返された。
なんて奴だ。
「やめるなら今のうちだぞ。こいつが首を突っ込めば、何かしらんがことが大きくなることは目に見えているぞ」
親切を通り越しておせっかいな同輩の言葉に、マルスは首を振った。
「……ごめん、どうしても、彼女に会いたいんだ」
マルスの決意は変わらず、ロクは口をぎゅっとつむぐ。眉間のしわをさらに一本増やし、むぐぐっと唸った後、なにか言おうとして言えずに終わる。
マルスは空気の読めるいい子だ。これからしようとするのが、あまり優等生にふさわしくないことくらいわかっている。成功確率が高いことでもない。それでも、彼はやめないだろう。
結局折れたのはロクのほうだった。
「おまえってそんな頑固ものだったのか」
ふうっと大きく息を吐いてロクは言った。短い黒髪をむしるように掻いた。
「首を突っ込みすぎんなよ。俺は何かあれば、すぐ逃げるからな」
これは、ロクの遠回しな俺もついてきてやるという意思表示だろう、根が素直じゃない人間は本当に面倒である。
パックは着替えを入れた袋を取り出した。そこからごそごそと服を取り出して、はいっとロクの前に突き出す。
「なんだ、これ?」
少しあらたまった服装だ、でも、ちょっとクセのある。お店の客引きをするおにいさんが着そうな服である。ロスおじさんのものなので、少しロクには大きいかもしれない。
「着替えて。女衒役が必要だからね」
『……』
女衒とは、女の人を買ったり売ったりする悪い人のことである。美少女二人が身売りしに店に飛び込むよりリアリティがあるはずだ。東方系は年齢がわかりにくいし、ロクはそこそこ身長があるので、サングラスして髪型変えて誤魔化そう。
「おい、お前。もしかして狙ってただろ」
ロクはガラの悪いサングラスをつまみながら言った。
(なんのことでしょう?)
備えあれば憂いなしである。
時刻は、夕刻、街の街燈にいくつか光がともりだしていた。
パックたちは、エキゾチックな雰囲気を醸し出す店の前に立つ。看板には『琥珀館』と書かれている。東方語だが、ロクに読んでもらった。
「本当にやるのかよ」
油で前髪を後ろに固めたロクが言った。ちょろんと一本だけ前髪を額にたらし、サングラスをかけているその姿は、まさにチンピラである。少し丈が長いスーツはパックの七つ道具でちょっきんしてそれなりに見える姿にした。マルスが「いいの?」とたずねたけど、パックはロスおじさんがこんな趣味の悪いスーツに袖を通すのはいやだなあと思うのでよいのである。おじさんはどこかセンスがない。
お店の前には、東方の人種が着る着物にエプロン姿の少女が水を撒いていた。夕刻とはいえまだまだ暑いので、冷やしているのだろう。
玄関は大きく開かれて、ホールがよく見えるようになっているが、その入り口の両脇にごついおにいさんがたが座っている。あまり怖くない容姿だが、動きに無駄がなく視線は鋭い。時折、店のおねえさんが声をかけるときだけ愛想笑いを浮かべている。
(いい店だねえ)
歓楽街の奥へ行くほど、品のいい店がならぶ通りのようだが、琥珀館はその中でも最奥にふさわしい貫禄があった。奇抜な赤と緑と金色をあしらった建物だが、そこに下品さはない。異国情緒を売りにするのであれば、それに頼ってどこか色物になりそうなのにそんな雰囲気はない。ホールで出迎える女性たちは皆、必要以上の露出をしなかった。外に出て客引きをする様子でもなく、ただ、優雅にホールでお茶を飲むのだ。
時間帯が時間帯だけに、まだ、客の入りはない。おそらく客の入りはどの店よりも少ないだろう、ただし、やってくる客の単価は桁が違うのだろうが。
街燈の光が一つ、二つ増えていく中で、水撒きをしていた少女が、行燈に火を入れる。街燈には電気が使われているが、行燈は一つ一つ火を入れている。それが店のこだわりのようだ。
(……これは)
パックはあることに気が付いた。
パックは腕を組んで首を傾げる。琥珀館にとりあえず入り込む方法はいくつか考えていた。でも、それは相手側の都合が大いに関係する。
とりあえず目を凝らして、次々に火を入れられる行燈を指さす。
「一つ、二つ、三つ」
「何数えてる」
ロクがたずねる。
「ねえ、トヨフツのおにいさんが教えてくれたとき、行燈の数、いくつ灯っていたかわかる?」
「んなもん覚えてねえよ」
「七つだよ」
ロクの代わりにマルスが答えた。
「そうだね、真ん中とその両脇の三つ」
そして、今ついている行燈の数は三つ。あと、脇に三つずつついていない光がある。九つ行燈があり、その三分の一しかついていない。
(行燈の光ねえ)
それにはどんな意味があるだろうか。
あのとき、トヨフツはお偉いさんが来ていると言っていた。彼は妙に、あの娼館のことに詳しかった。なんとなく、世間のことにまったく疎く見えるのに。彼も男である、付き合いであの店に行ったことがあるのだろう。
そして、七つの光で少なくともトヨフツよりも高い地位にいる人が客にいるということ。
では三つとなると、格下の相手がくるということだろうか。
なので、光の数を見て、少ないようだったら飛び込みをかけようかと考えたのだ。忙しいのと暇なのでは、相手の態度はかなり違う。それでも、追い出されたもうひとつ踏み込んだ行動を示そうと考えていたが。
三つ、そんな行燈の数は客人を馬鹿にしているのではないだろうか。
一つではバランスが悪いので三つ、でも、店を開くのであれば、少なくとも半分はつけるものではないだろうか。
「……もう少し、様子を見ようかな」
「どうした熱でもあるのか?」
ロクがわざとらしくパックの額に触れた。
「失敬だね。自分にも考えがあるさ」
よりどちらが面白い方向へと進むかくらい考えている。
その上で、パックはマルスプミラを見る。
「ねえ、マルスは、できるだけ早く、でも確実にイワナガヒメに会いたいよね」
「……もちろん」
確認した。
パックはその上で、行動にうつす。
考え方を変えてみる。
より高官が客人に来る場合、それを相手にする娼婦は誰であろうか。より高位の娼婦である。
また、相手が高官である場合、行燈の光を増やす理由について。それは相手を格付けすることも示している、客人はどう思う。自分が客の場合、行燈が三つしかついていなかったら。
(もしかして)
パックは店の裏側へとまわる。
「ど、どうしたんだよ!」
ロクとマルスが慌ててパックについていく。大通りの脇の小道に入り、ドブネズミの走る水路を飛び越え、塀の上にかけのぼった。
からんからんと馬車の音が聞こえる。地味な馬車が琥珀館の前に止まる。
その中から、よろける老人が付き添いの男に支えられ出てきた。
目深に帽子をかぶって、片目には眼帯をつけていた。残った目は、深いしわまみれの肌の中でやたら輝いて見えた。
深い青い目が異様に光っていた。
(あれ?)
不思議と心臓の音が高鳴った。なぜだろう、よくわからないけど、パックはとてもどきどきしていた。
いつも悪戯するときより、ずっとドキドキしている。なんでそう思うのかわからなかった。
調子が狂うと人間どんなへまをするのかわからないものである。
「おい、どうしたんだよ」
後ろからせっつくロクがパックを叩いた。
重心がずれ、そのまま塀から落ちてしまう。「なにやってんだ」と理不尽なロクの声が聞こえた。
「……お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
しわがれた声が聞こえた。
パックが鼻血を出したまま、顔を上げる。
そこには、隻眼の老人が腰を曲げてパックの前に立っていた。




