3 トリックスター
目新しいものが楽しいというのは、まだ精神が成熟していない生き物にとって当たり前のことである。なので、今現在、パックがこのような状況に陥るのはごくごく自然なことである。
「おい、餓鬼。なんか俺に恨みでもあるのか?」
強面のおっさんが目の前にいる。大きなお馬の像の前で待ち合わせをしていた彼は、柄にもなく大きな花束を持っていた。そして、それは無用の長物になるであろうと、噴水の前に座り、脚をぶらぶらさせていたパックには理解できた。
おじさんは、どこぞのおねえさんと待ち合わせをしていたようだ。しかし、その相手は現れない、それだけのことだ。
「さっきから、じろじろ見やがってよ。なんだ? おかしいことがあるなら言ってみろよ!」
ど田舎のジジババ集落で育った子どもにとって、彼女にすっぽかされた可哀そうなおっさんでもなんとなく珍しくてみてしまうものだった。花屋に薦められるまま買ったであろう大きな花束、なのに服装はこれから害獣退治でも向かいますよ、といわんばかりの武装。お顔には本人はワイルドでお洒落のつもりでも、周りから見ればただの不潔な髭が生えている。
(ふむふむ、こういう男はもてないと)
世の中、学習するということは悪いことではないのが一般常識である。ゆえに、パックは人間観察という社会における重要な学習をおこなっていた。ただ、問題なのは、その観察物に近づきすぎた点である。
というわけで、親戚の迎えを待つおのぼりさんは、絶賛からまれ中であった。
「ごめんなさい。田舎者で右も左もわからなくて。おにいさんが、なんだか故郷の兄に似ていたので見てしまいました」
半分本当、半分嘘。パックは一人っ子だ。目を潤ませて可愛い可愛いあどけない子どもの目を見せると、おっさんは少しだけ柔らかくなったかのように見えたが、それは一瞬だった。いかん、目で演技しても口はにやにや笑っていた。
鈍そうなおっさんでも、その様子には気が付いたらしい。実にまずい。
(これは一発くらい殴られるな)
至近距離で殴られるなら、勢いを殺す方法はある。遠くから勢いをつけて殴られるなら、うまくかすめさせる方法はある。伊達に年中拳骨を食らっていない。相手は強面のガタイのいいおっさんなので、力はかなり強いかもしれないが耐えるしかない、まあ石頭なのでなんとかなるだろう。頭じゃなくて顔だったらきついけど。さて残る問題は一発殴られたあとである。治安のよい場所なら、子どもが一発殴られていたら警吏が駆けつけてくれるだろう。こんな場所でも、軍人は多いのだからやってきてくれるよな、では、いかにこのおっさんを悪人にすべく痛がる仕草を考える。殴られ損にならないように、精いっぱい可哀そうな子どもを演じなければ。
そんなことを考えていると。
「すまんな、にいちゃん。それ、俺のツレなんだわ」
やる気のない声が聞こえてきた。それなりの背丈にそれなりの肉付きの男が目の前にいた。パックと同じく、青みがかった黒い髪に青い目をしている。見た目は三十をすぎていそうなおっさんだが、パックの記憶が正しければまだ二十代半ばのはずだ。
(あいかわらず老け顔だあ)
物覚えの良いパックは十年ほど前に徴兵されたきり帰ってこない母の弟を思い出す。家に飾られている写真に写っている少年は目の前の男にそっくりである。輪郭を縦に伸ばし、眉間にしわを二本付け加えて、無精ひげを足したらそのままだ。
ロスおじさんがそこにいた。
ロスおじさんはにこにこというより、へらへらに近い顔で近づいてくると、パックの襟をつかんでいる男の手首をとった。
「田舎者なんだよ。餓鬼のしたことだってことで、目を瞑ってやってくれねえか?」
へらへら笑いのおじさんの手は、ごつごつしている。その手につかまれたガタイのいいおっさんは、なぜかふるふるしていた。パックをつかんでいた手が緩まり、地面にちゃんと足がついた。
「ありがとうよ。話のわかるにいちゃんで助かったわ」
ロスおじさんはむさいおっさんのことを「にいちゃん」と言っているが、そのおっさんのほうがおじさんより年上だろう。それでも年功序列ですまないのが傭兵の上下関係だとパックにはわかった。徴兵を受けて軍部に入ったロスおじさんだが、任期は七年である。おじさんが二十三のとき、田舎に帰ってくるわけでもなく、軍人から傭兵に転職した。転職といってもやることは同じだ、ただ雇用形態が違うだけである。
徴兵されたものは、はじめに訓練期間というものが設けられる。未成年であれば、二年、成人ならば経験に応じて最大半年与えられる。その中で、ふるいをかけられる。集団行動に適したものと、そうでないものにわけられて、前者は軍人、後者は傭兵となる。もちろん、前者のほうが待遇はよい。たとえ同じ戦場にたつとしても、前線に立つのとそうでないのとではかなり生存率が違う。どちらにしても、任期は変わらないが、軍人になったものはそのまま居残り続ける場合が多い。ロスおじさんのように、任期を終えて軍人から傭兵に転向する変わり者もいるが。
というわけで命知らずなロスおじさんが、十年近く戦争の前線にいて生きている理由がわかった気がした。ロスおじさんが、つかんでいたおっさんの手首をはなすと、おっさんは脂汗をだらだら流しながら自分の手首とロスおじさんの顔を交互に見ている。ぶっといごつごつした手は、青白く変色し、手首にはうっ血した痕があった。万力にでもしめられたようだった。
「……ば、番犬」
がたいのいいおっさんがつぶやいた言葉が聞こえた。
ロスおじさんはへらへら笑顔を、口元だけの笑顔に変える。つまり、目が笑っていない。
「おっ、俺ってばけっこう有名人? でもな、その呼び方あんま好きじゃねえんだ」
ロスおじさんは、パックの襟をつかむと、子猫のようにぶら下げた。首根っこをつかまれたパックはうまく身動きができず足をばたばたさせる。ゆえに、後ろにいるごついおっさんが今、どんな表情をしているのかわからなかった。想像はついたけど。
「ひさしぶりー、おじさーん」
手をあげてパックは、ようやくロスおじさんに挨拶をする。
対して、おじさんはちょっぴり垂れた目をさらに下げながら、
「あー、久しぶり。悪ガキ。つーか、初っ端から面倒かけんなや。おいちゃん、疲れちゃうだろ」
一人称が「おにいちゃん」から「おいちゃん」に変わったこと以外は、あんまり変わっていないとパックは思った。けだるげなおいちゃんは、パックの頭をわしわしと撫でると、首根っこをつかんだまま歩き出した。
(うん、かわんないなあ)
パックが何かしら騒動を起こさないように、親猫のようにパックを持ち運ぶのである。こうすれば、悪戯ができなくなることを覚えているらしい。
パックはぶらぶらと揺らされながら、街をあらためて見物するのだった。