9 大雨と林檎の憂い
(どうしたものやら)
パックは今現在の状況について、なかなか面白いと感じていた。世の中予期せぬことが起こるほうがずっと面白い、そのはずなのに、周りを見る限りそう思っているのはパックだけのようだ。
なぜなら、皆仏頂面で皿を洗っているからだ。
「おにいさん、お金ないならないって言ってよ。ちゃんと考慮したうえでご飯頼んだからさあ」
「……普通なら足りてる」
まだら男は皿を割らないようにゆっくりと丁寧に洗っている。なんだか、お外の天気がさらに悪くなって雷の落ちる音がかしこに聞こえる。
隣で皿を洗っているイソナはびくびくとトヨフツを見ている。
「現金、普通たくさん持たない」
うんうん、と他の皆も首を縦に振る。しかし、この環境にいまいち慣れる様子でもない。たぶん、一人どでかい男が皿を洗っていることが原因だろう。
「店のおじさん、皿洗いで終わらせてくれてよかったね」
マルスプミラが洗った皿を拭きながら重ねていく。ロクとイソゴはホールから空のビールジョッキや食器を持ってくる。それをイソナとトヨフツが洗い、パックはそれを監督しながら、店の料理の味見をする。
「お前もやれよ」
ロクが頭蓋をつかんで壁に頭をぶつけた。暴力で訴えるのは実によくないとパックは思う。
店のおじさんはおそらくパックたち学兵のみに言ったのだろう。トヨフツが食べた量は、たいしたものではないので彼の持ち金で十分足りた。
しかし、何を思ったのかこのまだらの男は、自分の有り金全部渡すと厨房にどかどか入り込み皿洗いを始めたのだ。
「……あのトヨフツさん、あとは僕たちでやるので」
マルスプミラが恐る恐る言った。よく言った、と皆がマルスに目を輝かせている。なにげに店のおじさんもだ。しかし、エプロンをつけた大男は無表情のままマルスを見る。マルスだけでなく、他の皆もびくりとする。
「食べたからちゃんとする、それが大人」
片言の共用語でトヨフツは答える。
責任をとるのは大人だが、空気を読むのも大人だ。
それなら、足りない分をとりにいってくれればいいのに、不器用な手つきで皿洗いをしている。
(なんとなく思ってたけど)
この人は、名前で恐れられているし、その影響も半端ないが、性格はかなり温和、むしろ天然が入っているようだ。
「これ、終わったら、イワナガヒメのいる店案内する」
トヨフツの言葉にマルスプミラは、ゆっくりと頭を下げる。東方風の礼をしながら「よろしくおねがいします」と少し震えた声を出した。
「ねーえ、この天気どうにかならないの? おにーさん」
皿洗いを終え、お外にでたところで雨はまだ降り続いていた。外はもう真っ暗で、街燈がきらきらと雨粒に反射して光っていた。
「……悪い」
うつむく大男は、無表情のまま空を見る。星の一つも見えない、真っ黒な空だ。
「ばか」
ごちっと頭に振動がくると思ったら、またロクが殴っていた。これは、毎日日記に殴られた数を記録し続けたらそのうち訴訟おこせるかもしれない。今日から日記を書こうとパックは思う。
「どうしたら機嫌なおる?」
「ぱ、パック!?」
慌てて口を塞ごうとするマルスプミラ。
「なにするのさ、マルス」
強引なのは嫌いじゃないけど、乙女なパックは人前なのでちょっと恥じらってみる。なんかものすごく白けた顔でロクが睨んでいる。
「ロクも混ざりたい?」
「誰が混ざるか!」
ロクは栄養が偏っているのかいつもカリカリしている。小魚たくさん食べさせないといけない。
そんなことを考えているうちに、トヨフツは軒下を出て雨の中を歩きはじめた。雨にぬれることなどまったく気にしていない。
マルスは慌てて彼についていく。
「お、おい。そのまま行くのかよ」
慌てて三つ子たちが追いかけようとする中、お店のおじさんが親切に皮袋の切れはしを差し出してくれた。ないよりマシだと、それをレインコート代わりに頭からかぶって追いかける。
パックも頭に引っかけて追いかけると、トヨフツに並んで歩く。まだらの男は花街を目指して歩いている。その視線は、少しうつむいていかにも機嫌が悪そうに見えた。しかし、間近に見て下から彼の表情を見るとかなり違っていることがわかる。うつむいた男の顔は身体に雨がうつことを心地よさそうにしているように見えた。
皆が不機嫌の象徴というその天候を彼は望んでいるように思えた。
(なんでだろう)
よくわからない、ただ、彼のまだらの肌を見る。ところどころに変色したそれは、火傷のあとのようにも見える。それを冷やし癒してくれる雨粒が心地よいのだろうか。
雨粒は歩いているうちに次第に小さくなっていった。雷の音もなくなり、色っぽいおねえさんがたくさん客引きしているあたりに来れば、空には晴れ間が見えてきた。
「機嫌なおったみたいだね」
パックが言うと、まだらの男は感情の浮かばない顔を少しだけほころばせた。
「夢。ようやく忘れた」
なんだろう、それは。
(つまり、悪い夢見たから機嫌悪かったってことかい)
実に子どもじみた話だが、なんとなくこの男ならそんな感じがした。
「身体も冷たくて気持ちいい」
片言でそれだけ言うと、トヨフツは自分の肌のまだらをなぞる。そして、足を止めた。繁華街の入口の大きな門が目の前にある。惜しげもなく輝く門に、その奥には夜の蝶たちの楽園が広がっている。
「ここをまっすぐ、行く。東方建築の変わった宿がある。そこにいる」
トヨフツは人差し指を正面に向けた。まっすぐいったつきあたりに明らかに雰囲気の違う店が見える。店というより城というべきだろうか。赤と緑でデコレーションされたエキゾチックな建物が見える。灯篭の光でオレンジ色に輝き、神秘的な雰囲気をさらに強めている。遠くなのでよく見えないが大きな二本の柱には曲がりくねった蛇さんが巻き付いているようだ。中心に巨大な灯篭がぶら下がっていた。それに従うように小さな灯篭がいくつも並んでいる。
「あの灯篭に火がついているとき開店、ついてないと閉店」
トヨフツは簡単な説明をすると、回れ右をした。明るい繁華街に背を向け、静まりつつある街中に向かおうとする。
「えー、おにいさんは一緒に行ってくれないの?」
パックがトヨフツの手をぎゅっと掴んで引っ張った。トヨフツは一瞬驚いた顔をした。パックが掴んだ腕とパックの顔を見比べて困惑している。こういう態度に慣れていないのだろうかと不思議に思う。
「……今日は金もうない。それに」
トヨフツは目を細めて異国情緒あふれる店を見る。
「この時間に灯篭がたくさん、ついてる。今日は、上客がいる。相手してくれない」
くわしいんだねえ、とパックは思いながら、トヨフツから手を離す。くるりとつま先でターンするとピエロのようなポーズをとる。
わざとらしい頭を下げる仕草だ。
「ありがとう、おにいさん。ごはんおいしかったよ。今度はお財布いっぱいにしておごってねえ」
すかさずロクが拳骨を落とそうとするが、さすがに三回めだとパックはくるりと華麗に避ける。空振りしたロクにむかって「へ・た・く・そ」と言ったら、今度は首をホールドされそのまま技をかけられた。レディに軽々しく技をかけるとは本当にろくでもない。よし、日記に書こう。
マルスたちがトヨフツに頭をぺこぺこ下げてお礼を言っている。トヨフツは気にした様子もなく、そのまま暗い夜道を歩いた。
大男の影が見えなくなると、三つ子たちは大きく息を吐いた。緊張の糸がようやく緩んだらしい。
「なんだったんだ、あの人」
「噂通りだけど、イメージ違ったな」
イソナとイソゴが言った。ロクも大体同じような意見だろう。
「とりあえずお腹いっぱいご飯食べられたんだから、感謝してよね」
パックがえっへんと胸を張ると、三方向から拳と肘と脚がとんできた。こんなときは気が合う三兄弟である。
「あーあ、寄宿舎門限過ぎちまってる」
イソナがだるそうに言った。
「しゃーねえよ、諦めようぜ。皆で怒られよう」
「そうだね、自分には関係ないけどね」
「おまえ、もう一発殴らせろ」
「断る」
パックは追いかけてくるイソナから逃げて、マルスプミラの背中に隠れた。
「マルス助けてよ」
優しい優等生の少年なら乱暴者を宥めてくれると思っていたが、その返事はなかった。
「……」
マルスはずっと繁華街を見ていた。
「不死の姫」
そうつぶやきながら。




