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8 お食事と名前の意味


 沈黙がその空間を包み込んでいた。本来、仕事帰りのおじさまたちが若人を連れて少しいい飯くわせてやる、もしくは、ここは穴場なんだよ、と気軽さを演出した殿方が女性をくどくために用いる場所である。


「ご、ご注文は」


 詰まった言い方でウエイトレスのおねえさんがきた。

 パックはメニューを開き、一番上から一番下までを指で全部なぞった。


「ちょうだい?」

「えっと、ぜ、全部ですか?」


 おねえさんはパックではなく、その目の前の席に座る男、トヨフツを見ている。たしかに、ここのパトロンはパックじゃない、この男だ。


「おにーさん。飲み物は何がいい?」


 パックはドリンクメニューを開きトヨフツに見せる。トヨフツは太めのしっかりした眉を歪める。


「東洋語、しか、読めない」


 たどたどしい公用語を使う低い声。セクシーなハスキーボイスだが、ウエイトレスのおねえさんの身体がびくっと動く。まだらの皮膚に注目しがちだが、この男、かなりの美形である。下からのぞきこまれるのであれば、乙女はときめかずにはいられないだろう。


「お酒は?」

「酒より甘いのが好き」

「りんごとおれんじとぴーち」

「ももが好き」

「おねえさん、ピーチジュース一つ。あと自分には赤い葡萄酒と、みんなはどうする?」


 パックの両隣には三つ子とマルスが縮こまって座っている。一応六人掛けの席だが、片側に五人も座るとかなりバランスが悪い。


「ねえ、どっちか二人、あっちの席に行ってよ、狭いんだけど」


 パックが言うと、三つ子が睨み、マルスが渇いた笑いを見せる。

 お外はまだ土砂降りが続き、たまにごろごろと雷の唸る声が聞こえる。


 パックは、仕方なしに反対側の席に移動する。真ん中にすわっていたトヨフツを「ちょっともっと奥行ってよ」と押したら、三つ子とマルスが真っ青な顔をしてこっちを見ていた。それ以外にも、お店のウエイトレスさんや周りにいたお客も土気色のお顔をしている。


 トヨフツはでかい図体を横にずらしてレストランのメニューを眺める。字が読めないかわり写真に見入っている。お店のメニューに写真を使うなんて、なかなか凝った店だなとパックは思った。ちなみに写真はフルーツたっぷりのパフェだった。


「おねえさん、残りは水で。あと、デザートにこのパフェ追加して」

「は、はい」


 おねえさんはぱたぱたと走るように厨房に戻っていき、すたっとピーチジュースとワイン、それからその他水を持ってきた。なかなかよい動きである。しゅたっと、ブレーキをかける瞬間、服の裾がちらりとめくれ臍が見えた。あと、制服のスカートを五センチほど短くすれば、もっと客足は増えるのでは、とパックは思う。


 トヨフツはピーチジュースを無表情のまま飲んでいる。おねえさんはご丁寧にストローをつけてくれたけど、なんかシュールな光景になっている。


『お、おい。パック』


 押し殺した声が聞こえた。

 パックは服の裾を引っ張られ、足元を見る。イソナが屈んでパックの足元にいた。美少女の足元に這いつくばる趣味があるのは別にいいけど、パックの足元でやられても困るのである。


「どしたの?」

『どしたのじゃねえよ。なんでこんな状況になってるんだよ』

「そんなことを言われましても」

 

 パックはストローでジュースをちゅーちゅーしているいい齢したおにいさんを見た。お顔が少しご機嫌のようで、お外の雨が少し小ぶりになった気がした。


「このおにいさんに肋骨を折られたから、慰謝料としてご飯の一食や二食頼んだところで、やりすぎなのかい?」


 パックは自分の脇腹を擦る。まだ、あの村のときの傷が残っている。表面のえぐられた傷はだいぶ治ったが、まだ骨にはひびが残っているだろう。パックはわざとらしく脇腹を押さえて呻いて見せる。


「うそだろ、お前、普通にやってたじゃねえか」


 イソナが空気を読まない発言をする。


「たぶん、それ本当だ」


 ロクが水を舐めるように飲みながら言った。


「ええっと、トヨフツさんですよね」


 ロクはゆっくり話した。

 トヨフツはこくりと頷いた。


「東方語のほうがいいですか?」

「ゆっくりならわかる」

 

 わかりました、とロクはパックとイソナのほうを見た。


「パックはここ数日、いつもに比べて騒ぎをおこさなかった。んでもって、風呂屋にいったのも湯治をかねてだったんじゃないのか?」


 ロクはなんだかんだでよく見ていると思う。そう思うなら、なんでパックを蹴ったり、煙突から落としたりするのか本当によくわからない。知っててやってるなら、なんて奴だ。


「トウジってのはよくわからないけど、折れてるのはほんと。折れてるの見る?」


 パックは服をめくって見せた。かさぶたがはがれ赤い皮膚をまとった脇腹が見える。お風呂屋さんのときは、腹から薄絹をまいていたのでおねいさんには気づかれなかったけど、見るとけっこうグロテスクだろう。ちょうどトヨフツのまだらの肌のようになっている。


「きもいな、いつ怪我したんだ?」

「きもいとは失敬な。この商売だよ、怪我しないことのほうが少ないでしょ」

「それもそうだな。でも相手は……」


 イソナがパックの腹に触れようとするが、さすがにおさわりまでサービスする気はなく服を元に戻す。イソナは自分の席に戻る。


「……早すぎるだろ」


 ロクが小さく言ったのが聞こえた。


(ふーん)

 

 パックは何事もなかったかのように脇腹を擦りテーブルの上にあるワインを楽しむ。味はよくわからないけど、悪くないワインじゃないかなって思いながらグラスをくるくる回す。


 ロクの言葉、その前にはきっと『傷が治るのが』というものがついていた。それを聞き逃すパックではない。

 おかしな話である。イソナの言葉通り本来なら、パックがいつ怪我したのかわからないはずなのに。


 どうしたものやら。


 そんな中、ウエイトレスのおねえさんが両手いっぱい料理を持ってきた。


『うおおおお』


 思わず食べ盛りの少年たちは目を輝かせる。どでかい海老の中身をくりぬいて作ったグラタンに、厚切りベーコンたっぷりのカルボナーラに、お肉がごろごろしたビーフシチューに、クルトンが浮いたスープと並んでいく。

 主に反応がいいのは三つ子で、マルスプミラは落ち着いていた。どことなくマルスプミラには、他の学兵たちよりも気品を感じるのは見た目だけでない気がした。ごはんに対する反応に、好奇心が感じられなかった。食べなれた西方料理であるといえばそれまでなのだが。


 今にもがっつきたい三つ子たちは、それでいてトヨフツを気にしていた。食べたくても食べられない飢えたお顔が三つ並ぶとおもしろい。もし地獄の番犬なるものがいるのなら、こんな風なのだろうかな、などと想像したりした。


 お預けをとくため、パックは自分の左にいる人物を見る。

 

「おにーさん、食べていい?」


 トヨフツはぼんやりとした目のまま、こくりと頷く。


「よし、者ども、食らいやがれ!」


 パックの掛け声とともに、食い意地のはった三つ子たちは料理にがっついた。マルスプミラだけ、トヨフツに礼をいってから、両手を重ね、世界樹に祈りをささげてから小皿にパスタを移動させた。


ピーチジュースがえらく気に入ったらしくウエイトレスのおねえさんを呼び止めようとしたが、動きがどこかのんびりしているので忙しいおねえさんはさっさと厨房へ戻って新しい料理を急かしていた。しゅんとして、ポタージュスープを飲む。しかし、猫舌らしく小さく舌を出す。空になったピーチジュースのグラスに舌を触れさせて冷やしていた。また、雨降りがきつくなった気がする。


(実に面倒な人だなあ)


 パックは大皿の上でイソゴと海老グラタンの奪い合いをして、勝利しつつも彼を見る。

 

 大体、こんな問題児を軍部が放置しておくだろうか。誰か体の良い見張りのような人物が近くにいてもいいはずだ。


(見張りねえ)


 ここの所お仕事が忙しいおじさんを思い出した。この男とおじさんは仲がいいらしい。おじさんはなんだかんだで面倒見がいいのでこんな面倒な人でも見てくれるだろう。

 このあいだのおじさんの報告書では、たまたまトヨフツが依頼を受けたように書かれてあったが実際は反対だろう。非番のおじさんとトヨフツが一緒にいたから、彼が村に派遣されたのだろう。


 そんないろいろもろもろなことを考えると、実に面白い玩具がお隣に座っているのではなかろうか、とパックは思う。

 パックは空になった海老グラタンをイソゴに見せつけたあと、今度はボルシチに手を付けた。小さな皿にうつし、すぐ熱がとれるようにすると、トヨフツの前に置いた。


「ねえ、トヨフツってどういう意味のお名前なの?」


 パックはごくごく自然に聞いた。


「パック、失礼だろ。すみません、悪気はないんです」


 優等生のマルスプミラがトヨフツに言った。


 トヨフツは表情を変えないまま、


「名前、言ったら駄目。言われている」


とだけ答えた。


 それはそうだ、真名を隠すものさえいる中で、その名の意味をたずねることはある種の禁忌だ。それに本人の口からその名前を説明したところで、その真名はその相手に対して発動しない。あの村の騒動で、南方の異国の神の力が発動した理由は、パックが教えずともその名を知る者がいたという幸運があっただけだ。


 名前を持つということは、その名の恩恵を受けると同時に、制限を受けることを示している。


 ではどうしようかな、どこから話題を切り出そうか、とパックはワインを飲み干す。


「じゃあ、おにいさん、東方出身なんでしょ。『イワナガヒメ』って知ってる?」

「名前は聞いたことある。よく知らない」


 トヨフツは首を傾げたまま、冷えたボルシチに手をつけた。美味しかったらしく小皿にうつした分は空になった。マルスプミラが気を利かせて、小皿をとるともう一杯ボルシチを注ぐ。


「それなら俺知ってるぞ」


 珍しく自己主張をするのはイソゴだ。ロクほど賢くもなく、イソナほど無謀でもないので、三つ子の中では影が薄くなりやすい男である。たまに自分が知っていることがあると、ちょっとでしゃばってみたくなるのだろう。


「では、イソゴくん。二百字以内で説明したまえ」


 ぴしっと、パックはイソゴを指名した。

 たぶん、イソゴが知っていたらロクも知っているし、ロクのほうがちゃんとした説明をしてくれると思ったけど、たまには彼にも見せ場を作ってやろうというパックの優しさだ。

うむ、なんて良い子なのだろう、パックは。


「ええっと、たしか昔の偉い神さまの娘で、妹にすごい美人がいたんだよ。親父さんは娘二人をある男の嫁にしようと思ったけど、男は美人な妹だけしかめとらなかったんだ。姉は、たしかに名前のとおり岩みたいな顔をしていたけど、岩のように長生きができると言われていたから、妹の旦那になったその男は、永遠の命をもらえずに、今の人のように短命になったっていう話」


 イソゴは指を折りながら話していたが、途中数がわからなくなったみたいで両手で頭をかきむしった。そんなイソゴを「汚いからやめろ」とロクが頭を押さえこむ。本当にどっちがおにいちゃんかわからない。

 イソゴは頭をかきむしるのをやめて、テーブルに肘をついた。


「つまり、そのイワナガヒメの旦那さんになったら、永遠の命が約束されるってことかな」

 

 マルスプミラが目をぱちぱちさせて、イソゴを見た。

 しかし答えるのはロクだった。


「仮にその名前の奴がいたとしても、せいぜい長生きができるって程度じゃないのか? そういうもんだろ、名前の効果って言っても」


 ロクの見解は正しいとパックは思う。名前だけで万能になれるわけじゃない。

 そして、その名前の人間は実在する。


「その名前の女、確か花街にいる。その女を買えば、戦場から生きて戻って帰ると言われている」


 ぼそりと言ったのは、トヨフツだった。冷えたボルシチを食べ、口の端に赤いスープをこびりつかせている。


 どん、と大きな音が響いた。テーブルの上にのっていた食器が一瞬浮き、かちゃんと音を立てる。


 音の元は、金髪の美少年だった。可愛いけど優等生すぎてちょっぴり反吐が出そうな少年にあるまじき行為だ。透き通った目は、トヨフツをしっかり見ている。


「すみません。その女性のことをもっと詳しく教えてください」


 丁寧な口調だが、強い気持ちにあふれたものだった。


(どういうことだろうねえ)


 パックはにやにや笑いながら、鳥もも肉にかぶりついた。かりかりの皮がジューシーで美味しい。


 マルスプミラは美少年で育ちも頭もいい西方の出身者である。西方は他の地域に比べて子どもを徴兵するほど、聖地に対して深い思い入れはないようだ。そんな彼がこんな要塞都市にいることは不自然だった。


(どうしてなんだろうね)


 実に面白いなあとパックは思いながら、鳥の骨を皿に投げ入れた。



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