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4 石長比売 前編


「靴はここで脱ぐんだよ」


 廊下を抜けると、ほくろがたくさんあるおばちゃんが教えてくれた。最初、お風呂屋さんの人かな、と思ったけど、どうやらお客さんらしい。靴はひとつひとつ四角い棚の中に入れられる。細い木の表面に切れ込みを入れただけの鍵でしめる。


「ありがとう」

 

 おばちゃんとはつけ加えない。一応、パックにとっておばちゃんだが、おばちゃんにとってはまだおばちゃんと呼ばれたくない年齢だろう。地味な恰好で喋り方で老けて見えるが、肌の張りを見るとまだ二十代のようだ。

 おばちゃんはパックの顔をじろじろ見る。なにがおかしいのかと思えば、


「この先は女湯だけど? それから、親はどうしたんだい?」


と失礼なことを聞いた。なので、パックは口をとがらせて指を一本立てて、「一人」と答え、ハーフパンツを脱ぎ脱ぎしようとしたら、


「ああ、わかったわかった。失礼したよ。ゆっくりお入り」


といった。


 失礼な人である。失礼なおばちゃんは、付け加えるようにパックに言った。少し耳打ちをするようなこそこそした言い方だ。


「歓楽街関係じゃないなら右の脱衣所を使いな」

「……左側は使っちゃいけないの?」

「そういう規則はないけど、なんか暗黙の了解ってやつだね、そういう気配りができるのが大人ってもんだ」


 ふーん、とパックは気のない返事をすると、すべすべした石畳の廊下を走っていった。言うまでもなく、左側の脱衣所へと入った。






 中は湯気と甘ったるい香水の匂いで充満していた。円柱が一定間隔で並ぶ脱衣所は、異国の物語であったハレムという偉い王様のお城に似ている。数十人の美女、美少女たちが薄着で歩いている。服を脱いだ彼女たちは、皆、薄絹のヴェールのようなものを腰に巻いたり、肩から下げている。

 

(これはこれは)


 大変、目の保養になる光景であった。たわわな果実がゆっさゆっさと揺れている。パックの村にあるサウナと違い、ここにいる女たちは皆若くあでやかであった。さまざまな人種の美女たちが己の肌に磨きをかけている。風呂は奥だが、脱衣所の隣には、マッサージを受ける場所があって、蜜色の肌をした美女が若い少女に香油を塗りたくらせていたり、うりざね顔の美人が自慢の黒髪を梳いていた。

 呼び鈴があり、これを振ると、マッサージ師がやってくる仕組みにもなっていた。お値段を見るとやっぱりお高い。


 脱衣所が二つある理由は、花街関係者とそれ以外の人たちにわけるためであろう。漂う空気からしてまったく違う。


 脱衣所の一画では、高級化粧品の試供品が大量に並んでいた。お値段を見てみると、瓶一本でパックの月のお給料をこえていた。


これなら風呂場をわけた理由はわかる。一緒にすれば一般の客とのいさかいはありそうだが、だからといってどちらも切り捨てるわけにはいかない。一般人を切り捨てれば、ただの風俗業と勘繰られるし、だからといって利益率の低いほうだけを残すわけにはいかない。


 ならばいっそのことわけてしまったのだろう。


(世の中面白くできているね)


 パックが、近くの篭の前に立って服を脱ごうとすると、ぐいっと襟が引っ張られた。なんだと思ったら、後ろで半眼のおばちゃんが立っていた。先ほど、靴を脱げと言ったほくろだらけのおばちゃんだ。


「人の話を聞かない子だね。こっちは駄目だって言っただろ」

「……何事も経験なのですよ」

「今更、出ていくのも変だし、大人しくさっさと風呂に入ってあがんな。それと、ここは使っちゃだめだよ。縄張りを荒らすと起こる雌ばかりだからね」


 おばちゃんは、ロスおじさんがやるみたいに襟をぐいぐい引っ張って、パックを脱衣所の一番隅に追いやった。小さな脱衣篭は、さっき置いてあったものよりちょっとくたびれているように見えた。


 パックはじっとおばちゃんの顔を見る。両目の下と顎にひとつずつほくろがあって首にはもっとたくさんある。顔も身体もやせぎすで、どんなにお世辞を言っても美人とは言い難かった。


 おばちゃんはパックが何を言いたいのか理解したらしい。とがった八重歯を見せて笑う。


「世の中、需要と供給ってもんがあんだよ。こんな醜女でも、物好きな客がいるっつうもんさ」


 ひひひっと、まるで魔女みたいに笑うおばちゃん。とても、春をひさぐ商売女に見えないがそういうことらしい。


 おばちゃんは、情緒もなにも関係なく、豪快に服を脱ぐ。脱いだところで、あばらの浮いた脇腹が見えた。たわわとは言い難いが胸だけは、年齢相応のものがついていた。


(需要と供給ねえ)


「本当はこっちの風呂には来たくないんだけどね」


 普段は来ないような言い方をするおばちゃん。


「お風呂嫌い?」


 おばちゃんは、地味な幸薄そうな恰好をしているけど、変な匂いはしなかった。


「いいや、うちの店の風呂が壊れたんだよ。馬鹿な客が暴れて風呂場をぐちゃぐちゃにしちまったんだよ。初物を出さなかったのが気に食わないと。あんなのに、初めてあげちゃったら、もうつかいもんにならなくなるじゃないか」


 おばちゃんは愚痴るように言った。

 どうやったらお風呂が壊れるほど暴れられるのだろうか、と思ったけど、ここは荒くれ者が無数に集う街なので、そんなの珍しくないのかもしれない。


 パックもばっと服を脱ぐ。おばちゃんにお礼を言って、外の湯のほうへと向かおうとすると今度はおばちゃんに肩を掴まれた。


「……どうしたの?」

 

 さっさとお風呂に入りたいんだよ、とパックが言いたそうに見ると、おばちゃんは不機嫌そうな顔で遠くを見ている。露天のプールのようなお風呂がいくつもある中で、一段高いところにある湯船を見ている。そこには、五、六人ほどの女の群れがいた。皆、華やかな顔立ちで、その中でも真ん中に金髪の女性は、風呂の中でも化粧をしているのか、というようなはっきりした顔立ちだった。


 おばちゃんは、今度は視線を反対側にやる。


 そちらの方向には、一際きらきらした花びらの浮いたお風呂があった。そこにもまた女の群れがある。そこのボスは、水あめで固めているのかと思う位、髪の毛がくるんくるんにカールされた女性だった。


 ともに、数あるお風呂の中でも人気のありそうな場所を陣取る二つのグループ。そして、互いににこにこ笑いながらも、牽制するような空気があった。


 そのためだろうか、周りの女性たち、おそらく娼婦だろうが、びくびくと伺うような雰囲気を醸し出している。


(これが雌の縄張り争いかあ)


 さきほど、おばちゃんが言ったことを思い出す。多分、さっきパックが使おうとした場所はこのどちらかのグループが使う場所だったのだろう。


「一般人のお風呂なら、こことは別だけどどうする?」


 おばちゃんがパックに聞いた。


「もう服脱いだから仕方ないよ。ひとっ風呂浴びていくよ」

「そうかい。大人しくさえしていりゃ、向こうも何もしないから」


(おとなしくしろと?)


 パックが興味津々な目を輝かせていると、それを押さえこむようにおばちゃんの三白眼が見つめてくる。なんだろう、このやり手な感じのおばちゃんは。


 しかし、娼婦同士でさえこの様子なら、一般客が混じらないで正解だ。本当に正解だ。混じったら実に面白いけど、お風呂屋さんがつぶれる原因になるのでやめておこう。


 パックは派閥争いを見せる二組を見比べる。


「やーだねー。こんなのとか、あんなのとかいるなんて」


 おばちゃんは、舌打ちでもしそうな声だった。それでいて、まったく緊張した雰囲気はない。


 パックは一番近いお風呂にダイブしようと走り出そうとしたら、腹にきゅっと紐のようなものを巻きつけられ、おかげで足元が滑りおでこをがつんと打ってしまった。腹に巻かれてあるのは、お風呂にいる皆が腰や肩にかけている薄絹と同じものだった。おばちゃんはそれを二つ持って、その一つをパックに差し出す。


 おでこをさすりながらパックはおばちゃんを見る。


「ほら。身体洗ってから。まずそれやらないとしめられるよ」


 いや、今確実に〆られたばかりのような気がするパックであった。ほくろだらけの地味なおばちゃんだが、なんとなく雰囲気がただならぬ感じがした。


(できるな、このおばちゃん)


 おばちゃんに手首をつかまれて引きずられる形で、洗い場へと向かった。



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