2 城塞都市ヴァルハラ
そこはとても大きな街だった。街というのは、町よりも大きくて、町は村よりも大きいことをパックは知っている。なので、領主さまの住んでいる街が一番大きくてすごい街だと思っていた。
でも、ここはさらに大きかった。
乗合馬車にのせられてどれくらい経っただろうか。両手の指では足りない日数、ずっと馬車に乗っていて、パックは身体から根っこが生えそうな気分になった。その中で途中寄った町はどれも、パックの住む村よりも大きくていろんな人がたくさんいて、それも皆若かった。知っていたけれど、パックの村ほどジジババしかいない場所は実はケウな場所なんだと改めて実感した。世の中はけっこう、長生きできないように生きづらい世界なのだそうだ。
そんなわけでパックはものすごくおのぼりさんであるのだが、それをおさえられるほど上品にできていなかったりする。馬車の窓から、「ほへー」なり「ふはー」なり感嘆の声をあげながら、にぎやかな光景を楽しむ他なかった。
馬車の進む道は、おしりが痛くなるようながたがた道ではなく、石畳の整備されたものであった。敷き詰められた道は、馬車が五台並んでとおっても余裕があり、その両脇には店が立ち並び、その隙間をぬって露天商が風呂敷を広げている。派手なテントの下にいるおじさんは、大きな油鍋から菓子のようなものを揚げていた。隣のおばさんはそれに粉砂糖を振るって、お客に振舞っている。
張りぼての壁にたくさんじゃらじゃらした装飾品を売るおじいさんは、いかついけど眼尻の垂れ下がったおにいさんと交渉している。いかついおにいさんの腕には、いかにもお化粧のにおいが香ってきそうなおねえさんが巻き付いていた。なるほど、これがお水の女というものか、とパックはまじまじと見てしまう。
とても賑やかな街だ。これが、戦争都市なるいかつい名前の場所だというのはとても不思議であるが、一方で納得せざるを得ない。
(うん、実にむさくるしい)
たしかに活気があるが、その人口密度に対する野郎度がかなり高いことが見ていてわかる。パックの村のジジババ度に比べればいくらかマシであるが、それでも三割くらい、下手すれば四割ほどは軍人か傭兵でなかろうか。かちゃかちゃと鎧の音をたてるものもいれば、各々エモノを腰に下げているものもいる。なんか騒がしいと目を向けていると、路地で野郎どもが取っ組み合いになって喧嘩していたりする。周りの傍観した様子、もとい大道芸でも眺めているような娯楽を眺めるような様子は、住民がそれを日常ごととしてとらえているということであろう。
つまり、活気がある一方で治安は悪い場所のようである。
(ふむ、実に興味深い)
パックはうずうずと身体が蠢くのを感じながらも、馬車から外を眺め続けるのであった。
「おい、糞餓鬼。さっさとくたばれとまでは言わんが、もう二度と、俺の馬車にのることはないようにしろ」
お顔に素敵な模様を描かれた実に芸術的なおっさんはパックに言った。おっさんの仕事は、乗合馬車の御者で、この都市につくまでの最後の三日間を共にした仲である。強面のお顔は実に芸術的な紋様のおかげで異国のフクとやらを呼ぶ神に酷似した姿になっている。うむ、これなら、孫娘に「おじいちゃん、怖い」と言われることもなかろうとパックは、鼻息を荒くする。しかし、せっかくのパックの心意気は、おっさんの拳骨によって返されていたりする。
(ひどいおっさんだ)
しかし、礼儀正しいパックとしては、そんなおっさんでも挨拶を忘れない。
「おじさん、じゃあね」
パックは大きな肩掛け鞄を下げて乗合馬車を降りる。場所は、大きな広場の前だ。大きな八本脚の馬に乗ったおっさんの像が立っている。まさに戦争都市、ヴァルハラという名にふさわしいものである。
オーディン、北の神話に出る最高神だ。最高神という言葉であるが、あくまで北にある一つまたはそれに派生する神話の最高という意味である。他に最高神または主神というものは、たくさんいる。それはゼウスであり、ヴィシュヌであり、アマテラスであり、ラーであったりするし、そうでなかったりする。
でも、ここがヴァルハラという地名である以上、一番偉い神様を選ぶとすれば、このオーディンということとなる。
パックはどでかい像の周りをぐるぐると歩く。やはり大きな像というのは目立つもので、近くには待ち合わせの男女がたくさんいた。こういう場合、お話で読んだものだと若い娘と男がデートの待ち合わせに使うのが一般的なのだと思うのだが、いかんせんムサいおっさん率が高い。それでもって、待ち合わせの相手は、けばいおねえさんもしくは、これまたむさいおにいさんだったりする。
(うむ、きっとデート以外の待ち合わせもあるんだろう)
待ち合わせが野郎同士の場合、お仕事の待ち合わせなのだろう。きっとそうだ。たとえ、やたらべたべたハートをちらつかせつつ、大きいおっさんの手がややちっさいおにいさんの腰に回っていたとしても、きっと上司と部下のスキンシップに違いないということにした。うん、そう思うように小さいころ、似たような光景を見たとき母さんに言われたことを思い出す。実にいい子のパックは、ちゃんと生暖かい目で見守ってあげるのだった。
(男女比、だいぶ違うね)
軍人、傭兵率が高いとなると自然に野郎が多くなるのは必然だ。町中では若い女の人は、おしろいと香油の匂いをまき散らすお水な人ばかりで、それ以外の女の人は元乙女の女性の他はほとんど見られなかった。たまに、鎧を着たおねえさんもいたが、その鎧の隙間から見えるお肉は、霜降りというよりすじ肉であり、世間一般にいうおいしそうな女性像とかけ離れている。
(目の保養にならないなあ)
パックはきれいなものが好きである。それは、ごく一般的な嗜好である。男前のおにいさんを見るのは好きだし、きれいなおねえさんを見ることも大好きだ。ここには、男男すぎて汗と血みどろ臭いおにいさんはたくさんいる。同様に女女しすぎて、身体中から桃色の匂いがするおねえさんもたくさんいる。たまに、見る分ならいいが、あまりに多すぎて食傷をおこしてしまいそうだ。
ごはんもそうだけど、目の保養もバランスよくとらないと、身体に悪いな、とパックは思う。
くるくると像を一周して、正面に戻ってくると、その真向いに大きな掲示板が見えた。噴水を挟んだ向こう側である。パックはとことことその掲示板に近づく。そこには、張り紙に人の名前が書かれていた。
「エドガー、カルナクル、イルカ、ロイド……」
たくさんの名前の横には数字がかっこをつけられて書かれていた。大体、十八から四十くらいまでの間で書かれている。それが年齢を示すものだと、パックは理解した。名前の一つ一つに意味はあるのだが、半分くらいパックにはわからなかった。神託で与えられる名前は本当にランダムで、つけられた本人も意味がわからない単語であることは少なくない。大体、意味の分からない名前は、遠い異国の言葉だったりする。なので、神殿では毎年、世界中の言語を集めた辞書を取り寄せるのだ。
(まさに英雄になった人たちだね)
北の神話では、勇ましく死んだもの、水死したものは英雄たちの住まう館に招待されるという。そこで、死してなお闘い続けて終末にのぞむのである。
神話のとおりであれば、戦うのは死者の国の女王か、それとも巨人の国の王であるか。残念なことにそのどちらでもなく、相手は森の妖精だったりする。いや、エルフというには彼等はあまりに粗暴である、魔人と呼ぶものもいる。世界中の神の名が記されているという巨大樹、それを根城にする忌々しき輩だろうだから。
聖地と呼んでいる巨大な森がある日、見ず知らずのものたちに占拠された。そして、その不貞の輩はあろうことか、巨大樹の葉をむしり取り家畜の餌にし始めたのだ。これを冒涜としてなんというだろうか、というのが戦争の始まりである。それが始まったのが大体三十年前で、そのあいだに神聖都市と呼ばれた場所は、城塞都市なり戦争都市へと名を変えることとなった。
戦争はこう着状態である。互いに、領土線を一進一退繰り返してずいぶん経つ。それでも、戦争は終わらず、こうして死者の名が掲示板から消えることはない。それを補うために徴兵は続けられ、パックはこうしてこの場にいる。
(それなりに危険だなあ)
それは戦争自体でもあるが、他にも要因はある。
噴水の周りに腰掛け、当たりを見る。どうやら傭兵らしき男同士の喧嘩がはじまったらしい、怒声とともに野次馬の歓声が聞こえてくる。同じお水のおねえさんの常連客同士だったらしく、片方のデートをもう片方が発見したらしい。毒花の取り合いとは素敵なことである。
「こりゃ、気をつけないと」
パックは、野次馬が調子にのって喧嘩に参入するのを目撃する。実に、血のたくさんある人たちだ。献血すればいいのになあ、と思う。
「早く、おじさん来ないかな?」
パックは肘をたてて、手のひらを顎にのせて言った。
その顔はなぜか、にんまりと笑い、騒がしい街の光景を楽しそうに眺めていた。