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序章

 梟の鳴き声が聞こえる。空にはかじられた月がのぼり、森の傍の小さな家を照らしていた。

 要塞都市より東、世界樹に続く樹海の端。そんな場所に住むのは、森人と呼ばれる先住民族もしくは奇人と言われるものしかいない。

 そして、ここにいるのは明らかに後者であった。


「これは、これは」


 男は薄暗い部屋の中で、楽しそうにとあるものを見ていた。今朝、伝令の鳥が足に付けていたもの。場所が場所だけに、樹海に近づく者たちは少ない。よほどのことではない限り近づくものはない。

 それを静かだと男は気に入っている。鳥のさえずりと研究書、それから、研究対象があればそれでいいのだ。


 男が手に取ったのは、擦り切れた赤い紐のようなものだった。泥や垢にまみれ、汚らしい紐。しかし、独特の網目を見ると、それが特殊な紋様を示していると気づく。人の間に使われる言語ではない、いや文字ですらないそれは、紐が誰によるものかを示していた。


「森人の作品!」


 男は前歯をむき出しにして笑った。三度の飯より大好きな研究対象である。思わず嬉しくて両手を振り、テーブルにぶつけて悶える羽目になる。それだけ貴重なものである。


 こんな辺境、戦場にほど近い場所に居を構える理由はそのためだった。


 男は言語学の研究者だ。言葉の成り立ちを調べるそれは、司祭になるための必須事項である。神学校ではいやいや講義を受けていたそれを今では、第一人者と言われるまでになったというのはおかしな話だった。

 もちろん、そんなつもりはなかった。たまたま興味を持った分野を知る上で、言語学が必要になったそれだけだ。好きこそものの、という言葉があるがまさにそうだろう。どんな子守唄より眠たかった声の教授に対して、休み時間に研究室に入り浸るまでになるのだから。

 

 本当ならもっと別のものを習いたかったが、それはできなかった。学問として確立されておらず、やろうとすれば異端と排除されるだろう。


 異端として排除されるならそれでもよいだろうと考えた。この身一つで家を飛び出してしまおうとも考えた。しかし、それをしたところで、本当に男のやりたいことへとつながるわけではなかった。むしろ、断絶してしまうだろう。


 男は森だけに執着しているわけじゃない。人も街も好きだし、だからこそそれを知るために数年前までは街に住んでいたのだから。どんな経験も人間には必要だ。今、静けさを求める理由は、いままで集めた経験をまとめる時間がほしかったからである。けして、人間嫌いというわけじゃない。


 もう髪に白いものが混じり始めたおっさんがいうにはおかしな話だろう。それでも浪漫というものはある。


 人間と森人を題材にした物語、それを紡ぐことが男の夢だった。


 まったく新しい、語り継がれた神話でも読み聞かせられた童話でもない何か。それを作ることは、禁忌とされている。世界樹の葉の理を歪める行為につながると、教会で悪魔の所業と罵られる。


 それを男、ロウエルは成し遂げたかった。過去、数知れずのものたちがその所業に罰せられ手の甲に鞭をうたれ、ペンを持てなくされただろう。志半ばで倒れるつもりはない、そのためにロウエルはなんでもやるつもりだった。


 言語学の第一人者として確固たる地位を得て、それを理由に新たな研究を進める。表向きは、未知なる言語、すなわち森人の言語の研究だった。

 いくつかの森人の言語は、人でも理解できるものがある。だが、主に魔人と呼ばれる強さを誇る森人の部族の言語は明らかになっていない。いや、それ以前に彼等の声を聞いたものすらいないとされる。


 彼等の不思議な力は、その声に宿るのではないか、無茶苦茶なことを言いたててみたら話が通じた。こちらに拠点を得たのは本当に幸いだった。


 ロウエルは、嘘は言っていない。彼等が話さないのはなにか理由があるのではないか、というのは以前から議題に上がっていたことだし、ロウエルにとっても大きな関心がある。

妻子を残し、こんなところまで来るほどに。


 研究は身を粉にしてでも成功させるつもりだ。彼等の言葉を知るということは文化を知ることにもつながり、はてはそれがロウエルの本当の目的へとつながるだろう。


 いつか悪魔の書、人と森人を綴る物語を作るために。

 

 異端者は目を輝かせながら、擦り切れた紐を食いつくように眺めるのだった。




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