終章 報告書
『レミ村における人身売買拠点及び薬物生産工場の報告』
『八の月、十日、正午過ぎ。ヴァルハラの南南東に狼煙が上がる。ごく初歩的な緊急暗号であり、正規の火薬を使ったものではなかった。子どもの悪戯と判断されかねない拙いものであったが、仮にも軍部の暗号であったため、非番の人間を当たってギルドが依頼を起こした。以前よりきな臭い噂があったため、ギルド員よりこちらへと依頼が入ってくる。
伝令より知らせを受け、狼煙があげられた場所へと向かう。同行者は、軍人である『トヨフツ』、表向きの形としては彼に同行する形を取る。
場所はレミ村、ヴァルハラより三里ほど離れた小さな村だ。茶を名産とした牧歌的な村だったが、森人の侵攻とともに二十年前に村人は疎開、一時的に軍の拠点地として扱われたが、利便性が合わず、今は無人となっているはずだった。
しかし、村には十人以上の人間がいたと思われる。そして、森人の操る魔術型自動人形によって破壊しつくされた後だった。『トヨフツ』とともに魔術型自動人形の操者である森人の少女を確保、拘束。すでに村にいた人間は大半が殺害され、その容姿も人数も把握できない惨状だった。村の半壊した民家に人身売買の商品として連れてこられたと思われる人間を八人保護、しかし、どれも精神に異常をきたし、状況をたずねたところで無駄だった。薬物の投与が疑われたが、そのうち数人は『名無し』である可能性が高く、以前より勃発している誘拐事件に関わりがある可能性が示唆される。
また、村の各所で、不法薬物の精製がおこなわれており、大規模な犯罪組織が背景にあることが考えられる』
パックは自宅のベッドの上でごろごろしていた。しゃりっと朝ご飯がわりの林檎を食べながら両足をばたばたさせる。いつもなら右手で林檎をつかむが今日は反対の手だ。おくすりをべったり塗った指先で食べ物は食べたくない。姿勢もちょっと右に重心をおく。包帯にまかれた脇腹は、肋骨が折れていたらしい。そのうちくっつくだろうが、妙な矯正器具をつけられて少し動きづらい。
「おじさん作文下手だなあ」
パックは何も書かれていない紙の束を握って笑った。強い彼の筆圧は、紙の束にうっすらと文字を残している。一応、へこんだ紙を平面にしようと撫でた後があるが、これくらいパックには解読可能である。たぶん、おじさんもそのことはわかっているだろう。隠し立てする必要のない情報だけ文書化している。むしろ、こうしてわざとらしく文書化することで、追及の目を逃れようとしているのかもしれない。
誰が狼煙を上げたのか、明確に書かれていない。誰があげたものかわかるだろうに。
そして、なぜ森人の少女がわざわざこの村を襲った理由も書かれていない。もっとも、これは少女を拘束し、引き取った際、わかるだろうけど。
森人は魔人と言われることもある。それは、人よりも恐ろしい魔力の使い方をするからだ。生まれた時から戦争があって、森人が敵であると認識して育ったものは、その姿を化け物のように想像するだろう。しかし、実際はどうだろうか。あの緑色の髪を黒く染めた少女は整った顔立ちをしていた。ビスタが森人だと知って困惑する程度に。
(もちろん、自分のほうが可愛いのだけどね)
年寄には森人のことを美しい森の番人だという人もいる。それは、まだ、森人が聖域を犯す前、辺境の地でただ木を育てていた頃を知る人たちだろう。世界樹の葉を家畜の餌にするなる暴挙を行わず生きていた時代だ。
(別に食べつくすわけでもないのにいいじゃないか)
それができないのが宗教というものである。
膨大な数、人の数だけ枝を伸ばし、言葉の数だけ葉を輝かせる。その朝露は真名を知らせ、人に生きる導を作る。
少しくらいいいじゃないか、といって聞き入れられるものではない。神への冒涜だと、偉い神の御使いたちはのたまい、権力者は己の地盤を固めるため、大義名分を得るために教会を訪れる。
「名無しかあ」
もし、世界樹が森人に占拠されて一番迷惑を受けたのは『名無し』たちだろう。貰えるはずの名前を貰えぬことは、戸籍がないと同じことである。時に人として扱われない。
今回、見つかった人たちは名無しの可能性があるといっていたが、どういうことであろうか。
最初から名前がなかったのか、それとも、奪われたのか。
マルスプミラの一件ともつながりがあるのだろうか。
それに、あの干し草は。
しゃりっと最後の一口をかじり、パックは芯だけになったりんごを屑籠へと投げ入れた。
ロスおじさんは眠たそうに頭をかきながら朝からどこかへ出かけてしまった。テーブルの上にあるランプが熱いことから、徹夜してかき上げたことだろう。
パックは紙の束の上三枚ほど抜き取り、羽ペンでぐりぐりと落書きした。
「あんまりうまくかけないなあ」
書きなぐった紙をぐしゃぐしゃにすると、テーブルの上にある陶器の皿にのせる。マッチをすり、火をつけて燃やすとその灰を粉々にした。
「おもしろいなあ」
世の中、楽しいことはたくさんある。
ろくでもない場所だとみんなは言うが、パックはこのろくでもない都市を好ましく思った。
「ずっとおもしろいといいなあ」
毎日毎日楽しいことがたくさんで、ちょっと悪戯したり、かっこいいおにいさん追いかけたり、美味しい物食べたり。
そうすれば次の日が来るのを待つことができる。
次の日が無くなることを望まなくなる。
なにもなくなったら、どうなるのかなんて気にならなくて、次の日を壊そうと思わなくなる。
世界の終りを見てみたいなんて思わない。
パックは、ベッドの上に仰向けになり、安っぽい天井を見る。
「おじさん、もっと広くてきれいなお部屋にお引越ししたいよ」
もっと働け、とつつかねば、と眼を瞑る。
お外へでたい気分もするけど、今はまだ眠っていたかった。
ちょっと昨日は疲れたから。




