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その輩、悪神につき  作者: 日向夏
悪戯妖精
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26 三つの名前


 ぼんやりとした光景が広がる。湿った空気、ドブネズミの走る音、腐りかけた水がゆっくりと流れている。暗い地下水路、王都を縦横無尽に流れるそれは、管理者さえ把握できていない。


 そんな場所にロスはいた。他に二人、いや三人が歩いている。カンテラの光もなく、記憶を頼りに壁伝いに出口を目指す。気が狂いそうな時間だった。


 ああ、これは夢だ。


 ロスは思う。なぜなら、自分の幼い姿を俯瞰するように見ている。まだ、背丈が小さい、今の姪っ子より少し大きいだろうか、年齢は確か十三だったはずだ。


 先頭を歩くのは、ジジイ。次に歩くのは姉、その姉の手には小さな赤子が抱えられている。まだ生まれたばかりの赤子、髪も生えていないその生き物は、目だけはらんらんと青く光っていた。


 まるで見透かすようだとロスは思った。もう十三年も前のことなのに、そいつの第一印象は変わらない。


 人ではないなにかだった。


 赤子は泣く生き物だ、だが、その子どもは泣かない。産声は泣く代わりに笑い声だったという。


 産婆は赤子の姿をしたそれを取り上げると、赤子の父親に報告しに行った。


 それが何を意味しているのか、産後で疲れ切っていた姉にもわかった。ゆえに、ジジイを呼び、弟であるロスを呼んだ。


 名づけの儀式に入り込み、赤子と姉を連れて逃げた。聖水に浮かんだ名前を見る限り、姉の予想通りだった。名づけの司祭を気絶させ、名前を無理やり変えて記憶を改ざんした。

 その名を他に知らせるわけにはいかなかった。


 それは気まぐれで、悪戯好きで、周りに騒動を起こし、時に幸をもたらすもの。

巨人の子でありながら、主神の義兄弟。

 そして、終末の切っ掛けを作るもの。


 子どもの父は偉大な名を望んでいた。誰よりも権力にふさわしい跡継ぎを望んでいた。名はそれだけで力となる。そして、力を体現するに十分な名を持つ子が産まれた。


 それが忌まわしい名でなければ。


 生まれたばかりの赤子に出産を終えたばかりの姉。こんな場所をうろうろすべきではないというのに、姉は八重歯を見せて笑っていた。彼女の名がそうさせるのだろうか、姉は危機的状況ほど楽しそうにする。迷惑極まりない悪戯妖精の名前持ちだ。

 そして、もう一人の老人もまた、同類だ。こちらは異国の神の名前を持つが、同じく悪戯を趣味にするものの名前だ。


 状況を楽しむ二人、泣き声一つ立てずかわりに寝息を立てている図太い赤子。

 三つ首の番犬の名を持つロスにとっては、アウェーに違いない。


「姉さん、その子をどうするの?」


 まだ、完全に声が変わっていない。あの頃は、何の意見も言えないただの忠犬だった。姉に従っていれば楽だった。なにも考える必要はない。三つ首があろうとも、考えのないただのガキだった。


「どうするって何をするのさ? 逃げるに決まってる。どうせ、一緒に仕留められるのがオチだろうからさ」


 あっけらかんとした口調で姉が言う。少年じみた口調は、昔と変わらない。たとえ、小さいながらティアラをかぶせられ、シルクのドレスを見に纏い、召使につま先から髪の毛の一本まで丁寧に洗われるような立場になろうとも。


 青黒い髪に青い目、妖精らしい無邪気さと神秘性は、赤子の父親を虜にしたと人は言う。たびたびいじめられていたロスにとっては、なんの冗談だと笑いたくなるが、召し上げられてわずか一年で子どもを出産している時点で、まんざら嘘でもなかったらしい。


 もっと平凡な名であれば、次を期待されただろう。相性のいい母体は、世継ぎを望む上で大切だ。


 しかし、この赤子の名前だけはあってはならなかった。


「逃げられるの?」

「逃げられるじゃない、逃げるんだよ」


 しわがれたジジイの声が聞こえる。まるでチェスでもさしているようならんらんとした輝きの目だった。


 きっと姉はこのジジイがこんなノリでやってくることがわかっていたのだろう。姉を売った両親でも、恋心を寄せられていた幼馴染でもなく、村の隅に住む変わり者の爺さんに手伝いを頼むなんて正気の沙汰ではないはずだ。だが、老いた獣のような狡猾さを見せるこの老人は、誰も知らない地下水路を探し当て、こうして姉と赤子を連れている。


「北へ行こうか、北。それがいい」

「北って、ここよりずっと状況悪くなるんじゃないか」


 ロスが反論すると、ジジイは間抜けに抜けた歯をむき出しにして笑う。顔にはシミがいくつも浮き、深いしわがきざまれている。やたら元気に動いているが、長老よりもさらに十は年上だと聞いたときは驚いた。


「北なら識字率が低い。辺境の村には誰一人文字が読めないものもいる」


 それは真名をうまくつづれないことを意味している。その物語を知っていたとして、はっきり認識するには文字を知る必要がある。名前の効力は残るものの半減する。


 そして。


「南方の音楽の神なんざ、知る由もなかろう」


 けけけっ、と独特の笑いを見せた。


「ジジイ、それって」

「こんな危ない橋、さすがに吾輩でも、人生の終わりにしかやるまいよ。安心しろ、少年よ。昨日は思い残すことないよう桃色のお風呂屋さんでハッスルしてきたのだ」


 きりっとした顔でそんなこと言われた。ちょっとでも感傷にふけりかけたことをロスは後悔した。

宿からいつのまにかいなくなって、翌朝帰ってきたと思ったら、偵察でもなくそんなこととは。


「吾輩の名をこの子にやろう」


 名の譲渡、それは持ち主が持ち主でなくなることを意味する。名を渡せばよくて廃人、最悪死を意味している。


「自分の名も必要ならあげる。そうすれば、もっと安心だよね」

 

 母となった姉もおくるみにつつまれた赤子の頬を撫でながら言った。


 意味が分からないとロスは思う。その赤子さえいなければ、いいんじゃないのか、と口に出しそうで出せなかった。

 

 ただ、姉はロスの言い分がわかるようで、足を止めると殿しんがりのロスへと向く。


「ごめんね、ロスに関係ないことだったかもしれないけど、自分にはこの子が必要だからさ」

「……自分の子だからか?」

「それもあるけど……」


 姉はうつむきゆっくり息を吐くと、顔を上げる。


「この世の終末ってどんなものか気にならない?」


 ひどくあっけらかんとした口調で言ってのけた。


「そうだの、どんなもんかねえ。まあ、吾輩死んでるけど」


 指でもくわえてそうなしょんぼりした顔でジジイが言った。


「残念、かわりに見とくから、安心してね」


 無駄にポーズをつけたまま、ウインクする姉。


 そうだ、こういう人たちだったとロスは思う。

 なんせ名前が悪すぎる。


 ジジイの名前は、ウェウェコヨトル。


 姉の名前は、プーカ。普段はパックと呼ばれている。


 ろくでもない悪戯コンビは、年齢のはなれすぎた親友であった。






「なーにやってんですか?」


 ロスは、今まさに貞操の危機といわんばかりの光景を目にしていた。そこには、少年と少女がいる、おそらく少女らしき生き物が少年をひんむいているところだった。少年は顔面を真っ青にして、うっすらと涙さえ浮かべていた。


 困ったことに当事者たちはロスにも見覚えのある顔だった。一人は身内で、もう一人はその同輩だったと思う。


『聞きたいか?』


 低いしわがれた声が聞こえてきた。

 これはヤバイと、ロスは思う。普段の姪っ子の声なら、加減を知らぬ悪戯だが、こちらの声の場合、違う意味の悪戯となる。


なにが行われていたか詳しくは聞かないでおこう、たぶん、未遂。おそらく、未遂だ。未遂だろう。


 賠償金など払う気のないおじさんは、そう決めつけておくことにした。


「なんでお前が表に出てきてるんだ?」

『他に聞くことはないのか?』


 しわがれた声に枯れた口調、その昔、パックがパックとなる前に頻繁に聞いていた声だった。前の名前の主の名残だろうか、パック、いやコヨトルだった頃の姪っ子は、明らかに普通の子ではなかった。ただ、あの頃はまだ身体が小さくやれる悪戯も冗談で済むものだった。今の身体の大きさで、コヨトルが出るといろいろ面倒くさい。パックとは違う意味で面倒くさい。


 たしかに、もっと聞くことはたくさんある。


 非常用の狼煙が上がるのを見て、この村へとたどり着いた。以前、昔の上司から頼まれていた依頼で嗅ぎつけた場所だ。そのうち、軍から調査が入る予定だったはずだ。


しかし、そこには、やたら血生臭い光景が広がっており、煙で充満した中に倒れていた学兵と歪に足首の折れた少女がいた。そして、少し離れた場所で、なんともいえない状況の姪っ子を発見したわけである。


 ロスはポケットから数枚の走り書きを取り出した。数値と簡単な略図を書いただけのメモ用紙。前の上司との打ち合わせによく使った暗号だが、それが一枚足りないと思ったら。


 この悪戯者は、そんな面白そうなことに首を突っ込むな、といわれて引っ込める性質ではない。きっと、終末さえ興味本位でおこそうとする厄介者だ。


 とりあえずこの場を終息させるのが先決かな、と思った。このままでは、服を半分以上はぎ取られた少年が可哀そうである。うん、未遂だ。未遂のはずだ。


「早く戻れ。パック・・・


 いつもの糞餓鬼に。幼い頃の姉にそっくりのどうしようもない悪餓鬼をイメージする。伸びていた獣の形をした影がだんだん短くなっていく。それが、人の形に完全に戻ろうとしたときだった。


「……ロス」


 低い声が後ろから聞こえた。


 まずいと思ったときは、遅かった。


 気が付けば、半裸の少年に馬乗りになっていた姪っ子は、やってきた美形に抱きついて唇を奪っていた。まだらの肌をしているが、均整のとれた肉体と、端正な顔立ちは面食いの姪っ子にはドストライクだろう。


 なんかいきなり吸い付いてきた生き物に対して、まだらの男、トヨフツは混乱していた。同じくいきなり乗り換えられた少年も驚いている。仕方ない、姪っ子は、ストライクゾーンは広いが基本は面食いである。より面の良い方に転ぶ現金な奴だ。


 今日は非番だったトヨフツは、ロスと一緒にいたのだ。正直、こんな場所に連れていくことはしたくなかったが、軍で教えられる非常用の狼煙が上がった以上、フリーのロスだけが向かうのはあとあと面倒だ。だから、来てもらったのだが。


「うん、なんかごめん。とりあえず、〆て落としてくれ」


 ロスの言葉に、トヨフツは了解と親指を立てると、躊躇なく鯖折りをした。ごきごきっと変な音がした気がするが多分大丈夫だろう、若いから。


「後片付けまでがお仕事なんだって、若い子はわからないのね。おじさん困っちゃう」

「ロス、どうする?」


 トヨフツが差し出したパックをロスは首根っこで持った。


 引っ掻き回すだけ引っ掻き回しやがって、とロスは、ぐったりとしたパックを見た。よく見ると、脇腹に血がにじんでいた。鯖折りはちとまずかったなあ、と倦怠感あふれるため息を吐きながら思った。


 気絶した学兵たちに、大漁のミンチに、なんかわからない女の子が落ちてたり、メンタルケア必要かもしれない少年もいたりする。


「どうしたらこうなるんだよ」


 やめてくれよ、と三つ首は思うのであった。



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