25 土人形と異国の神 後編
さて、状況をしっかりまとめてみるかの、とコヨトルは民家の屋根の上でしゃがみ込んだ。
ゴーレムの動きは遅い。しかし、相手の懐に入るのは無謀だ。腕を下に振り下ろすだけなら、重力に従えばいいだけだ。逃げる間もなく潰されてしまうだろう。
それを理解してか、ゴーレムの目たる森人が顔を出すのは、下のほうばかりだ。視界が悪くなるが、より安全と言えよう。ゆえに、屋根の上にいるコヨトルを見つけるのに苦労しているらしく、ぎこちない動きでぐるぐる回っている。
コヨトルは村全体を見渡す。小さな民家がある他に、中心に広場があり、教会が見える。教会の前には、大漁の草が敷き詰められていた。周りには風避けのためにぐるりと低い煉瓦の壁が積み重ねられていた。
村の中に小さな畑がちらほらあるが、そこにはその草らしきものが植えられている。まるで雑草に見えるその草に、コヨトルは見覚えがある。
(これは使えるかの)
コヨトルはにやりと笑うと、屋根の上から降りる。視界に入ったことでゴーレムがコヨトルに向かって突進する。コヨトルはステップを踏み、軽やかにかわす。相手は馬鹿にされていると思ったのだろう。取り付けられた面のような顔が、歪んでいる。
踊り、挑発し、それでいて相手の隙を狙いつつ、少しずつ場を移動していく。教会の前の広場へと。
枯草の匂いが濃くなる、人によってはかなりきついものだろう。ぬったりとした高濃度の酒に似た匂い、もしかしたら発酵しているのかもしれない。
そういえば、この村にはいろんな匂いが混じっているが、酒の匂いもけっこう強い。度数の高い酒が好まれているのだろうか。
コヨトルは果敢に足元に浮かび出る顔を狙った。そのたびに、拳が振るわれギリギリのところでかわす。かわせる位置までしか、コヨトルは近づかない。それが、老いた狼の狩の方法だ。
それにしても本当に視界が悪いのだな、とコヨトルは思う。大振りすぎる攻撃、それでも力が強いので当たっては即死だろう。振った腕がまったく関係ないものを破壊していく。農業用水を貯めていた桶を壊してくれたおかげで、コヨトルはずぶぬれになった。
少し腐敗していたようで、藻の浮いた水は気持ちが悪いと思う。
そして、次にゴーレムが壊したものといえば。
コヨトルの背丈ほどの壁が壊れる。赤茶の煉瓦が崩れ、破片が頬に当たる。
コヨトルはその壊れた隙間から中に入り込む。
散々、コバエの如く逃げられからかわれたゴーレムは、躊躇なく中に入った。そこにはコヨトルの膝ほどの高さまで積み重なった枯草があった。下の部分は発酵しているのだろうか、独特のねとっとした感触がつま先にあたる。それでも、表面の多くはきれいに乾燥されていた。
なぜコヨトルがこの場まで来たと、ゴーレムはわかっただろうか。
広場の中心にたどりつき、動きをとめるコヨトル。何度も足を滑らせながら近づくゴーレム。大きさの割に足の短い土くれ人形には、この場は動きづらいだろう。
『やっとついた』
コヨトルは笑う。その手には、マッチがあった。常に悪戯に使うものは持つ、それがパックの習性だ。
それをすり、そして、円状に広げられた枯草の上に放った。
一瞬で炎が広がる。コヨトルは先ほど水にぬれたため火の回りは遅い。口を押えながら、壁の外へと向かった。
動きの鈍いゴーレムの足は短い。ぬるりとした地面は急ごうとすれば、逆に動きを悪くする。地面に倒れ込むゴーレム。周りには炎。そして、その煙はおそらく人体に影響を与えるものだろう。
この村は、どこにでもある雑草をとても高価な薬に変える錬金術をおこなう場所であり、その生産物がいま燃えているものだから。
しかし、世の中、計算通りにはいかないものである。
こけたゴーレムが両手をついて起き上がる。一度こけたためか、中の森人は少し落ち着いたのかもしれない。
ゴーレムは両手を振り回す。風が起こり、乾燥した草が吹き飛ばされる。火の粉がとびちり、コヨトルの青みがかった髪を焼く。
『困ったの』
これでは火力が足りない。もっと熱く強い炎が必要だ。中にいる人間が這い出るほどの厚い炎が。
もしくは、中の森人の吸う空気を消すか。でなくとも、この異常な空気が森人の意識を飛ばしてしまえばよかった。
『これは困った』
焼けた土くれがコヨトルへと突進してくる。前は煉瓦の壁だ。短い脚のゴーレムは飛び越えることはできないが、上から腕を振り下ろすことならできる。
うぐっと、脇腹をおさえる。壁で視界が遮られ、反応が鈍った。
身体をねじり、ぐるんと受け身をとるが、口の中が酸っぱい。
『実に困った』
そんなときだった。
「いっくぞ!」
がしゃんという音が聞こえた。何かが投げつけられている。
なんだ。
次々と酒瓶が投げつけられる。匂いがきつい。度数の高い北部の酒だ。
コヨトルは脇腹を押さえつつ、ゴーレムの間合いから離れる。すぐ気化して燃え盛る炎、どれだけ酒を隠していたことだろう。嗤えてくる。
「はやく逃げろ!」
イソナの声が聞こえた。両手いっぱいに酒瓶を持って、それを投げつけている。ラベルを見ると、何度も蒸留を重ねた酒だった。ほかの皆も同じように酒瓶を投げつけている。
(ひとりで遊ぼうと思ってたのになあ)
「余計なお世話とか言うなよ」
ひねくれた言葉をかけるのはロクであり、発案者も彼だろう。皆、手もとがどこかおぼつかない。白い煙、薬の匂いで身体がふらふらなのだろう。今、投げつけている酒の価値もわからないような子どもには刺激が強い。いつ気絶してもおかしくない。
でも、その一つがゴーレムの腹のあたりにぶつかった。
ごとりと土くれ人形は地面に膝をついた。表面の土が焼け、動こうとするたびにぼろぼろと崩れていく。
「ああああああ」
焼けた熱、それとも酸欠のためか。森人の少女が叫び声を上げて這い出てくる。いや、ちょうどぶつかった酒瓶の中身を顔に受けたらしい。髪が燃えている。
『これはこれは』
コヨトルは脇腹の痛みが何事もなかったかのように笑う。口を開け、相手に畏怖を与えるその笑みを森人の少女に見せながら近づく。
少女は最後のあがきか、残った腕を振り上げる。土と石が礫となり、襲い掛かる。しかし、そんなもの無駄なあがきにしかならない。
じゅうじゅうと厚い、暑い、熱い泥の塊からはみ出た髪をつかむ。指先でつかんだそれは焦げてするりと抜けていく。コヨトルは爪を立て頭蓋をつかむと、そのまま泥人形から引き抜いた。
痩せて、焦げて、憔悴しきった少女があらわれた。
灰色の煙が周りに充満する。
コヨトルは土くれからつかみだした森人をみた。黒く染められた髪は焼け、ぐったりしていることから気を失っていることだろう。自分より身長が高い少女を片手で持ち上げる。少女だから、子どもだから、そんな理由で情状酌量の余地ができるのであれば、そんな世の中不公平に違いない。なにせ、この娘一人で食用にもできない大量のミンチができあがったのだから。
コヨトルは少女の足首をつかむと、それをそのままあらぬ方向へと曲げた。鈍い音とともに少女のくぐもった声が聞こえたが、それを無視して地面へと転がす。マルスプミラなら非難の目で見ようが、だからとて少女が森人であることには変わりない。魔術が使えないように一番合理的な方法をとっただけだ。
しかし、想像された非難の言葉はかけられなかった。後ろを振り返ると、皆、ぐったりと地面に倒れ込んでいた。
いぶされた煙を吸ったためだろう。
土くれ人形だった岩を見る。頭頂にこぶし大の宝石のようなものが埋まっていた。遠隔操作ができたのは、これがあったためだろう。村に入る前に、近くにあった岩に取り付けたというところか。コヨトルは爪で石を引っぺがすと、ポケットの中に入れた。
『さてと』
煙に酔い倒れている同輩を見る。どうしようかと突っ立っていると、影が近づいてきた。
浅黒い肌の少女は、両手を広げひざまずく。
『おのずから贄となろうというのかの』
少女は、コヨトルに向かってにっこりと笑う。呆けた表情の代わりになにかに入れ込んだ陶酔の表情をしている。
きっと少女は、そういう役割をずっとしてきたのだろう。それが、苦痛と思わず使命と思い、それを果たせることに喜びを感じている。比較的、あの奴隷の中で気をしっかりもっていた理由は、薬にもその行為にも慣れていたせいかもしれない。
されど、それを受けるコヨトルとしてはあまり前向きではなかった。
たしかに柔らかい肉を味わいたかったが、栄養失調で肉というより骨と皮だ。まだ、これなら、そこらへんで眠りこけている同輩どものほうがましである。
『残念だが、今のお前にはそれに足りる肉体を持ち合わせておらぬ』
正直なコヨトルは、少女の誘いを断る。
少女は明らかに落胆の色を見せる。
他になにもなければ、それで我慢するより他ないが、どうもこの身体は利便性が悪い。それなりに楽しみ方もあるのだが、今はそんなまどろっこしい気分ではなかった。
『普段なら、質にはうるさいところだが』
今は量で補えればいいかと思う。残念なことにそれも不十分だろうか。
コヨトルはぐったりしたマルスプミラの襟首を掴んだ。頬をぱちぱち叩くが気を失ったままだ。次に、イソナ、今度は少し乱暴に揺さぶってついでに殴ってみるが動きはない。次にビスタ、今度は両脇を抱えてぶん投げてみたが気絶したままだ。壁にぶつかったとき、ごきって変な音がしたが若いから大丈夫だろう。イソゴは以下同文。
ついでに、風上のほうへと移してやる。看病まではしない、それが老いた狼の神の優しさの限度だった。
悪戯の神は、なにより自分の欲を優先する。
屈伸して腕を回し、よしやるかとロクの首根っこを摑まえ構えていると。
「今度は、なにやらかす気だ」
ぐったりとした顔でロクが言った。だいぶ煙にやられているが、まだ気を失っていない。
『おや、これはよかった。相手が気を失ったまま事を行うのはあまり好きではない。安心しろ、今は吾輩も手負い故、比較的軽いものだけだ』
「何がだよ」
力の入らないロクの首を持って引きずり、半壊した納屋に連れ込む。上に跨り、にいっと犬歯を見せる。
「コヨトルさま」
少女が納屋に入りと残念そうにひざまずく。そして、ロクの煤だらけの顔をふいた。よくわきまえたいい娘だと思う。そのうち気が向いたら、相手をしてやろう。
「……パック、おい、本当になにを……」
未だよくわからないロクは本能で何かの危機を感じているらしい。
あがこうとするが、コヨトルに逆らえるわけがない。
(あとでもっと違うので口直しをしないとな)
わめくロクの口を指で押さえこむ。
『安心しろ、ばりばりかじるわけじゃない』
ただちょっと食べてしまうだけだ。
ウェウェコヨトル、歌、踊り、音楽、そして肉欲の神である。




