24 土人形と異国の神 中編
自分はどこかおかしいのだろうか。
ぱちんと己の頬を叩くロク。空気が悪い。ただでさえ不潔な匂いと妙な甘ったるさが混ざっていた空気が、鉄のにおいをまじえている。家畜のと殺になれていなければ、胃の内容物を吐きだしていただろう。
周りを見る。兄弟たちにマルスとビスタ、どれも呆けた顔をしている。ビスタが連れてきた少女だけは、地面にひざまずき目を輝かせている。先ほどまで、とろんとした顔で奇妙な声を上げていたというのに。その少女の目に、なにが映っているかといえば。
「どういうことだよ、あいつ」
その影は、酷く歪んでいた。日が傾いているせいもあり、長く伸びているのはわかる。だが、いくらそこで形がいびつになろうとも、それは人の形をしていなかったのだ。二本あるはずの足は四本に見えた。あるはずもない弧を描いた尻尾、そして、その顔の輪郭は大きく突出し口がさけていた。
まるで犬のような影の持ち主は、にやりと不敵な笑みを浮かべている。いつもと変わらない、だが、やけに自信満々の笑顔。
『おい小僧、ひとつ忠告してやる』
パックの口から枯木のような声が聞こえてくる。声の高さも口調も違う、だが、その歪な笑顔だけはパックのものだ。
『これから起こることは目を瞑っておいたほうがいいと思うぞ』
意味が分からないことを言いながら、パックはにやりと笑ったまま地面を蹴った。土をえぐるように跳躍する。ふわりと身体が浮いている。人に非ざる動きだ。
目を瞑れだと言われて瞑れるものだろうか。
パックは家の屋根に着地すると、そのまま走っていく。腰を曲げ、両手をつくような走り方、まるで獣のようだ。
なにかにとりつかれているのか。
ロクの故郷では、狐憑きと呼ばれるものがある。それではなかろうか。
そうとしか思えない。なんだあの声は、なんだあの影は、なんだあの動きは。
到底、ただの人には思えない。
ロクは額をおさえる。空気が悪い、やばそうな薬でも作っている場所だろう。それらしい草がたくさんある。そのせいで、幻覚でもみているのだろうか。先ほどパックの座っていた樽から枯れた草がはみ出している。
あとで火でもつけてしまおうか。よく燃えそうだ。いや、これ以上空気を悪くすると朦朧として倒れてしまう。
ロクは落ちた葉っぱを拾った。あれ、と疑問符が浮かぶ。どこかで見たことのある形だった。頭に引っかかる。
「ロク、あれはなんなの?」
優等生のマルスプミラがロクに言った。マルスは急用の場合、メンバーの中でロクに対して優先的に話しかける。ロクの場合も、同じだ。一番、場に対応した動きをする必要があるからだ。
「わかんねえよ。だけど、俺らはここにいるべきか?」
頭に引っかかりながらもこんなことをしている場合じゃないと、首を振る。自問自答するようにマルスプミラにたずねる。持っていた葉っぱを捨てると、パックの方を見る。
真っ赤に染まった泥人形の腕は、新しい獲物を見つけて大きく振りかざしている。パックは相手を挑発するように笑いながら背後へと飛ぶ。空振りする腕によって巨体がバランスを崩している。対して、パックは軽やかに跳ね回り、まるでダンスでも踊っているようだ。なにかしら、化け物に話しかけているようだが声は聞こえない。どうせ相手をあおるようなことばかり言っているのだろう。
そう簡単にくたばるタマじゃない。
では、なにをすべきか。
「あいつがひきつけているうちに俺らはさっさと逃げる、それしかないだろ」
「ロク、それじゃあパックは」
「あれ見てどう思う? お前が代わりに囮をやろうっていうのかよ。擦り林檎にでもなるつもりか? なんの武器もなしに?」
「……」
いちいちいいこちゃんの説得をする立場にもなりやがれ、とロクは言いたい。
さっさとここからできるだけ離れるべきだ。目を瞑るためには、できるだけ余計なものは見る必要がない。
別にパックの言うことを聞くわけじゃない、自分の直感でそうしたほうがいいと思ったからだ。小賢しい奴は長生きできない、十数年の人生の中でロクはそれくらい知っていた。
「どうせアレのことだから、せっかく見つけた玩具をとるな、とでも言いかねないぞ。そんなに言うなら、あの化け物に投石器の一つでも持ってきてぶつけてやれ」
ちらりと視線をやって親指で踊るように駆け回るパックをさした。人間離れした動きだが、それでも火力が足りない。何の武器も持たず、まさに牙と爪だけであの土人形を倒そうというのなら、無謀以前の問題だ。
あの化け物を止めるには、大砲の一つでも持ってこなくてはいけない。この村の中にそれらしきものがあるだろうか。
いや、なくてもかわりになるものを用意しなくてはいけない。
口をぎざぎざに歪めてすねたようににらむマルスプミラ。納得はできないが、反論はしない。
「……ねえ、パックはどうしたの?」
「知らねえよ。んなこと終わってから考えようぜ」
ロクは眉間にしわを寄せたまま、苦笑いを浮かべた。
〇●〇
『固いな』
コヨトルは自身の爪を見る。急激に伸びた爪が削られている。赤黒い土が爪の間に入り、妙に汚らしい。そんなものに牙をたてるつもりはない。コヨトルは柔らかい肉を好む。
しばし人に触れていないなと気づく。柔らかい肉が恋しい、直情的な欲求が頭によぎる。この名前のときは、その感覚が特に顕著なので困る。
記憶も人格も変わらない、パックと呼ばれた存在がコヨトルであると同時に、コヨトルと呼ばれた存在がパックである。人格が違うわけじゃない、なにか別のものに憑りつかれているわけでもない。そのときの気分がコヨトルとしての気分であるがため、コヨトルになるのである。甘党がときに辛いものを食べたくなるような、その感覚に似ている。
早く泥人形を倒してしまおう。そして、肉を求めよう。なあに、これだけ時間を稼いでやっているのだ、多少のわがままも許してくれよう。
コヨトルは、納屋の壁に両足をつくと、膝をばねにしてとび、ゴーレムの上を飛び越える。翻りながら表面を観察する。泥に塗りたくられた表面には一か所、ぎょろりと光る眼が見えた。金色の、あの森人の目だ。
『やはりな』
大きさや頑丈さに目を奪われがちだが、この土くれ人形は未完成だ。術者の魔力の高さで無理やり動かしているが、制御がうまくできていない。
理由はわかっている。あの手首足首、そして首に付けられた呪具だろう。擦り切れかけているとはいえ、足首一つを残し他は健在だ。
ゴーレムを遠隔操作で呼び寄せたときのあの不器用な動きをみればわかった。
動かすことはできるが、五感をつなげることまで至らなかったのだろう。故に、ゴーレムはひとつひとつ家や物を壊していった。部屋の奥にいた森人は、窓辺に近づけなかった。パックたちが陣取っていたためだ。だから、聞こえる叫び声を頼りに村人を潰していたのだろう。
そして、五感のリンクは今も切れたままのようだ。でなければ、目などという人体急所の一つをさらけ出す理由はない。もっとも、攻撃しようにも、すぐ中に隠れてしまう。
「どうしようかねえ」
のん気な高い声が聞こえた。自分の声帯から聞こえてくる。
『いかんいかん』
パックの認識が己の中にも強いらしい。先ほどの少女が、コヨトルのことを知っていたとして彼女がずっと認識しているわけじゃない。彼女がこの場から遠ざかったら、老いた狼は、ただの小妖精に戻ってしまうだろう。今、非力な妖精に戻ったら、即挽肉になってしまう。
腹立たしい枷だと、コヨトルは思う。何重とはられた枷。そして、コヨトルの存在もまた枷の一つであることが皮肉なものだ。
時間はあまり残されていない。
『それはちと困るの』
しわがれた声を再び出すと、コヨトルは大きく舌を出した。
とても楽しくなってきた。




