23 土人形と異国の神 前編
少女が泥人形に埋もれていく。金色の目が、パックをにらむと完全に埋まってしまった。
壊れた腕を再生しつつ、土くれ人形はもう一度大きく腕を振るった。飾り気もなにもないただ支柱として存在する柱がへし折られる。屋根が傾き、埃と木屑が天井から落ちてくる。ぐらりと天井が揺れ、そのまま落ちてくる。
パックはまだ柱が残っているほうへと滑り込む。呆けていたビスタの襟首をつかみ、スライディングした。
砂埃が蔓延し、それが落ち着いたころには土くれ人形はこの家を去っていた。
「な、なんだよ。女の子が食べられちゃったよ」
ビスタが腰をぬかしたまま言った。後ろでは、うめき声叫び声が聞こえる。心が壊れた人間でも、異常事態だということがわかるらしい。生憎、入口側の柱しか崩されておらず、奥にいた人間は無傷だった。
「違うよ」
食べられたのではない、保護されたのだ。もしくは、自力で動かし、安全な場所へと入ったというべきか。
そして、彼女の目にうつるのは、人間に対する明らかな憎悪だった。それはそうだ、こんな場所に閉じ込められて、なにもできず、女の子のお口から言い出すにはかなり憚れることをやらされていたのだろうから。
少女の身体には、魔力をおさえる呪装飾がつけられていた。見た目は簡単な作りだが、本人にはとることができない。だが、そんな呪符も他人の手なら簡単にとれるものである。
「あれは、森人だよ」
「森人って……」
「そう、アレ」
パックたちが徴兵された理由は戦争だ。そして、戦争には敵が必要であり、その敵が森人である。
当たり前のことなのに、なんでビスタは聞きなおすのだろう。
「森人というのは世界樹を根城にする異民族の総称。先生はそれくらいしか教えてくれない。そりゃそうだ、外見で細かくわけられるものじゃないから。それともなに? もしかして、森人って角でも生えているかと思ったの?」
パックは青ざめた少年に言った。ビスタが目を見開いたまま呆然としている。おそらく自分の善意でこれが引き起こされたともわかっていないようだ。パックは教えてやってもいいかな、と思ったがなんとなく黙っておくことにした。
ぶち破られた扉の向こうから断末魔の声が聞こえる。
あの少女がパックたちを無視した理由はわかる。より憎たらしい相手から殺しにかかるというのが人間の情であろう。ゆえに、今ここに放置されているのは見逃してもらったわけじゃない。後回しにした可能性が高い。
パックは背中がぞくぞくとした。このままでは、自分もまたあの化け物にミンチにされてしまうのだろうかと思う。もちろん、ただでそんな立場になろうとは思わないけど。
パックはビスタと残された人間たちを見る。
「ねえ、ビスタってさ。共通語流暢だけど北部の言葉わかる?」
「……なんでいまさらそんなこときくの? 残念だけど、東方語しかわからないよ」
やっぱりかあ、とパックは思う。北方語を知らないということは、そちらの知識もないだろう。指先で薄汚れた床に『puka』と書く。彼にこれを読めといってもわからないだろう。おそらく、パックのいる班に東方人が四人もいるのはこれが理由だ。マルスプミラはまだビスタたちよりも博識そうだが、彼の言語圏は西方よりだったはずだ。
「これは困るね。とりあえずここから出ようか」
今のところ保っているがいつ壊れてもおかしくない。それにあの化け物が他の獲物を潰している間に村の外に出てしまうのが一番無難な行動だろう、実にパックには面白くない流れであるが。
「ちょ、ちょっと、パック」
ビスタがパックの袖を引っ張る。パックが振り向くと、ビスタはビスタで違う女の子に袖を引っ張られていた。目元を痙攣させ、口の端からよだれが流れている。捕まっていた中で一番幼いだろうか。パックとさほど背丈が変わらない。年齢も一つ二つしたくらいだろう。北方系でも東方系でもなく、浅黒い肌をした少女だ。
ここは一刻も早く逃げ出すべきなのに、なにお荷物くっつけてるんだろうか。
自分よりも小さいからこそ庇護欲をそそられる、それとも相手が女の子だからか。そんなの関係ないとガーハイム先生は口を酸っぱくして言っているのに。甘ちゃんだなあ、と思いつつパックは笑う。優しさを見せるなら、博愛として全員を助けるべきなのに。
中途半端な善意ほど、歪なものはない。
「ちゃんと責任持つなら自分は何も言わないよ」
「パック」
危なくなったらビスタを置いていけばいいことだ。彼を助けるとは一度も言っていない。
もちろん、からかう相手がいればより万歳であるのだけど。
ビスタは他に呻いている人たちに「ごめん、助け呼んでくるから」と、謝りをいれて少女の手を握る。
(ヒーローごっこなら別のとこでやってもらいたいね)
パックは瓦礫の隙間から、土くれ人形を見る。両腕を上下に振り、なにかを叩き潰している。なにをと確かめる理由もない。断末魔の声が、振り下ろされると同時に消え、かわりにぐちゃぐちゃと耳触りな音が聞こえる。
ビスタは右手を少女の手をつかみ、残った手は耳をおさえている。口をぎゅっと閉じていることから、吐き気を我慢しているのだろう。辺りは鉄臭いにおいが充満している。
少女はたまに呻きに似た声をあげるが、あの化け物の耳にまで届かないようだ。
壁沿いに見つからないように歩き、出口へと向かおうとするが。ちょうど土くれ人形の真後ろが出口である。扉は人形が入り込んだ時に壊されているがあそこまで近づくとさすがに気づかれるだろう。
他に出口はないかと周りを見ると。
「残念だが、入口はあそこだけみたいだぞ」
横から声がかかってきた。視線を声のするほうに移すと、とても疲れた顔をしたロクとその他仲間たちがいた。
「みんな!」
『馬鹿!』
思わず声を上げて喜んで抱きつこうとするビスタを三つ子が殴る蹴るをいれて止める。ついでにパックも一発殴っておいた。
「ひどくない?」
涙目でビスタが訴える。
「大声だすな、バケモンに気づかれるだろ」
煉瓦の壁に隠れてロクが土くれ人形を見る。土くれ人形は、出口のところで立ち止まっている男を捕まえると、見るもおぞましい形へと変えていった。
「困ったことに、あそこ、結界がはられてるみたいなんだよね。あの泥人形の仕業だと思うけど」
マルスプミラが腕組みをしながら言った。ちらりと浅黒い肌の少女に視線をやったが、深く追及しないようだ。ただその視線は少し憐れみを持ったものである。ほとんど襤褸切れといってもいい服に縛り付けられた足首の枷を見たら、彼女がどういう立場であったのか理解できたのだろう。
三つ子もなにか気まずそうに視線を外している。顔の赤らめかたからして経験はなくとも、知識はあるようだ。
「つまり君たちは、自分たちを助けようとヒーロー気分で乗り込んだのはいいが、結局出られないという非常にかっこ悪い状態なんだね」
ぴしっとパックが指さして言うと、
「うん、そのとおりなんだ。困ったよ」
と、ロクが顔を歪めながらパックの両頬を引っ張った。目が血走っている。実に気が短くて困る。引っ張った指がなんだか火薬臭くて、パックは匂いがついていないか、頬を撫でる。
「助けは呼んだみたいだね」
「くるかわかんないけどな」
戦場における少年兵は、斥候をつとめる場合もある。そのために、ガーハイム先生は最低限の材料でできる狼煙の作り方を教えていた。
そして、味方にはできるだけ相手の情報を持ちかえっていくべきである。
実に優等生らしい行動だとパックは思った。でも同時に馬鹿だと思う。少年兵を斥候に使うのであれば、それはすなわち捨て駒と同じだということに。
パックはやれやれと近くにあった木樽の上に座り込んだ。
「このまま助けを待つしかないか」
そのあいだにも次々と肉塊が増えていく。どんどん濃くなる血の匂いに、段々、イソゴたちも顔を青くしていく。手を摺合せ、何かに願うようなポーズをする。東方人のよくやる動きだが、それが何の意味になるのだろう。
マルスプミラは少女に自分の上着を重ねて、じっと土くれ人形を見ている。
「あれは、やっぱり魔人の魔術なのか」
ロクは『森人』ではなく『魔人』と呼ぶ。
「うん、中に森人が入ってる」
ここにいる女の子と同じく捕まっていたとは言わない。言ったところで意味がないし、余計な感情を持つのは面倒だとパックは思った。
「中の奴をやっちまえば、あれは動かなくなるのか」
ささやく声でロクはパックに言った。
予備知識がなければ、こんな言葉も言えるのだ。
「たぶんね。それにあれは完全な動きじゃないよ。やりようはあるかもしれない」
パックは笑う。ぎこちない動き、パックの考えが正しければ、あれにはつけこむ隙はたくさんある。ただ、ここにいる戦力では心もとなさ過ぎる。
「おい、余裕だな? この状況、どうにかしてくれんのかよ?」
ロクが皮肉な笑いを見せて言った。
「場合によりけりかなあ」
もったいぶって言ってみる。パックとしても、ノーリスクではないからだ。
「へえ、じゃあ、どうにかしてくれよ。俺は、岩の化け物にミンチにされる趣味はねえんだ」
それは、誰だって同じだ。皆、自分の物語の主役だ。わけのわからない化け物に一瞬で殺されるモブなんてやりたくないだろう。
「ははは。いいよ。ただし、条件があるよ」
「なんだって言ってくれ。助かるためなら、なんだってしてやるさ」
吐き捨てるように言うロクはいう。三つ子の中で、やっぱりこいつが一番付き合いやすいな、とパックは思う。
「男に二言はないよね?」
にやりと笑い、こう述べる。
「ロクはこんな異国の神さまのことを知っているかい?」
それは、物語を引っ掻き回すもの。
時に神をもだまし、いさかいを起こす。
悪戯が好きな厄介者でありながら、時に良いことも運び込む。
その名はいかに。
「……なんだよそれ? 三貴子の末子の話か?」
(やっぱりかな)
と、パックは思う。ロクがそんなことをいえば、おそらく他の東方出身者も知らないだろう。望みの綱のマルスプミラを見るが、眉を歪めて両手を広げるだけだ。
(これは駄目だな)
どんなに強い真名を持っていても、その意を知らぬ者には効果がない。より多くの記憶に刻まれたより強い名ほど力を持つ、理由はそこにあるのだ。
相手に認識されることで、ようやく力が具現化する。
これでは、パックはただの糞餓鬼のままだ。あの化け物に対抗しようにもひねりつぶされる。
「困ったねえ」
そうつぶやいたときだった。
「……こよとる」
震える小さな声が聞こえてきた。
その声は誰のものであるかといえば、少女の声であり、ここにそれらしき声の主は一人しかいない。
「ウェウェコヨトル」
「な、なんなの、それ」
少女の目はパックを見ている。浅黒い肌、少女は南方出身のようだ。
パックがその言葉を聞いてにやりと笑う。全身が逆立つような、毛穴から力が噴き出すような感覚が走る。
にいっと笑う口が大きく裂けている気がした。八重歯が大きく伸びて、舌がだらりと垂れさがる感触がする。
影が伸びる。その形は人ではなく、獣のものへと変わっていく。
「まさかこっちの名前のほうかあ」
声が次第にしわがれていく。大樹の年輪を感じさせる落ち着いた声、長いときを生きた者の声だ。
「コヨトル」
それは老いた狼の姿をした、南方に伝わる神の一柱。音楽、歌、踊り、芸能を司る。時に神をだまし、人にいさかいを起こす悪戯神。
唖然とするロクたちと、ひざまずく少女、そして、パックだったものは牙を見せて、狩の対象を見て舌なめずりした。




