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その輩、悪神につき  作者: 日向夏
悪戯妖精
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17 不穏な空気


 男は走っていた。ただ、走り続けていた。

 その片腕は千切れ、血をしたたらせている。それでもなお走り続けるのは、自分の名が『無痛ペインレス』という名だからだろう。この名に由来する性質のおかげで、男はこれまで生き残ってきた。痛みという概念にとらわれないからこそ前線で歩いてくることができた。痛みは恐怖を呼び、そして恐怖は死を運ぶ。


 男は今まで一度も恐怖というものを感じたことはなかった。痛みのない自分は、きっとそんなものを感じることなく英雄の地ヴァルハラへ行けるものだと思っていた。自ら志願して兵となり、森人エルフどもを倒すことは、自分にとって遊戯と一緒だった。


 しかし、腕をちぎられた。今の自分は、本来の『無痛』ではなく意味のない言葉に変わっているのかもしれない。ゆえに、いまじわりじわりと感じるもの、すなわち恐怖に顔を引きつらせていた。

 

 追いかけてくる。

 

 木の枝、木の葉を踏みつけ、走り続ける。しかし、後ろから聞こえてくる音は一向に小さくならない。むしろだんだん大きくなっている気がする。


 森人は、奇妙な術を使う。それも一つではない、いくつもの不可思議な術を。

 土をこね木を彫り人形ゴーレムを作る。自然の力を操り、天災を起こす。巨大な獣を服従させる。


 それは人とてできないわけではない。人形はそれに関係する名を持つものは操れるだろうし、天災も獣も同じだ。しかし、それを森人は名を使わずやってのける。だからこそ、森人は魔人とも呼ばれる。奴らは世界樹の恩恵がなくとも生きていける。だからこそ、世界樹を枯らそうとするのだ。


 今、男を追いかけているのは巨大な土の塊だった。巨大なゴーレム、あの腕に足に、同行していた男の仲間はみんな潰された。ぐちゃりと潰れた身体をゴーレムが地面から引きはがし、後ろにいた小さなゴーレムへと渡していく。


 死体をどうするつもりかはわからない。でも、ただ一つ言えるのは、彼等の名がもう存在しなくなるということだった。真名となった言葉は失われ、人の記憶から消えていく。


 いやだ、死にたくない。


 男の願いを無視するかのように、のっそりとした足音が大きくなる。焦る男は森を抜けようとするが、その足は木の根に引っかかった。千切れた腕を押さえていたため、上手く受け身がとれず、顔面から地面にめりこむ。砂の粒が顔にめりこみ、木の葉が頬に張り付いた。涙と鼻水が流れ、それにべったりと張り付いて離れない。


 情けない顔である。しかし、そうせざるをえない。


 立ち上がろうとするが、片手ではうまく起き上がれない。そのうち近づいてくる足音が止まった。


 自分の影がさらに大きな影で塗りつぶされた。


「は、ははは」


 間抜けにも自分の喉から聞いたこともないような情けない笑い声が聞こえた。これが自分の声あると、一瞬、男にはわからなかった。昔、酒場の裏で聞いた金をたかられている貧弱男が誤魔化すように笑っていた声によく似ている。


 あんな風にはなりたくねーよな。


 それをつぶやいたのが、随分懐かしい気がした。同時にいろんな昔のことが思い出される。


 なんでそんなこと考えてるんだ。


 男の身体はゆっくりと後ろに振り返っていた。ゆっくりと確実に近づいてくる何かがあった。


 終わりだ。


 その先は、何もない。


 男はなにもなくなる。その名前すらも。


 痛みがないことだけが、彼の救いだった。




〇●〇



「少し遠出をしなくてはなりません」


 丁寧な物言いでガーハイム先生は、生徒たちに伝えた。

 生徒たちはそれぞれの反応でその言葉を解釈する。パックはおでかけできるのだと、わくわくしているのに対し、ビスタは手を擦り合わせながら妙な呪文を唱えていた。ビスタは、鬼教官がどんな新しい仕事を用意しているのか震えているらしい。実にチキンな男の子だ。


「十日ほど留守にしますので、好きなようにして下さい。実質、休暇ですね」


 生徒たちは呆気にとられ、互いに互いの顔を見合わせたものの『休暇』という言葉を反芻する。

 パックは両手を上げて、


「やった!」


 と、喜びの声をあげた。

 他の者たちも同じようにうれしそうな顔をしているが、ガーハイムの前なので反応は大人しい。実に賢明で面白くない反応だ。


 パックは一人だけはしゃいでいるのはつまらないので、一番すかした顔をしているロクの後ろに回ると脇をくすぐった。真面目な面が壊れて、身体を曲げて声を上げる。じたばたともがき、なんとかパックの両手をつかんでやめさせる。


「わ、脇はやめろ!」


 ロクは実にひどい男だ。パックの腕を取るなり、背中にのせるようにすると、そのまま投げた。パックはさらりと翻ろうとしたがうまくいかず、ブリッジの体勢で止まる。ふるふると震えるパックだが、ロクの腕を離さない。パックほどではないが、ロクの体勢もけっこうきついに違いない。彼の筋肉の痙攣が伝わってくる。


 自分もきついが他人に苦しみを与えるためには、パックは実に頑張るのである。しかし、こやつなかなか体勢を崩そうとしない。


「やるな」


 パックは背中をそったまま、下から見上げる形できりりという顔した。ちょっと唇が震えているが気にすることはない。ロクもまたふっとすかした顔をしたが、その額がそのままパックのおでこに落ちてきた。

 

 予期せぬ頭突きに、二人で地面をのた打ち回っていると、眼鏡の鬼教官が笑っていた。


「最後まで話を聞きましょうね」


 その笑みが邪悪だったことはいうまでもなかった。






「すごくケチだね」


 パックがいった。


「ああ、ケチだな」


 ロクが同意する。


「どうすんの? 十日分っていったらけっこうだよな」


 イソゴが首を傾げる。


「探すしかないよね」


 ビスタがうなだれる。


「めんどくせえ」


 イソナがやる気なさそうに首の裏を掻く。


「……」


 マルスプミラだけは、掲示板をにらめっこしていた。


 学兵六人がたむろっている場所は、食堂の前だ。そこに大きな掲示板があり、仕事の斡旋情報が並んでいる。傭兵たちがよくたむろう場所には、こういう掲示板がだいたいおいてある。


「なんかあるか?」


 イソナが、壁にもたれかかって聞いた。イソナはあんまりおつむがよくないので、読み書きは東方語しかできない。ロクができるので、イソゴとイソナは全部丸投げしているらしい。そっくりの三つ子だが、イソナはおでこが広めで眉毛が短い。ぴくぴくと動かす様子は、本人の落ち着きの無さを如実に表している。


「だめだよ、年齢制限で引っ掛かる。もしくは、教官の同意を得てだってさ」


 マルスプミラは可愛い顔を歪めて見せる。鬼教官は、あのあとさっさとお出かけしてしまった。他の教官に頼むという手も考えたが、基本、よその班の責任を負いたくない先生たちは、その手の願いを聞き入れることはない。


「うわあ。全滅かよ」


 イソナが頭を抱えてしゃがみ込む。実は、この掲示板に来る前に、形ばかりの学生課と傭兵の仕事斡旋所に行った。前者では望みのものはなく、後者は「学兵にくるもんはねえよ」とあしらわれた。


 パックたちは、仕事を探していた。


 世の中はきびしいものだ。働かざる者食うべからず。

 ガーハイム先生は『休暇』といった。しかし『休暇』は『休暇』でも頭に『有給』という文字が付かなかった。つまり、十日休めば十日分の給料は入らないわけだ。


 学兵の給料は安い、すごく安い。食べ盛りの少年がおかずを一品増やしたいところを我慢しなくてはいけないくらいお安いのだ。学兵の宿舎は、一応無料となっているが、そこに食事は含まれていない。つまり、働かなくては飢えることになる。


 給料日は五日ごとであり、一昨日もらったところだ。次の給料日まで全額で入るがそのあと二回は支給無しである。


「うわー、昨日、買い食いしちまったよ」


 計画性のないイソナだが、イソゴとビスタも同じ顔色をしている。堅実派のマルスとロクだけは、疲れた顔で息を吐いていた。多少のたくわえはあるのだと、パックは認識する。


 パックはいつもロスおじさんにたかっているので、他の五人ほど重大な問題ではない。でも、面白そうなのでとりあえずついてきている。

 他人の慌てふためくさまは実に甘い蜜の味がする。


 パックは、座り込んだイソナの元に行くとぽんと肩をたたいてやる。イソナはゆっくりと顔を上げると、なんだか不思議な表情でパックを見る。


「パック。もしかしてお前……」


 比較的余裕のあるパックに対してなにかを期待している。パックは聖母のごとき慈愛の笑みを浮かべてやった。


「断食って健康にいいらしいよ」


 ガツンと顎に衝撃が走る。

 いきなりアッパーが飛んできて、パックはダウンしそうになった。実に手が早い食べ盛りだ。


「俺らにとっちゃ死活問題だぞ」


 ロクが腕を組んで呆れた顔でパックを見る。


「大丈夫、自分には関係ないから」


 親指をたてて、いい笑顔を見せると、今度はロクから蹴りを入れられた。なんてひどい兄弟だ。


「ご飯食べられないと、死んじゃうよ」


 ビスタがうじうじした顔で指折り数えている。

 皆も皆でため息をついている。


 実に意地悪な宿題だった。


 お仕事は自分で探せ、それが今回のガーハイム先生のしごきである。


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