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その輩、悪神につき  作者: 日向夏
悪戯妖精
17/46

16 おじさんの疲れる一日

 その日、ロスは呼び出しを食らっていた。形は仕事というが、依頼人は古い知り合いだった。


「悪いな、あいつが戻ってきたのはいいが、なんだかナーバスなんだよ」


 そんなことを言うのは、ロスの昔の上司である男である。アームズという。壮年から中年に差し掛かった年齢だが、不摂生はしておらず、軍人らしい鍛え抜かれた体つきをしている。整った顔立ちは女よりも男受のほうがいいという根っからの兄貴肌だ。


 ロスも城塞都市に来たばかりの頃は、この男の訓練という名のしごきに辟易したものだが、今となってはいい思い出である。訓練は厳しいが、フォローが上手いため、新兵に好かれやすいのもこの男の特徴だ。

 名の通り、武器を使わせたら右に出るものはいないのだが、あまりに天職すぎて他の者がついていけなくなるため、現在は少し離れた位置に座を構えている。

 人当りの良さから、扱いの難しい部下を押し付けられるのは、彼の不幸なところだろう。


 そういうわけで、ロスはここ、すなわち男子寮に来ていた。男子、といってもここに住んでいるのはそこそこ年齢のいったおっさんがほとんどで、軍でも中堅以上でないと入れない場所である。


 そんな場所に住む人間の中には、やはり特殊な人間もいる。

 アームズが言った『あいつ』である。


 人当りのよいこの男にも取扱いの難しい物件くらいある。『あいつ』は、ロスにとって後輩にあたる男だが、かなり難しい性質を持っていた。性格ではない、性質である。


「俺、子守が専門ってわけじゃないんですけど」

「いうな。あいつも子どもって年齢じゃねえんだから」


 アームズは整えられた口髭を撫でる。燕尾服でも着たら、貴族に間違えられるかもしれない容姿だ。その見た目の良さから、先日まで王都にでかけていた。


「なんか、王都でやなことでもあったんすか?」

 

 ロスが面倒くさそうに言いながら歩く。久しぶりの寮の廊下は、あいかわらずきれいな造りで、到底、軍人の寮には見えない。毎月、引き落とされる寮費の中に、掃除人の賃金が含まれており、それでも足りない部分は小間使いを臨時で雇っている。先ほども、まだ学兵らしき子どもにもすれ違った。


「さあな。名前で選ばれたはいいが、公の場で機嫌を損ねては困るから、部屋に詰め込んどいたんだが、それがいけなかったか?」

「うーん、どうすかね」


 『あいつ』は問題児扱いされているが、性格はそれほど悪くないのだ。ロスは、その難しい相手をなんとか扱えた。要は、問題のある性質を押さえることさえできれば、実にいい奴なのである。

 問題児に慣れていたロスは、その扱いかたが周りよりうまかったため、その『あいつ』の世話を任された挙句、懐かれてしまった。

 野郎に懐かれるとは、実に暑苦しい話だ。

 

「一応、あいつの好物は持ってきたんですけど」

「食べ物で釣れるのか?」

「たぶん、量が足りれば」


 朝いちばんに買い出しにいって、寮についてすぐ食堂のにいちゃんに渡して冷やしておくように言っておいた。共用の冷蔵庫ならともかく、食堂の保管庫であれば勝手に食べる奴はいないだろう。

 食糧庫までコックたちの目をかいくぐって盗み食いをする卑しい連中はここにはいないはずだ。


「まあ、外に散歩しているみたいだから、すぐ会いに行ってやれ」

「へいへい」


 面倒くさそうに頭の後ろで腕組みをしながら、ロスは中庭へと向かおうとした。しかし、視線はその途中で止まってしまう。


「どうした?」


 ぴたりと動きが止まったロスに向かってアームズがたずねた。ロスの視線は動かないままで、口はあんぐりと開いている。


 そこには清掃作業に見せかけたなにかをやろうとする糞餓鬼がいた。窓ふきに見せかけて、引き戸の一番上に、黒板消しを挟んでいる。なんという古典的な悪戯だろう。


 できれば他人のふりをしたいところであるが、生憎、しっかり血縁はある。しらばっくれても後程、さらに面倒くさいことになる、経験済みだ。


 ロスは、壁によじよじしていた子どもの元へと近づく。子どもは、ロスに気が付くと、挨拶代りに右手を軽く上げて、まるで猿のようにくるりと降りて行った。

 その子どもの顔はどう見ても、ロスの家に住み込んでいる悪餓鬼のものだった。


「なにやってる? パック」


 パックはなぜか眉をきりりとさせて、


「見てのとおりさ」


 と、皆無に等しい胸を張った。


 ロスの全身から嫌な汗がひたすら流れる。慣れたかと思っていた姪っ子だが、やはり扱いは難しい。毒物も劇物も慣れたかといって甘く見てはいけない。大体、そういうものは忘れた頃にふってかかるものだ。

 なにより、この場所を見る。軍の寄宿舎だが、その中に軍の重鎮も住んでいる区画がある。別に怖いというほどではないが、ロスにとって機嫌を損ねて面倒くさい人種も多々いる。


 そんな大人の事情を知ってか知らずか、パックはアームズに向かって服の裾をつかみ、恭しくお辞儀をする。


「はじめまして。パックと申します。叔父がお世話になっています」

 

 やろうと思えば挨拶くらいできる。こいつの場合、出来が悪い子ではなく、やろうとしないだけの子なのだ。

 今、やけに素直なのは、この面食いが愛想を振る程度にアームズが男前だからだろう。


「はじめまして、坊や」


 ナイスミドルは致命的な間違いを一つしながらも、それ以外は素敵なおじさまの対応をしてくれた。どこからかとりだしたのか、棒付キャンディをやる。鬼教官の姿を知っているロスとしては、それが八割の鞭の残りの二割の飴だと知っている。


 パックは早速、口に放り込んだ。飴を食べている間は静かにしてくれるだろうか、と考えたがそんな思い込みはいけない。


「おい、今日はお前のところの班が仕事を請け負ったのか?」

「ほうだよ」


 飴を食べながら、パックが言う。

 目がキラキラと輝いている。


「本当か」

「あはりまへじゃないか」


 まっすぐすぎる視線は、幼気な子どもを最大限に表現する。

 しかし、ロスは知っている。こやつほど澄んだ目で堂々と嘘をつく生き物はいないと。

 パックの目は輝いている、たとえどんなに腕のいい職人がダイヤモンドをブリリアンカットしようが、ここまで澄んだ輝きは出せまい。


「……」


 ロスは無言で姪っ子の首根っこを引っ張ると、そのポケットをあさり始めた。飴玉、小銭、どんぐりにセミの抜け殻といろんなものが出てくる。針金が出てきたところで、ロスはそれを使い、パックの親指同士をぐるぐると巻きつけた。


「おい、なにやってるんだ!」


 アームズが止めに入ろうとするが、ロスのすわった目とパックの気にしていない表情をを見ると怪訝に首を傾げた。


「ご心配なく。いつものことですから」


 やけに真顔なロスは、パックの口にさらに飴玉を詰め込むと、その背中に紙切れをはりつけ、さらさらと何かを書く。ロスのアパートの住所である。


「あっ、すみません。ちょっと、荷物、投函してきます」

「おい、投函ってなんだ? お前らしくない冗談だな」


 アームズが苦笑いを浮かべるが、ロスはいたって真面目である。ちょうど通りすがった学兵たちを目にし、手を振ってこちらに呼び寄せる。何事かと、学兵たち二人がこちらに近づいてきた。東方の顔立ちで、どちらもよく似た顔をしている。


「これを配達人まで持って行ってくれ。釣りはいらないから」

 

 と、貨幣を渡す。

 二人の学兵は、荷物の内容に一瞬面食らったようだが、片方の学兵が、


「クール便でいいですか?」


 と、たずねかえしてきた。物わかりのよい子どもは助かる。


「ああ、いくら悲痛な声を上げられても、拘束は解くなよ。猿ぐつわして、箱かなにかにつめて配達人にはわからないようにしておいてくれ」

「わかりました」

「うわっーひどいよ、ロクー。同輩を助けようとは思わないのさ? イソゴも黙ってないでなんとかしなよ」


 飴玉が切れたパックが口を開いた。なんとなく気づいていたが、この学兵たちはパックのことを知っているようだ。パックの話を全部嘘だと決めつけていたが、この様子だとお仕事でやってきたというのは本当かもしれない。残念なことに、同輩にすら戦力外通告を受けているようだが。


 学兵二人は、パックをさらに簀巻きにして猿ぐつわを噛ませたあとで、上半身と下半身にわけて運び始めた。応用のきく子どもだった。


「い、いいのか?」

「あれが、あの生き物に対する正しい対応の仕方です」


 ロスは深く息を吐く。さっさと仕事を終らせて、家に帰ろうと思った。自分で送った荷物を自分で受け取らねばならない。そのままお持ち帰りをするのが一番手っ取り早いが、生憎、ここにはもう一人問題児がいる。


 噂をすればというのだろうか。


 会いに行くまでもなく、そいつはロスの目の前に現れた。

 ガチャンと、目の前の引き戸が開いた。


 ぽすん、と間抜けな音をたてて黒板消しが落ちる。


「お、おい、ト、トヨ……」


 アームズが顔を引きつらせている。

 ロスは悟りきった顔をして言った。


「とりあえず、着替えてこい」


 そこには、巨躯の男がいた。全身まだら模様の異様な姿をした若い男。


 まったく変わらないといってもいい、表情変化に乏しい顔をした男。


 その男の脳天は白い粉にまみれ、なぜか片足をバケツにつっこみ、肩に生卵をたらしていた。


 引き戸の向こうを見ると、さっきまで澄んでいた空がどんよりと重い雲に覆われていた。

 





「不思議だ、いろいろぶつかる、なんかおかしい?」


 まだらの男、トヨフツは自室で着替えてきたのはいいが、こちらにやってくる際に新たなトラップに引っかかったらしく、頭の上に蛙をのせていた。

 カタコトに近い言葉づかいは、奴がこの都市に来てからもかわることはない。奴と同郷の奴らに聞いても、東方の言葉でもあんまり変わらないのだという。


 体格に優れ、独特の模様から敬遠されがちなこの男は意外なほど、素直な性格をしている。自分より頭一つ小さい男に着替えてこいといわれたら、着替えてきた。その際、待たせないようにと少し急いできたようだがその最中にトラップに当たったようである。


 一体、いくつ仕掛けているんだよ。

 そんなつぶやきを心の中でため息とともにもらしながら、トヨフツを見る。


 アームズ曰く、問題児、とても扱いにくい男だ。それは性格ではなく、性質によるもの。特殊な名前を持つものは、それだけ扱いづらいものも多い。

 ナーバスになっているらしいトヨフツの顔は、今は少しだけ柔らかくなっている。付き合いのあるロスだからわかるが、他の者が見てもいつもと変わらぬ無表情に見えるだろう。そして、ある程度慣れたものなら、顔以外のあるところを見て彼の機嫌を読み取ることだろう。


 回廊を歩きながら、ロスは空の様子を眺める。重い雲はさきほどよりいささか薄くなってきているようだ。アームズは、仕事があるからとロスにトヨフツを任せて軍の本部にいってしまった。


「土産買って来たんだよ、食うか?」


 トヨフツの顔が少し明るくなり、空に晴れ間が見え始めた。実にわかりやすい子どものようなこの男は、食べ物で釣るのが一番楽だ。


 ロスとトヨフツは食堂へと向かう。

 その途中、仕事終わりの学兵と会った。先ほど宅配を頼んだ二人組だ。


「おう、集配たのんだか?」

 

 ロスが聞くと、よく似た二人組のうち、しっかりしているほうが、


「はい、時間指定は夕方以降にしてますけど問題ないですか?」


 と、返す。


「気が利くなあ」


 なら、そんなに急ぐ必要もないかとロスは、学兵二人に、


「お前ら甘いものは食べるか?」


 と、聞いた。






「あれ? ない、ないぞ!」


 貯蔵庫をあさる男は悲鳴に似た声をあげた。こちらに来る際にロスが、土産物の保管を頼んだ男である。


 ロスがやってきて、例のものを取り出してくれと言われ、貯蔵庫に降りて行ったのはいいが、肝心のものがないという。


 男は眉を下げたまま、食堂にいる料理人たちに聞きまわっている。しかし、料理人たちは首を振るばかりだ。


「……」


 ロスおよびトヨフツ、そして二人の学兵は食堂のカウンターで待ちながら、嫌な空気を感じ取っていた。

 ごそごそと数人がかりで貯蔵庫に降りて行ったのち、情けない顔で上がってきた料理人は空箱と食べ散らかされたプリン容器を持ってきた。


「すみません」

『……』


 料理人たち曰く、誰も食べていない、信じてくれとのことだ。しかし、鼠がこんなに器用にプリンを食べるわけではない。

 気の短い人間なら、怒っているところだろうが、ロスは傭兵にしては気が長く、なによりイレギュラーなことには慣れている。


 空箱にかいてある店のロゴを見て、トヨフツがぴくりと反応した。それは、ロスの大好物であり、このまだらの男も大好きな店の名前だったからだ。


 やべえな、とロスは思った。トヨフツが、機嫌をよくしはじめた矢先だったのに。外の様子はここからではわからないが、空はまた厚い雲に覆われていることだろう。

 一緒に連れてきた学兵たちもまた奇妙な顔をして顔を見合わせている。


 なぜ、プリンが消えたのか。その答えを出そうと思えば出せたのだが、ロスはクール便を今更もどすわけにはいかないと打ち消した。


 あのプリンさえ食べさせておけば、高速馬車の車輪に踏みつぶされてもご機嫌でいるわかりやすい男のはずなのに。


 ロスは頭をめぐらせながら、なにかないか考える。プリンとは言わずとも、それに準ずるものはないだろうか。

 古い記憶を引っ張り出し、ロスは料理人に聞いた。


「棚の一番上、木箱に入れられたワインはないか?」

「ありますよ、でもあれは、部隊長の……」

「いいって、飲んじまえばこっちのもんだから」


 ロスは知っている。堅物で強面の部隊長の一人が実は下戸であることを。そして、それを隠すために、いつも飲む葡萄酒は自分で用意していること。実はそれは酒ではなく最高級の葡萄ジュースであること、そんな内部事情を知っていた。


 とりあえず何か飲ませるなり食わせるなりして、そのあいだに、この学兵に寮を出てもらってなにか見繕ってきてもらおうと考えた。実に浅はかな打開案だが、ないよりもマシである。


「持ってきてくれ。グラスの準備も頼むな」


 料理人は言われた通り木箱を持ってきた。グラスに紫色の液体を注いでいく。

 そのあいだ、ロスは学兵のうち賢そうなほうに耳打ちして、金を渡した。もう一人も同じようについていく。


 さて、問題は、機嫌が直るまでどのような話題をふるかである。


「ほれ、飲め。おまえ、果実水好きだったろ」


 こくりとトヨフツは首を縦に振る。素直な性格だが、プリンを食べられなかったがっかり感はぬぐえないようだ。

 しかし、このくらいロスにとって修正可能なレベルだ。


「おまえ、そういや最近……」

 

 どでかい弟分の好きそうな話題を口にすると、トヨフツはほとんど変わらない表情かつ、瞳の色だけ少し輝かせてきた。


 のってきたな、とロスは思う。饒舌ではないものの口下手でもないロスは、興味をそそりそうな話題を次々と振る。普段以上に口を動かした為か、すぐに喉が渇いた。


 喉を潤すため、冷えたグラスに入れられたジュースを口にする。


「!?」


 奇妙な味がした。酒を通り越して酢になったような、独特の酸味が口いっぱい広がる。


「なんだこれ……」


 ロスが思わず口を押さえ、飲んだものを吐き出すのを押さえるレベルの味だった。

 安物宿の安酒をさらに何年も放置したような味である。そういえば、ここの食堂は料理は美味いが酒だけはまずかった覚えがある。話によると、貯蔵庫にある酒は料理長が酒ではなく酢をつくっている最中らしい。たまに、新人が間違えてワインとしてだすことがあるのだ。


 ロスは顔を引きつらせながら、正面の人物を見た。


 まだらの男の口の端から、赤い液体が垂れていた。それがなにかわかっているが、一瞬、血を吐いたかとロスが錯覚するくらい真っ青な顔をしていた。

 トヨフツは甘いものが好きで、辛い、酸っぱいものはほとんど食べない。


 以前、はねのけたピーマンを無理やり食べさせたときのことを思い出した。


 ロスはそっと手を合わせると、耳を塞いで目を瞑った。


 空がごろごろなると、稲光が同時に来た。轟音は耳の鼓膜を破るほど大きなもので、窓を見ると、バケツをひっくり返したように雨が降っている。


 『トヨフツ』、それは異国の神の名前である。別名、タケノミカヅチ、すなわち雷の神である。


 実に迷惑な性質をしている。






 可哀そうに、中庭の木は真っ二つに割れ、トヨフツが昼寝スポットをなくして、どんよりするのはそう遠くないときのこととなる。

 


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